輝く精神
「刃渡さん」
「何だ」
有栖の頭の中には今尚混乱が渦巻いている。
自分の恩人が想像以上の人殺しであったのだ、仕方のない事だろう。
最早そこまで行くと殺人というより殺戮。
事件名にも納得がいく。
だってそうだろう?
異能者の九十五パーセント以上が異能犯罪者だった時代。
単純計算で七千五百人程の異能犯罪者がいた事になる。
それら全てを同時に殺害する。
荒唐無稽、作り話でも聞かない。
「どんな異能があればそんな事が可能なんですか?」
とてもじゃないが、一異能者が出来る範疇とは思えない。
時を止める異能だとでも言うのか?
しかしそれでは有栖が当時見た異能と重ならない。
「分からない。未だかの少女が使う異能は判明していない。異能は使用された後、その場に“異能痕跡”が出来る。それを調べれば使われた異能の判別は可能だが・・・」
「それなら!」
刃渡は首を横に振った。
「ただし、黄昏の自動人形を除いての場合だ。異能の概要は格下の異能者のモノしか読み取れんのだ。何を持って“格”が決められているのかは分からんが、彼女が頂点なのは誰の目からも明らかだろう。格上の痕跡からでも多少は読み取れる筈なのだが、彼女は別格だからか、“異能が使用された”という事しか分からん」
「なるほど・・・」
有栖の中には少しの落胆と、それを上回るだけの興奮があった。
遂に掴んだ恩人への道筋、しかもやりようによっては居場所すら調べられるかもしれない。
「その、異能を使用した痕を追えば異能犯罪者を捕まえる事は容易なんじゃないですか?」
「それはそうだが・・・」
「なら今回の犯人、捕まえちゃいましょうよ────
有栖は思うのだ。
それは彼女のエゴであり、余計なお節介であるが。
────黄昏の自動人形より先に」
これ以上彼女に人を殺して欲しくない。
そう思うのは、おかしな事だろうか・・・
◆
成瀬紬は運動が出来ない。
それは跳び箱が出来ないだとか、逆上がりが出来ないだとか、そのレベルではない。
紬からすればそれは超人の領域。
彼女はまず走ることが出来ないのだ。
いや、少し違う。
ほんの二十メートルも走ったら息切れしてしまう位の体力しか持ち合わせていないという方が正しい。
小さな体に短い手足も相まってその歩みは非常に遅く、目的地に着く頃には日が暮れているかもしれない。
まずまず彼女自身が異能犯罪者と直接対峙する事は非常に稀だ。
基本的には遠隔で始末する。
最後に彼女自身が出向いたのは柊隆史とかいう性犯罪者を縊り殺した時ではなかったか。
やはり運動は大変だ。
紬からすれば重労働のお散歩十五分コースは彼女に生を実感させた。
「遠い」
目的地まではまだまだかかりそうだ。
面倒な事この上無い。いっそ、ここからでも遠隔に切り替えるか?
いや、遠隔は異能操作精度が著しく落ちる。
具体的には本来の1割程度の精度しか出せなくなる。
別にその程度でも問題無い小物ではある。
だが折角ここまで来たのだから、直接刈り取ってやろう。
小さな死神はとことこと歩く。
それはまるでカウントダウンの様で。
確かな“終わり”を運んでいた。
◆
「ここだ。間違いなく犯人はこの中にいる」
「ようやくですね、覚悟は決めましたか?」
有栖と刃渡は二人で異能痕跡を追っていた。
海光公園から車で十分。
意外にも近い場所に犯人宅があって助かった。
結構大きな一軒家で、この立地でこれなら結構な金が掛かっただろう。
果たしてその金が正規の手段で稼がれた物かは分からないが。
ほとんどの異能犯罪者は襲撃を警戒していない。
それは彼らが自らの証拠隠滅に絶対の自信を持っているというのもあるし、そもそも警察に囲まれた程度なら逃げ切れるという自負があるからだろう。
生物として格上な彼らが本能的に持つ余裕。
それを人は油断と呼ぶ。
「あぁ。これが俺の道だ」
刃渡は有栖の言葉に答えた。
そして思い出す。
「俺は異能使用許可が出ていない」
そう伝えた時の有栖の表情を。
心底驚いたと、そう顔に書いてあった。
「貴方は息を吸うのに許可を取るのですか?」
何を馬鹿な事を、そう思った。
「正義だけを見据える警察、刃渡大吾にとって」
だが彼女は違った。
