自由な恋と自由な生き方
ザアザアと雨音が鳴り響く屋敷の廊下を歩き、俺はローラ会長達が待つ広間へと向かった。
アストレア邸にしろ琴ヶ岡邸にしろ、洋風だったりモダンな雰囲気の豪邸だったから、こんなに純和風な屋敷というのは新鮮だし、より独特な緊張感も感じる。一応国籍的にはシャルロワ家も日本人なのだが、こんな純和風な屋敷に住んでいるというのは意外である。
俺は広間の前で深呼吸をして息を整え、そして意を決して障子を開いた。
「ロザリア、このしいたけ食べて」
「それぐらい自分で食べなさいよ」
広間ではシャルロワ四姉妹が揃って夕食を食べているところだった。何かちゃぶ台でも囲んでいたら和やかな雰囲気に思えたかもしれないが、四人の前にあるのは和風のメニューが揃う御膳である。ロザリア先輩、クロエ先輩、メルシナの三人は制服姿で座布団に座って並んでいて、その三人の正面にローラ会長が座ってそれぞれ御膳を食べている。俺の席は、そのローラ会長の隣に置かれた座布団と御膳だろう。
「ほら、早くお食べなさい。せっかくの夕食が冷めてしまうわ」
「は、はぁ……」
会長に促され、俺は恐る恐る広間の中心へと向かい、座布団の上に正座した。この人達は毎日三食、こんな感じで飯食ってるの? いやロザリア先輩はサザクロに住み込みで働いているし、ローラ会長も今は月ノ宮の別荘に住んでいるから、ここに住んでいるのはクロエ先輩とメルシナだけか。
「い、いただきます……」
俺は座布団に座り、正面に座る三人を恐る恐る見た。
「ほらクロエ、しいたけは食べてあげるからこっちのお皿に乗せて。メルシナは大丈夫?」
「大丈夫ですよお姉様! メルは好き嫌いないので!」
「妹にバカにされてるわよ、クロエ」
「しいたけを食べられるか食べられないかで上下関係は生まれないよ」
ローラ会長、ロザリア先輩、クロエ先輩はそれぞれ腹違いの姉妹であり、同い年ではあるのだが双子というわけでもなく、誕生日の時期で姉か妹か決められている。
まずロザリア・シャルロワ、一応四姉妹の次女。ロザリア先輩の母親の実家が、月ノ宮駅前のケーキ店サザンクロスであり、ロザリア先輩はそちらで生活している。そのためシャルロワ家の関係者だが結構庶民派で、恐れられることも多いシャルロワ家の面々の中では月学で他の生徒に慕われている方だ。
「ロザリア、この前話した東京都◯△区▢✕四丁目の都市伝説、覚えてる?」
「全然覚えてないし、そんなニッチな都市伝説覚えてないわよ」
「あ、メル知ってます! とある家の軒先の壁に張り付いているおじさんの頭が好きな性癖を定期的に発表してるという都市伝説ですよね!」
「わけわかんないわね」
「実は四丁目じゃなくて五丁目だったの」
「いやどうでもいいわよそんなこと」
次にクロエ・シャルロワ。一応四姉妹の三女。ローラ会長やロザリア先輩とは違ってシャルロワ家の本邸でメルシナと一緒に暮らしているが、オカルト好きで自分の趣味に没頭しており、家業を継ぐつもりなんて全く無い。シャルロワ家の関係者であり本人もそんなに社交的ではないため月学では恐れられているというか中々近づくような人間がおらず、友人といえばレギー先輩や一番先輩と、あとオカ研の連中ぐらいだ。
「そういえば、この前クロエお姉様と一緒に買ったお洋服、まだロザリアお姉様には見せてませんよね? 後でメルの部屋に来てください、お着替えお手伝いしますよ!」
「え? 私が着るの? メルが着るんじゃなくて?」
「メルのも買ったけど、ロザリアにも似合うと思って買ってきたんだ。ゴリラの気ぐるみパジャマ」
「アンタ絶対私のことバカにしてんでしょ」
そしてメルシナ・シャルロワ。ローラ会長達とは年が三つ離れた、犬飼美月や帚木晴達と同い年の四姉妹の末っ子。ロザリア先輩やクロエ先輩がローラ会長とちょっとギクシャクしている中、メルシナだけは三人全員に明るく接しており、彼女がいるおかげでこのシャルロワ四姉妹は崩壊せずに済んでいる部分もある。いわば四姉妹の清涼剤だ。
