もしも、私がシャルロワじゃなかったら
午後からは体育館に全校生徒が集まり生徒会選挙が行われ、立候補者であるスピカやムギが演説をしている中、俺は保健室にいた。
生徒会室で急に倒れたローラ会長は目眩や吐き気を訴え保健室のベッドに寝かせたが、一時すると落ち着いたようで容態は安定していた。養護教諭の先生によると過度なストレスによる発作ではないかとのことで、ローラ会長本人は体育館へ行こうとしていたが、無理をさせないために保健室で休ませることにした。
「子守唄でも歌いましょうか?」
保健室で横になるローラ会長に対して俺が冗談半分でそう言うと、彼女は保健室の窓の向こうに広がる、寒々とした冬空を眺めながら少しだけ笑って言った。
「ならお願いしようかしら」
「では。ア~メェ~ン~ジィ~ングレェ~イス」
「まさか貴方が賛美歌に造詣があるとは思わなかったわ」
いや賛美歌って言ってもそのフレーズしか知らないけど。
おそらくは精神的なストレスからの不調に襲われたローラ会長は今でこそ平気そうにしているが、やはりこれまでの彼女の境遇と、最近の一連の出来事が彼女を悩ませ、気づかない内に心が体を蝕んでいたのだ。
「でも、残念ながら全然眠れるような気分じゃないわ。何か面白いことを話してみなさい」
それはまた無理難題をおっしゃる。多分烏夜朧の過去のナンパ遍歴を語るだけで今のローラ会長は結構満足してくれそうだが、今はそんなことをして逃げるべきではない。
ローラ会長には、解決しなければならない問題がある。
「そんな平気そうに振る舞ってますが、やっぱり何かお悩みなんじゃないですか?」
自分の母親を殺したティルザ爺さんへの復讐のため厳しい環境を耐え抜いてきたローラ会長だが、いつまでも耐えられるわけがない。どんな堤防もそれを遥かに超えるものに襲われたら決壊してしまうし、一度決壊してしまったものは中々戻らない。
「前にローラ会長の生い立ちを聞かせてもらいましたが、貴方は無理をし過ぎです。ここ最近は色々ありましたし、自分で気づかない間に結構なストレスがかかっていたはずですよ。こうやって突然倒れてしまうぐらいには。
今日でもう生徒会長なんていう肩書もなくなるんですから、気楽にいきましょうよ」
今日を境に俺がローラ会長を会長と呼ぶことはなくなるだろう。
しかし彼女はその肩書を重責に感じていたわけではない。だってそんな肩書なんて霞んでしまう程の立場にいるからだ。
「それとも、やはり当主という立場が辛いですか?」
ティルザ爺さんが倒れて植物状態になってしまったことで、ローラ会長がシャルロワ家の正式な後継者となった。世襲制であるシャルロワ財閥をそのまま引き継ぐことになるだろう。きっとローラ会長本人が考えていたよりもタイミングが早かったに違いない。
実業家としての勉強期間はまだあるだろうが、シャルロワ家はこの月ノ宮、日本だけでなく地球全体に住んでいるネブラ人の代表、いわばネブラ人全員のリーダー的存在でもあるのだ。
そんな重責の中、父親のように慕っていたトニーさんが過激派のリーダーと疑われ警察に連行されてしまい、その悲しさだけでなくネブラ人のリーダーとしてその問題に対処しなければならないのだ。俺はそんな立場に絶対になりたくない。
精神的ストレスでぶっ倒れたばかりの人にこうやって詰めたくはないし焦ることもないはずなのだが、出来れば早く解決したかった。ローラ会長は俺の問いにしばらく答えずに窓の向こうに広がる冬空を眺めていただけだったが、一時するとフッと何かを嘲笑うように笑って口を開いた。
「生徒会長という肩書を失った私はどうなるのかしら?」
「へ?」
この月学でローラ会長のことを知らない生徒はいないだろうが、生徒会長でなくなったら表舞台に立つことも減るだろう。精々卒業式ぐらいか。
エレオノラ・シャルロワは月ノ宮学園に通う普通の三年生……になるのだろうか。しかし彼女の境遇は絶対普通ではない。
「僕は貴方をローラ先輩と呼ぶだけですよ」
俺にとっては会長って呼び名の方がしっくりくるが、それでは新しい会長に失礼だ。
するとローラ会長はまたフッと笑って口を開く。
「じゃあ、シャルロワ家という肩書を失った私はどうなるのかしら?」
「ど、どういう意味です?」
「もし私がシャルロワ家の人間という立場でなくなったらどうなると思う?」
