恋のカウントダウン
「星河祭はつつがなく終わりそうね」
電気が消された生徒会室の窓を開き、少し肌寒く感じられる秋風に長い銀髪と髪のサイドに巻いた黒薔薇髪飾りを揺らしながら、会長はそう呟いた。会長の視線の先には校庭に集まった多くの生徒達の姿があった。
「これも会長の緻密な計画と的確な指示のおかげですよ」
「フフ、そんなおべっかはいらないわ」
意外にも会長の機嫌は良さそうだ。いやこの人、こんな和やかな雰囲気のまま拳銃を取り出して撃ってきそうな感じはあるから油断はできないけども。
「それより僕にご用事があるとか。一体どうしたんです?」
「そうね。でも貴方、何か私に聞きたそうな顔をしているけど、そちらから聞こうかしら」
そりゃ会長に聞きたいことは山ほどあるが、今は早急に解決しなければならない、いやその解決への糸口が見つかりそうな気配はないが、俺が一番気になっている出来事がある。
「会長は、琴ヶ岡ベガという女の子をご存知ないですか?」
窓から外の方を眺めていた会長は、視線を俺の方に向けると笑顔を崩さずに答えた。
「いえ、知らないわね。琴ヶ岡といえばワキアしか知らないけれど、その子がどうかしたの?」
俺は微かな希望を抱いて会長に問うたが、悲しいことに想定通りの答えが帰ってきた。会長はベガのことを可愛がっていたはずなのに、どうしてこうも簡単に彼女の存在が消えてしまうんだ?
「以前、僕が会長の別荘に侵入したことがありましたよね? あの時の僕の目的をお忘れですか?」
「最近この月ノ宮に出没する謎の殺人鬼について知りたかったんじゃないの?」
ダメだ、あらゆる出来事からベガの存在が無くなっている。確かに俺が会長の別荘を襲撃した時に会長とそんな話をしたけど。
「じゃあ、その後に僕がネブラ人の過激派に追われていたことも覚えてらっしゃいますよね?」
「そうね。貴方が月見山に殺人鬼の痕跡を探しに行った時のことね」
「……その場にネブラ人の王女がいたこともお忘れで?」
「私はワキアのことしか知らないけれど、貴方は一体誰の話をしているの?」
俺にとってはこの第二部において佳境のようなイベントだったのに、その中でベガが重要な立ち位置にいたはずなのに、最初からベガがいなかったという前提で歴史が塗り替えられてしまっている。
無駄なあがきだろうか。ネブスペ2原作にはこんな展開なんてなかったから俺には解決方法もわからない、しかしこの行き場を失った俺の感情をどこかにぶつけたかったのだ。
「琴ヶ岡ベガは、僕の恋人なんです」
笑顔を作っていた会長の表情に、少しだけ変化が見えた。
「ワキアちゃんの双子の姉で、アルタ君の幼馴染で、会長の可愛い教え子で、そして僕の大事な人だったんです。今日だって僕は彼女と一緒に星河祭を巡る約束だってしていました、昨日や今朝もベガちゃんは嬉しそうにその話をしていたんです。
人がこの世界から、あらゆる人の記憶からも存在ごと消えてしまうだなんて会長にとって信じられない話かもしれませんが、これは僕が直面している現実なんです」
朽野乙女と琴ヶ岡ベガの消失。
この世界に存在しているものの、他人から認識されない的な話は他作品でも見られる要素の一つにあったりするが、これはある意味『死』よりも恐ろしいことだ。誰かとこの悲しみを慰め合うことも、墓標の前で昔の思い出を懐かしむことすら許されない。
やや気が立っていた俺は会長に今の現実をぶちまけてしまったが、会長は再び窓から校庭の外を眺めながら言った。
「貴方はダムナティオ・メモリアエという言葉を知ってる?」
ダムナティオ・メモリアエ。
日本語に訳すと『記憶の破壊』や『名声の破壊』を意味する言葉で、古代ローマにおいて反逆者に対して行われた、あらゆる記録からの抹消処分だ。
世界史に出てくるか出てこないか怪しいぐらいの言葉だが、それは今の現実に酷似しているかもしれない。
「僕の恋人が、反逆者という意味ですか?」
「私にはそんな非現実的な事象は信じられないけれど、あえて理由付けをするならそれが最も近いと考えたまでよ」
