そんな人間知らないわね
トニーさんことアントニオ・シャルロワは、このネブスペ2の世界から消失した。携帯を取り出して、先程のローラ先輩とのLIMEのトーク画面を開くと、俺はローラ先輩にトニーさんの居場所を聞いたはずなのに、どういうわけか俺がローラ先輩を月研へ誘った形へすり替わっていた。
『君という異物を排除するためだよ!』
トニーさんの口から放たれた言葉が、未だに俺を困惑させていた。
一体いつ、トニーさんは俺の正体に気づいていたのだろう? 彼のセリフを信じるならば、俺がベガと一緒にネブラ人の過激派の襲撃を受けた、あの時から?
どこまでトニーさんの言葉を信用するべきだ? あのセリフからトニーさんは明らかにおかしくなっていた、まるで別人のように……この世界で生きていたアントニオ・シャルロワという一人の人間としてではなく、ネブスペ2に登場するモブキャラとしての心の叫びのように思えた。
『私達は君とは違う。自分の知らない何者かに、この容姿を、人格を、過去を勝手に創造された操り人形に過ぎないんだよ』
トニーさんのあの言葉で、俺は気付かされた。
俺はこの世界を現実と捉えて生きているが、この世界はネブスペ2というエロゲの舞台となっている『架空』の世界だ。トニーさんの言葉を信じるならば、俺が前世で生きていた世界とは別の並行世界、というわけではなく……この世界の何もかもが、誰かが作り上げた舞台装置ということだ。
『君がこの世界の理から逸脱した行動を繰り返せば繰り返すほど、犠牲になるものを増えていくのさ』
俺はネブスペ2原作に登場する烏夜朧というキャラに転生したわけだが、原作とは逸脱したことばかりしている。そうでもしないと死んでしまう可能性が高いからだ。バタフライエフェクトなんていう言葉もあるが、俺の行動一つでネブスペ2のシナリオが狂ってくれるのならばそれでも良いとさえ思っていた、それが良い方向に向かってくれるのならば。
この世界は、ネブスペ2というエロゲのために作られた架空の世界だ。本来ならば大星や美空達主要なキャラ達も、そして烏夜朧も、ネブスペ2というエロゲのために作られた創作上のキャラに過ぎない。
そんな中、ゲームの登場人物が開発側の想定していない行動を取ってしまったら何が起こるだろう? これをゲームの中だと捉えるならば、それはバグだ。
本来ならば、シナリオから退場しているはずの朽野乙女を引き戻そうとしたら?
本来ならば、烏夜朧と交際するはずのない琴ヶ岡ベガが烏夜朧を選んでしまったら?
本来ならば、トゥルーエンドの世界線でしか起きないイベントをトニーさんが起こしてしまったら?
本来ならば、十二月二十四日に死亡するはずの烏夜朧が生き残ってしまったら?
俺は、消えてしまうのか?
乙女やベガ、そしてトニーさんの消失がネブスペ2のバグだというなら、俺の存在そのものがゲームの欠陥そのものだ。それに、第一部でスピカやムギ、レギー先輩のイベントが美空ルートの裏で起きているのはともかく、第二部で主人公のアルタが本来原作に存在するはずのないキルケルートに進んだのも大きなバグのはずだ。そして、ローラ先輩が俺に告白し、今も交際を続けているというのも。
『ボロー君。貴方が死んだ方が、この世界にとっての最善の選択なんじゃないの?』
以前、テミスさんが俺に光線銃を向けて放った言葉が頭をよぎる。
テミスさんはこんな未来も視えていたのだろうか? あの言葉は本当に冗談だったのだろうか?
トニーさん関連のイベントが起きるのは本来トゥルーエンドの世界線であるため、もしかしたらトゥルーエンドへのフラグが成立している可能性も考えたが、その希望は潰えてしまった。俺は今、ローラ先輩ルートを進んでいるつもりだが、ネブスペ2原作では一周目で彼女のグッドエンドに到達することは、どうあがいても不可能だ。それはバグではなく、そういう仕様なのだ。
もし、もしも……俺が十二月二十四日を生き延びたとしても、俺に明るい未来は存在しないのだろうか?
