役目を終えた三人目
ネブラ人の過激派の長でありビッグバン事件の真犯人と疑われているトニーさんが釈放された翌朝、いつもより早く目覚めるとダイニングでイスに座って項垂れている望さんの姿があった。
「望さん、もしかしてお酒飲んでる?」
テーブルの上には空になったビール缶が二、三本置かれており、俺が望さんの正面まで向かうと彼女はゆっくりと俺の方を見上げて、いつもより濃くなった目の下のクマが見えた。
「何か、気持ちの整理がつかないのよ」
トニーさんの正体が明らかになったことで動揺しているのは、叔父として慕っていたローラ先輩だけではない。トニーさんが副所長として支えてきた月ノ宮宇宙研究所所長、望さんだってそうだ。ぶっちゃけ望さんはリーダーという立場に向いていないと思うが、自由奔放な彼女を右腕として支えてきたのがトニーさんだったのだ。
「せっかく釈放されたのに?」
「いや、どんな話をすればいいかわかんないのよね」
釈放されたからといってトニーさんがすぐに月研の仕事に復帰するわけではないだろうし、まだ無罪が確定したわけでもない。
俺はトニーさんが黒幕だということを知っているが、彼のことを信頼していた望さんはかなり疑心暗鬼になっていることだろう。今まで信頼していた腹心が、まさかネブラ人の過激派なんていう怪しい集団を率いているだなんて信じられないだろうし、仮にトニーさんが本当に無罪だったとしても、その疑念は心の何処かに根付いてしまうはずだ。
「望さんは、トニーさんの正体を知らなかったの?」
「流石にそれを知ってたら、私だってどこかに相談するわよ。でも、トニーちゃんがあの事故を起こしたはずがないわ」
望さんはトニーさんがネブラ人の過激派の長であることまでは知らなかっただろうが、ビッグバン事件の原因自体は知っているはずだ。
「大丈夫だよ、望さん。いくら過激派とはいえ、トニーさんがあんなことを指示するだなんて僕も信じられないよ。
それとも、雑用を押し付ける相手がいなくなったことが不安?」
「私の愚痴をちゃんと相槌打ちながら聞いてくれるのはトニーちゃんぐらいだったわね」
「……夢那に愚痴を聞かせるぐらいなら、僕が話し相手になるよ」
月学の理事長でありトニーさんと古い付き合いだというシロちゃんは、トニーさんが過激派の長になったのは兄のティルザ爺さんへの復讐心が原因だと推理していたが、望さんも大概トニーさんにとってはストレスの源だったんじゃないかな。ああいうのって真面目な人ほど苦労しそうだし。
今日は日曜だが、何か予定があったわけではない。しかしトニーさんが釈放された以上、関係者であるローラ先輩とのイベントが起きてもおかしくない。
「ボク、本当に明星先輩の尾行に行ってていいの?」
第三部の主人公である一番先輩は、今日は月ノ宮駅前の喫茶店サザンクロスでロザリア先輩とのイベントが起きるらしい。
「うん。トニーさん達の方は僕に任せて」
本来トニーさん関連のイベントはネブスペ2原作ではトゥルーエンドの世界線だけで起きるものだが、こんなイレギュラーがあっても一番先輩の観察が出来るのはありがたい。夢那が段々と一番先輩のスケジュールを把握してきているのがちょっと怖いが。
俺はLIMEでローラ先輩の連絡先を探し、トーク画面を開く。一応ローラ先輩と連絡先は交換済みだが、大体のデートのお誘いなんかは直接本人から伝えられるため、こうしてLIMEで連絡することは滅多にない。
信頼していたトニーさんの正体にショックを受けていたローラ先輩にこんな話を振るのも少々躊躇われたが、俺は勇気を出して入力されたまま放置されていた文面をローラ先輩に送りつけた。
『トニーさんは本邸に戻ってらっしゃいますか?』
トニーさんとは一度顔を合わせて話す必要がある。このタイミングでトニーさんの正体が明かされることは想定外のため、これが今後の展開にどんな影響を及ぼすか、今のトニーさんが何を思っているのか……普段は老紳士のような雰囲気を纏っているとはいえ、ネブラ人の過激派を率いていたというのは事実だから警戒する必要はある。
