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022 悪夢の中でお仕置き


「なんなんだあの女は……!!」


 キッカに殴り飛ばされたヴェスソンは、凛々しい顔を包帯でぐるぐる巻きにされながら、憤りの声をあげていた。


「安静にして下さい、ヴェスソン。無礼を働いたのは、我々の方ですよ」


 ベッドに横たわるヴェスソンに付き添うのは、ニコライ。


「無礼だと!? この俺様の望みを拒んだあやつらの方が無礼だろう! 辺境貴族は、野蛮過ぎる……! 王都では、こんなことは一度もなかったぞ……!」


 貴族として手を差し伸べれば、相手は喜んでそれに応える。世間知らずのヴェスソンにとって、キッカの対応は衝撃的だった。


「……しかし、どういうことでしょうね。『気体化』したヴェスソンを殴るだなんて……常識では、ありえません」


「決まっている」


 恨みの籠もった声色で、ヴェスソンは言う。


「あの女もまた、スキル持ちだろう。そうでなければ、説明がつかん!」


「まさか! あの子はまだ、十歳ですよ。選別の儀式を受けていないのです」


「スキルの隠匿は重罪だが、それは十二歳以上に限られる。何らかの方法でスキルを身につけている可能性が高い。十二歳未満なら、罪に問われることもないからな」


「……しかし、選別の儀式を使わずにスキルを手に入れるなど……いや、でも、そうでなければヴェスソンを殴れるはずがありません。何か、カラクリが……」


 彼らは、全く理解していなかった。


 ヴェスソンを殴る際に、キッカはスキルを使ってはいない。ただ、全力で魔素を練り上げ、殴り飛ばしただけだ。キッカの拳は、空気すら叩き潰す。ただ、それだけのこと。


「……この借りは、必ず返してやる。キッカ・ヘイケラー……覚えたぞ、貴様の名前を……!!」


「へー」


 それは、唐突に現れた。


「お兄さんを、あなたたちが? それは、何の冗談かしら」


「……え?」


 部屋の窓に寄り添いながら、微笑む少女。シューカ・ヘイケラーが、艶やかに二人を眺めていた。


「い、いつのまに!? いや、どうやって?」


「ここは、わたしの箱庭よ? 世界で一番、悪巧みが出来ない場所」


 ヘイケラー家の屋敷には、闇の術式が刻まれていた。シューカの能力を掛け合わせることで、彼女は影を通して屋敷内を自由自在に移動可能である。もちろん、索敵や探知能力も備えており、キッカに殴り飛ばされた二人を彼女は監視していた。


「聞いちゃった」


「……っ!?」


 魅惑の笑みとは裏腹に、身の毛がよだつほどの邪悪な魔素を漂わせている。少女の声色とともに、「かたかた」と何かが合わさる乾いた音が部屋に響く。それが自らの歯が震える音だと、彼らはまだ気が付いていない。恐怖そのものに喰われたまま、現状を理解できていないのだ。


