060 青き竜が守りしもの
かつて瘴気領域が発生する前には、『暗夜湖』と呼ばれる巨大な湖がグリーンパールの北部には広がっていた。今ではもう、瘴気領域で覆われてしまったため、その光景を確かめることは出来ないが、それはそれは美しい湖だったという。
「ストラウケンさんによると、どうもその『暗夜湖』からナイトメアが発生しているらしいね。ひとまずは、そっちの方角を目指そうと思う」
前回、キッカたちが踏み込んだときとは違って、先人たちの情報が残されている。それらを元に、攻略ルートを探る。
「……ちょっと、いいか?」
グリーンパールの町を抜け、ある程度離れたところで、キッカは声を上げる。瘴気領域に踏み込む前に、語らなければならないことがあった。もし、このまま先に進むとしたら、話しておかなければならないだろう。
「瘴気領域の奥にある、水鏡について――」
それからキッカは、水鏡が時空を転移する装置であることと、瘴気領域を攻略するには別の時間軸に転移して、ナイトメアを倒す必要があることを説明した。初めは驚いていたフリッツとチリアートは、現実味を帯びるキッカの説明に、息を呑んで耳を傾けていた。
「……それじゃ、キランさんが嘶きの森の瘴気領域を晴らしたってこと?」
「結果的には、な」
「なるほどね。水鏡は時空転移装置であり、その暴走によって仲間とはぐれてしまった。だからキランさんは、別の水鏡で仲間を探しに行きたいわけか」
鋭い瞳が、キッカを捉える。
「貴重な情報を隠していたのは、僕たちのことが信用できなかったから? それとも――知られてはいけないことが、他にあるからかな?」
「……後者だよ。厄介な奴らに目をつけられていてな。真実を伝えられるような状況ではなかった。だが、ここから先、お前たちに伝えないわけにはいかない。オレは、時空転移装置を起動させるつもりで瘴気領域に乗り込むんだからな」
「僕やチリアートも、巻き込まれると?」
「ああ。だから、いざというときは、別行動を――」
「なにそれ、すごぉい!!」
脳天気な声が、場違いに沸き起こる。
「わたしも行きたいな! わー、たのしみー!」
「……ミリヤムちゃんは、元気だねえ」
思わずフリッツは、苦笑いを浮かべた。
「キランさんがここにいるってことは、帰ってくることが出来るんだよね? だったら、問題ないよ。それくらいの覚悟は出来ているさ」
「そうね! むしろ、手がかりを教えてくれて助かるわ。闇雲に瘴気領域を捜索するよりも、水鏡を見つけて転移する方がずっとわかりやすいもの」
後出しの情報を口にしたことを咎めるでもなく、仲間たちは頷いてくれた。
「……悪かったな、今まで黙っていて」
「訳ありなのは、伝わってきていたからね。だけど、僕らを信じてくれたから、こうして話してくれたわけでしょ? それはそれで、嬉しいなぁ。仲間だって、思ってくれているわけだ」
「誰だって、秘密の一つや二つ抱えているものでしょ。全部を話せなんて言わないわ。キランさんにも、事情があるんだし」
「そう言ってくれて、助かるよ」
負い目を感じながらも、自分の都合を優先させてきたキッカは、頼もしい仲間に救われる。
◆
目の前に広がる瘴気領域を見て、初めて相対したときのことを思い出した。新しい魔術を開発したシューカが、目を輝かせてキッカのためにと披露してくれた。未知なる領域に心を踊らせて、己の好奇心に従っていた。押さえつけられない冒険心を、今も尚鮮明に記憶している。
「……フェリエル、シューカ」
ゆっくりと、瘴気に手をかざしてみた。寵愛の石像によって強化された精霊の加護が、キッカに触れようとした瘴気を喰らい尽くす。
「ヴェスソンが披露してくれたときも、こんな感じだったな」
厳密には、耐性を得るのではなく瘴気を消し去ってしまう。
「うわぁ、しょーきだぁ」