むしろ反逆者というレッテルを貼られるべきは俺の方だろう。前世の知識でチート無双出来るような世界観ではなく、ネバスペ2を完全攻略した知識があっても想定外の出来事の連続で、この世界のシナリオは大きく狂ってしまっている。乙女やベガの消失も含めてだ。いや、俺だって好きで逆らっているわけではないのだが。
多くの生徒が集まる校庭から、何やらカウントダウンの掛け声が聞こえ始めた。そろそろ今年の星河祭を締めくくるロケットが打ち上がる頃合いなのだろう。
すると会長はそんな校庭を儚げな表情で眺めながら、ため息混じりに口を開いた。
「私がシャルロワ家の当主になることは話したわよね?」
「はい、お聞きしました」
第三部が始まってすぐに会長が正式な後継者となることが発表される。まぁ会長はシャルロワ家の長女だし殆ど既定路線みたいなところはあるのだが、彼女自身にとっては大きな分岐点となるはずだ。
そして会長は俺の方へ目をやると、少しだけ微笑みながら言った。
「貴方は、私のことをどう思ってる?」
「月学の先輩で生徒会長です」
「つまらない答えね。好きか嫌いかで答えてみて」
好きか嫌いか、ときたか。
「僕は嫌いです」
俺は率直にそう答えた。だが俺のそんな答えに対して会長は目立った反応を見せず、その不気味な笑顔を浮かべたまま言う。
「どうして私のことが嫌い?」
「六月、貴方が僕の友人に対して行った仕打ちを僕は忘れていません」
まだ第一部のシナリオ中だった六月、原作なら殆ど第一部に登場しない会長が、どういうわけかしゃしゃり出てきてスピカとムギルートのシナリオをメチャクチャにしてくれた。結果的に丸く収まったしスピカ達も会長からの謝罪を受けてあまり気にしていないようだが、俺にとっては未だに不可解な出来事である。
「じゃあ、どうして貴方は私のことを庇ったの?」
以前にも会長から同じ質問をされたことがある。確かその時、会長のことが大事だからとか好きだからとかみたいな感じで答えたような気がする。
だが第三部が始まるこの時、俺が会長にかけるべき言葉は──。
「僕は、会長のことを救いたいからです」
俺のその言葉を、会長はどう受け止めるだろうか。 上流階級出身というわけでもなくシャルロワ家と親交があるわけでもない俺がシャルロワ家の内部事情なんて知っているわけがない。知っていたらそれはそれで大問題だ。
俺の返答を聞いた会長は少しだけ戸惑ったように見えた気がするが、その張り付いた笑顔を崩さずに言う。
「つくづく、奇妙な人間ね貴方は」
それは俺も会長に対してそう思うが、俺の立ち回りは会長からしたらそりゃおかしく見えるだろう。俺がエロゲ世界で生き抜くために生きているとは思うまい。
「楽しみだわ、貴方がどう私を救ってくれるのか」
ぶっちゃけ俺は会長に関わりたくない。画面の向こうで動かす主人公がいてくれるから俺は適した選択肢を選ぶだけで良かったのに、当事者となるのは勝手が別だ。
だが、第一部、第二部のシナリオで様々な修羅場をくぐり抜けてきた俺ならもしかしたら──。
「でも、そんなのただの思い上がりよ」
そんな俺の思い上がり、いや自信過剰な部分は、会長によって両断されてしまった。
「バカバカしいわ、誰かを救いたいだなんて。そんなこと、大した権力も財産も社会的地位も持っていない人間が、殆どの人間に備わっているかもわからない常識だとか善意だとか愛情だとか、信頼できないものに命運を丸投げしているようなものよ。
貴方に一体何が出来るというの? 今後シャルロワ家の当主として生きていく私をどうするつもり?」
こっわ。
いやあまりの会長の威圧感に俺のノミの心臓がはち切れてしまいそうなんだ。俺は会長との問答をやめて今すぐこの生徒会室から逃げ出したいぐらいだったが、何とか踏みとどまって息を整える。
しかし、会長の口は止まらない。
「もうこの世に存在するかもわからない、貴方の思い出という幻想の中でしか生きていない誰かをそんなに追いかけ続けるのも変な話ね。
もし私がその手がかりを知っていたとしたら、一体私に何を恵んでくれたの?」
「僕に出来ることなら、なんでも差し出します」
「へぇ、大した覚悟ね。その体を差し出せと私が言っても?」
……。
……へ?
