テミスとミールがいれば大体祓える
反ネブラ人派の活動家が月ノ宮を去ってから、月ノ宮の街は幾分か平和になったように感じる。その代わり、月ノ宮の各所に妖怪やお化けが出没するという噂も出てきたが、多分ネブラスライムとかが思い思いに変化して人を驚かしているのだろう。
まだ世論的には反ネブラ人派が多数のように思えるが、少なくとも月ノ宮に以前の日常が戻ってきた。後二ヶ月も立たない内にその平穏な毎日は終わってしまうかもしれないが。
夏休みが明けてから最初の休日、俺は月見山の麓にそびえ立つ、まるでハリウッド俳優や大物実業家の豪邸のような邸宅……琴ヶ岡邸を訪れていた。ここに来るのは久々だが、昔の自分がここに出入り自由だったのが信じられない。
「ヤバ……こんなのあったんだ……」
「シャルロワ家以外にもお金持ちいたんだね……」
門の前で琴ヶ岡邸の巨大さに度肝を抜かれているのは、初代ネブスペのヒロインであるコガネさんとナーリアさん。
「わ、私達がこんなところにお邪魔していいの……?」
そう言いながら体を震わせるのは、烏夜朧の幼馴染である朽野乙女。他にもネブスペ2第三部のヒロインであるクロエ先輩、オライオン先輩、碇先輩、銀脇先輩、シャウラ先輩、そして第三部主人公である一番先輩と、俺はぞろぞろと人を引き連れて琴ヶ岡邸へやってきたのだ。
「相変わらずデカいね、ここ」
「葉室のシャルロワ家本邸も敷地だけならかなり大きいんじゃない?」
「いや、ここもシャルロワ家もオライオン家も、私らからすればもう別次元なんだよ、お金持ちレベルが」
オライオン先輩とかは実家がお金持ちだからそんなに驚いていないようだが、コガネさん達が驚いている中、敷地の中から執事のようなおじさんがこちらへやってきた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。どうぞ中へお入りください」
そういや琴ヶ岡家って執事とかメイドがたくさんいたっけな。多分この世界だとシャルロワ家の面々やアルタぐらいしか、ベガとワキアがネブラ人の王室の末裔だということを知らないだろう。
執事さんに中に通された俺達は、その巨大な邸宅の一角にある客間へと通された。人数分の高級な椅子、そして高級そうな茶菓子も用意され、こういう場に全然慣れていない乙女なんかはビクビクと体を震わせていたが……俺達が客間で談笑していると、部屋の扉を開けてワキアが入ってきた。
「ふふふ~ん♪ 皆、よく集まってくれたね……今宵の百物語パーティーに!」
なんとも不思議な面子の集まりだが、今日はこの琴ヶ岡邸にて皆で怪談話を話すために集まったのだ。
事の発端は、配信者の集まりとして仲良くしていたオライオン先輩達に、コガネさんとナーリアさんがコラボ配信を提案したことだ。ここ最近の月ノ宮の百鬼夜行騒ぎに乗っかって、この夏の終わりに怪談話を配信で話せば少しは盛り上がるんじゃないかと思ったらしく、シャウラ先輩から相談を受けた俺がオカルト好きなクロエ先輩を紹介し、そしてクロエ先輩が一番先輩も連れてきたのだ。乙女はただリアクションが面白そうだからという理由で俺が連れてきた。
そして、その集まりをどこで開こうかと迷っていたところ、夢那からワキアが最近怪談話にハマっているという情報を得て、琴ヶ岡邸に集まることになったのだ。なお今日は琴ヶ岡邸の別室にて、夢那やアルタ達が集まって林間学校の計画を立てている。
まぁ集まったとはいえ、本番はオライオン先輩達の配信なわけで、とっておきのネタはそっちに残しておく必要がある。そのため今日はまず練習という意味合いの集まりで、俺もそんな怖い話のネタは持っていない。
面子が揃ったところで、窓のカーテンを閉め切って照明も落とし、各々の正面に置かれたロウソクの明かりだけが部屋を灯していた。もう乙女やオライオン先輩は今の段階で若干ビビっているが、トップバッターはワキアである。
「これはね、私が入院していた病院の看護師さんから聞いた話なんだけど……」
そういえばワキア、入院生活が長かったからそういう話をかなり仕入れてそうだ。
……いや、そんなワキアがトップバッターだと、この後のハードルがかなり上がってしまうんじゃないか?
