ネブラ人より怖いもの
今日もノザクロにていつも通り仕事に励む中、一緒に休憩に入った乙女がまかないのオムライスを食べながら言う。
「朧ってさ、夏休みが終わった後ってバイト辞めちゃうの?」
烏夜朧は、夏休みや冬休み、春休みなどの長期休暇期間中だけノザクロでバイトをしている。しかしその度に短期で契約しているのではなく籍はずっと置いているのだが、あまり働きすぎると扶養を越えるためシフト数を抑えている。
「辞めるっていうか、冬場までは出ないと思うよ。たまに忙しい時は呼ばれたりもするけれど。それがどうかした?」
「いや……私も元々夏休みの間だけって話だったんだけど、ずっと働かせてもらえないかなって……」
これはまさかの展開、っていうかこんなこともあるのか。現状、ノザクロはマスターがノリと勢いで可愛い女の子を雇っているから結構人が溢れ気味なのだが、殆どは夏休みだけの契約だけだから辞めてしまうだろう。俺もそうだし。
「乙女が働きたいって言うなら、多分マスターは泣いて喜んでくれると思うよ。そんなにここが気に入った?」
「楽しいってのもあるけど、なんだかせっせと働いてお小遣いを稼ぐのって楽しいなぁと思って……」
そうか、乙女も労働の悦びを覚えてしまったか。乙女がワーカホリックになるようなイメージは無いが、乙女自身が楽しんでくれているなら何よりだ。
「ほら、ワキアちゃんとかも夏休みが終わっても続けるって言ってたし、私も今更部活とかに入るつもりもないからさ。それにお客さんと話してるのも楽しいし」
「まさか、乙女の天職は喫茶店の店員だったのかい?」
「うーん、そういうのもありかもしれないわね」
そして休憩後、乙女は早速マスターに今後もノザクロで働きたいという旨を伝えに言った。
「ヌオオオオオオオオオオオオオオン!」
マスターは本当に泣いて喜んでいたのであった……。
バイトが終わった後、俺は乙女と共に帰路についていた。この前の七夕祭で何だか妙な雰囲気になってしまったが、お互いにあの時のことには触れずいつも通りの日常を過ごしていた。
六時を過ぎても空はまだ明るく、木陰で少しだけ涼しい歩道を歩きながら俺は乙女に言う。
「乙女はもう夏休みの課題は終わったかい?」
「終わってるわけないでしょ」
いや開き直るんじゃねぇよ。
「後どれくらい残ってる?」
「えっと……半分はやったと思う」
「夏休み、もう残り一週間も無いけど?」
「だ、大丈夫よ! すーちゃん達の家で頑張るから!」
乙女の親友であるスピカは頭が良いし優しいから、乙女の宿題を手伝ってくれるだろう。まぁスピカは適度な厳しさも持ってるから、答えを写させるとか教えるとかはないと思うが。
「そういう朧はもう終わったの?」
「昨日終わったよ。夏休み明けには実力テストもあるから、それに向けて復習とかしないとね」
「え!? 夏休み明けてすぐにテストあるの!?」
ふむ、やはりコイツは忘れていたか、テストの存在を。月学は普通科しかないけど進学校を自称してるからまぁまぁテスト多いんだぞ。
しかし、これまでに何度も全く同じテストを繰り返し受けてきた俺に抜け目などない!……そう調子に乗っていると、突然俺の耳に大きな音が響いてきた。
『ネブラ人は出ていけー!』
月ノ宮駅の前に差し掛かると、今日も駅前に集まった反ネブラ人派の活動家達の街宣活動が聞こえてきた。この前、宇宙からメッセージが来たことをきっかけにさらに人数が増えたようにも感じる。
俺が住んでいる場所が駅から近いから、どうしてもここを通らなければならないのだが……気にしていないつもりでも、どうしても気分が沈んでしまう。
すると、乙女がふと何かを思い出したかのように言う。
「そういえば今日、母さん達があの人達を追い払うって言ってたわ」
「へ? 追い払う? ど、どうやって?」
「さぁ……カチコミでもするんじゃない?」
いやカチコミて、余計に面倒くさいことになるだろう。乙女の母親である穂葉さんって結構パワフルだから、何だか嫌な予感がする……すると突然、月ノ宮駅や駅周辺の建物、街灯の明かりが全て、突然フッと停電したかのように消えてしまった。
「え、なに!?」
「停電か!?」
もう逢魔ヶ時とはいえ、夏場はこの時間でもまだまだ明るい。しかし街灯や建物の明かり全てが一瞬にして消えたため、俺も乙女も、そして駅前にいた活動家達も何事かと周囲をキョロキョロと見回していた。
まだ夕焼けの空は明るいはずなのに、この不気味な雰囲気はなんだろう?
