14. げきせんご の よふけ
5日目
よろしくお願いします。
残酷な描写があります。また、ホラー展開があります。苦手な方はご注意ください。
ドルフ王国軍による渡河作戦は、戦闘自体にはさほどの苦戦は無いものと見込まれていた。
ドルフ王国側は総勢5万6千、それに対して川の対岸に布陣するルシアン伯爵と近隣の小領主達の軍は、多く見積もっても2千程度。
数で圧倒的に勝っている上、正面からの渡河部隊と浅瀬を迂回しての別動隊による挟撃で、苦も無くすり潰せる敵と思われた。
これに対するルシアン領軍は、正面の渡河部隊に対し矢の雨で応戦するものの、圧し進んでくる厚い壁のようなドルフの軍勢に止まる気配は無い。
そうして渡河部隊がルトリュー川の中程を越えたあたりで、ルシアン領軍は一斉に遁走を始めた。
抵抗が止んだことで勢いに乗ったドルフ軍は、渡河を完了した部隊から次々突貫、怒涛の勢いでルシアン領軍を追撃した。
ルトリュー川からウェイジャン市までは広大な田園地帯が続く。
その中を一目散に逃げるルシアン領軍に、
「跳べぇ!!」の絶叫が走る。
そのルシアン領軍を、気負い立って遮二無二追いかけるドルフ軍先鋒の足下が突如沈んだ。
足下にあったのは、畑の柔らかい土に数百mに渡って横一文字に掘られた、深さ50cm幅1m程の長大な暗渠。
上に藁や木の枝をかぶせて隠された溝に先頭の騎馬が足を取られて転倒し、そこに後続が勢いのまま次々激突し、ドルフ軍先鋒は支離滅裂の有様となった。
前方の混乱に気づいて立ち止まる後続の部隊の目の前で、溝を飛び越えたルシアン軍が、一斉に左右に分かれて逃げて行く。
何が起きているのかと一瞬戸惑ったドルフ軍は、敵軍勢が捌けたその先に、一列横隊に並んで今にも詠唱を終えようとしている魔法使い達の一団を目の当たりにして色を失った。
「放てぇえええええぇぇええええっ!!」
部隊長の号砲一閃。
「1発に全魔力を集中せよ、2発目以降は考慮するな」との命を受け、ありったけの魔力を込めた火球が、風刃が、氷槍が、雷弾が、至近距離からドルフ軍の前線を貫く。
馬はなぎ倒され、兵卒は吹き飛ばされ、一瞬にしてドルフ軍の先鋒部隊は消滅した。
そこへ、近くの森から飛び出して来たルシアン伯爵率いる別動隊1千が横から突撃した。
追撃で陣列の伸び切った側面を斬り裂かれ、ドルフ軍の中に混乱が渦巻く。
こうなると大軍はかえって始末が悪い。
統制を乱して敵の刃を避けようと逃げまどう兵卒達に命令は届かず、応急の指示は前後して混乱を助長した。
さらにその乱戦を目がけて、好機と見て戻って来た近隣の小領主勢1500が襲いかかった。
怒号と叫声と悲鳴が木魂する戦場を、ルシアン軍が当たるを幸い荒れ狂う。
この攻撃を受けて、ドルフ軍の先陣を務めていた元アト王国のベリアン侯爵勢6千は為すすべ無く壊乱。
後続のドルフ王国ハウスク子爵勢2千が駆けつけ、戦線の崩壊を必死に押し留める有様となった。
渡河を完了したドルフ王国軍本陣が先鋒を救うため総突撃をかけようとするも、その気配を機敏に察したルシアン勢は素早く兵を取りまとめて撤退にかかった。
ルシアン領軍はそのまま領都ウェイジャン市まで退却し、ドルフ王国軍はルトリュー川の川岸に布陣しそこで部隊の再編に取りかかった。
そして、異変はその夜も、ドルフ王国軍の陣内にて発生した。
まずは夕食時、テーブルに着いたベルマ王が瓶から酒を注ごうとすると、その瓶の口から大量の黒いものが流れ出た。
驚きながらも確認すると、それは人の長い毛髪。
毒でこそなかったものの、国王陛下の口にするものへの注意を怠ったということで、給仕及び調理に当たった兵が処罰されることとなった。
一方で、報告の上がっていたここ数日の異様な現象がついにベルマ王の身の回りでも起こり始めたということで、陣内の空気は一層張り詰めたものになっていった。
そして夜半。
消灯時間が近づき、待機番の兵達が各々の部隊の就寝場所に戻ろうとしていた時のこと。
1人の兵卒が、横を歩いていた小柄な兵の足首に、何やら黒く長い紐のようなものが巻きついているのに気がついた。
注意しようと声をかけた次の瞬間、その兵は突如足首に巻きついていた紐のようなものに引っ張られ、悲鳴を上げながら闇の中へ引きずり込まれていった。
この一件は周囲にいた多数の兵士が目撃しており、これを機として闇を、カプーラ市から追いかけて来ているという噂の何者かを恐れる声が陣内に蔓延した。
その場にいて一部始終を目撃した兵卒は後に語る。
「闇に引きずり込まれた兵の足に巻き付いていたもの、あれは黒く長い、人の髪ではなかったか」と。
続いて、夜更けを回った頃。
ドルフ王国側の調略に応じて寝返りを果たし、現在侵攻軍と行動を共にしているアト王国貴族ベリアン侯爵。
日中の戦で甚大な被害を受け、周囲には騎士も兵卒も入り混じって泥のように眠るベリアン侯爵の天幕の前で、突如絶叫が上がった。
聞きつけた見張りや飛び起きた付近の兵達が駆けつけると、そこには天幕から転がり出て腰を抜かしているベリアン侯爵の姿があった。
伯爵の話によれば、就寝中に突然息苦しさを感じて目を覚ますと、目の前に黒髪を振り乱し、青白い顔の女が凄まじい恨みの形相で自分の首を締めつけていたのだという。
当然、兵達は天幕内をくまなく確認するも、中にはこれといった異常は無し。
ベリアン侯爵が叫び声を上げた直後でその場から人が逃げる隙など無かったにもかかわらず、天幕の中に人の姿は無かった。
その旨を伝えるも、間違いなく女を見たと主張するベリアン侯爵に対して夢か見間違いだと断ずるわけにもいかず、兵達は一様に困り顔を浮かべるのだった。
その時、集まった兵達の中から微かに声がした。
その誰が言ったのかわからない「……ダッセェ」という言葉は、一瞬静まり返った中で、その場にいた全員の耳に確かに届いた。
数秒後、その言葉の意味を咀嚼したベリアン侯爵は激昂。
今言った者は名乗り出よと怒声を上げるも、自ら出ていく者などあるわけもなく。
結局侯爵は怒りにまかせて、その場にいた兵士全員を不敬という名目により処罰した。
この件が知られたことで、兵達の間では祟りへの恐れとともに、ベリアン侯爵のみならずドルフ王国軍の上層部に対する不満が高まっていくことととなる。
侵攻軍首脳部はこの現状を危険と見て、「日没後はこれまで以上に周囲を警戒すること」「暗くなったら決して1人にはならないこと」を陣内に下命。
しかしこのことでさらに兵達の間に「上層部が、この陣内に祟りが起きていることを正式に認めた」という噂が一斉に広まってしまう。
これによりドルフ王国軍内では、さらなる士気の低下と厭戦気分を招くことになってしまったのだった。
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