間延びした声を上げながら、ミリヤムが目を輝かせている。
「……流れで連れてきちゃったけど、ミリヤムは加護がないから、これ以上は進めなくない?」
「どうして?」
「どうしてって……瘴気は、人体に毒だからね」
「そうなの?」
きょとん、と。
フリッツの言葉を理解できずに、首を傾げて見せる。
「こんなに、美味しそうなのに?」
「お、おいしそう……?」
「…………」
注意深く、ミリヤムの様子を観察するキッカ。甘ったるい雰囲気の中に潜む、一握りの影。寄生型ナイトメアに打ち勝ったミリヤムの身体は、明らかに変異しつつあった。
「ふわふわ浮かぶ、雲みたいだね」
紫黒に染まる瘴気領域に、ゆっくりと手を伸ばす。『待て』とフリッツが止めようとしていたが、彼女は止まることを知らない。
「しょーき、しょーき」
ひょい、と。指先で、禍々しい瘴気を掬い取ったミリヤムは。
「ぱく」
躊躇うことなく、口に含んでしまった。
「――!?」
当然、驚愕するフリッツとチリアートは、すぐに吐き出させようと身を乗り出すが。
「あまぁい」
恍惚な笑みを浮かべる少女を見て、戦慄してしまった。
「……ナイトメアの特性を喰らい取った……のか?」
今のミリヤムは、明らかに人間離れしている。
「参ったね、ここまでだとは思っていなかったよ……!」
「ミリヤム……」
常軌を逸した存在に、不安を覚える一同。
「なぁ、ミリヤム」
「なーに?」
「お前は、オレたちの味方か?」
「えー?」
キッカは、単刀直入に尋ねる。
「当たり前だよぉ。キランちゃん、わたしのこと嫌いになっちゃった……?」
「いいや、違うよ。ミリヤムがいつの間にか強くなっているから、びっくりしているんだ」
「んー……確かに、自分でもちょっと変だと思っているの。だけど、安心して! わたしは、わたしだから!」
満面の笑みで、彼女は笑う。
「ナイトメアが現れたら、ちゃんと殺せるか?」
「え?」
意外そうな表情で、ミリヤムは言う。
「――殺して、いいいの?」
目を輝かせた、子供のように。
「だったら、殺しちゃうよ! 神様の教え通りに、悪い子にはお仕置きだもん」
「……そっか」
なら、いい。
身も心もナイトメアになていないのであれば、構わない。
万が一、何かが起きてしまったら――そのときは、自分の手で裁くつもりだ。
「ミリヤムは、ミリヤムなんだね」
困ったように、フリッツは笑う。
「……ここまで来て置いていくのは、可哀想だし」
「決まりだな」
どうせ、置いていったとしても勝手についてきそうだ。
「じゃ、出発しようか」
そして四人は、瘴気領域へと挑戦する。
◆
水の流れる音だけが、鼓膜に響く。久しぶりに踏み込んだ瘴気領域は、やはり時空の流れがどこか歪で、世界が凍りついているような気がした。不自然に流れる川の流れが、やけに虚しく響く。嘶きの森とは違って、険しい坂道が道のりを困難にさせていた。
「…………」
神経を張り巡らせながら、不測の事態に備えていた。二度目だとしても、やはり瘴気領域の居心地は最悪だった。生きている実感がまるでせず、悪魔に魅入られているような気分だ。
「こっちだー」
とてとてと前に進むミリヤムは、目を離せばすぐに先に進もうとする。何とか首根っこを捕まえて、減速させる。
「……こっちに、何があるんだい?」
「水鏡!」
迷うことなく、ミリヤムは答える。
「こっちにある気がするよー」
「……ふむ」
道らしきものは続いていたが、ミリヤムは別の方角を指差していた。
「進んでみよう」
ストラウケンは、何度もこの瘴気領域に踏み入って、成果が得られなかったと言っていた。ならば、普通に通りそうな道を捜索するのは間違っているかもしれない。
「こっちだよーん」
何よりも、ナイトメアの特性を得たミリヤムの感覚は、ここではもっとも頼りになる。