俺がローラ先輩に連絡した後、いつ返信が来るか俺は画面を見ながらソワソワしていたが、一分ほどで既読がついたと思ったらすぐに返信が来た。
『叔父様は月ノ宮宇宙研究所へ向かったらしいわ』
月研へ、か。おそらく望さんと話に行ったのだろう。
しかしローラ先輩視点で『向かったらしい』ということは、本人からそう聞いたわけではなさそうだ。釈放されてからまだトニーさんと会えていないのだろうか。
『僕は今から月研へ向かうつもりですが、何かお伝えしときましょうか?』
やはりローラ先輩も動揺して、今のトニーさんと面と向かって話すのは難しいのかもしれない。いや俺だってわからないけど、そこは前世で培った、こう……いや俺は前世で何も培った気はしないが、どうにか乗り切るつもりだ。
『貴方が行くなら、私も行くわ。先に行ってて』
『わかりました』
俺は携帯の画面を閉じて軽く支度し、そして家を出た。休日も呼べばシャルロワ家の車が送迎に来てくれるだろうが、それを待たずに自転車を漕いで月研へと向かった。
月研へ到着すると、本棟の入口付近で望さんがボーッと空を見上げていた。俺は自転車を近くに止めて望さんの元へ向かい、話しかけた。
「望さん、トニーさんと会いましたか?」
「あぁ、さっきまでいたわよ」
「何かお話されました?」
すると望さんはがっくりと項垂れるように下を向き、溜息をついた。
「迷惑をかけて申し訳ない、だと」
「それだけ?」
「本当にトニーちゃんがやったのかって聞いたら、否定も肯定もせずに笑ってただけだったわ。
朧は何か用事あったの? トニーちゃんなら慰霊塔の方へ行ったわよ」
やや憔悴気味の望さんを放っておくのも不安だったが、俺はトニーさんを追うため慰霊塔へと向かった。
月研を囲う森の中にそびえ立つ、真っ白な慰霊塔。周囲を囲う壁にはビッグバン事件で犠牲になった人々の名前が刻まれている。
そんな慰霊塔の下に、頭にハットを被りブラウンのスーツの上にコートを羽織った老紳士の姿があった。
「お久しぶりです、トニーさん」
俺が背後から話しかけると、トニーさんはゆっくりと俺の方を振り返る。特にやつれた様子もなく、トニーさんは……この世界で生きてきた烏夜朧として馴染みのあるいつもの笑顔を俺に向けて口を開いた。
「朧君か。久々に会えて嬉しいよ」
俺はゆっくりとトニーさんの元へ歩み寄る。
何故だろう、トニーさんが纏う雰囲気は以前と全く変わらない。なのにそれが逆に異様に思えて、俺はゴクリと唾を飲んでから口を開いた。
「どうして、トニーさんはここに?」
するとトニーさんは直ぐ側にそびえ立つ慰霊塔を見上げる。枯れた木々に囲まれたこの場所に冷たい冬風が吹き付けると、トニーさんは被っていたハットを押さえながら口を開いた。
「八年前、この月ノ宮で犠牲になった人々に謝罪をと思ってね」
トニーさんがこの場所を訪れた理由はなんとなく察していた。原作でもトニーさんはこの場所を訪れていたからだ。
「では、やはりトニーさんがあの事件を起こしたのですか?」
トニーさんは俺に背を向けて、冬風に吹かれながら慰霊塔を見上げていた。そして顔をうつむかせると、トニーさんは俺に背を向けたまま答える。
「あの事件の責任は私にある。私達が存在しなければ、きっとあんなことは起こらなかっただろうからね」
トニーさんのその言葉は意外だった。マルスさんに連れて行かれた時も、事情聴取を受けていたときも関与を否定していたはずなのに、俺にはあっさりと明かしてくれたのだ。
トニーさんが率いるネブラ人の過激派の存在が原因になったのは確かだが、あの爆発を起こした張本人は別人だ。
やはり、トニーさんは庇うつもりか、わざわざ全責任を自分で被ってまで。マルスさんに連れて行かれた時、トニーさんは事件への関与を否定していたが、やはり彼女を庇おうとしているのだ。
「僕は小金沢シロさんから、トニーさん達に何があったのかお聞きしました。トニーさんが過激派を率いるようになったのは、ティルザさんへの復讐のため、と」
「はは、彼女はお喋りだね。違いないよ、私は兄のことを尊敬していた反面、憎くてしょうがなかった部分もあったからね」
