乙女か、乙女か
段々と夏休みの終わりが見え始めた八月の末。未だにセミが唸り声を上げる酷暑の中、今日も俺はローラ会長の別荘を訪れていた。もう夢那からは俺が乙女とローラ会長と二股しているんじゃないかという疑いまでかけられているが、んなことはないはずだ。
「この世界にはね、必勝法があるのよ」
学生らしくローラ会長の私室のテーブルで向かい合って夏休みの課題を片付けていると、ローラ会長が突然そんなことを言い始めた。
「急にどうしたんだ?」
「私達はこれまで何度も、この世界をループしてきたでしょう? しかも全く同じ時期の世界を。それらの世界は、私達の身近な所は変化するけれど、世界的な情勢は殆ど変わらなかった。
どういうことかというと……例えば、株式市場の値動きが予測できるのよ」
……。
……なるほど、それは盲点だった。
ネブスペ2の世界は、おおむね現実世界の二〇一五年に沿っている。世界的には相変わらず中東の治安が物騒なのは変わらないが、それによって欧州への移民・難民問題が顕在化したり、新たな経済的枠組みであるTPPの合意があったり、スポーツではラグビーワールドカップで日本代表が番狂わせを起こしたり、プロ野球では前年最下位だった某燕の球団が十四年ぶりに優勝した年でもあり、この世界ではネブラ人という現実には存在しない人々がいる中、歴史の大筋は変わっていない。
やはりアメリカや中国の経済は日本にも大きな影響を及ぼすし、やはり大企業が不正や事件を起こすとそれまた株式市場の動きが大きくなる。俺も度々こんなこともあったなぁと懐かしく感じることもある。
つまり、それらの経済情勢を記憶していれば大儲けも不可能ではない。
「え、じゃあもしかしてお前、株で儲けてるのか?」
「動かしてるのは私のお金じゃなくて、グループのお金だけどね。私の進言もあってシャルロワグループの資産はここ十年で百倍以上になったわ」
「……お前は一体どんな悪事を働いたんだ?」
「悪事でもなんでもないわ。ただ私の先見の明が優れていただけのことよ」
ローラ会長は容姿端麗、才色兼備という設定だが、色々な経緯があっていくら創業家一族とはいえローラ会長が会長職を継ぐのは若すぎるんじゃないかと俺も思っていたし、実際にそういう声も多い。しかし昔からそんな実績があったなら、そりゃこんなちんちくりんに経済的なセンスがあると勘違いしてしまうわけだ……。
「それに、儲ける方法は他にもあるわ。例えば競馬、下手な干渉をしなければ結果が変わることなんてないのよ。だから私は父に進言していつも三連単を買わせているわ」
「お前、それチート過ぎるだろ。それは俺もちょっと考えたけど」
ちなみに二〇一五年は淀が祭りになった年である。
「でも私が結果を当てすぎたせいか、父のティルザはすっかりギャン狂になってしまったわね」
「いや、それは良くないだろ。んで、そんな不正を繰り返してがっぽり儲けたのか?」
「今、シャルロワグループの経営は中々厳しいけれど、それでも死に体ではないのは、私がしこたま儲けた財産が残っているからよ」
これがループものの特権か。俺はネブスペ2の全てのエンディングを回収するために五十周ぐらいしているが、身の回りのことに忙しすぎてそういうことに気が回っていなかった。もし今度ループすることがあったら、そういうのも狙ってみるか。いや、もういい加減ループはしたくないな……。
「てゆーか、月学のテストって競馬とか麻雀とかがよく問題に出てくるが、そういうのって要は原作者であるお前の趣味だろ?」
「そんなの関係ないわ。私はもっと人生において実用的な知識を教えたいと思っていただけよ」
