脱落
女の子が家に来る、というイベントは毎度ドキドキしてしまうが、最近はカグヤさんという幽霊とは思えない幽霊もどきが入り浸っていたから若干感覚が麻痺してきている。
朽野乙女が家に来るということで、俺は軽く部屋を片付けてジュースと茶菓子の用意もした。どうせ俺の部屋にある漫画を読んだりゲームで勝負を挑んでくるのだろう。
『私の足を舐めなさい』
……前に乙女が家に来た時に起きたイベントを思い出すと、若干怖くなるが、安心するんだ俺。きっと何か過ちを起こしそうになった時は完璧なタイミングで望さんがやって来るに違いない。俺かて乙女とは変なイベントを起こしたくないのだ、彼女は大星と結ばれるべきなのだから。
なんて考えながら乙女が来るのを待っていると、家のインターホンが鳴った。玄関に向かって扉を開くと、外は大雨で──目の前には髪や制服をビショビショに濡らした乙女が佇んでいた。
「お、乙女? どうしたんだい、そんなずぶ濡れで」
いくら真夏が近づいているとはいえ、雨に打たれるとやはり風邪を引きかねない。しかし俺の心配も杞憂だったか、乙女は俺に照れくさそうな笑顔を見せながら口を開いた。
「い、いやぁ……傘、忘れちゃってさ。ごめん、お風呂貸してくれない?」
「今日雨予報だったよね?」
「それは知ってたんだけど、学校に忘れてきちゃったんだよね。それより寒いから早く温かいお湯を浴びたいの」
「安心しなよ、バカは風邪を引かないんだから」
「なにをー!」
しかしもうすぐ七夕祭だというのにこれをきっかけに体調を崩されても困る。まずはタオルを貸してやり、丁度お風呂も沸いていたためそのまま乙女は浴室へと向かった。
……幼馴染って、こんな普通に相手の浴室を借りるものかね? 俺も前世は例の奴の家に遊びに行ったことはあるが、浴室を借りた記憶はないし多分俺もアイツに貸した覚えもない。
今までにレギー先輩やアストレア姉妹に貸したこともあるが、まぁあの時は例外だ。烏夜朧とヒロイン達が近づきすぎていた。
では乙女はどうなのだろう? 何か普通に家に来るんだけど、変なフラグが立ったりしないよな?
でも乙女がこんな気軽に遊びに来てくれるのは嬉しいし、今までの苦労を考えると感慨深いものがある。
「ふーっ、まぁまぁな湯加減だったわ。コーヒー牛乳ない?」
「人の家の風呂を借りといて図々し過ぎるだろ」
「あ、牛乳あるじゃない。コップ借りてくわよ~」
「はいはい」
俺がダイニングで待っていると、制服からジャージに着替えた乙女はまるで自分の家かのように冷蔵庫を開けて牛乳パックを、そして食器棚からはコップを取り出して牛乳を注ぐ。そしてそれを一気に飲み干すと、ぷはーっと大きく息を吐いていた。
「あ、乾燥機借りたけど良かった?」
「干すわけにもいかないだろ」
「サンキュー。良いわよねー、家に乾燥機あるのって。ウチには無いから、梅雨時はいつもコインランドリーよ」
「今も乙女が家の家事をしてるの?」
「当たり前でしょ。父さんには任せられないもの」
ネブスペ2のキャラの中では美空がダントツで家事洗濯に習熟しているが、実質父親の秀畝さんと二人暮らしの乙女も中々のハイスペックだ。多分家事に忙しくて勉学がおろそかになってしまっているのだろうが……いや俺かて望さんが全然家に帰ってこないから家事は全部やってるんだけども。こう見えて。
「あ、そうそう。母さんの退院の日って行ったっけ? 今週の土曜なんだけど」
「それまた急だね。ってことは、もしかして穂葉さんも七夕祭に来れるってこと?」
「本人は行く気満々ね」
同じ奇病に悩まされていたワキアは一足早く退院していたが、より重症だった穂葉さんはまだ葉室総合病院に入院していた。だがおよそ八年ぶりに退院できるということか。
「穂葉さんが退院したならお祝いに行きたいね。サプライズパーティーとかどう?」
「じゃあ私と父さんが母さんを病院から連れてくるから、朧は料理作って家で待っててくれない?」
「良いよ、任せて」
「私はお寿司食べたいからよろしく」
「手巻き寿司で良いなら」
ド素人に寿司を握れというのかコイツは。だが何十周もループを繰り返してきて、いつも家の家事をこなして料理の腕も上がってきた俺も腕の振るい甲斐がある。
その後、乙女は俺の部屋でいつものように漫画を読み始めた。何度も家に来ていてよく飽きないなと思うが、毎度新刊を用意している俺も悪いかもしれない。俺だって漫画読みたいんだもん。
俺はこの世界でもネブスペ2の攻略情報を記した禁断のバイブルを用意しているが、こうして乙女を始めとしたネブスペ2のキャラ達が部屋を訪れることに供えて隠し場所も工夫してある。ノートという紙媒体ではなく、パスワードをかけたパソコンのファイルの中に保存している、これが破られることはないだろう。
だがこの世界は、ネブスペ2の原作とは大きく違うシナリオを刻んでいる。そのため禁断のバイブルは殆ど当てにならない。とはいえ殆どのイベントはトゥルーエンドの世界線で見られるものだが、乙女だけは別だ。原作ではまだ攻略可能なヒロインではないため、朽野乙女ルートがどんなシナリオなのかわからないのだ。
とはいえトゥルーエンドは半ばハーレムエンド的なものでもあるため、乙女もまた大星の魅力に惹かれて彼のハーレムの中に組み込まれてしまう。
……実際、今の乙女は大星とどれぐらい進展しているのだろう?