──ある夫婦が念願のマイカーを中古で購入して、釣りやキャンプに行くためによく使ってたんだって。でも夏場になると、突然車の中に何かが腐ったかのような異臭が立ち込めるようになって……中古車だから何かエンジン回りがおかしくなったのかと思って夫婦は点検したんだけど、何も異変はなかったの。夏場だから暑いけど仕方なく窓を開けて換気しても全然臭いが取れないから、車の中を隅々まで捜索することになったの。
運転席、助手席、後部座席と探しても変なものは何も見つからない。そして、いつもアウトドア用品を積み込んでいたトランクを開けると────トランクに落ちていた腐ったお魚に、大量の虫が湧いてたんだって!
……。
……何か思ってた怖い話じゃないんだけど!? しかも全然病院関係ねぇ!
「それってトランクに死体が隠されてましたみたいなオチじゃないの!?」
「でも怖いでしょ?」
「確かに虫が湧いてる姿を想像するとゾッとはしたけれど……」
ついワキアにツッコんだナーリアさんだが、生理的な嫌悪感が勝ったのか体を震わせていた。そりゃ誰も大量の虫が湧いているなんていう状況は目にしたくないだろう、想像するだけで鳥肌が立ちそうだ。
一方で結構平気な様子の碇先輩やクロエ先輩が言う。
「でも要は、よく釣りに行ってたみたいだしその時に落ちた魚が腐った臭いってだけなんでしょ?」
「求めてた怖さとは違うかも」
「もっと病院関係の怖い話はないの?」
「え~でも夜の病院の廊下に生首が飛んでたり血だらけの患者が歩いてたみたいなのじゃありきたりじゃない~?」
「そっちの方が絶対怖いって!」
流石本場で長い事生活していたことはあるぜ、ワキア。トップバッターからそんな話をされていたら後の人が困ってしまうから、むしろありがたいぐらいではある。でも聞きたくないといえば聞きたくないよ、そんな怖いの。
さて、続いてはオライオン先輩の話である。
「これはね、私がこの前体験したことなんだけど……」
──この間、一人でホラーゲームの配信してたんだ。山奥の廃村を探索するゲームで、おどかし系のホラーが多いんだけど、色々ホラゲーやってても怖いものは怖いんだよ。本当は一回でクリアする予定だったのに配信三回分も使っちゃったけれど、なんとかクリアしたんだ。
もうそのゲームをやっていた時は家の廊下を一人で歩くのも怖いぐらいだったね。でも苦労してゲームをクリアして配信を切った後、私はトイレに行ったの。なんでこういう時に限ってトイレに行きたくなっちゃうのかわからないけれど、今の内に行っておかないともっと怖くなっちゃうと思って、仕方なく行くことにしたの……
私、一人で廊下を歩いてたの。照明はついていたけれど、夜だから人気も全然なくて、いつもより外から聞こえる木々のさざめきが耳に響いてきて、ただでさえ怖いのに余計に雰囲気を怖くするの、本当にやめて欲しい。リゲルや他のメイドを呼ぼうかとも思ったけれど、怖いからって理由で呼ぶのも恥ずかしくて、私は震えながらトイレに入ったの。
でもやっぱり怖い気配とかって気のせいで、私は無事にトイレを済ませて、帰りもブルブルと体を震わせながら一人で廊下を歩いて部屋に戻ったけれど、結局何事もなくて一安心した時──私、気づいちゃったの。
ホラゲーのセーブデータを保存せずに、電源を切っちゃったことに!」
……。
……やっぱり思ってたのと違う!?