「競馬と麻雀は実用的じゃないだろうが。もっと社会に出て役立ちそうなものにしろよ」
「じゃあ◯戯のやり方とか?」
「んなもん教わる側の身になれよ。せめて犯罪者を撃退する方法とかをな……」
「じゃあ中南米の刑務所一日体験社会科見学でもする?」
「せめて日本にしてやれよ」
この間の七夕祭で倒れてしまったローラ会長の体調がどんなものか不安ではあったが、こんなバカなことを言っていられるぐらいには元気も戻ってきたようだ。とはいえまだまだ休養は必要だ、せめて夏休みが終わるまではゆっくり休ませてやりたいが……シャルロワ家の内部事情に関しては若干の不安要素がある。
「そういえば、ティルザ爺さんってまだ元気にしてるのか?」
ローラ会長の父親でありシャルロワ財閥の創業者でもあるティルザ・シャルロワ。この世界では弟のトニーさんの件もあってシャルロワ財閥の会長職からは退いたものの、未だにシャルロワ財閥やネブラ人の社会では大きな影響力を持つ人物だ。
ネブスペ2原作では第二部が進行している夏場にぶっ倒れて植物状態になるはずだが……ローラ会長は表情を曇らせて口を開く。
「きっと元気にしてるわよ」
まるで自分の父親の話をしているとは思えないほど、他人事のような言葉だった。
「……やっぱ、今もあまり関係は良くないのか?」
「えぇ。ローザ達とはなんだか上手くいっているけれど、私自身があの人を嫌っているってのもあるから」
原作と比べるとシャルロワ四姉妹の関係はかなり良化したが、ローラ会長とティルザ爺さんの関係は上手くいっていないようだ。原作と違ってどうしてティルザ爺さんが元気なのかはわからないが、地球を襲撃するかもしれないネブラ人との交渉役として絶対に必要な人物のはずだ。
「むしろ、まだ叔父さんとの方が関係は良いわね」
「そういや叔父さんって保釈されないのか?」
「誰かがお金を払えば保釈出来るけれど、本人が贖罪のためと言って、今も大人しくしてるわよ。でもどの道、不起訴処分で解放されるんじゃないかしら」
昨今、ネブラ人に対する迫害が強まっているのは、地球の支配を目論んでいたネブラ人の過激派という存在も大きな要因だった。トニーさんはその首謀者だったわけだが、八年前のビッグバン事件に関わっていたとはいえ、直接宇宙船を起こしたのは花菱いるかだしなぁ……。
シャルロワ家の内情はかなり複雑だが、シャルロワ四姉妹の仲が上手くいっているのなら何よりだ。そんなことを思っていると、テーブルを挟んで正面に座るローラ会長がクスッと笑った。
「なんだよ、急に笑って」
「ううん……こういうことを相談できる人がいてくれて、良かったなって」
……急に出てくるなよ、俺の前世の幼馴染が。
「まぁ秘密にしないといけないってのが辛いのはわかる。俺も昔はそうだったし、特にお前に隠していた時は」
転生した最初の世界が滅んだ後、俺はトゥルーエンド、いや真エンドへの到達を目指してひたすらにエンディング回収に勤しんでいたが、物語の進行への影響を抑えるために皆に内緒にして生きていた。何よりも俺の姿を見ただけで死相とか色々暴いてしまうテミスさんに隠し通すのに苦労したが、その間にローラ会長、いや月見里乙女に限界が来ないか不安だった。
転生して初めて彼女を知った時からもう、彼女は限界そうだったから……するとローラ会長はペンを止めた。
「私、たまに怖くなるの。この世界から突然、入夏がいなくなっちゃうんじゃないかって」
今のところ、ネブスペ2のキャラは消失していない。かなり原作からは逸脱した物語にはなっているが、これが真エンドへの道だと信じて進んでいる。
「でも、ネブスペ2の真エンドを迎えたらこの世界が終わる可能性もあるんじゃないか? もしかしたらその時、俺もお前も現世に戻れるかもしれないぞ」
