久々の青春
六月八日、月曜日。今日の教室はどこか異様な雰囲気に包まれていた。
「や、やっぱり私、いちゃいけないのかなぁ……」
教室の一角に俺達は集まって談笑していたが、やはり久々に登校した乙女はどこか落ち着かない様子だ。乙女が教室に姿を現した時は歓声が上がるほどクラスメイト達は彼女との再会を喜んだものの……手放しで喜びにくい事情もある。
「何だか、おとちゃんが帰ってきたのを素直に喜んでいいものなのかどうか……いやおとちゃんが戻ってこれたのは凄く嬉しいんだけどね」
「そ、そうです。乙女さんは何も悪くないんですから」
俺達だけでなくクラスメイト、いやこの月ノ宮の住民達を驚かせた、昨日のローラ会長の会見。乙女の父親である秀畝さんの無実こそ証明されたが、ビッグバン事件の真犯人としてトニーさんが捕まったことでシャルロワ家への風当たりが強まったように感じられる。
元々シャルロワ財閥は月ノ宮でも敵視されることもあったぐらいで、月ノ宮や葉室を影で支配しているなんていう身も蓋もない噂も元々あったが、月ノ宮の土地や人々に大きな傷を残したビッグバン事件にシャルロワ家が関わっていたともなれば、余計に嫌われてしまうだろう。
「でもトニーさんが過激派を率いていたってのも信じられないけどな。朧は何か聞いてないのか? あそこの所長の望さんから」
「残念だけど望さんも忙しいみたいで連絡が取れないんだ。望さんも何か処分を受けるんじゃないかって僕は戦々恐々としてるよ」
「ま、まぁあの事件に関わってるわけでもないし、何か隠蔽とかしてないなら大丈夫なんじゃない?」
ローラ会長が一体どうやって秀畝さんの噂を解決するのか期待していたが、彼女が取った行動が及ぼした影響はかなり大きいものとなった。
「まぁ乙女、ちょっとブランクがあるかもしれないけど、今日からまたクラスのムードメーカーとして頑張ってくれたまえ!」
「なんでアンタが偉そうなのよ」
「朧、乙女の代わりにムードメーカーになろうとしてたけどダダ滑りだったもんね」
「見てられないぐらいだったもんな」
「何それ。私も見たかったんだけど」
なにはともあれ、一旦は乙女が月学に復帰できたことを喜ぶとしよう。これだけで今までのループに比べてかなり大きな変化になっている。元々ネブスペ2にあるトゥルーエンドにも乙女の存在は必要不可欠だから、俺とローラ会長が目指している真エンドにも近づいていると信じたい。
……これが悪影響を及ぼさなければいいが。
昨日のローラ会長の会見があったからか朝の教室はどこか落ち着かない雰囲気だったが、いざ授業が始まるとムードメーカー乙女が復活。
「さて、じゃあ九十ページから烏夜、読んでくれ」
「はいっ。滲み出す混濁の紋章、不遜なる狂気の器……」
「先生! 朧が先生を攻撃しようとしてますよ!?」
「ならば私も受けて立とう! 天光満つる所に我はあり、黄泉の門開く所に汝あり……」
「せめて作品は揃えて!」
まだ本調子でこそないものの、俺もツッコミ役がいてくれることで滑ることを恐れることなく自由気ままにボケることが出来る。
「じゃあ先週に予告してた小テストを始めるぞ~」
「先生! 私はそんな話聞いてません!」
「じゃあ烏夜のを写してもらえ」
「写して良いんですか!?」
「先生! これって僕が全部間違えたら乙女もろとも追試にすることが出来ますか!」
「可能だ」
「可能だじゃないんですよ!?」
休み明けでも自分からガツガツいける乙女も中々だが、やはり先生方やクラスメイトが何かと乙女に差し向けるから乙女もいつも通りのパフォーマンスを出すことが出来る。やっぱり乙女と二人でワイワイ騒いでいると俺も落ち着くが、こんなことやってるから夫婦漫才とか言われるんだよなぁ。
そして迎えた昼休み。俺と大星、美空、スピカ、ムギ、レギー先輩の六人はいつも通り屋上にレジャーシートを敷いて昼食を食べるのだが、今日からここに念願の乙女が加わることになる。
「いやー、やっぱりおとちゃんがいると落ち着くねぇ。トイレットペーパーぐらい必要」
「例え方もうちょっとあっただろ」
「じゃあラップぐらい?」
「日用品で無理矢理例えなくて良いんだよ」
まぁトイレットペーパーもラップも日常生活で必要不可欠だけども。
「乙女さん、勉強の方は大丈夫ですか? もう期末テストが近いですが」
「いや~私はそんなの知らないけど~」
「ダメだよおとちゃん! 赤点とって追試になったらせっかくの夏休みが潰れちゃうんだから一緒に頑張ろ!」
「いや美空も今のところ赤点まっしぐらだろうが」
「じゃあいつも通り勉強会が必要だね! この秀才の僕が手取り足取り教えてあげようじゃないか!」
「くっ……こいつを頼らざるをえない自分が恥ずかしい……!」
おそらく乙女も意味のわからない麻雀や競馬の問題を解かされる羽目になるのだろうなぁ。でも俺としても乙女には絶対に赤点を回避してほしい、夏休みが追試や補習で無駄に消費されてしまうから。
「あ、じゃあ今日皆で集まって勉強しない?」
