常人の限界
「どういう事? 有栖」
立木は落ち着かない様子の有栖へと問うた。
ここまで来れば全て説明して貰えばいい。
「犯人は自分、他人、問わず肉体を操作出来る異能を持っていると考えられます。理由は簡単。それしか有り得ないからです」
彼女は自分の考えを一度見直し、うんうんと頷きながら続けた。
「異能は恐らく一つの事象のみに干渉します。例えば物を浮かせるだとか、瞬間移動するだとか。何処まで可能なのかは別にして、それぞれ能力が有る訳です」
異能の原理は分からない。
だが異能の概要ならば掴めてくる。
「足跡を残さないなら浮遊かと考えましたが、その異能であの死体を作るのは不可能です。同様の理由で他者から見えなくなる類の異能でもない」
一つ一つ丁寧に可能性を潰していく。
「つまり今回大事だったポイントは三つ。痕跡を残さないこと、目撃者を残さないこと、死体を不可思議な状態まで変形させるだけの力を持っている事」
それら全てを為せる異能。
「自分を小さくすれば痕跡は残りません。何故なら豆粒程の小さな足跡など警察は調べないから」
一つ。
「目撃者は居ても良い、纏めて消せば問題無い」
二つ。
「死体を一つに見せれば良い。それなら誰も気付けない」
三つ。
答えが出た。
「あの死体は被害者全員の肉体を少しずつ小さくして丁度一人分に纏めた───」
───屍肉団子ですね。
あっけらかんと推理を披露する有栖を前に、二人はドン引きしていた。
まさか此処まで冒涜的な発想が思い浮かぶとは到底思っていなかったのだ。
だが事態は全く変わっていない。
「で、ここからが大変なんですよ」
有栖は興奮を抑えて思考を巡らせる。
正直、異能が犯罪に関与すると想定し、今まで様々な異能犯罪を調べて大体の概要を理解しつつあった有栖であるならば。
犯罪に使われた異能も、どう使われたのかも推理する事が可能なのは分かっていた。
だが分かったから何だ。
犯罪に異能が使われています、その異能は恐らく“身体操作”です。
で? それがどうした?
その程度で捕まえられるなら苦労は無い。
三つの問題がある。
一つ目は犯人の目星が付かないのは変わらないという点。異能の概要と使われ方が分かったところで、犯人を特定するのは不可能だ。
二つ目は確保出来ないという点。異能者と常人では天と地ほどの戦力差がある。銃を安易に使用する事は出来ず、相手は躊躇なく異能を行使出来る。戦闘になった時、負けるのはこちらの方だ。
そして三つ目。
仮に犯人を特定し、奇跡的に確保まで漕ぎ着けたとしよう。
その時、その人間を罪に問う事は可能か?
答えはノーだ。
犯人は異能という不思議な力を行使出来ます。それを使って今回の事件を起こしました。
これでは世間も、裁判官も、納得しない。
異能などこの世界では信じられない。
つまり、捕まえる意味が無いのだ。
有栖は警察になる為の勉強をしている時、既にこの事に気がついていた。
今の司法において異能犯罪者を罪に問う事は不可能だという事実に。
だが、そこで思考は完結しなかった。
必ず異能の存在を認識している者が警察にいる。それも結構な経験の持ち主である事が予想出来る。
きっと異能という事象込みで秘密裏に裁判を行い、異能者を裁く事が出来るシステムが構築されている。
でなければ異能の存在は既に世間に広まっている筈だ。
好き勝手犯罪を繰り返す異能犯罪者を捕らえる者、または組織がある。
ここまでは想定出来る。
どうにかしてそれらの力を借りる事が出来れば良いのだ。
常人では精々、異能の概要を把握するまでが限界。ここからは異能者の力を借りるしか無い。
だが借りられない。
有栖には異能者の伝手が無いからだ。
まさか有栖も警察になってからここまで早く異能犯罪に出会えるとは思ってもいなかった。
異能犯罪の件数は有栖が判断した中でも年に五件あるか無いか。恐らく異能者自体が本当に希少なのだろう。
それがまさか二ヶ月弱で・・・
一年位時間を掛けてじっくりと異能者を見つけ出して味方にしようと考えていた有栖からすれば想定外の事態なのである。
「どうしましょう。手詰まりです」
「えぇ!? じゃあ今のドヤ顔は何だったんすか!」
肝心なところを全て吹っ飛ばす女。それが本条有栖である。
「それほど異能犯罪というのが厄介だという事ですよ」
「打つ手無しって訳?」
有栖の頭に幾つかの未来図が構築される。
手段が無い訳では無いが・・・
「最っ高にお馬鹿な解決手段が一つだけありますよ」
同時に最高に危険な手段である。
「それって?」
「何か凄く嫌な予感がするっす」
この短い期間の付き合いで長谷川は本条有栖という女の性格を大体理解し始めている。