「入夏は戻れるとしても、私は絶対無理だよ。だって死んでるんだもん」
俺は前世で、車ごと濁流に飲み込まれて行方不明になっていた幼馴染を捜索していたわけだが、彼女の生存は絶望的だ。例えどんなハッピーエンドを迎えたとしても、月見里乙女という人間が生き返ることはないだろう。どれだけご都合主義的な展開を並べたとしても、そんなハッピーエンドは存在しない、のだ……。
「この前さ、入夏って乙女ちゃんから告白されそうになってたでしょ?」
「あぁ、あの花火の時か……いや、アイツが告白しようとしてたのかはわからんが」
「絶対そうだって、あの雰囲気は」
まさにこのローラ会長達に邪魔されて有耶無耶になってしまったが、あの時乙女は俺に何を言おうとしていたのだろう。
だがあのイベントについては、一つ齟齬がある。
「でも、少なくとも乙女は俺に惚れてるわけじゃない。アイツが好きなのは烏夜朧で、月野入夏ではない」
これが非常に悩ましい話なのである。俺はストーリーに復帰した乙女も大星ハーレムに加わるものかと思っていたのだが、彼女は大星の元を離れて烏夜朧へ近づいている。一ファンである俺は朽野乙女の恋を応援したいところなのだが……その恋路には俺という存在が邪魔過ぎるのだ。
「入夏って乙女ちゃんのこと好きじゃないの?」
「そりゃ好きだけど、俺はネブスペ2のキャラとして好きってだけで、付き合いたいって思ってるわけじゃない」
「ははーん。烏夜朧は朽野乙女は相思相愛だけど、烏夜朧の中にいる月野入夏は月見里乙女と相思相愛ってわけだ。中々楽しくなってきたね」
「楽しくねぇだろうが!」
もし花菱いるかがビッグバン事件から生還出来ているなら話は早いのだが、さらに厄介なことにローラ会長はネブスペ2第三部のヒロインなわけで、おそらく一番先輩と結ばれないといけないのだ。
いっそのこと、俺がゲーム中では名前も与えられていないようなモブに転生していたら良かったのだが……俺の幼馴染は中々に厄介な呪いをかけてくれたものだぜ。
「一応聞いておくが、ローラ会長ではなく月見里乙女としてのお前にとって、俺と朽野乙女が付き合うってのはアリなのか?」
俺とて、せっかく月ノ宮に残ってくれた朽野乙女というキャラを放っておきたくはない。出来ることならプレイヤーとして烏夜朧と朽野乙女の恋路を見守りたいが、当事者になるなら話は別だ。
すると彼女はうつむきがちに言う。
「妬いちゃうかも」
「それは乙女に? それとも俺に?」
「ううん、入夏の家を」
「それは燃やしてるんだろうが」
成程。俺の前世の幼馴染もまぁまぁヤンデレの気質があるのかもしれない。自分が作ったエロゲに自分の過去の思い出を投影して、自分と幼馴染に似たキャラを作っている時点で相当か。
「でも、私が乙女ちゃんに嫉妬する資格なんてない。乙女ちゃんは、あの時の私にほんのちょっとだけ、あの時の私が持っていなかった勇気を与えた存在。
そのほんのちょっとの勇気が……世界を大きく変えることもあるんだよ」
あの時、というのは……前世で俺と彼女が離れ離れになった頃のことだろう。あの日が来るまでに少しでも勇気があれば、ごっこ遊びではない恋をしていたかもしれない、と……。
「俺は、お前に勇気が無いとか思ったことないぞ。むしろ、現実から目を背けていたのは俺の方だ」
「フフ、ありがと。でも、私にとっては入夏がヒーローだよ。真エンドを見つけ出すために何度もバッドエンドも迎えてきて、花菱いるかとして私を助けに来てくれて……ううん、ずっと前から、入夏は私のヒーローだったよ」
……。
……もしかして俺、真エンドの世界で究極の選択を迫られるのでは?