「こんなところにいたのね」
トニーさんが消えて慰霊塔の前で一人ぼっちで立ち尽くしていた俺の耳に、ローラ先輩の声が聞こえてきた。見ると、月研の方からローラ先輩が俺の方へ近づいていて、俺の直ぐ側で足を止めて微笑んだ。
「感傷的な気分にでもなりたかったの?」
やめろ。
やめてくれ。
ここで何があったのか、何も知らない風に話すのはやめてくれ。
わざわざローラ先輩に聞かずともわかりきっていたことだが、どんな答えが返ってくるかもわかっていたはずなのに、念の為俺はローラ先輩に問いかけた。
「ローラ先輩。トニーさんのこと、覚えてらっしゃいませんか?」
聞いても無駄だというのは知っていた。だが聞かずにはいれなかった。さっきまで、その人はすぐそこにいたのだから。
そして俺の予想通り、ローラ先輩は不思議そうな表情で──。
「叔父様がどうかしたの?」
ローラ先輩のその一言で、そこに微かな希望の光が差し込んだように思えた。
もうトニーさんの存在はこの世界から完全に抹消されたものかと思っていたが、まだローラ先輩の記憶には残っている!? そんな期待を胸に、俺は慌ててローラ先輩に言う。
「僕はさっきまでここでトニーさんと話していたんです。実は……」
と、事の一部始終をローラ先輩に説明しようとしたのだが──俺の説明を遮るようにローラ先輩が口を開いた。
「さぁ、そんな人間知らないわね」
「え?」
「私の知り合いにトニーという人間はいないわ」
微かに見えた希望の光は、一瞬にして遮られてしまった。
「ローラ先輩、確かにさっき『叔父様』っておっしゃいましたよね?」
「そんなこと言ったかしら? 私に叔父なんていないけれど」
ローラ先輩が冗談でとぼけているようには見えなかった。俺はつい熱くなってしまいそうだったが、星河祭でベガが消失してしまった時にローラ先輩に少し迷惑をかけてしまったことを思い出し、深呼吸をして自分を落ち着かせてから、俺はトニーさんことアントニオ・シャルロワについて説明した。
シャルロワ家という厳しい環境で孤独だったローラ先輩を育ててくれたこと。
ローラ先輩が信頼していた彼が、兄への復讐心からネブラ人の過激派を率いていたこと。
そんな彼が警察に連行され、ローラ先輩がショックを受けていたこと。
そして……ついさっき、彼がこの世界から消失してしまったこと。
俺が知り得る限りの全てを、ネブスペ2というエロゲについては抜きにしてローラ先輩に説明したが、やはり反応は芳しくなかった。
「中々面白い話ね。私というナマモノを軸によくそんな話を思いつけるわね」
「いや二次創作ってわけじゃないんですよ」
ナマモノ相手にそれを堂々と説明するのも大概ヤバいだろ、どんなメンタルしてるんだよ。ってかローラ先輩ってそういう用語わかるんだ。
「前にもあったわね、こんなこと。一体貴方にはどれだけのイマジナリーフレンドがいるのか、いささか不安になってくるけれど……貴方が妄想や嘘を言っているとは思えない。でも、どうやって彼らの存在を証明するつもり?」
乙女、ベガ、トニーさんがこの世界に存在したことを覚えているのは俺しかいない。乙女やベガの時もそうだったように、トニーさんの名前や姿はあらゆる記録媒体から消失しているだろう。俺の証言だけでは証拠としては物足りない。
「……いえ、変にお気になさらないでください。これは僕の方で解決します」
ローラ先輩達からすれば怖い話だろうし、変に怖がらせたり混乱させたくはない。今度テミスさんとクリスマスパーティー前の打ち合わせをする予定だし、その時にまた話し合おう。
この世界から消失してしまった人物へ強い感情を抱いていたら、もしかしたら記憶のどこかに眠っているんじゃないかと一瞬期待したが……三人目の犠牲者が出てしまった。しかもバグという未知の現象で、だ。
前向きに捉えるなら、ローラ先輩にとっての精神的支柱を一つ失った代わりに、彼女の悩みのタネを一つ消せたとも言える。その代わりに俺がローラ先輩を支えるしかない。
俺がそう決心した時、ローラ先輩がふと呟いた。
「そういえば、ついさっき部下から連絡があったのだけど」
ローラ先輩は真っ白な慰霊塔を見上げながら言う。
「ネブラ人の過激派の構成員が全員逮捕されたようね。これで貴方も命を狙われる心配がなくなったわ」
え、何その展開。いやリーダーであるトニーさんが捕まってたわけだし、一気にまとまりがなくなったのだろうか。しかもそのトニーさんがこの世界から消えてしまったし、これもバタフライエフェクト?
「それは……良かったです」
もしかしたらネブラ人の過激派に襲撃されて自分が死んでしまう、という可能性もなくはなかっただけに少し安心できるニュースだ。
しかし、慰霊塔を見上げるローラ先輩の表情は、どこかセンチメンタルというか曇っているように見えた。
「……犯人が全員捕まれば、この犠牲者達も少しは浮かばれるのかしら」
あぁ、そうか。
ローラ先輩は知らないのだ。
八年前、あの宇宙船の大爆発を起こしたボタンを押してしまったのは、彼女が可愛がっている末妹、メルシナだということを。
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