小一時間ほど進んだ頃だろうか。鼻歌を歌いながら歩くミリヤムについていく一同は、やがて滝が流れ落ちる音を耳にする。瑞々しい空気が肌を撫でながら、ミリヤムは引き寄せられるように近付いていく。
「おぉ~~」
気が付けば、瘴気は消えていた。
「どうやら、当たりのようだな」
砂漠の中のオアシスのような、瘴気の中の憩いの場。美しい滝の水飛沫が、瘴気領域内であることを忘れさせてくれる。
「……?」
だが、美しい滝に目を奪われている面々の中で、フリッツだけがその痕跡に気が付いていた。
「……何だ、この爪痕は……? 動物がつけたにしては、デカすぎる」
本来なら、キッカが気付いているはずの痕跡。だが、水鏡の在り処に辿り着いたキッカは、やや気持ちが舞い上がっていた。その僅かな気の緩みが、怪物の主張を見逃してしまう。
「待て、これは」
フリッツは、遅れて理解した。
――大樹に抉られた爪痕は、怪物が縄張りを主張する際につけられた傷だった。
「――あ」
先行したミリヤムとキッカの前に、山のような影が現れた。夜が訪れたのかと疑う程、影の主は巨大な矮躯を引き摺っている。
「――ど、ど、ど、ど、ドラゴン~~~~~~~!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げたのは、チリアート。
「……こ、これは」
水飛沫を浴びながら、鈍色と群青色の入り混じった鱗に、エメラルドグリーンの双眸。岩をも砕く異常に張ったした顎と、禍々しい竜爪。山の如し巨体が、それでもしなやかに胎動する。
「――っ」
青き竜の睨みつけによって、思わず怯んでしまう一同。敵意を雑に投げつけられただけで、身が竦んでいた。
が。
「とかげさん、きらい」
敵意を殺意で打ち返した少女がいた。
「キランちゃん」
光のない瞳を、ドラゴンに向けて。
「――あれは、殺していいドラゴン?」
「ば――っ!」
剥き出しの殺意に誰よりも早く反応したのは、青き竜。大きく口を開けて、膨大な魔素を渦を巻いて圧縮させる。
「ま、まずい! 今すぐ、逃げるんだ――!!」
「……逃げるって、どこに?」
フリッツの叫びに、チリアートの震える声が尋ねる。
「それはっ――」
答えは、不要。
青き竜によって放たれた息吹が、キッカたちを容赦なく薙ぎ払った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
真水の爆発が、辺りを襲う。放たれた息吹は流れ落ちる滝の足元に直撃して、溢れた魔素の本流が鉄砲水のようにキッカたちを襲った。寸前のところで、少女たちを抱えたフリッツが、身を寄せる。限界の状況の中で、かろうじて生きる道を辿った。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
鼓膜を突き刺す爆発音が、何度も繰り返される。
「――そこか」
だが。
辺り一体の水が炸裂したことで、キッカの瞳は見えないそれを捉えていた。
「水鏡だ――!!」
竜の息吹に怖気付く事なく、それを掴みに手を伸ばした。
同時、青き竜はキッカめがけて、ありったけの息吹を放った。
「発動させるぞ、お前ら――!!」
「――わかった!」
力と力の衝突が、時空の歪みをもたらした。眩い光が辺りを飲み込みながら、そのときは訪れる。水鏡を盾に、竜の息吹を防いだことによって、強制的に起動させられていた。あの日、キッカが強引に封印を破ったことを、竜の力を利用して再現したのだ。
「捕まれ!」
「――うん!」
あのときのように、離れ離れにならないように。
四人はぎゅっと身体を寄せて、歯を食いしばる。
「おおおおおおおおおおお!!!!!!」
真っ白な世界が、四人を迎えてくれる。
――フェリエル。
誰かの、声がした。
青き竜の方から聞こえたのは、気のせいだったのだろうか――。




