ズルいよ、そんなの
その後はレストランで昼食をとり、お化け屋敷など他のアトラクションも巡ってヘトヘトになるまで楽しんだ後、俺達は最後に観覧車に乗った。
遊び疲れたらしい乙女は俺の正面に座ると、大きく息をつきながら言う。
「いやー、久々にこんなに遊んだわね」
「これからも遊ぶ予定はたくさんあるけどね。もうすぐ星河祭もあるし、それが終わったら修学旅行だよ」
どちらも俺視点だと乙女が参加するのは初めてのイベントだ。まぁ星河祭は色々と重ためのイベントが起きてしまいそうだが、修学旅行は難しいことなんて気兼ねなく楽しみたい。
「修学旅行かぁ……美味しいご飯食べたいなぁ」
「美空ちゃんみたいなことを言うね。ちゃんとお寺とか神社を見て色々学ばないと、修学旅行って名前なんだし」
「でも何を学ぶの?」
「侘び寂びとか」
「侘び寂びって結局なんなの?」
「わさびと錆を切り刻んで混ぜた良い感じのやつ」
「絶対違うでしょそれ」
「わさびじゃなくてお詫びだったかな?」
「お詫びでもアワビでもないのよ」
俺達は京都の寺社仏閣を巡る予定だが、それらを見て感じるものは人それぞれだろう。ぶっちゃけ俺は何度かこの世界で修学旅行に行ってるから、京都の地理は結構頭に入ってしまっている。でもそこに乙女という存在が加わるだけで大分変わってくるだろう。
なんて他愛もない話をしてゴンドラの中で二人笑っていたが、乙女はふと窓の向こうに見える月ノ宮海岸を眺めながら口を開く。
「何だか、不思議に感じちゃうの。私が今でも、ここにいられるの……」
「どうしちゃったのさ、急にそんなしんみりしちゃって」
俺はそう茶化したが、乙女は小さくフフッと笑っただけで、なおも儚げに言う。
「私……あの時、朧が月ノ宮に引き留めてくれたの、今でも感謝してるの」
あの時というのは、六月一日、ネブスペ2原作なら朽野乙女が突然月ノ宮を去ってしまう日だが……。
「いや、前にも言ったけどあれは僕じゃなくてローラ会長のおかげだよ」
「でも、朧がシャルロワ会長に頼み込んでくれたんじゃない。勿論シャルロワ会長も私達のために色々気遣ってくれたけど……私が今もこうして皆と過ごせているのは、朧のおかげだと思う」
確かに俺は八年前に戻ってローラ会長に発破をかけたが、厳密に言えばそこに俺が存在するわけがないのだ。本来の烏夜朧は、月ノ宮を去る乙女をただ見送ることしか出来ないのだ。前世で、転校する俺を、アイツがただ見送ることしか出来なかったように……。
「ねぇ、朧」
俺の正面に座る乙女は視線を俺の方に戻すと、俺をジッと正面に見据えて言う。
「朧って、シャルロワ会長とどんな関係なの?」
それは、予想外の質問ではなかった。
本来は全然接点がないはずの烏夜朧とローラ会長がかなり親密な仲だというのは、シャルロワ家の限られた面々しか知らず、幸いなことに変な噂は立っていない。しかし一時の間ローラ会長の別荘に滞在していた乙女は、俺が彼女の別荘によく出入りしていたのを知っている。それまでの俺のことをよく知っている乙女からすれば、俺とローラ会長の関係に疑問を抱くのも不思議ではなかった。
「実は昔、ローラ会長を助けたことがあってね。僕からすれば些細なことなんだけど、ローラ会長は今もそれに恩義を感じてるみたいなんだ。僕からすればシャルロワ財閥とのコネが出来て万々歳だけどね」
と、事の詳細は省いて乙女に伝える。なんでもないと言っても怪しまれるだけだ、こうして本当のことも混じえた嘘は案外通じやすくなる。
だが、乙女は突然俺の手をギュッと握って、今にも泣きそうな表情で言う。