「どこで?」
「なら私達の家はどうでしょう? 折角ですしクッキーでも焼きますよ」
「お、スーちゃんのクッキーを食べられるの!?」
「乙女。本来の目的はテスト勉強だからね。解けるまでおあずけだから」
「そんなー!?」
アストレア邸で勉強会か、懐かしいイベントだ。多分大星と美空が住んでいるペンション『それい湯』での勉強会も開かれることだろう。
だが……ごめん、乙女達。
「ごめん皆、今日は放課後にちょっとした用事があるから行けないかも」
「え、じゃあスピカが美空と乙女に手取り足取り、あんなことやこんなことを教えるってこと?」
「何かムギちゃんの言い方がいかがわしい」
「あとオレももうすぐ舞台があるから、その練習があるな」
「じゃあ二人はリモートでやろうか」
「リモートでわざわざテスト勉強を!?」
本当は俺が直々に皆に勉強を教えたいが、どうしても外せない用事があるんだ。後回しに出来ないこともないが、早い内に解決しておきたいのである。
放課後、ぞろぞろとアストレア邸へと向かう大星達と舞台の稽古へ向かうレギー先輩を見送った後、俺は校舎の廊下を歩いていた。すると階段を上がったところでワイワイと騒いでいる二人組がいた。
「ねぇくちのせんせいー。久々だからって宿題多すぎるよ~もっと減らして~」
「駄々をこねるんじゃありませんワキアさん。ベガさんというお姉さんがいるんだから頑張るんだよ」
「でもお姉ちゃん、私にすっごくスパルタなんだもーん」
無事謎の病が完治して久々に登校したワキアが、例の噂の件で休んでいた朽野先生こと秀畝さんの腕を引っ張って駄々をこねていた。
「どうも朽野先生。ワキアちゃん、あまり先生を困らせちゃダメだよ」
「えー烏夜先輩まで朽野先生の味方するのー?」
「聞いておくれ朧君。久々にワキアさんが登校してきたと思ったらすっごいワガママばかり言うんだ。このワキアさんを甘やかしたい欲を私はどうすればいい?」
「いや先生も結構ギリギリじゃないですか」
俺もワキアを結構甘やかしがちだが、やはり秀畝さんでも勝てないのか。まぁ娘である乙女相手なら厳しく出来るのだろうが、娘への厳しさと生徒への厳しさというのは違うだろう。
「先生も月学に戻って来るの結構久々だって言うのにさ、記念に優しくしてくれるのかと思ったら逆にメチャクチャ宿題出すんだもん。そんなことやってると嫌われちゃうよー?」
「先生なんて嫌われてなんぼです。はい、次のテストでワキアさんは一点減点」
「そんなホ◯ワーツみたいな採点方式あるんですか?」
「じゃあ宿題全部やってきたら十点ぐらい加点してくれる?」
「まぁワキアさんは入院生活も長かったし良いでしょう、二点加点しようか」
「やったー」
ワキアって色んな先生とか大人を惑わしてそうで怖いなぁ。それに簡単に籠絡してしまう俺も俺だけど。
なんて話していると、廊下の向こうからワキアの双子の姉であるベガがやって来た。
「こらっ、ワキア~。今日は早く帰って勉強って言ったでしょっ。朽野先生、烏夜先輩、私の妹がご迷惑をおかけしました」
「まるでお母さんみたいだね、お姉ちゃん」
「はい、そういうの良いから早く帰るよ、ワキア。それでは朽野先生、烏夜先輩、また明日」
「ばいば~い」
ワキアはベガに引きずられながら俺と秀畝さんに笑顔で手を振っていた。そんな光景を見ながら秀畝さんは困ったような笑顔で溜息をついてから口を開いた。
「彼女のワガママっぷりには困ったものだけど、元気になってくれたなら何よりだよ……って、朧君!? どうして泣いているんだ!?」
「あぁいや……なんでもないですよ、はい」
「いや、何か辛いことでもあったのか? 疲れているならちゃんと休むんだぞ? 相談なら何でものってあげるから、気兼ねなく言いなさいね」
ポロポロと涙を流している俺を見て秀畝さんはメチャクチャ慌てていたが、違うんです秀畝さん。俺はベガとワキアが元気に仲良くやっているだけで泣いてしまうぐらいには今までのループで精神的に疲れているだけなんです。消失したベガが戻ってきた嬉しさにはもう慣れたつもりだったが、そこに病を克服したワキアが加わるとさらに感動が増してしまう。
俺も涙もろくなってしまったなぁ、もう年か。まぁループを繰り返して数十年は生きてるからね、もうとっくにジジイだ……いやその理論だとローラ会長は相当ババアなんじゃね?
「朧君、乙女の様子はどうだったかい?」
「まだ慣れない感じはありましたけど、いつも通り元気でしたよ」
「それは良かった。朧君が苦でないなら、乙女のことを気にかけてやってほしい」
「ハハ、僕も乙女に何度も助けられてますから、全然苦じゃないですよ」
何ならこうして秀畝さんと会話しているだけで俺は感極まって泣いてしまいそうだ。いずれ穂葉さんも退院するだろうし、朽野一家には幸せな毎日を送ってもらいたい。
秀畝さんと別れた後、俺はさらに階段を登って生徒会室へと向かった。
そう……エレオノラ・シャルロワ、いや、俺の幼馴染である月見里乙女と話すために。




