ローラ会長
『朧の初恋っていつなの?』
夏休みも終わる頃、まだ夏休みの課題も終わっていないのに月ノ宮海岸で遊び呆ける大星や美空達の姿を、俺はパラソルの下で乙女と一緒に眺めていた。
『何? 恋多き僕にとっては愚問なんだけど、急にどうしたのさ?』
『いや、朧にも純情な頃ってあったのかなって』
『今の僕だって十分純情なつもりだよ』
『さっきまですれ違った女の人全員を口説いてた奴の言葉とは思えないわね』
大体乙女だってまだ夏休みの課題は終わってないというか何なら一番溜めているタイプだが、ちゃんと計画通りに終わらせた僕をよく貶せるな。まぁさっきまでメチャクチャナンパしてたのは事実だけど。
『僕の初恋ね……』
美空が勢いよく泳ぐと同時に起きる波飛沫に吹き飛ばされる大星やレギー先輩達の姿を見ながら、僕は自分の恋愛譚のスタートを振り返ってみる。
きっと乙女達は僕のことを、女なら見境なくナンパする軽い男だと思っているだろう。僕はただそういう風に演じているだけで、乙女を始めとした周囲の人達がそう感じてくれているなら僕の計算通りだ。
何かと問題を抱えていそうな人間と評されれば、自然と僕が表舞台から遠ざかることになるから。
『思い出せないの?』
『いや……僕にだってあるよ、初恋』
『嘘ぉ!? SMプレイとかしてたの?』
『僕の幼少期をなんだと思っているのさ』
いつの頃だったか、正確には思い出せないけれど、僕の記憶のどこかに存在する女の子がいる。僕はそんな遠い記憶を辿って、乙女に説明を始めた。
『昔さ、学校でいじめられている女の子を見かけたことがあったんだ。確かその女の子が誰かの告白を断ったのがきっかけで、逆恨みされてあることないこと言いふらされててさ、クラスの皆からもハブられてたんだ。
僕もそんな噂を信じ切っちゃっててさ、その子のことはあまり興味なかったんだけど……その女の子が泣いているのを見て居ても立っても居られなくなっちゃってね。ホント、涙ってのは人を狂わせるよ』
『え? 朧が助けたの?』
『そう。僕は格好良く間に割って入ったつもりだったんだけど、見事に返り討ちにされたよね。あれは痛かったよ』
『それ最高に格好悪いわね』
その女の子をいじめていた連中と殴り合いにまで発展したが、喧嘩慣れしていなかった僕は見事に返り討ちにされそれはそれはもうこてんぱんにやられてしまった。咄嗟の行動だったとはいえ、殴り合いに負けたとしても多少は相手にダメージを与えられていたら少しは体裁を保てたかもしれないが、僕は手も足も出なかったのだ、惨めな完敗である。
『それがどう恋に発展したの?』
『いやぁそれからさ、僕もすっかり陰湿ないじめを受けるようになっちゃってね。なんせ相手がさ、地元じゃ結構な名士の子どもだったから僕が一方的に悪者みたいな扱いをされてさ。定期的に殴り合いしてたよ』
『……アンタ家の中でも大変だったのに、学校でもそんな感じだったらそりゃ荒んだ感じにもなるわよ』
両親が離婚して僕は父親に引き取られたが、父親の方は会社の方で上手くいかずアル中になり、再婚相手の母親はカルト宗教にのめり込んで育児放棄ときた。
ビッグバン事故で両親が死に、今は叔母の望さんの元で快適な暮らしをさせてもらっているから、僕はせいせいしている……と言うのはほんの少しだけ僕の良心が痛む。あんな親が相手とはいえ、ビッグバン事故の直後に孤独になった後はこの世界に一人だけ取り残されてしまったような感覚で本当に怖かった。
『でもさ、僕が助けた女の子だけは僕に付き合ってくれたから、少しは学校生活も楽しかったよ。その子が初恋の相手だったのは、僕にとって話せる相手がその子しかいなかったからかもしれないけどね』
幸い矛先が僕の方に向いたから女の子に害はなかったし、僕も段々と強くなっていったから時が経つにつれ平気になっていったし、おかげで喧嘩も強くなった。
でも女の子は僕のことをずっと気にかけてくれていて、それまでは全然交流もなかったけどよく話すようになったし……いつしか僕も恋をするようになった。
僕の記憶の遠いところに存在する思い出を懐かしんでいると、僕の話を聞いていた乙女が不思議そうな表情で言った。
『んで、その女の子って誰のことなの?』
……。
……うーん? あれ、誰なんだろ。
『ごめん、覚えてないね』
『え? それっていつ頃の話なの?』
『ビッグバン事故より前かな?』
『でも私達と同じ学校じゃないとおかしくない?』
『確かにそうだね……』