「ひいいいいいいいいいいいいいいっ!?」
しかし日頃からゲームをやっているシャウラ先輩や碇先輩はあまりの恐怖に体を震わせていた。まぁわかるけど、その気持ち。数時間分のデータが吹き飛んでいく感覚は社会人になっても味わうからな。
「なんで皆、ちょっと斜め上の怪談話をしちゃうの?」
「でも怖くないですか? コガネさんもそういうご経験ないですか?」
「初めて自分で撮った動画の編集データを全部消しちゃったことはあるけど……」
「ちょっと、ゾクッてするからやめなさいよ!」
何かとクリエティブな活動をしているコガネさんやナーリアさんもその恐怖はわかるようだが、あまりそういうのに触れていないであろう一番先輩やワキア達にはそんなに響いていなかった。
「怖いわ……でもこれぐらいのレベルならまだいけるわね」
怪談話があまり得意ではない乙女はまだ平静を装っていたが、次は一番先輩の番だ。
「これは、俺が幼い頃の話なんだが──」
──盆の時期になると、ウチの家族は母方の祖父母の家に帰省していたんだ、ぎゅうぎゅうの飛行機に乗せられてな。俺の祖父母は九州の山間部にある小さな集落に住んでいるのだが、そこはこの月ノ宮に負けないぐらい綺麗な星空を見ることが出来て、牛や馬が放牧されている牧場なんかもある、竹林や田園が広がるのどかな田舎だった。俺も幼い頃はギラギラと太陽が照りつける中、虫取り網を持って走り回ったものだ。
そして帰省していた時、俺の両親は地元の友人と同窓会に行って、俺は祖父母の元に預けられていたんだ。祖父母の家はかなり古い家で、トイレが家の中に無くて離れまでいかないといけなかった。トイレって言っても洋式じゃなくて昔ながらの汲み取り式でな、それはそれは雰囲気のあるトイレだった。
でも俺はあまり幽霊とか信じていなかったから真っ暗な夜も平気で、むしろ星空がよく見えるから暗い方が好きだったんだ。だから夜に一人で離れのトイレまで行って、帰りは呑気に星空を眺めていたんだが──突然、人の気配を感じたんだ。
見ると、竹藪の方に人が立っていることに気がついた。田舎だとご近所さんが家の敷地内にフラッと寄ることは珍しくないのだが、星明かりに照らされていたのは……血だらけで真っ赤な着物を着た、ボサボサの長い髪の女で──。
「ボアアアアアアアアアアッ!」
女は俺を見つけると奇声を上げながら走ってきて、俺は慌てて祖父母がいる家の中に逃げ込んだんだ。女がやってきたことに気づいた祖父が玄関の鍵を閉めたが、外から女が叫びながら何度もドンドン、ドンドンと戸を乱暴に叩く音が家の中に響く。
俺は怖くて泣きじゃくりながら祖母の体に抱きついていたが、祖父母は仏壇の方を向いてずっとお祈りしていたんだ。女の叫び声と戸を叩く音が真っ暗な家の中にこだまする中、俺はそのまま気を失うように寝てしまったらしい……。
翌日、祖父母から聞いた伝承によると、祖父母が住んでいた集落にはかつて源平期に平家の落人が逃れてきたらしく、当時の住民達は追手から逃れて助けを求めてきた平家の武士や女房達を助けることなく、むしろ源氏方を呼んで見殺しにしたという。
そんな住民達を呪うためか、今でも夜の村には落人達が彷徨っているという……。
……。
……この人、なんでちゃんと怖いネタ持ってるんだよ!
「一番先輩。もっと手加減してやってくださいよ。何人か気絶してますよ」
「お嬢様が私の体を掴んで離してくれません」
「シャウラちゃんも泡吹いちゃってるよ」
「一応聞くけど、君にとってはこれでも怖くない方なの?」
「いや全然。自分が一番怖い体験をしたのは、旅行先のホテルで──」
「やめてやめて! もうこれ以上聞きたくない!」
何か腐った魚が臭かった話とかゲームのセーブをし忘れたみたいなクソみたいな怪談話を聞いた後だと怖さが際立ってしまう。
そしてこんな話の後に順番が回ってくると妙にハードルが上がってしまうのだが──この部屋を仄かに照らしていたロウソクが突然フッと消えてしまった。
皆が戸惑う中、暗順応によりようやく部屋の中の様子が見えてきた時──俺達が囲っているテーブルの上に、一人の少女が佇んでいるのが見えた。月学の制服を着た少女の首から上は無く──。
「うらめしや~」
……何かカグヤさんがノリノリで現れた。俺はもうすっかり慣れた、というか何となく彼女が来るような気配を感じていたから驚くことはなかったが……他の面々は見事に気絶するか、驚いて部屋から飛び出していった。
「いやカグヤさん、何しに来たんですか?」
「へ? 面白そうなことやってるから、参加してみたくなっちゃって。百物語って最後は本当にお化けが出てくるんでしょ?」
「別に僕達もお化けを呼び出したかったわけじゃないんですよ」
なお、後日オライオン先輩やコガネさん達がコラボした配信にはとっておきのネタを持っているであろうワキアと一番先輩が何故か呼ばれることになり、二人の話はリスナー達を震え上がらせたという。
そして、月ノ宮の夜空を背景に映していた配信画面には、時折首のない少女の霊が映り込んでいたとか……。