「――いけないんだ」


「あ……」


 この時、ヴェスソンは深淵を覗き見た。少女の裏側にある、この世の理の果てにあるもの。根源を司る悍ましき存在と、目が合ってしまった。


「あ、ああああああああああっ!?」


「くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす」


 目の前にいるのは、少女が一人。

 なのに、少女は無数の何かを従えている。


 くすくすと笑う声が、幾重にも重なって部屋中に満ちていく。


「に、逃げ――」


 ニコライは、剣を抜いてヴェスソンを逃がそうとした。だが、恐怖に包まれた身体は、ぴくりともしなかった。


「――『影縛り』」


 自らの影が、主に逆らって動きを縛る。当然、動けないのは横になっていたヴェスソンも同じだった。


「赤毛のヒツジさん」


「……ひ、ひぃっ……!?」


 少女の形をした化物が、ヴェスソンの上に跨った。彼女が指先をヴェスソンに向けると、影はヴェスソンの衣服を切り裂いて、筋肉質な身体を剥き出しにさせた。


「女の子をご所望なら、わたしが相手になってあげるわ」


 艶めかしい指先が、ヴェスソンの筋肉を優しく撫でた。その瞬間、言いようのない恐怖がヴェスソンを襲う。


「あ、ああああああああっ!?」


「感じているのかしら?」


 指先から注がれていたのは、理不尽な死のイメージだ。紫黒に煌めくシューカの瞳は、彼らに底しれぬ絶望を見せていた。


「とくん、とくん、心臓が震えているね。真っ赤な心臓が、頑張っているの。聞こえる? この音……少し、耳障りじゃない?」


 ヴェスソンの心臓の位置を、指先でなぞる。中心部を見つけたシューカは、とんとんと、ノックする。


「もしもし、ヒツジさん。あなたは悪い子? それとも、良い子?」


「あ、ああ、あああ……っ」


 未曾有の恐怖に包まれたヴェスソンは、涎を垂らしながらシューカを見上げていた。そのときようやく、自分が喰われる側の存在だと理解したのだ。


 シューカの顔が、覆いかぶさる。耳元で、嘶きが鼓膜を撫でる。


「ヒツジさんの心臓って、とっても美味しいの。知ってた?」


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!」


 耳元に、化け物がいる。

 動けないヴェスソンは、ゼロ距離に潜む絶大なる悪意に耐えきることが出来なかった。


「……あら?」


 泡を吹いて気絶する、ヴェスソン。


「これからなのに……もう、ギブアップ?」


 まぁいいか、と。

 すぐにヴェスソンの上から降りる。


「ねえ、ニコライ様」


「……は、はひっ!?」


 少女の秘事を目撃していたニコライは、名前を呼ばれたことで心臓が飛び出そうになっていた。咄嗟に、胸の部分を抑える。


「わたしのお兄さんに手を出したら、許しませんからね。今夜のディナーは、ヒツジの踊り食いになってしまいますよ」


「あ、は、ひ……ふ、ぁ、……!!」


 ニコライは、言葉の発し方すらわからなくなっていた。


「まったくもう、お兄さんは手加減が過ぎるのです。バカばっかりなのですから、このくらい可愛がってあげないと」


 ぺろりと舌を出して、可愛こぶる。


「警告をしておきますと……お兄さんは、わたしよりも遥かに強いんですよ? わたしなんて、肝試しをしかけるのが精一杯の、どこにでもいる普通の闇魔術師なのですから」


「……!!」


 がくがくと、首を縦に振るニコライ。


「じゃあ」


 彼女の指先が、何かの術式を紡いだ。


「――おやすみなさい、二匹のヒツジさん。朝が来たら、悪夢は終わります。怖い夢は、忘れてしまいましょうね」


 ぱっと、光が失われた。


 屋敷は、深い闇に包まれる。



 ◆


 翌日、当主であるバイル・ヘイケラーは目を丸くしてその光景を見つめていた。


「おはようございます、シューカ様」


「お、おはようございます……ニコライ様」


 引き攣った笑みで挨拶するシューカと、片膝をついて畏まるニコライ。不思議な組み合わせの二人が、昨日とはまるで誓う距離感で登場した。当然、バイルは困惑に包まれる。


「……に、ニコライ殿?」


 王国直属の騎士が、七歳の貴族の少女に傅いている。この光景は、何?


「な、何かあったのか……?」


「夢を見たのです」


 ニコライは、胸に手を当てて語る。


「高貴なるシューカ様が、私を見下すのです。未熟な私を罵倒し、叱咤して……その冷徹な眼差しに、私は感動を覚えてしまいました。朝起きた私は、雷に打たれたような感覚に包まれたのです」


「……は?」


「シューカ様こそが、私が仕えるべき主だと確信しました! これはきっと、天啓なのです――!!」


 自分の物語に酔っている、ただただ痛い成人男性であった。しかも、相手が七歳の少女なのだから、なおさらたちが悪い。


「どうしてこんなことになったのかしら? もともと、そういう性格だった……? もしかして、ロリコンなの……?」


 ぶつぶつと独り言を繰り返すシューカ。ニコライの変わりっぷりは、彼女も予想外だった。


「記憶の削除の影響が、裏目に出たのかしら。ああ、失敗したわ……」


 はぁ、と。深い溜め息をつくシューカ。


「シューカ様を見つめていると、心臓がどくどくするのです。まるで、心臓を握られたような感覚……! これは、何でしょう!? いいえ、わかっています。これこそが、敬愛なのだと!」


 命を脅かすほどの恐怖した体験が、ニコライに壮絶な勘違いを引き起こしていた。傍から見ると、幼女に興奮している変態にしか見えない。


「あなたはもう、下がっていなさい。息が荒くて、気持ちが悪いわ」


「は、はいっ……!」


 蔑む言葉だが、何故か嬉しそうなニコライ。嬉々として、退散していく。


「シューカよ」


 父親は、呆然としながら言う。


「――婿の心配は、必要なさそうだな?」


「やめて」


 本気で、父親を睨みつけていた。殺気が込もっていたのも、仕方があるまい。



 ◆


 シューカの警告をまるで予想外に受け取ったニコライとは違い、ヴェスソンは狙い通りの反応だった。先程のシューカとニコライのやり取りを、扉の隙間から覗き込むヴェスソン。冷や汗を掻きながら、シューカの様子をちらちらと伺っている。