僕と乙女は昔から同じ学校に通っていたし、乙女と知り合ったのは僕の両親が離婚してからだけど、その時まで僕はあの子と……んん? 何だか記憶が怪しいぞ。
時系列的に乙女とその女の子は出会っていてもおかしくないはずなのに、僕の記憶の中で二人の姿が同じ場所にいた場面が存在しない。
『もしかしたらあれかもね、ビッグバン事故のせいで記憶があやふやになってるんじゃない?』
『……じゃあ、あの子も事故で死んじゃったのかな』
『いや、朧が覚えてないだけで向こうは覚えてるかもしれないでしょ! ちょっと探してみる?』
『そこまでしなくていいよ、僕だってあまり覚えてないんだし。もしかして実は乙女だったパターンとかじゃないよね?』
『私がいじめられるようなタマだと思う?』
『現実味がないね、うん』
その場は僕も笑って誤魔化したが、僕の記憶のどこかに存在するあの子は一体誰なんだろう? その子が笑っていることは思い出せるのに、どんな容姿をしていただとか、どんな名前だったのか、僕とどんな関係だったのか全然思い出せない。
僕は、何か幻でも見ていたのだろうか……?
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「起きなさい、烏夜朧」
体を優しく揺すられ、俺は目を覚ました。障子の外からはザアザアと雨音が聞こえ、ほのかに灯るロウソクの火がエレオノラ・シャルロワの姿を映していた。白のブラウスに黒のサスペンダーコート、上品さと可愛さを感じられるいつものクラシックロリィタファッションの会長は、畳に上に座って俺を笑顔で見つめていた。
「……あれ? 僕、寝てたんですか?」
「そうね。貴方でも緊張することもあるのね」
俺がいつも過ごしている日常では中々見かけない障子や畳、内装として水墨画の掛け軸や生け花が飾られている純和風の空間で、俺は寝る前の記憶を思い出す。
「あ、そうだ! そりゃ緊張もしますよ、あんな面々に囲まれたら誰だって!」
十一月三日、今日は文化の日のため学校は休みだったが、俺は会長に呼び出されて月ノ宮町の隣町である葉室市の郊外へシャルロワ家の車で連れてこられた。
そこにあったのは、日本有数の実業家たるシャルロワ家の邸宅だったのだ。
「何を言っているの、皆いつも私に対してへこへこしてごまをすってばかりのあこぎな連中よ」
「いや会長目線だとそうかもしれないですけど、皆絶対僕に対して怒ってたというか疑念を抱いていたと思いますよ!?」
意外にもシャルロワ家の本邸は純和風の屋敷なのだが、なんか大名の屋敷みたいにだだっ広いし建物も立派で、そして大きな門から建物の入口まで紋付袴を着た連中が整然と並んで俺を迎えたのだ。
こう言っちゃなんだけど、完全にVシネの世界観なんだよここは。
「見ていて楽しかったわ、へっぴり腰になっている貴方の姿。おかげで私の緊張も取れたし」
「いや僕は全然楽しくなかったんですが?」
「何を言っているの、私の伴侶だというのに」
「会長が伴侶とかいう言葉を使ったから余計にややこしくなったんでしょうが!」
そう、今日はシャルロワ家の親族や関係者が本邸に集まり、現在昏睡状態にある現当主のティルザ爺さんに代わり、会長ことエレオノラ・シャルロワが当主となることが正式に発表された。
やはり全国的に知名度のあるシャルロワ家のことは瞬く間にニュースとなったのだが、その裏で会長は自分に恋人がいることも関係者達に伝えたのだ。そっちはニュースにならなかったから助かったが、それはそれはかなり風格のある面々の前に出させられた時は緊張で気絶しそうな程だった。
「何? 私の恋人になるのがそんなに不満なの?」
「不満というか、僕には元々恋人がいたんです! 会長達が皆忘れているだけで! 僕は絶対に忘れてやりませんからね!」
俺はまだベガがこの世界から消失してしまったことも受け止めきれてないし、俺と会長の恋人関係なんて脅迫の上に成り立っているだけだ。もし俺が第二部の時のように記憶喪失になって前世のことを綺麗さっぱり忘れていたなら少しは喜んでいたかもしれないが、第三部の会長ルートは一周目だとバッドエンド確定コースだから絶対に嫌なんだ。
「キャンキャンと喚いていると男が廃るわよ。それにせっかく恋人という関係になったのに、会長という呼び名なんて悲しいわ。もっと他の呼び方はないの?」
「例えばなんですか」
「お館様とかどう?」
……。
……お館様? 拙者は戦国大名に仕えているのか?