俺はちびちびと箸を進めていたが、緊張からか何も味がしないしそもそも空腹すら感じられない。目の前の三人は和気あいあいと話しているが、俺の隣に座るローラ会長は彼女らの話に加わることなく、黙々と箸を進めていた。
俺はもう時間が何かを解決してくれることを祈っていたが、俺が息を潜めている中メルシナが屈託のない笑顔で口を開いた。
「そういえば、ローラお姉様と朧お兄様はどこで出会ったのですか?」
メルシナのその発言で、俺を含めた四人の手がピタッと止まった。ロザリア先輩とクロエ先輩は何となくその話題を避けていたように思えたが、メルシナは何か企んでいるとかそういうわけではなく、ただ単純に憧れの姉であるローラ会長の恋路に興味を持っているだけなのだろう。
改めて思い返してみると、俺、というか烏夜朧とローラ会長が初めて出会ったのはいつなのだろう? シャルロワ家のご令嬢だからローラ会長の存在自体は昔から有名だったから知っていたはずだ。しかし烏夜朧としての記憶を辿ってみても会長との出会いなんて全然思い出せないし、ネブスペ2の作中でも触れられること無いしこんなの。
だが、俺の代わりにローラ会長が先に口を開いた。
「あれは八年前のこと」
八年前。俺達の頭によぎるのは、この月ノ宮で起きた未曾有の大爆発事故。だがその直前の夏の終わり、ローラ会長はとある少年と出会っている。
「私が海岸で遊んできた時に口説いてきた豪胆な男の子がいたの」
おそらくそのエピソードはロザリア先輩達も知らないはずだ。ローラ会長も他のヒロイン達と同様に金イルカのペンダントを持っているが、初恋の話は一番先輩にだけ語る内容である。
だからロザリア先輩達三人……だけではなく、俺もびっくりしていた。
「えっ、そんな昔からお付き合いされてたんですか!?」
「ローラに声をかけるなんて中々豪胆ね……」
「殺されなくて良かったね」
え? ビッグバン事件の直前の朧って結構荒んでた時期のはずだよな。家庭内で色々あったから……実は俺が覚えてないだけで、俺がローラ会長の初恋の相手のパターンも──。
「そんなロマンチックな逸話でもあったら、多少は泊がつくかもしれないけどね」
いや冗談なんかーい。
「実際にいつ彼と出会ったかは覚えていないけれど、私のことを口説いてきたことは確かよ」
「ローラお姉様を口説いたのは本当なんですか!?」
日本有数の実業家のご令嬢に性懲りもなく声をかけるのが、烏夜朧というキャラの良いところでもあり悪いところでもあるからな。俺がその部分をロールプレイしていたら中々面倒なことになっていたはずだ。朧はそれで結構痛い目に遭っているし。
「ちなみに告白はどちらかされたんですか?」
「私よ」
「きゃ~。どんな言葉だったんですか──」
メルシナは一人浮かれて無邪気にローラ会長に質問していたが、突然バァンッと激しい物音が広間に響いた。
このぎこちない空間に区切りをつけるように、ロザリア先輩が乱暴に箸を御膳に置いたのだ。
「ローラ。そんな建前とかごまかしなんていらないわ。一体何を企んでるわけ?」
ロザリア先輩は身を乗り出してローラ会長に問うたが、彼女は涼しい顔をして味噌汁を啜っていた。クロエ先輩は目を伏せ、そしてメルシナは険悪な空気に包まれた姉達を見て涙目になってしまっていたが、ローラ会長は味噌汁のお椀を御膳に置いて答えた。
「まるで私が何か下心とか計算があって恋をしているみたいな方便はやめて頂戴。そんなの貴方の考え過ぎよ」
「アンタがそもそも誰かに恋をするとかパートナーを作るってのがそもそも信じられないのよ、今までどんな相手だろうとお見合いも断ってきたくせに」
