四人の織姫編④ 君だけを愛そう
ワキアからの連絡を受け、俺は会長の家に置かれていた自転車を借りて疾走した。
ワキアによると、ベガは琴ヶ岡邸から会長の別荘へと歩いて向かっていた途中で謎の集団に拉致されかけ、月見山に逃げ込んだという。そこで電話が切れてしまったためベガの正確な位置はわからないが、とにかく俺は月見山へと急いだ。
ベガを拉致しようとした連中の正体はなんとなく推測することが出来る。俺が前に琴ヶ岡邸で見かけた、謎のネブラ人の組織。実はネブラ人の王女という肩書を持つベガやワキアを担ぎ上げてネブラ人の勢力を拡大しようとしていた過激派の連中だろう。
彼らがその活動を活発化させるのは原作だと第三部になってからなのだが、まさかもう行動を起こすとは思わなかった。だってこんなイベント、ベガルートどころか第二部じゃ起きないんだよ!
ベガの身に起きたことを会長に説明すると、警察だけでなくシャルロワ財閥の人員も動員すると言っていた。どういう人員を動員するのかはわからないが、一般人である俺がベガの捜索に向かうのは危険だと会長は俺を止めようとした。
しかし俺はそんな忠告に耳も貸さず、まだ治りきっていない右足を酷使して、会長の別荘で借りた自転車を漕いだ。
「いや、月見山って言っても結構広いぞ……」
月見山は北半分が月ノ宮神社、南半分が月研の敷地で、北側の麓には琴ヶ岡邸やアストレア邸を始めとした高級住宅街が広がっているから、おそらく北側にベガは隠れていると思われる。
いや、北側って言ってもかなりアバウトだ。それに会長の別荘へ移動していた途中なら高級住宅街から離れた場所かもしれない。
「ベガが隠れるとすれば、もしかしてあそこか……?」
俺は自転車を走らせ、月見山の頂上へと向かう人気の少ない坂を登る。そろそろ右足がかなり痛み始めていたが、そんなのも気にせずにまぁまぁな傾斜の坂道を登り──月見山の中腹にある小さな広場へと辿り着いた。
七月、七夕祭の日に俺が辿り着けなかった場所。ベガルートならここでアルタとベガのイベントが起きているはずの小さな広場で俺は自転車を降り、ベガの姿を探す。
辺りは薄暗く携帯のライトを点けると、坂道から広場へと続く小さな足跡を見つけそれを辿っていく。やがて広場を抜けて草木が生い茂る薄暗い森の中へと入り、ゆっくりと慎重に足を進めていくと──木々のざわめきに混じって、彼女のすすり泣く声が聞こえてきた。
「見つけたよ、ベガちゃん」
太い幹の木の陰で、せっかくのオシャレで上品な服も砂や葉っぱに汚した、長い銀髪で青いリボンをつけた少女が泣いていた。
「烏夜、先輩……?」
怯えた表情をしていたベガはゆっくりと俺の方を向くと、目をゴシゴシと拭う。
まさか、こんな形でベガと顔を合わせることになるとは思わなかった。
「ど、どうして、烏夜先輩がここに?」
「ワキアちゃんから話は聞いたよ。何か変な連中に追われてるってね。ここからでも山の中を進んでいけばベガちゃんの家まで行けるから──」
そう言ってベガに手を貸そうとしたその時、俺達を突然眩しい光が襲う。
見ると、上にある広場から誰かがライトで俺達を照らしていた。
「おい、王女がいたぞ!」
男の野太い声が響くと、奥からワラワラとやけにガタイの良い連中が現れた。おそらくベガを拉致しようとしている連中だろう。影でよく見えなかったが、なんか銃っぽいのを持っているように見えた。
「失礼、ベガちゃん!」
「ひゃ、ひゃあっ!?」
あんなガタイの良い、しかも武装している集団に俺が対抗できる術なんかあるわけがなく、ここは三十六計逃げるに如かず。俺はベガを抱えて山の中を駆け抜ける!