「呼吸する事、正義を全うする事、そこに如何程の違いがあるのですか」
あぁ。
俺は何のために警察を志したのだったか。
臆病者か、別に間違いでは無かったな。
刃渡はずっと自分に言い訳をしていたのだ。
許可が出ていない事を理由に、悪を見逃し続けた。
それをまだ幼いであろう少女に押し付けて。
俺は馬鹿だ。
昔の自分に誇れない。
思い出せ、あの時の俺を。
全てを守ると誓ってみせた己の精神を。
あの時の正義は、あの時の心は────
────未だ燦然と光り輝く
「警察だ!」
反応されなかったノックを掻き消し、扉を蹴破った。
そして刃渡の右腕が鈍色に輝く。
それは彼の心を映している様で。
研ぎ澄まされた太刀が巨大な腕を受け止めた。
「なるほど、勘付いたのか」
桑原赤司はニタリと笑う。
その体は広い部屋の中で大きく膨らみ、大柄な刃渡をも凌駕していた。
「甚振るのは良いぞ偽善者共。弱者は、強者に殴られる為だけに存在するんだ」
桑原は精神が高まっているのか、心地よい高揚と共に腕を横薙ぎにした。
置いてあった花瓶、昆虫の死骸が入った飼育箱、趣味が悪い本棚。
何もかもが砕け散る。
だが正義は砕けない。
「それでも強者か?」
肥大化した桑原の腕が宙を舞った。
刃渡の右腕は血を纏い、それでいて美しい。
「さっさと投降しろ。お前に勝ち目はない」
「それは俺が決める事だろーが」
桑原は幾ら腕が切り落とされても問題無い。
彼は自分の体を自由自在に操ることが可能だからだ。
再度生やされた腕が天井を突き破り、天井ごと刃渡を叩き潰した。
「啖呵はどうしたジジイ!」
桑原は異能を使い慣れている。
高校生の頃に発現し、度々それを使用して暴力を振るって来た。
自分の異能で何が出来るのか、何が得意なのか、全て把握している。
そこらの異能者では太刀打ち出来ないだろう。
異能も優秀で、一線級とは言わないが、充分な戦闘能力を有している。
だがその程度では敵わない。
「勝ち目は無いと、そう言っている」
一閃。
閃光が瞬いたかの様な斬撃。
天井の瓦礫ごとぺちゃんこになった筈の刃渡には傷一つ無い。
「ああん? どうなってんだ」
「簡単なことだ」
刃渡の首が、腕が、頭が、少しずつ光沢を放っていく。
「俺は体の全てを刀へと変えることが出来る。その力の応用だ」
刃渡の体は金属の様な光を発していた。
それは彼の体が、鋼鉄と同程度の硬さを得た事を表している。
「最後通告だ。降伏しろ、これ以上手荒な真似をさせてくれるなよ」
刃渡は基本的に人を傷つけることを好まない。
最低限の力で済むならそれで良い。
「五月蝿えんだよジジイ。テメエは悲鳴だけ上げときゃ良いんだ」
桑原の肉体が嘗て無い程に膨らんでいく。
正直、桑原から見て相性は悪い。
幾ら桑原が肉体を自在に操作出来ても、肉体強度は変わらない。
つまり、刃渡からの斬撃を防ぐ手段が無い。
それと同時に桑原からの攻撃も殆ど通らないだろう。
だが一つだけ残された勝ち筋がある。
それは刃渡の体に触れる事。
刃渡の体が鋼鉄だろうと、異能の守りに包まれていようと関係無い。
桑原からすればそれは肉体。
彼の異能、“肉体操作”の対象だ。
「雑魚は雑魚らしく押し潰されるのがお似合いだ」
どんどん膨らんでいく桑原の体はやがて部屋を埋め尽くし、刃渡達を外へ追い出した。
「本条、離れていろ」
刃渡は有栖を逃し、迫ってくる肉壁を切り刻んだ。
「なるほど、厄介だ」
だが肉壁は斬られたその場から再生を繰り返し、際限なく膨らんでいく。
このままでは近隣住民に被害が出る、そう気にした刃渡の意識の隙。
「捕まえたぁ!」
肉壁をぶち破り、伸びて来た一本の巨大な腕。
それが刃渡の体を握りしめ、そのまま拘束した。
「おいおいおいおいおい余所見してくれるなよぉ」
幾ら肉体を治せるとはいえ、痛みが無くなった訳ではない。
つまり桑原は自分の体を貫かれる様な痛みを代償に刃渡を掴み取ったのだ。
それは常軌を逸した精神力の成せる荒技。
「このまま握りつぶしてやろうかぁ!? それとも動けないお前の前であの女を殺してやるのも面白そうだなぁ」
桑原は悪辣な笑みを浮かべ、未来を想像してニタニタと嗤った。