トニーさんがこうして自分の罪をすんなりと認めることは少し予想外だったが、このままでは結局ローラ先輩が信頼していたトニーさんと離れ離れになってしまうだけだ。
しかしトニーさんにある程度の罪があるのは確かだ。だって俺、この人に殺されそうになってるんだもの。
「一つだけ聞かせてください。どうして過激派は僕を狙ったんですか?」
過激派は俺を狙ったというわけではなく、当初の目標だったベガと同行していた俺もついでに口封じのため、という感じだっただろう。今はベガがいなくなってしまったため、どういうわけか俺が過激派に狙われる立場になってしまっているわけだが。
しかし過激派が何を企んでいたのか気になっていたため、俺はそれだけ聞きたかったのだが──トニーさんは俺の方を向くと、いつもの老紳士のような落ち着いた雰囲気からは考えられない、狂気じみた笑顔を浮かべて口を開いた。
「君という異物を排除するためだよ!」
トニーさんの言葉を理解できず、俺は呆然と立ち尽くしていた。そんな俺に向かい、トニーさんはなおもヒステリックに笑いながら話し続ける。
「気づかれていないと思っていたかい? 君が元々この世界の人間ではないことを私は知っているんだよ、この世界がある一人の人間によって生み出されたことも。
君は本来この世界に存在しない。なのにも関わらず、この世界の理に反して自分勝手な行動を繰り返してきた。
その結果、この世界に何が起きたかわかるかい?」
バカな。
どうしてトニーさんがそれを知っている?
夢那やテミスさん達がそれをトニーさんに漏らしたとは思えないし、俺もトニーさんの前でボロを出した記憶もない。
だが、本来この世界に存在しない『俺』が生き延びるために原作にない行動を繰り返してきたのは事実。その結果、この世界に起きた異変、それは──。
「乙女と、ベガの消失?」
ネブスペ2原作ではありえない、いや現実で起こるはずのない異常事態。何が条件だったかは不明だが、おそらく……『俺』という存在がなければ二人が消失することはなかっただろう。
「よくわかっているじゃないか。君がこの世界の理から逸脱した行動を繰り返せば繰り返すほど、犠牲になるものを増えていくのさ。
それは、私も然りね」
するとトニーさんがこちらへ近づいてきたため俺は思わず身を引いてしまったが、トニーさんが俺の方へ伸ばしてきた右手の先が、段々と透明化していることに気がついた。
「ま、まさかトニーさんも!? どうしてトニーさんまで!?」
「この世界に望まれなかった存在というわけだね、私は」
自分の存在が消えかかっているというのに、それは『死』なんてものではなくこの世界に生きていたという事実さえ消してしまうことなのに、トニーさんは慌てる様子を見せずに笑っていた。
そんなトニーさんの手を俺は慌てて掴もうとしたが、もうトニーさんの体は実体を失おうとしていた。そんな彼に向かい、俺は叫ぶ。
「トニーさん! どうして貴方は僕のことを知っていたんですか!?
貴方は何者なんですか!? もしかして──僕と同じように転生してきたんですか!?」
俺と同じように、別世界からネブスペ2の中の世界に転生してきた人がいたっておかしくない。トニーさんも俺と同じかと思ったが、トニーさんは首を横に振る。
「私達は君とは違う。自分の知らない何者かに、この容姿を、人格を、過去を勝手に創造された操り人形に過ぎないんだよ。
つまり、私はその役目をも失ったというわけさ」
トニーさんがそう語る間にも、彼の体はこの世界から殆ど消失しかけていた。
彼は、俺が知らない何かを、俺が知りたい何かを知っているはずだ。消えていくトニーさんに向かい、俺は叫ぶ。
「じゃあ、どうしてこの世界の異物のはずの僕が消えないんですか!?」
俺がそう叫んだと同時に、トニーさんの姿は俺の目の前から消えてしまっていた。しかし、どこからともなく彼の声が俺の耳へと響いてきた。
『君にも、役目があるからだよ』
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