「おい、待てぇっ!」
後ろからライトを持った連中が追いかけてきたが、こんな険しい山道を進むのは慣れていないようで、意外とすぐに振り切ることが出来た。
しかし追いつかれるかもしれないため、俺はベガを抱えて山の中を走る。
「ベガちゃん、あれが君を追いかけてた人達?」
「は、はい、そうですけど」
「大丈夫だよ。僕は子どもの頃、月見山をよく駆け回っていたからね」
こうやって駆け回るのは久々だが、少なくともさっきの連中よりかは土地勘はある。木の枝や葉っぱ、さらには蜘蛛の巣なんかが顔にへばりつくこともあったが、そんなのも気にせずにがむしゃらにベガを抱えたまま山の中を駆け抜ける。
月研の敷地と月ノ宮神社の敷地の境界線を示す注連縄に差し掛かったが、俺はそれをまたいで月見山神社の敷地の中へと入った。
山の中を進んでいる内にだんだんと辺りが暗くなってきたが、スマホのライトを点けると追手にバレる可能性もある。このまま月見山の中を進めば琴ヶ岡邸がある高級住宅街まで辿り着くことも出来るが、その前に俺はある場所を目指していた。
暗闇の中、昔の記憶を頼りに山の中を進んでいくと、ようやく目的地である洞窟へと辿り着いた。ここは月ノ宮神社の御祭神が住まうとされている洞窟で立ち入りが禁止されているのだが、今は緊急事態だ。子どもの頃の朧でさえ月ノ宮神社の敷地を走り回っていたが、この洞窟の中には入ったことがない。なんせ神隠しにあうみたいな伝説もあるからだ。
しかし第一部のおまけエンド的な晴バッドエンドではこの洞窟で二人が生活しているような描写があったため、ある程度の広さがあると信じていた。
「ふぅ……ちょっとここで休憩していこうか」
洞窟の中をライトで照らして何か危険な動物がいないか確かめた後、洞窟の中にある岩陰でベガを降ろして、俺は体の力を抜いて地面に座り込んだ。洞窟の中は結構広くて奥もかなり続いているようだ。月光すら入ってこない暗い空間だが、一時的に隠れるにはうってつけだ。
俺はLIMEでワキアに現在地を伝えて、そして電源を切る。結構長い間山の中を走っていたからかかなりしんどいし、未だに呼吸も落ち着かない。
すると俺の前に座っていたベガが俺の側へとやって来て隣に座った。
「あの、烏夜先輩……」
ベガは俺に話しかけてきたものの口籠ってしまう。やはり追われている身だからかベガもかなり強張った表情をしていて、どうにか場を和ませるために俺は口を開いた。
「いや、ごめんねベガちゃん。本当はそのままベガちゃん達の家に向かおうとしたんだけど、まだ僕の足が悲鳴を上げててね。少し休憩したら帰ろう」
俺はベガにそう言って微笑んでみせたが、ぶっちゃけ笑ってられないぐらいに俺の右足は悲鳴を上げている。いくら松葉杖なしで歩けるようになったとはいえ、なんとか骨が繋がったという状態で激しい運動なんてしたらそりゃ悪化するに決まってる。本当はもう動きたくないぐらいだが、ここに留まっていてはいつかは追手が来るかもしれない。
早く痛みが弾くよう足を擦っていると、ベガは俺の手をギュッと握りしめてきて涙声で言った。
「どうして、私を助けに来たんですか」
ベガの小さな手はかなり震えていた。それもそうだろう、あんな大柄な連中に追われたら泣きたくもなるし、なんなら発狂したくなるぐらいベガは追い詰められているはずだ。
そして、ベガが王女様という肩書を持つことを知っている俺は、ベガを拉致しようとしている連中が何者か予想できたはずだ。ベガを匿ったら自分も危険な目に遭うかもしれないのに、それでも俺がベガを助けようとした理由は単純だ。
「ベガちゃんのことが大切だからだよ」
きっと、ベガの幼馴染であるアルタだって同じように行動したはずだろう。少なくとも、ベガがこんな目に遭っている時に見捨てようとする人間はベガの周囲にいないはずだ。
冷静に考えれば、ふと我に返れば、自分が危険な道に足を踏み込んでいることに気づくはずなのに、それでも咄嗟に体が動いてしまうのは……あんなに自分の死に怯えていたのに、今となってはそれよりも大切なものがあるからだ。
「僕はベガちゃんに嘘をつかれたことなんて全然気にしてないし、きっと記憶喪失だった頃の僕もこうしてベガちゃんを助けに来ただろうし、そして今の僕もこうして助けに来たでしょ?