一見クールで出来る女といった風体だが、頭の中には脳の代わりにマシュマロでも詰まっているんじゃ無いかと疑ってしまう程ぶっ飛んだ女であると。
有栖は意味あり気にニヤリと笑った。
「警察内で情報をばら撒けば良いんですよ」
・・・
・・・・・
・・・・・・・
「じゃあ今日は一旦解散ですね」
「何かどっと疲れたっす」
「ホント、有栖は変わんないね」
三人は後日計画を始動させる事を約束し、今日はそれぞれ帰路に着いた。
「なーんかお腹減っちゃったなぁ」
有栖は帰り道を歩きながらぽつりと呟いた。
時刻は二十時、飲食店は何処も繁盛している。居酒屋、定食屋、少し趣を変えて寿司屋。
「うーん良い匂い」
有栖は食事が好きだ。
自炊も当然の様に身につけているハイスペック極まれりな彼女は常に味を探求している。
だから沢山食べてしまっても仕方がないのだ。いつもの言い訳を心の中で響かせた。
「からあげも悪くないなぁ」
噛んだ時にじゅわっと染み出す肉汁を思い出すだけで幸せな気分に浸る事が出来る。
「くそぅ。全く決めらんない」
想像力が豊かという言葉では表現しきれない程豊かな有栖は、食べ物の名前を見る度に情景を思い浮かべるのだ。
これでは選べないのも仕方ないだろう。
うろうろと街を歩き回り、ふと前を見た。
そこに居たのは一人の少女。
美しい黒髪が良く映える。後ろ姿だけでも可愛いのが分かってしまうタイプの女の子だった。身長は高く見積もっても百四十五センチ。この時間帯に一人で出歩くのは少し危険では無いだろうか。
声を掛けようとも思ったが、直感とでも呼ぶべき何かが働いたのか。
後ろをコッソリと付いていく事にした。
ゆったりとした足取りで進む少女は目的地が決まっている様だった。
周りからは少しずつ飲食店の出す喝采が消えていく。
「こっちの方って・・・」
そして少女が辿り着いたのは件の海光公園。
暗闇の中、街灯だけが光を放つ。
今尚テープが張られ、一般人の立ち入りは禁止の状態である。
少女はテープの文字をしっかり読んだ後、少し肩を落とす。
どうやら流石に公園の中へは入らないようだ。
もし入る様なら警察官として止めねばいけないところだった。
有栖が観察を続ける中、少女はその場で俯いた。
たっぷり五分はそのまま動かなかっただろうか?
有栖は流石に心配になり、少女へと声を掛けようと近づいた。
「あの、大丈夫?」
そして少女が振り向いた。
グサリ
有栖はそう音が聞こえてきた様に錯覚した。
頭、腕、足。思わず体を摩って傷が無いことを確認する。
この一瞬で体が臨戦体勢を取っている。
自分の本能が、精神が、遍く全てが。目の前の少女の一挙一動を凝視している。
氷が温かく感じる程冷たい瞳。
警察というのは少しずつ嗅覚が育っていくものだと言われている。
犯罪者や人殺し。俗に言う“悪い奴ら”を嗅ぎ分ける本能が研ぎ澄まされていくのだ。
如何に有栖が有能とはいえ、流石にまだ備わっていない技術の一つである。
だが有栖は目の前の少女から明確な“何か”を嗅ぎ取ったのだ。
今有栖が感じ取ったのはそこらの“悪い奴ら”の匂いでは無い。
凝縮され、一寸先も見えない様な“死”の予感。
「大丈夫」
少女は有栖の様子も気にせずにそれだけ答えた。
感情の篭らない無機質な声。最近はSiriですらもう少し人間的だ。
「そうは見えないよ」
本当に怖い。あの事件があってから怖い物など何一つ無かった有栖は今、明確な恐怖を抱いていた。
早く逃げろと頭は叫ぶ。
今すぐ走れと体が軋む。
だが何故だろう?
ほんの少し、微かな安心を胸に抱いているのは。
だからこそ一歩踏み出した。
なら良かった、それで済ませれば良い会話だっただろう。
警察としての義務感か?
人間としての正義感か?
違う。
本条有栖、その心の赴くままに。
「すっごく顔色悪いよ。ほっとけない」
正直言うと別段顔色は悪く無い。
目が有り得ない程深い闇に染まっているという意味ではそうかもしれないが。
ただ、この少女をこのまま放っておけば、きっと自分は後悔すると。
そう考えただけなのかもしれない。
「気にしないで」
少女はそれだけ言うと有栖の横をすり抜けた。
ぐぅ〜
その時少女のお腹の音が鳴って。
それは神様が有栖へと与えてくれた唯一のチャンスだった。
「やっぱりダメじゃん!ほら、お姉さんがご飯奢ってあげるから」
そう言って少女の手を引く有栖は、どちらかというと誘拐犯に近かった。
勿論抜けている有栖はそんな事に気づく訳もなく。
有栖のあまりの強引さに困惑する少女を連れて、有栖は結局サイゼリヤへと入店したのだった。