「そうえいば今日、大星達と遊びに行ってたんだろう? どうだった?」
どうせゲーセンやカラオケに行っていたのだろうが、我が物顔で俺のベッドの上で寝っ転がって漫画を読んでいた乙女は、少し悲しげな笑みを浮かべて口を開いた。
「私、途中で抜けてきたんだ」
「へ?」
「皆の邪魔しちゃ悪いなって思って」
すると乙女は漫画を読むのを止めて、俺のベッドの上に座り直した。乙女は笑顔を浮かべてはいたものの、その胸に秘めた思いを隠すために誤魔化しているようだった。
「こんな言い方はなんだけど、皆といると疎外感を感じちゃうんだ、私。だって、美空やスピーちゃん達は大星のことが好きなんだから」
そして、俺はようやく気付かされた。
朽野乙女は、烏夜朧と同じ側の人間なのだと。ネブスペ2のヒロインではなく、大星や美空達のシナリオを盛り上げるために用意された一つの駒に過ぎないのだと。
「スピーちゃん達が大星のことを好きなの、側にいるとひしひしと感じるんだ。私もさ、スピーちゃんやムギーちゃんがあわゆくば大星と引っ付いちゃえば良いかなって考えてたけど、何か上手くいっちゃってて……体育祭の後に転校が決まって悲しかったけれど、でも潮時なんじゃないかって思ってたんだよ。私がいると皆の邪魔をしちゃうかもって、気付いたから」
俺はてっきり、乙女も大星のハーレムの中に組み込まれるものだと思い込んでいた。俺もそうなるよう陰ながら応援していたし、あえて身を引いて彼らを見守ることだってあった。そしてこのまま順調に行けば、きっと乙女もヒロインになる──いや、違う。
この世界はNebula's Space2ndというエロゲの舞台だが、乙女達はそのエロゲのために用意された架空の人物ではない。俺は今、確かに現実としてこの世界を生きていて、彼女達もこの世界に生きる一人の人間なのだ。
帚木大星が主人公だから、そして犬飼美空達がヒロインだからという理由で、決まった選択肢を選んで好感度が溜まったら自動的にカップルが成立するわけではない。それらのイベントが因果律として用意されているとはいえ、帚木大星達主人公が相応の働きをすることで、それらのイベントを踏まえて惹かれていくのだ。
だから、俺はステータスとか好感度ゲージを確認できない、ということか……?
「私もね、大星のことが好きだったんだ」
好きだった。
それが過去形となってしまったことが、俺にとってはとても悔しかった。
「昔さ、私が先生にこっぴどく叱られて凹んでる時に慰めてくれたんだ、大星が。大星は私にくどくど文句を言うこともあったから、結構真面目っていうか堅物だと思ってたんだけど、私の文句を聞いてくれるだけじゃなくて共感までしてくれるものだから、なんだか意外だった。
きっと大星からすれば、学校だけじゃなくて休日に私と一緒に遊ぶことだって普通のことだったかもしれないけど、いつの頃からか、私にとっては特別になっていったんだ」
優しさには色々あるものだが、ただ人に優しく接するのと甘やかすのでは大きく意味が違ってくる。あまり人を甘やかすと後々それが大きな問題を引き起こしかねない欠点になりうるが、時にはちゃんと注意するのが優しさだ。それは当人の将来を考えた上での厳しさなのだから。
俺はそういうのが苦手だが、大星は相手を気づかえるからこそ成長させることが出来るのだ。その素地が第一部での成長に繋がるというわけなのだが、俺には真似できないな。
「私は恋をしていたはずなの。恋愛漫画とかを読んでさ、憧れのシチュエーションを大星に置き換えて考えてドキドキしちゃったり、大星の気持ちを探ってみたりしたんだけど……美空とかスピーちゃんを見てると、自分が本当に大星のことが好きなのかわからなくなってきちゃったんだ。
だから、私はもう大星のことを好きだなんて言えない。皆みたいな熱意はないから……私の憧れなんて、ただの恋人ごっこに過ぎなかったんだよ」
恋人ごっこ。
その言葉を聞いて俺はビクッと体が震えた。