「僕の体って、内臓って意味ですか?」
「貴方の内蔵を食べるような趣味、私には無いわ。その体を使って私に奉仕できるのかと聞いているのよ」
「……奉仕って、その、性的な意味で?」
「えぇ、そうよ」
……。
……いや、そうよじゃないんですよ。何澄ました顔で言ってんだこの人。何かすっごくエロい話してるはずなのに、こうして当事者として直面するとこんなに怖いんだ。やっぱそういうのってフィクションで楽しむべきだわ。
俺は会長の突拍子な話に戸惑うばかりだったが、会長は俺のそんな反応を拒絶と受け取ったようで、フッと呆れたように笑った。
「到底無理な話よね。愛する人のために他人にその身を捧げるというのもおかしな話だもの。
でも、貴方にはそれだけの覚悟がないということね。きっと愛する人と飽きが来るまで、恋の情熱と勘違いしたただの欲望に負けて毎日のように乱れていただけよ」
すると会長は窓際から俺の方へと近づいてきて、俺の前へ立つと不気味な笑みを浮かべながら口を開いた。
「貴方はその子のことを愛していたということね?」
会長はいつも強そうなオーラというか雰囲気が偉大過ぎるから勘違いしがちだが、こうして目の前に立たれると自分より会長が背が低いことに驚かされる。しかしそれでも、会長が放つ独特の威圧感は強烈だった。
「はい、そうです」
しかし俺はそんな会長に負けじと、虚勢を張って堂々と答えた。
「そう。それはきっと素晴らしい答えなのでしょうね」
何だか会長は虫の居所が悪そうだったが、ようやく機嫌が少し良くなったかと俺が油断している、会長は急に俺の肩を掴んできて、そのまま俺を生徒会室の床へと勢いよく押し倒した!
「か、会長!?」
会長は押し倒された俺の上に乗っかってきて、そして俺の視界に逆光で影となった会長の顔が映った。俺の顔にかかる会長の長い銀髪から、ほのかに心地よい香水の香りが漂ってくる。
「愛の力なんてバカバカしいわ」
聞き覚えのある会長のセリフが俺の耳へ入ってきた。
ネバスペ2の作中で会長が何度も呟く言葉だ。
「貴方が特別に感じていた時間は、何も知らない私達にとってはただの幻想に過ぎないのよ。貴方は自分が何か特別な立場にあると勘違いしているのかもしれないけれど、そんなものはただの思い上がり、些細なことでいとも簡単に崩れ落ちていく」
自分だけが特別というわけではない。
シャルロワ家という大金持ちのご令嬢、しかもゆくゆくは大企業を引き継ぐというかなり特別な立場にある人物の言葉とは思えない。
まるで、会長自身がそう感じた出来事があったのかと感じさせられる。
「会長は、誰かを愛そうと思ったことはないんですか?」
会長の長い銀髪が顔にかかってこそばゆいし、何より会長の顔が目前にあるからもうドキドキが止まらないが、そのドキドキはときめいているのではなく殆ど恐怖だ。
俺、ここを上手く乗り越えないと死ぬ気がする。エロゲを嗜んできた紳士としての勘がそう言っている。
「誰からも愛を受けたこともないのに、一体どうやって誰かを愛せと言うつもり?」
うーん、完全なバッドコミュニケーション。咄嗟に出た言葉が大外れだ。
しかし、このまま負けてはいけないのだ。俺は会長の凍りついた心を溶かさなければならない。
「会長は、八年前に月ノ宮海岸で出会った少年のことをお忘れですか」
俺は知っている、会長の初恋を。烏夜朧が知っているはずのない出来事を。
「……どうして貴方がそれを知っているのか、甚だ疑問ね。誰から聞いたの?」
「本人から、という答えではいけませんか?」
会長の初恋相手について、前にスピカルートでのイベントでつい口に出して会長を激怒させてしまったような記憶があるが、俺はあえてそれを引き合いに出した。
それがが会長が憧れた恋愛の思い出であり、会長が唯一受けた愛だったからだ。
「僕は大した権力も財産も社会的地位も持っていないし、大抵の人間に備わっているかもわからない常識だとか善意だとか愛情だとか、そんな理想めいたものを信じてしまうような人間ですが、外野の人間として言わせていただきます。
会長だって、自分の立場を理由にして逃げているだけでしょう、会長自身が望んでいる恋愛というものから!」
第三部はまず会長以外の三人のルートを攻略しないと会長のグッドエンドは迎えられないし、きっとその過程で会長の嫌な所を嫌と言うほど見させられる羽目になる。
だが俺は知ってるんだぞ会長、お前が一番虚勢を張っているということをな!
「貴方も、誰かを愛することが出来るはずですよ、会長」
会長は俺を押し倒したまま、俺の目をジッと見つめて黙っていた。俺の言葉に戸惑っているのか、怒っているのか、悲しんでいるのか、その表情からは伺えない。
やがて校庭の方から聞こえてきたカウントダウンの掛け声が三、二、一と──星河祭の最後を締めくくるロケットと花火が打ち上がるその瞬間だった。
窓の外がパッと明るくなったと同時に、俺の唇が柔らかい感触に襲われた。