「……何やってんだ?」


「ひぃ!」


 真後ろからキッカが呼ぶと、裏返った声が飛び出した。


「き、き、き、貴様、貴様かぁ……! 驚かすのではない……!」


「何をそんなにビビってんだよ」


「き、貴様の妹のことだ! あれ、何なのだ?」


「あ?」


 ヴェスソンは昨夜の夜這いを覚えているわけではない。記憶は喰われ、感覚だけが残っている。本能が、シューカの近くにいることを恐れているのだろう。


「へ、変な夢を見たのだ。あまり覚えてないが、とにかく恐ろしい夢だった。本能が、訴えているのだ。あれは、化物だと……!!」


「知らねえよ。だらしねえやつだな……」


 はぁ、と。

 呆れるように、ため息をつくキッカ。


「よくわからねえが、気立てのいいよく出来た妹だよ。あんま、不快な言葉を向けるんじゃねぇぞ? 家族を悪く言われるのは、好きじゃねぇんだ」


「……っ!!」


 ぎろり、と。ヴェスソンを睨みつける。


「わ、わかった! わかったよ! 俺が……悪かった。昨日までの非礼は詫びよう。まさか……貴様が、それほどまでに強いとは思わなかったんだ」


「強い弱いの問題じゃねぇだろ。そこんところ、勘違いすんじゃねーぞ」


「あ、ああ……! その通りだ。俺も、少し焦っていたんだ……こんなところに左遷されて、くそっ……! 自分が一番、強いと思っていた……! だから、何をしてもいいって……思い込んで……!」


「難儀なやつだな」


 昨日の一件で、ヴェスソンはパニックを引き起こしている。彼の尊大な態度は、自身の性格によるものではなく、それが正しいとされてきた環境によるものだとキッカは察した。


「強さこそが正義というのが、ラーネリード家の家訓だったのだ。は、ははは、笑わせてくれる……十歳の女にすら、俺様は勝てやしない。いや、他の誰がお前に勝てるんだ? お前は本当に、人間か……?」


「……自分より強いやつがいることが、恐ろしいのか?」


「そうじゃない! 弱いと思っていたやつが、強かったことが怖いのだ……! その気になれば、お前はいつでも俺を屈服させられたはずだ! それなのに、揉め事が起きるまで何もしなかった。その余裕が、惨めにさせる……!」


「へぇ?」


 興味深いなと、キッカは思わず笑みを浮かべていた。どうやら、ヴェスソンはただの傲慢なお坊ちゃんではなさそうだ。敗北から、学ぶことが出来る。


「だったら、今度から強さを誇示するのは止めることだな。そんなもん、後で虚しくさせるだけだ。心が弱いお前には、フェリエルはまだ早え。あいつは、オレのもんだ」


「……っ!」


 ぐっと、言葉を呑み込むヴェスソン。


「わ、わかってる、そんなことは……!!」


 悔しそうに唇を噛み締めながら、背を向ける。


「――だが、忘れるなよキッカ・ヘイケラー! ナイトメアを潰すのは、俺たちの役目だ。加護なしのお前たちには、限界がある。今は俺様のことを見下しているのだろうが、絶対に見返してやろう……!」


「そいつは楽しみだ」


 逃げるように、立ち去っていくヴェスソン。だが、彼はまだまだキッカという存在を理解していない。加護があろうとなかろうと、対策を用意していないわけがない。


「……ん?」


 向かって右の曲がり角の影に、人影が見える。視線に気が付いたのか、彼女はゆっくりと姿を表した。


「フェリエルか」


「は、はいっ……! お、おはようございます……!」


 顔を真っ赤にさせたフェリエルが、もじもじと上目遣いにキッカを見つめていた。


「どうした?」


「いえ! あ、あの……その」


 嬉しさを噛み殺したような表情だった。


「あいつは、俺のもん……って」


 ぼそり、と。本当に小さな声で、フェリエルは呟いた。それは、先程のキッカの言葉だ。


「……ん?」


 なんてことのなさそうに、キッカは首を傾げる。それからフェリエルに近付いて、目を合わせて言う。


「――お前は、オレのもんだろ。間違ってるか?」


「~~~~~~~~~~!!」


 自分を見上げるキッカの表情が、あまりにも凛々しすぎて。フェリエルの心臓は何度も脈動し、たまらなく身体を火照らせる。


「それ」


 震える指が、キッカを指して。


「他の女の子に、しちゃだめです。私にだけにしてください」


「……何か、変だったか?」


「はい、変です」


 フェリエルは、目をそらして言う。


「……男の子みたいに、格好いいんですもの。ご主人様は女の子なのですから、そんな顔を見せちゃだめです。特に、女の子には」


「おかしなことを言う」


 くしゃりと、笑って。


「どっちだろうが、変わんねえよ。これが、オレの顔なんだからな」


「……もう」


 顔を赤らめるフェリエルは、これ以上は何も言えなくなってしまう。

 幼い少女二人の間に芽生えつつある何か。

 中身を確かめることもせずに、ただ幸せを噛みしめる。


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