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025 未知なる場所への切符


 パカサロからもっとも近い瘴気領域は、町から離れた森の奥にあった。瘴気領域の外周をつたって歩くと、森を抜けて海辺にぶつかる。禍々しい瘴気は陸上だけではなく海上にまで続いており、船を出して瘴気領域がどこまで続いているかを確認することは出来なかった。


 渦を巻きながら景色を歪ませている瘴気を見つめていると、魂が吸い込まれそうな錯覚を覚える。幽世に住まう人在らざる者が、手招きをしているようだ。危ないと本能は理解しているが、瞳はむしろ吸い込まれるように瘴気に向けられている。近付いてはいけないと言われるだけの理由は、確かにあった。


「これが、瘴気領域か」


 ふと気が付けば、真後ろに死が寄り添っていそうな感覚がした。だが、この身体は不思議と恐怖していなかった。好奇心が疼いている。怖さを感じさせない怖さが、べっとりと背中に張り付いていた。


「……強行突破は、無理そうだな」


「って、突っ込む気だったのか!?」


 真後ろに控えていたヴェスソンが、あんぐりと口を開けていた。


「貴様、身の程を知れ! 加護のない者が瘴気領域に突っ込むなど――」


「うるせえ」


 わかってんだよ、と。ヴェスソンの頭を虫を払うように引っ叩いた。


「ご主人様なら、やりかねません!」


 心配そうに、フェリエルが後ろから抱きしめる。


「お兄さんは、瘴気の向こうに行きたいの?」


 シューカが、きょとんと首を傾げた。


「ああ。どうやら、神様の加護がねえと駄目らしい」


 ぴくりと身体を動かしそうになったが、ぐっと身体を押さえつけられる。フェリエルの心配が、締め付けの力強さで表現されていた。


「駄目ですよー、ご主人様?」


「わ、わかってるって……」


 指先くらいなら触れてもいいかなと、キッカの好奇心が疼いていた。奇妙な瘴気の囁きが、気になって仕方がないのだ。


「ヴェスソン様は、加護をお持ちですよね。瘴気を吸い込んでも問題ない、ということなのでしょうか」


「いや、違うな」


 瘴気領域に一歩近付いたヴェスソンは、漏れ出す瘴気を剣先で示した。


「厳密には、耐性が出来るわけではない。身体を覆う魔素が、瘴気を打ち消してくれるのだ。――こんな風に」


 瘴気の残り香を剣先で拾い上げ、手元に引き寄せる。そのまま、躊躇うことなく左手で握りつぶした。ゆっくりと手を広げると、瘴気は完全に消滅していた。


「要は、魔素が瘴気を喰らうようなイメージだ。真実の神ヴァルランの加護によって、瘴気に対して特効を得る。だが、瘴気領域のような高濃度の瘴気は、消しきれない。俺様たちスキル持ちも、この中には入れなかった」


「思ったより、力技な対処方法なんだな」


「そんなもんだろう。……さぁ、もういいだろ。正直、一秒だってこんなところにいたくない。俺様はもう帰るぞ」


「しょうがねえな」


 どうにもならないことは、火を見るより明らかだった。フェリエルが目を光らせている限り、強引なこともできない。


「…………」


 人知れず、瘴気領域に視線を送るものがいた。シューカ・ヘイケラーは渦巻く瘴気に、己が抱える何かと奇妙なシンパシーを感じていた。そこから自然と生まれる純粋な疑問。


「……瘴気って、ただの呪いじゃないの……?」


 その呟きは、誰の耳にも届かなかった。



 ◆

 


「――キッカ、君にこれを渡しておこう」


 父親であるバイル・ヘイケラーに呼び出されたキッカは、小さな黒箱を渡された。


「何だこりゃ?」


「ヘイケラー家では、成人する子供に真名を刻まれた装飾品をプレゼントする風習があるんだ。成人にはまだ早いが、キッカには渡しておくべきだろうと思ってな。開けてご覧?」


 言われるがまま、黒箱の蓋を開けてみる。


「……これを、オレに?」


 菊の花をモデルにした、美しい髪飾りだった。女の子らしさとは無縁のキッカだが、そのデザインに目を惹かれてしまう。


「中央の模様が、珍しいな」


「キッカのために用意した、家紋だよ。『橘花』の意味を込められた、菊文様だ。自分の存在証明に困った時に、この印を掲げればいい。家紋が、キッカの代名詞となる」


「そういや、うちの家にもなんかあったな。あれが、親父の家紋なのか」


 用意された家紋を見つめながら、奇妙な安心感を覚えていた。自分を誇示することが苦手なキッカにしては、珍しいことだった。


「そうだ。本来なら、キッカには家紋を継いでもらうのだが――君は、特別だからね。新しく家紋を作り直した方が良いと、ドランに進言を貰ったんだ。とてもいいアイディアだろう?」