突然の停電もそうだが、俺はもう一つ、この街に起きていた異変に気がついた。
「あれ……だ、誰もいない……?」
さっきまで駅前のロータリーや交差点には月ノ宮の住民が歩いていたはずなのに、彼らはまるで神隠しにあったかのように姿を消してしまったのだ。異様に不気味な雰囲気を感じるのは、この街が生気を失ってしまったからか。
俺や乙女、そして活動家達が戸惑う一方で……いつもは町内放送を伝える防災無線から、太鼓や尺八によって奏でられる不協和音が響いてきた。なんだかいかにもヤバいことに巻き込まれそうな予感がしたため、俺も乙女も大慌てだ。
「こ、これ絶対ヤバいわよ!?」
「お、落ち着くんだ乙女!」
ここから逃げなれけばと俺が後ろを振り返った瞬間、薄暗い小道にサザンクロスのエプロンを着けた金髪ツインテールの少女と、モノトーンのワンピースを着た銀髪の少女が立っていた。
「どわーい!? 今度は誰!?」
「落ち着いて、会ったことあるでしょ」
「あ、ロザリア先輩とクロエ先輩!?」
そこにいたのはロザリア先輩とクロエ先輩だった。俺達が慌てふためいている一方で、クロエ先輩はどういうわけかうずうずと興奮した様子だ。
「ど、どうしてお二人がここに?」
「そこのサザクロにいたんだけど、何だか面白いことが始まりそうな予感がしたから」
「いや、これのどこが面白いのよ。何がなんだかわからないわ」
そうか、クロエ先輩ってオカルトマニアだからこんな超常現象が始まりそうな時に一人ワクワクしているのか!? そして駅前に近いサザクロで働いているロザリア先輩も騒動を聞きつけてやってきたと。
と、俺達は駅前のビルの影でワチャワチャとしていたが……駅前に集まっていた反ネブラ人派の活動家達の側に、月学の制服を着た一人の少女が現れた。そして、そんな少女の姿を見て活動家達は絶叫する。
「ほぎゃああああああああああああああああっ!?」
その少女の首から上はなく、長く青い髪の自分の頭を両手で抱えていたのだ。何度見ても彼女の姿にビビってしまうところがあるが、ようやく俺が落ち着くことが出来たのは、彼女が知り合いだったからだ。
「え、あれカグヤさんじゃ?」
乙女は活動家達と同様に俺の隣で震え上がっていたが、カグヤさんの名前を言うと驚いた様子で駅前の方を見る。
「あ、ホントだ。何してるんだろ……って、ロザリア先輩!?」
見ると、ロザリア先輩は口から泡を吹いて倒れていて、クロエ先輩に体を支えられていた。
「まだまだだね……あれぐらいでビビってちゃダメだよ」
いやクロエ先輩、アンタも初めてクロエ先輩を見た時はぶっ倒れてただろうが。
俺や乙女はカグヤさんと会ったことがあるからまだ落ち着いていられるが、初見の活動家達は、今この駅前に流れている不協和音も相まって、ホラー映画の中のような体験をさせられていることだろう。
カグヤさん一人でも十分怖いし、活動家達はパニックに陥っていたが……人気がすっかり無くなっていた街のあちこちから突然人影が、いや人ではない、とても常世の生物とは思えない化物の集団が姿を現した。
「え!? あれって河童じゃない!?」
「ろくろ首にのっぺらぼうに土蜘蛛に九尾の狐……まるで妖怪オールスターじゃないか!?」
「そう、これはいわば百鬼夜行だね」
え? 何? 急にどうしちゃったのこの世界観?
人気がなくなった月ノ宮駅前には有名な妖怪達、そして血だらけの落ち武者や旧軍の兵士など、ホラー映画なんかに頻出する超常的な存在が集まり、彼らはじり、じりと活動家達を追い詰めていく。
「く、クロエ先輩! これは一体どういうことですか!?」
「さぁ……もしかしたらビッグバン事故で亡くなった人達の浮かばれない魂がこうして具現化したのかも……」
確かにカグヤさんはビッグバン事件で亡くなった幽霊だが、絶対落ち武者とか兵士は違うだろうよ。
これまで月ノ宮に百鬼夜行とか妖怪の伝説があったとかいう話は聞いたことないしとても信じられるような話ではないのだが、今こうして現実として俺達は直面している。
「ひいいいいいいいいいいいいいいっ!?」
そして百鬼夜行に追い詰められた活動家達は、慌てて駅の中へ駆け込んでいき、ホームに入線してきた電車に乗り込んで帰っていったのだった……。
「私達が出るまでもなかったわね」
活動家達が退散した後、ようやく駅前に人気が戻ってきたかと思えば、現れたのは山伏のような格好をして、バットだのフライパンだの、思い思いの武器を持ったいかにもヤバそうな連中だった。
「だ、誰……?」
「あら、私よ」
「あ、母さん!?」
顔を隠していた頭巾を取ると、俺もよく知る穂葉さんの顔が出てきた。なんでこの人、バット持ってるの?
「もしかしてこれ、穂葉さんが仕組んだことなんですか?」
「考えたのは私だけじゃないけれど、あの連中をどうにか出来ないかと思ってね」
成程。表立って訴えたり手を出したりすると余計に面倒なことになるから、こんなヘンテコな手段で追い払おうとしたのか。確かに彼らは恐怖のあまり逃げ帰っていったが……これ解決したのか?