この巨大な手が刃渡に触れている今、彼の異能を他人へと行使する際の条件、“接触”は果たされている。
いつでも殺せる、文字通り命を握っている。
「それが、答えか」
だが刃渡は全く慌てる様子もなく桑原の瞳を見つめた。
「お前の道を見せて貰ったぞ」
刃渡の体を掴む巨大な手から幾本もの刀が生え、まるで蛇の様に動く。
一瞬。目にも止まらぬ速さで肉の海を泳いだ刀は軌跡を描いた。
勝利への道筋。
正義への軌跡。
「実に醜悪だ。気に入らん」
既に刃渡の体を握りしめていた巨大な手は肉片と化していた。
「な、嘘だろ!」
桑原は勝利の確信から一気に転落した。
それは精神の乱れを起こす。
異能を操る精度というのは精神に大きく影響を受けると言われている。
事実、桑原の異能操作が鈍った。
「嘘など介在せん」
腕を切り裂き、肉壁を食い破り。
「これが現実だ」
苦し紛れに繰り出される反撃を悉く切り落とす。
「自分の弱さは、いつも自分だけが気付けない」
そして遂に刃渡の間合いが桑原へと喰いついた。
「弱者は弱く無い。蕾は顔を覗かせ、大輪と成る」
刃渡の左腕が煌めき、悪を焦がす光と成りて。
「彼らは己の強さを、凄さを、尊さを、知らんだけだ」
「ま、待って・・・待てよおい!」
今、一人の漢が正義を振るう。
漢の名前は刃渡大吾。
黄金の精神と鋼の肉体、揺るぎなき大義を背負う者。
◆
「殺しちゃうかと焦りましたよ」
「殺す訳無いだろう。それは俺の道では無い」
有栖はほっと胸を撫で下ろした。
あの気迫を見せられればそう思うのも無理はないだろう。
「で、この人どうするんですか? 捕まえたところで裁けないですよ」
「そこは問題無い。ACOの連中に引き渡す」
有栖は足元で厳重に確保され、気を失っている桑原を見て問うた。
異能犯罪者の面倒なところは通常の法で裁けないという点だ。
だがそれも問題無いらしい。
やはり有栖が想像した通り、異能犯罪者を裁くことが出来るシステムは構築されていた。
「ACO?」
「Abnormality Countermeasures Organization つまり、異能対策機関だ」
「へえ、やっぱりそんなのあるんですか。ということは異能使用許可ってやっぱり?」
「あぁ、そこからだ。理由は分からないが、奴らは異能の使用を最低限に抑えている」
有栖の異能情報にまた一つ新たなページが加わった。
全て使って見つけ出す。
手札は何枚あっても良い。
初めての異能犯罪解決だ。
有栖は確かな達成感を噛み締めていた。
「む、一般人か」
そんな二人の耳へと聞こえてくる足音。
曲がり角から聞こえてくる靴を擦る音は有栖を焦らせた。
「ちょ、ちょちょっとまずいですって、この凄惨な現場を見られる訳には!」
「確かにそうだ。本条、頼めるか?」
「はい!」
有栖は急いで駆け出したが、少し遅かった。
姿を現すのは一人の少女。
「・・・紬ちゃん?」
それは有栖が昨日、一緒にご飯を食べた少女だった。
「有栖、どいて」
「本条!どけ!」
刃渡が、一般人には間違っても手を出さない正義の漢、刃渡大吾が。
迷いなく異能を発動させた。
完全な臨戦態勢。
桑原赤司を前にしていた時とは比べ物にならない全力応戦の構え。
有栖は鬼気迫る刃渡の叫びに対応し、咄嗟に横へと飛び退いた。
・・・だが別に何も起こらない。
有栖にはそう見えた。
少女は刃渡を一度だけ睨み、その場に背を向けた。
「つ、紬ちゃん!」
「待て本条!」
刃渡は追いかけようとする有栖を制止した。
不満げに振り向く有栖だが、刃渡の顔を見てその表情を一変させる。
刃渡は身体中から冷や汗を垂れ流していた。
その顔には明らかな“恐怖”が浮かんでいる。
「ど、どうしたんですか刃渡さん?」
「分からん、分からんが・・・」
刃渡は自分の首へとゆっくり指を這わせる。
「俺には死が見えたぞ」
「え?」
その指には、少量の血が付着していた。
「待て、桑原は!?」
「いや、そこに・・・」
二人は同時に桑原がいるだろう場所を振り向いた。
居ない。
影も形も無い。
「何で・・・さっきまで確かにそこに!」
「いや、この痕跡は・・・」
有栖の疑問に刃渡が答えた。
「間違いない、黄昏の自動人形だ」
その場には概要不明の異能痕跡だけが残されていた。