やはりシャルロワ家のような上流階級となると自由恋愛も難しいもので、特にシャルロワ家の当主となったローラ会長の相手ともなればそれなりに家柄とか格というものが必要になるはずだ。本人達が嫌っても周囲は納得してくれないのである。
ローラ会長が第三部の始まりである星河祭の夜に一番先輩に告白するのは、形式的に恋人を作ることでお見合いの話を断る口実を作る目的もあったし、ローラ会長自身が自由恋愛に憧れていたという側面もあったのだ。
「私だって誰かに恋することだってあるし、恋に恋い焦がれることだってあるのよ。まるで私が誰も愛することのない薄情者みたいじゃない」
愛なんてバカバカしいと言っていた人のセリフとは思えない。おそらくそれが嘘だということにロザリア先輩も気づいたのだろう、さらに機嫌を損ねたようで声を荒げて言った。
「いい加減にしなさいよ!」
ローラ会長の体が、少しだけビクッと震えたように見えた。
「これは当主という地位から逃げてきた私達へのあてつけのつもり? それとも、それをアンタに強いたお父様へのあてつけだっていうの!?」
ロザリア先輩は今にもローラ会長に掴みかかりそうな勢いだったが、言うだけ言って気分が多少はスッキリしたのか、イライラした様子で夕食を完食しないまま広間から出ていってしまった。
そんなロザリア先輩を目で追いながらメルシナは一人涙目でアワアワしていたが、彼女の隣に座るクロエ先輩も、まだ夕食を食べ終わっていなかったが座布団から立ち上がった。
「行こう、メル」
「え、で、でも……」
「行こう」
「は、はい……」
メルシナはローラ会長のことを気遣って彼女のことを心配していた様子だったが、クロエ先輩に手を引っ張られて広間から出ていき、俺とローラ会長だけが残された。
いやー、こんな修羅場見たくないよね。しかも人んちのこんなギクシャクした家族関係とかなおさら吐き気をもよおしそうな勢いで気分が悪くなる。でも前世で画面越しにこの場面を見てたから、少しだけ心の用意は出来ていた。
未だに水すら喉を通りそうにないから俺は箸を置いていたが、隣に座るローラ会長は箸を手にとって再び食事を再会していた。
「よくキャンキャンと吠える子ね。まるで小型犬みたい」
小さい犬はよく吠えるってか。腹違いとはいえ自分の妹にそんなこと言うかね?
ローラ会長は冗談交じりにそう言ったが……いつも彼女から感じられる余裕が、今は感じられなかった。
「僕からしてみれば、ローラ会長は蛇に睨まれた蛙のようでしたけどね」
「私を蛙と呼ぶとは大した度胸ね」
「いやそれは言葉の綾ってやつですよ」
俺は見逃さなかった。ロザリア先輩が怒鳴った時、一瞬だけローラ会長が怯えたような表情をしたことを。
ローラ会長は強いわけじゃないのに、いつも強がって生きているのだ。
「妹にあんなことを言われて、ローラ会長は辛くないんですか?」
ローラ会長と二人きりで沈黙したままこの空間にいるのは耐えられそうになかったため、俺は彼女に聞いてみた。するとローラ会長は手を止めて、ふぅと息を吐いてから言った。
「言いたいことは言わせておけばいいのよ。ローザはいつも騒がしいから気にしないわ」
読めないな、これ。俺も前世で画面越しにここら辺の話を見ていた時、こんな環境で恋愛ゲームが出来るとは思えなかったし、この四姉妹の間に本当に壁が出来ているのかと思っていた。
ローラ会長とてロザリア先輩達のことを嫌っているわけではない。それはロザリア先輩達もそうだ。ただ彼女達がシャルロワ家の子女という特殊な環境に置かれているだけで……出来ることならこの四姉妹の関係が良好になるよう働きかけたいが、俺の精神が持ちそうにない。
想像は出来ていたものの、これはかなり苦難の道となりそうである。結局俺は残りの夕食に一切口をつけないままシャルロワ家を後にし、帰りのシャルロワ家の車の中で沈んだ気分のまま帰宅していた。