「それは、シャルロワ家の当主という立場じゃなかったらというお話で?」
「それでも構わないわ」
もしローラ会長がシャルロワ家の次期当主でなかったなら、ロザリア先輩やクロエ先輩がその候補になっていただろう。
じゃあその時、ローラ会長はどうなるのだろう? 二人には失礼だが、ローラ会長を差し置いてロザリア先輩とクロエ先輩が次期当主の座を争うという構図が全く想像つかない。
「なら、僕はもっと軽々しくローラ会長と接していたかもしれませんね」
生徒会長という肩書を別として、やはりローラ会長がシャルロワ家の一族、そして次期当主と目される立場にあるからか、中々気軽に話しかけられる存在ではない。同じ一族のロザリア先輩やクロエ先輩は自由にやっているが、やはりローラ会長からはザ・お嬢様という雰囲気がプンプン漂っている。
なぜローラ会長がいきなりそんな質問をしてきたのか、俺がその質問の裏に隠されたローラ会長の真意に気づいたところで、彼女が語り始める。
「たまに、ふと考えることがあるの。もしも自分が違う家に生まれたらどうなっていたのだろうって」
ローラ会長は多くの人に完璧超人のように思われているし、多分かなりハイスペックな方である一番先輩をも凌ぐくらいだからとてつもないレベルなのだが、人は誰しも生まれながらにして完璧超人であるわけではない。
「もしもレギーの家に生まれていたら、私も役者を志す人生を送っていたのかもしれない。ベラの家に生まれていたら、その恵まれた環境にありながらも親に逆らって別の道を目指すかもしれない。明星君の家に生まれていたら……だなんて、考えたってしょうがないことを延々と考えて、いつの間にか朝を迎えることもあったわ」
人は生まれながらにして平等とはかけ離れた世界に飛び込むことになる。大往生する人もいれば一生苦しみ続けながらがむしゃらに生きる人もいるし、理不尽な事故や事件であっさりこの世界から消えてしまう人もいる。
生まれた家の家庭環境、生まれ育った国や街の文化なんて一致するわけないのだから、自分が今とは違う家に生まれていたら、なんていう妄想は無意味だ。そんなことを夜に考えていると寝不足になるだけだ。仮に俺がシャルロワ家に生まれていたとしても、ローラ会長のような完璧超人にはなれなかっただろう。どれだけ平等に機会を与えられても、本人が乗り越えられなければ意味がない。
「贅沢な悩みね。きっと私は皆にとっては恵まれた環境で育った箱入り娘に見えるのでしょうけど、私はティルザに復讐するために色んな夢を捨ててきた。
もしもその夢が、私の些細なわがままや願いが少しでも叶っていたなら、私ももう少し悔いのない人生を過ごすことが出来たのかもしれないわね」
貧しい環境で育った人が苦労しているのも確かだが、恵まれた環境で育った人とて必ずしも成功するわけではない。環境に恵まれすぎているとやはり甘えてしまう人だっているだろう。それもまた環境の違いで生まれるものだ。
「私は何度も自分の人生を変えてみたいと思った。もしかしたらほんの少しの勇気で何かが変わるかもしれない……私のそんな甘い考えは、八年前に消え去ってしまったわ」
八年前、ビッグバン事件直前の夏にローラ会長が月ノ宮海岸で出会った一人の少年。
ローラ会長が勇気を出したことによって育まれたひと夏の恋は、直後に起きた大惨事によって崩壊してしまうことになった。
環境が人に与える影響も大きいが、教師や周囲の大人だけでなく、友人や恋人などとの出会いも人を変えていく。それは、良い方向にも悪い方向にも。
「でも、貴方が私に希望をくれたのよ」
「僕がですか?」
「貴方なら……貴方なら、私を助けてくれるかもと、思わせてくれたから」
そう言って、ローラ会長はようやく柔らかな笑みを浮かべた。
「なら、僕も光栄です」
俺は、ふと思った。
もしも俺が原作通り十二月二十四日のクリスマスパーティーで事故死してしまったら、今のローラ会長はどうなってしまうのだろう、と。
大分俺に対しての感情が重くなってきたローラ会長がどうなってしまうのか、俺は想像したくない。
だが、その原因を作ってしまうのがローラ会長なのだから、運命は残酷だ。
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