「ううん、違うよ。朧にとっては些細なことでも、きっとシャルロワ会長にとっては違うんだって。
私と、同じように……」
乙女に突然手を掴まれて、俺は思わず振り払おうとしてしまった。だが今の彼女の……決意というものがこもったのか、そんな気も失せるほど力強く握られていた。
「私は、もっと朧と色んなところに行きたい。色んなことをしたい。もっと、私のしょうもないギャグとかリアクションに笑っている朧を見たい。私と一緒の景色を見て、一緒に感動して、一緒に同じ道を進んで……もっと、ううん、ずっと、私は、朧と一緒にいたい」
どうして。
どうして、運命はこうも残酷なことをしてくれるのだろう。
僕は、烏夜朧なのに。
俺は、烏夜朧じゃないのに。
「好きだよ、朧」
自分の手を掴む彼女から、その決死の勇気を震えで感じ取ることができるのに。
「私の、ただ一人の、大切な人でいてほしい」
……。
……違うんだ、朽野乙女。
俺は、俺の手を掴んでいた乙女を振り払った。
「僕みたいな奴に絆されちゃダメだよ、乙女」
今の烏夜朧は、君が求める烏夜朧ではないはずだ。
「僕はまだ、大切な人なんて選べない」
違うんだ、朧。
「僕は、君よりも未熟だから……」
君ならきっと、こう答えないはずなのに……。
信じられないくらい最悪な空気のまま、俺達は観覧車を降りた。先に乙女が降りたが、観覧車に乗る前の明るさはどこへ行ってしまったのか、一言も喋らずにうつむいていた。まぁ、俺のせいだけど。
このまま帰るわけにはいかないので、乙女に声をかける。
「乙女。君は、君が思っている以上に、魅力に溢れている女の子だよ」
こんな言葉が、励ましになるわけがない。
「僕が乙女を月ノ宮に引き留めるために頑張っていたとしても、僕はかつて……君に助けられたことがあるんだから、お互い様だよ」
こんな言葉に意味があるとも思えない。
「僕はただ、皆に良い顔してるだけの八方美人さ。嫌われるのが怖いから、そう振る舞っているだけさ」
こんな自分語りが面白いわけもない。烏夜朧が、こんな情けないことを言うはずがない。
でも、今の俺にはこんな言葉しか紡げない。
「乙女。君は今年、色々あったから視野が狭くなっちゃっているんだよ。君なら、僕よりももっと良い人を──」
すると突然、乙女が俺の方を向いて胸ぐらを掴んできた。
そして俺はハッとする。震える手で俺の胸ぐらを掴みながら、大粒の涙を流す彼女を見て。
「……ズルいよ、そんなの」
怒って、いるのだろうか。その震えは怒りからか。
いや……きっともう、己の感情を制御できないのだろう。
「そんなに私のことを褒めるくせして、どうして私じゃだめなの?」
あぁ、知っていたよ。
そんな言葉に意味がないなんてことは。
「それに……私が、私が大好きな人のことを、そんな貶さないでよ……!」
そう言って乙女は俺の胸ぐらをグイッと力強く引っ張り、その勢いのまま──意気地なしの俺を嘲笑うかのように、いや……迷いなんて忘れさせるように、唇を合わせた。
ファーストキスなんて言うには、全然ロマンチックの欠片もない、ましてや甘酸っぱさなんて微塵もないような、あまりにも勢い任せで、不器用で、悲壮な決意のもとに生まれたものだったかもしれない。
俺が驚くのも束の間、乙女は唇を離すと、なおも大粒の涙を流しながら叫ぶ。
「朧のバアアアアアアアアアアアアアアアアアカッ!」
そう叫んだ乙女は一人、俺を置いて出口の方へかけていってしまった。
俺は彼女を追いかけようとせず、全身から力が抜け、その場に膝から崩れ落ちる。
「……ズルいぜ、こんなの」
こんなにも、月野入夏という存在を邪魔に思ったのは初めてだった。