「なんだか、小っ恥ずかしいな。……ちょっと待て。この印に見覚えがあるんだが?」


 疑いを込めた眼差しを、父親に送る。


「確か、狙撃銃のグリップの底に刻まれていたな。……いや、待て、剣の鞘にもあったような気がする」


「ドランが献上した品々には全部刻まれているよ。家紋の話が決まったのは、随分前のことだからね。あとはいつ伝えるかだけの話だったんだ」


 知らず知らずのうちに、自分専用の家紋を用意されていた。なるほど、不思議と馴染むわけである。


「ちなみに、キッカの衣装にも刺繍されているよ。背中とかにね!」


「――なっ!」


 慌てて確認しようとするが、流石に背中にまで視線は向けられない。


「恥ずかしいかもしれないが、受け入れて欲しい。いつか、キッカが素晴らしい大人に成長する頃に、この家紋が役に立ってくれるだろうから」


「……親バカだな、あんたは」


「自慢の娘だからね」


 真っ直ぐな好意を向けられると、キッカは何も言えなくなってしまう。歪な自分の存在を、遠ざけることなく大切にしてくれている。そのことがどれほどありがたいことかを、キッカは理解していた。


「……ありがたく、受け取っておく。菊文様とか言ったか? 気に入ったよ」


 装飾品に関心を示すようになったことに、キッカ自身は自覚がなかった。キッカとしての時間を過ごすたび、徐々に若さに引っ張られていた。キランだった頃の感覚は、次第に薄れていく。


「つけてくれよ、親父」


 笑みを浮かべながら、キッカは言う。


「わかった」


 親から子供へ、託す思い。

 自分は良き両親に恵まれたと、愛情を噛みしめる。


「……よく似合うよ、キッカ」


「照れくさいな」


「シューカのことを、守ってあげてくれよ。あの子は危うい子だから、キッカが必要だ」


「……ああ」


 髪飾りが、美しくきらめいている。


 ――『橘花』


 自らの真名を脳裏に浮かべて、家族の愛情を胸に刻む。

 


 ◆


「よくお似合いですよ、ご主人様!」


 フェリエルの弾む声が、出迎えてくれる。


「お人形さんのような整ったお顔をしていらっしゃいますもの。髪飾りに合う衣装を用意しなければいけませんね」


「いいよ、そんなもん、服なんて、動きやすければ何でもいい」


「駄目ですー! 美しさと凛々しさこそが、ご主人様の魅力の本質です。性質の違う二つの要素が、絶妙なバランスで成り立っていて……! その魅力を磨かずに放置しておくのは、人類の大いなる損失です!」


「……そ、そうか。まぁ、好きにしてくれ」


「お任せ下さい!」


 お洒落や美容に関わる話は、キッカにはちんぷんかんぷんだった。用意された衣装を、言われるがままに身に着けている。あまりにも動きづらい衣装には文句を付けるが、基本的には大人しく従っていた。


「ん?」


 はしゃぐフェリエルを見つめていたキッカは、フェリエルの腰にある家紋に意識が引っ張られた。もちろんそれは、キッカのために用意された家紋である。


「……フェリエルは、これが何だか理解しているのか?」


「当然です! ご主人様を崇め奉る紋章ですよね!」


「ちょっと違う……」


 当たり前のように、自分の家紋を身に着けている。


「私がご主人様の所有物であることを証明する刻印です。こういうの、憧れていました……!」


「……お前の趣味嗜好はよく分かんねぇな」


 気に入っているのならまぁいいかと、気にしないことにする。


「そういや、シューカはどこ行った? あいつ、夕食にも顔を出していなかっただろ」


「近頃、熱心にお勉強しているみたいです。ティルザ先生も驚くほど打ち込んでいるとか……」


「飯も忘れるほどに?」


「はい」


「……そうか。少し、様子を見に行くか」


「本当ですか!」


 嬉しそうに、フェリエルは目を輝かせる。


「とっても助かります! 私やニコライ様が様子を伺っても、お忙しそうにするのです。ご主人様であれば、シューカ様も応じてくださるでしょう」


「フェリエルはともかく、ニコライは駄目だろ。あいつのシューカに対する忠誠の尽くし方は気色悪い。成人男性が七歳児に顎で使われて喜ぶところなんて、見たくなかったぞ」


 ニコライという青年は、ことごとく見た目とは真逆の中身だと知らしめる。ポンコツだったり、ロリコンだったり……。


「あー……殿方の中には、幼女にいじめられることを生きがいとする方もいらっしゃるようですし……」


「その割には、オレには普通だよな」


「性質が違いますから。シューカ様は、小悪魔的な可愛らしさがございます。そういったところが、男性の被虐性愛をくすぐるのでしょう。対するご主人様は、威風堂々……さながら、王様のような振る舞いです」