いや落ち着け俺、そういえば第三部の最序盤の方に似たような選択肢があったぞ。今と同じように本来は第三部主人公である一番先輩が会長に呼び方を変えろって言われてたシーンがあった。
確か……選択肢は『ははーっ!』と『無礼者!』と『お嬢様』の三つだったような気がする。真面目な選択肢である『お嬢様』かと思いきや正解は『ははーっ!』で一番先輩と会長の愉快なやり取りを見ることが出来る。どうせどれを選んでもその後の呼び方は変わらない。
が、正解はもう一つある。それは他ヒロインのルートを頑張って攻略すると出てくる選択肢で──。
「いや、『ローラ』とかいかがですか?」
会長のことを呼び捨てでそう呼ぶのは、会長の親友であるレギー先輩や親族であるロザリア先輩達ぐらいだ。普段はそんな名前で呼ばない一番先輩から呼ばれて会長はちょっと可愛い反応を見せるはずなのだが──。
「私をそんな気安く呼ぶだなんて良い度胸してるわね」
うーん、完全にバッドコミュニケーション。俺だとダメなんかい。そりゃそうだよ、俺は一番先輩じゃないんだから。
「では『ローラ会長』はいかがですか?」
「私はもうすぐ生徒会長じゃなくなるけど、その後はどう呼ぶつもりなのかしら?」
「ローラ先輩ですね」
前世の俺にとっては画面越しにいるキャラだったからローラ呼びだったが、流石に今の立場だと呼び捨ては恐れ多い。
少々不機嫌になってしまったかと思ったが、会長は俺の側まで近づいてくると俺の耳元に顔を近づけて囁いた。
「でも、貴方にそう呼ばれるのも意外と悪くないわね、『朧』」
会長、いや『ローラ』会長が俺の耳元でそう囁くと同時に、俺の背中がゾクゾクッと強烈に震えた。
なんだ、その魔力は。ただ名前で呼ばれただけなのに、どうしてローラ会長の言葉が俺を興奮させたんだ?
俺がローラ会長に半分驚き、半分怯えている間に彼女は俺から離れて立ち上がると、いつもの張り付いた笑顔に戻って口を開いた。
「ロザリア達にも挨拶していきなさい。皆、貴方が急に倒れたから心配していたのよ。せっかくだし夕食も食べていきなさい」
「は、はぁ……」
不思議な人だ。いつものローラ会長からは冷徹な感情しか感じられないのに、時折見せる本性のような部分は一体何なんだ。
だがあの反応を見るに、俺の返答は間違ってなかったようだ。
……いや待て、正解して良かったのか? 俺は何を真面目にローラ会長を攻略しようとしているんだ?
俺は和室の障子を開き、外の冷気に体を震わせ、そして陰鬱とした夜空の下で雨粒に打ち付けられる中庭の庭園を見て溜息をついた。
絶対におかしいのだ、この状況は。なんであの人は一番先輩じゃなくて俺を選んだんだ? 俺、一度ローラ会長をすんごい怒らせたこともあったのに、一体俺のどこに惚れちゃったんだ?
しかし俺は恋人のはずなのに脅されているし、逆に間違った選択肢を選ぶとローラ会長のバッドエンドに突入しかねない。
つまり俺は、エレオノラ・シャルロワから告白されてしまった時点で詰んでいるのだ。
だが一つだけ希望があるとすれば、俺がローラ会長ルートに入ったなら本来第三部の共通ルートで烏夜朧が死亡するイベントを避けられるかもしれない可能性が出てきたことだ。
それは本当に希望的観測というだけで、ローラ会長でグッドエンドを迎えること、あるいは烏夜朧の死亡イベントを回避すること、どちらが難易度が高いか比べようとしても天秤は釣り合ってしまうだろう。
まだ気持ちの整理はついていなかったが、俺は何とか足を前へ前へと進めて、ローラ会長や彼女の姉妹達が待つ広間へと向かった。
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