「母さん、それよりどうしたの、その格好……」
「あぁこれ? これは百鬼夜行を見せてもあの連中が帰らなかった場合、何かヤバい村の風習みたいな雰囲気を出して生贄の儀式でも始めようと思って……」
「何それ面白そう」
「クロエ先輩、興味持たないで」
とことんホラーで攻めようとしていたのか、この人達は。確かにホラーとか心霊ものって地方の村に伝わるヤバい風習とかあるけども。
そんな山伏姿の穂葉さんと話していると、さらに山伏姿の人物が俺達の元へ近づいてきた。
「お、ボローボーイじゃないか!」
「マスター!? それに霧人さんに美雪さんも!?」
さっきまで俺と乙女がシフトに入ってた喫茶店ノザクロのマスター、そして美空の両親である霧人さんと美雪さんが現れた。その他にも駅前の商店街でよく見かける普通の大人達も山伏姿で集まっていて、どうやら月ノ宮の大人達が総動員しているようだ。
「実は月ノ宮の商工会の皆で集まって話し合ってね……」
「商工会で話し合った結果がこれなの!?」
「どうせならお祭りっぽくしようってなったんだ~」
「これのどこがお祭りなんですか!?」
「でもビッグバン事故の慰霊祭ってただの式典でつまらないし、お祭りっぽい方が楽しいかも……」
こんな妖怪達が集まるお祭りは確かに迫力があるかもしれないが、後々悪いことが起こりそうで参加したくない。
すると、今日の主役であるカグヤさんがフヨフヨと宙を浮きながらこちらへ近づいてきた。
「あ、ど~も~お疲れ様でした~」
そんなバイト終わりみたいなテンションで幽霊が来ることある?
「名演技だったわよ、カグヤちゃん。主演女優賞間違いないわ」
「あ、妖怪達を早く戻さないと」
「それに電気もいい加減点けないとな」
ようやく月ノ宮の街に明かりが灯り、そして駅前に集まっていた妖怪達の体はみるみる縮んでいき、アイオーン星系に生息する宇宙生物であるネブラスライムの姿に戻った。
「あ、これネブラスライムだったんですね」
「ほら、この前朧君が月研でショーをしてたでしょ? あれだけ器用なら色々再現できるんじゃないかと思って」
まさか俺のちょっとした特技がこんな事態を引き起こしてしまったなんて……いや、役に立ったと思えば良いのだろうか。
「よしっ、じゃあ私達はネブラスライムを月研に帰さないとねっ」
「みんな~私達についてきて~」
「スラーッ!」
すごい、ネブラスライムの群れが行列をなして道を進んでる。この光景だけでも十分ビビるぐらいなんだけど。
「じゃあ私も皆を送って帰らないと~一反木綿さんとか地元遠いし」
「あれ? そこら辺の妖怪ってネブラスライムじゃないんですか?」
「へ? この人達は本物だよ?」
カグヤさんの側には、ネブラスライムの姿に戻らなかったろくろ首やのっぺらぼう等の妖怪が集まっていた。
成程……そもそもカグヤさんって存在がこの世界には実在してるんだから、そりゃ妖怪だって存在するか……。
「まさか本物を連れて来るだなんて、力を入れすぎだよね……って、乙女ー!?」
急に静かになったかと思えば、俺の側にいた乙女やクロエ先輩が、本物の妖怪と出会ってしまったという事実を知ってしまったからか、元々気を失っていたロザリア先輩共々地面に倒れてしまっていた。
これ、活動家達を追い払うことは出来たけれども、地元住民にも大ダメージだろ。
「じゃ、皆お疲れさまでした~気を付けて帰ってね~」
「おつかれっした~」
残っていた妖怪達がカグヤさんに別れを告げて月ノ宮駅の改札を通っていく。そうなんだ、妖怪も電車を使って帰ることもあるんだね。ろくろ首がおつかれっした~とか言ってる姿、見たくなかったんだけど。
「朧君はその子達をちゃんと無事に送り届けるんだよ?」
「それはそうなんですけど……カグヤさん、まだ落ち武者とかが残ってますよ?」
「あ、この人達とは後で打ち上げするから」
幽霊って打ち上げとかするんだ。結構幽霊ライフを満喫してるじゃん。
「やっぱ幽霊トークって盛り上がるからね。私も色んな幽霊と出会ってきたけれど、どんな死に方したのか聞いてると面白いもん」
「なんて悲しいトークテーマですか」
「儂は膝に矢を受けてしまってな……」
「アンタの死に際トークは聞いてないんですよ」
「絶対奴らを呪い殺す……」
「一人だけ怨霊いません?」
カグヤさんは残った幽霊達を連れてどこかへ行ってしまい、そして俺は気絶した乙女達を無事に家に帰すために奔走していた。
なんとも不思議な出来事だったが、駅前での百鬼夜行騒動は誰かが映像に残しており、それがネット上に流布したことで大きな話題となった。翌日以降、穂葉さん達の思惑通り、反ネブラ人派の活動家達が月ノ宮に現れることはなくなったものの、噂を聞きつけたオカルトマニアや研究家達が妙に集まるようになったのであった……。