「……誉めてるのか、それ?」


「ええ、とっても! 凛々しくて、格好良いですよ」


 思いっきり、フェリエルの好みの話である。察したキッカは、この話題を止めることにした。


「シューカのやつ、何の勉強してんだろうな」


「わかりません……ですが、お食事だけはしっかりととっていただきたいです。ただでさえ、シューカ様は食が細いですし……」


 シューカの部屋の前に辿り着いた二人は、目を見合わせる。それからキッカは一歩前に踏み出して、ノックをした。


「……おい、シューカ」


「わ!」


 キッカが名前を呼んだ瞬間、中からどたばたと激しい音が聞こえてきた。やけに慌てたような足音ともに、勢いよく扉が開かれる。


「――お兄さん!?」


 笑みを浮かべながら、シューカが現れた。額には汗を浮かべている。


「……なんだ、元気そうだな。部屋に引きこもっているって聞いたから、心配していたんだが……」


「え? あ、ごめんなさい……! わたし、集中していると外の音が聞こえなくて……お兄さんの声じゃないと、気が付かなかったかも」


「なんでオレの声なら聞こえるんだよ……」


「姉妹だもの」


「そういうもんか……?」


「うふふふ」


 ややテンション高めのシューカに、二人は面食らっていた。


「あのね、お兄さん……! たった今、出来たところなんだけど……見て欲しいものがあるの! 今すぐ、屋敷の外に行きたいわ」


「駄目ですよ、シューカ様。今日はもう、おやすみの時間です。明日にしましょう?」


「今がいいの! ね? フェリエル……今日だけは、夜更かしを許して?」


 シューカがわがままを口にすることは、滅多になかった。


「う、うーん、ですが、お館様からは、夜遊びは禁止だと言われていますし……」


「ちなみに、どこに行きたいんだ?」


「――『瘴気領域』」


 間髪入れずに、シューカは答えた。


「わ(・)た(・)し(・)、瘴(・)気(・)を(・)打(・)ち(・)消(・)す(・)術(・)式(・)を(・)考(・)え(・)た(・)の(・)! 上手くいくかはわからないけれど、早く試したくて」


「へ?」


 フェリエルは、目を点にさせた。


「あ、あの、シューカ様……瘴気を消す、と仰っしゃられましたか?」


「もちろん! お兄さん、瘴気領域に入りたがっていたでしょ? もしかしたら、闇魔術ならなんとかなるかなって思ったの!」


「……そ、そんな、簡単に……」


 魔術や瘴気について、フェリエルは詳しい訳では無い。だが、シューカの口にしたことが、七歳の少女が実現できていいものではないことだけは明らかだった。キッカといい、シューカといい、この姉妹はいつも予想の斜め上を突き進む。


「し、しかし……もし、術式が正しく機能するのであれば、私たちの手に負えるようなものではありません……ひとまず、お館様にご報告しなければ――」


 フェリエルの判断は、とても正しかった。


 だが。


「――駄(・)目(・)だ(・)、フ(・)ェ(・)リ(・)エ(・)ル(・)」


 好奇心に取り憑かれた主様が、それを許さない。


「シューカ、準備をしろ。すぐに、瘴気領域に向かうぞ」


「うん!」


 目を輝かせる、姉妹の横顔。新しい可能性を前にして、期待に胸が膨らんでいるのだ。


「お兄さんなら、そう言ってくれると思っていたわ!」


「当然だろ。バレてないうちにしか、自由に試せねえだろうからな」


 キッカとて、フェリエルが正しいことは理解していた。だが、好奇心がそれに勝ってしまった。柄にもなく、興奮に胸を躍らせている。


「……困ったご主人様ですね。後でお館様に叱られたら、庇ってくださいよ?」


 だが、フェリエルとてそれは同じ。幼い冒険心は、何者にも邪魔をすることは出来ない。彼らはまだ、成人を迎えていない子供なのだから。


「三人の秘密ね」


 子供のお遊びとは、時として残酷なものである。

 彼女たちが無自覚に行っていることは、グアドスコン王国が長年に渡って叶えられなかった悲願だった。



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