それが、僕の気持ちだよ」
ネブスペ2第二部のベガルートでも、記憶喪失になったアルタにベガは嘘をつき、偽物の交際関係を築き上げた。やがて林間学校でアルタが記憶を取り戻して嘘がバレると、今と同じようにベガは自責の念にかられてアルタから逃げるようになってしまうのだが、ワキアに協力してもらいベガとアルタの二人きりの状況を作り出して和解する。その後はワキアのワガママに振り回されたり、ルナや夢那から熱烈なラブコールを受けてアルタは振り回される羽目になるのだが……そんな未来が来ないことを祈ろう。
「ベガちゃんは、今も僕のことを好きでいてくれてる?」
俺がそう問いかけると、俺の手を握っていたベガはとうとうその青い瞳から涙を溢れさせて、俺の服を濡らしながら口を開いた。
「こんなことされたら、ますます好きになってしまうじゃないですか……!」
いや俺かて好きになってほしくて事故から庇ったりこうして逃避行を始めたわけじゃないんだけどね。俺はベガに死んでほしくないから自分の身を投げ売っているだけであって……第二部の主人公であるアルタもきっと同じような行動を取っただろうから、そんなに誇った気持ちにはなれない。
でも、こうして素直に好きという気持ちをぶつけられて嬉しくないわけがない。
「良いんだよ、ベガちゃん。たまにはワガママを言っても。僕の前でぐらい素直でいてくれていいんだよ」
俺はそう言って、ベガの頭を撫でる。八年前のビッグバン事件で両親を失い、病弱な妹のために日々頑張り、そして王女という隠された肩書に苦しめられ……ベガがワガママを言える機会なんてそうそうなかっただろう。唯一の心の拠り所だったと言っていいアルタも今はキルケと交際を始め、ベガのワガママを聞いてくれる人はとうとういなくなってしまった。
「烏夜、せんぱぁい……!」
苦しみと緊張から解放されたベガは、俺の胸に包まれながら泣き続けた。常に優等生として、病弱な妹を支え続ける素晴らしい姉として生きてきた少女の仮面が剥がされた瞬間だった。
王室だとか王女様だとか、一般庶民の俺には到底想像できない世界だ。そもそも、ベガとワキアがネブラ人の王室の末裔という設定自体、第二部では若干ほのめかされるもののそれがはっきりと明かされるのは第三部に入ってからだ。
だから現時点で俺がそれを知っている事、さらにそれに絡んだイベントが起きてしまったこと自体かなりイレギュラーなのだが……ベガは落ち着きを取り戻すと、真っ赤に泣き腫らした目元を拭いながら口を開いた。
「あの、烏夜先輩……私のワガママを、聞いてくれませんか?」
「何?」
するとベガは俺の頬に手を添えると──その柔らかい唇を合わせてきた。
不意を突かれてキスされた俺は最初こそ戸惑ったが、ベガの柔らかい唇に、それでいてその愛の強さを感じさせる力強い口づけに、山道を駆け抜けた疲れも、悪化した右足の強烈な痛みも、謎の組織に追われる恐怖も、この先の不安も全て忘れさせるような、そんなことなんてどうでもいいと感じさせてしまうような、自分の全てを奪われたような気分になった。
気を失いそうになるぐらい俺の心はベガの愛に溶けかけていたが、ベガは唇を離すと俺の腕を優しく握り、俺に囁くようにつぶやいた。
「烏夜先輩……」
目元が真っ赤になるまで泣き腫らしたベガの火照った体の熱が、その愛と情熱を伝えていた。
「私だけを、愛してくれませんか?」
……。
……私『だけ』か。
それは、烏夜朧を取り巻く状況を理解した上での強調された言葉だっただろう。昔の俺なら、二ヶ月後に迫る自分の死の運命を考えて断っていたか答えをはぐらかしていただろうが──。
「うん、良いよ」
俺は、ベガの愛を受け入れた。
自分だけを愛して欲しい、というベガの素直なワガママも。
目の前で絶望に打ちひしがれていた少女の愛を断る理由を探すよりも、彼女のためにどんな苦難でも乗り越えてみせると、俺は決意したのだ。そのためならスピカやワキア達に事情を説明して朧ハーレムを解体するのも厭わない。
「ありがとう、ございます」
そして、ベガはもう一度俺と口づけを交わした。
今の自分達が切迫した状況に置かれていることなんて忘れて──だが、そんな幸せな時間はそう長く続くわけでもなく、俺達はすぐに現実へと引き戻された。
「いたぞ!」
洞窟の中に眩しいライトの光が差し込み、俺とベガは思わず腕で目を覆った。見ると洞窟の外に迷彩服を着たガタイの良い連中が銃を持って佇んでいた。
……いやこの人達、銃持ってんですけど!?
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