24. せんじょう の きょうふ
よろしくお願いします。
残酷な描写があります。ご注意ください。
「よし、次」
顔面をすり潰した傭兵達を大通りに放り出し、味方がやられたと気づいた敵兵達が駆け寄るのを横目に見ながら、僕達は次の現場へ向かう。
そうやって僕達は、街中に散らばっている敵兵達を掃討して回る。
少人数で行動している敵兵を見つけて襲い、わざと殺さないように痛めつけた上で、敵の本隊が見つけるように放り出す。
これは以前実家にいた際に会った傭兵団の『ライオンズシックル』の人達に聞いたこと。
戦場では死も怖いけど、それ以上に恐ろしいのが苦痛。
死はいずれ終わる。
その瞬間までは苦しくても、意識がなくなれば楽になる。
でも痛みは続く。
怪我の程度にもよるけど、重い場合は地獄の苦しみが延々と続く。
戦場では治療だってままならない。
ポーションや回復魔法だって、決して万能ではないのだ。
そして何よりも、負傷して手や足を失ったり、視力を失ったりしてこれまでのような生活が送れなくなること、これが何よりの恐怖なのだそう。
もちろん怖いものは人によって違うのだけれど、それでもこの「死よりも痛みが怖い」「激痛を長時間味わい続けるくらいならひと思いに死んだほうがまし」という意見が多かったのは事実だ。
かくいう僕も一緒である。
猫として1度死んでいる僕だけれど、前世では年を取って死んだので、苦痛のようなものはほとんど無かった(というよりも、意識が朦朧としていたのでよく覚えていないというのが正確)。
そういう、ある種漠然とした恐怖である死に対して、苦痛というのはとても現実的な恐怖なのだ。
当然僕も今でも、痛いというのは非常に怖い。
それがあるから僕の戦い方は、可能な限り自分や味方に被害が出ないように作戦を立てているのだ。
卑怯姑息なんのその。
そんなに怖いんなら傭兵や冒険者なんてやるなやなんて言う人もいるかもしれないけど、まあそれはそれ、これはこれというやつである。
ちなみにこの話を聞いた際『ライオンズシックル傭兵団』の人達は、「俺が負傷したら清潔な手で丁寧に扱うんだぞ」「戦闘中にそんな暇あるか、適当に物陰に移して超染みる薬草汁ぶっかけといてやる」「そいつは勘弁」なんて言い合って笑っていた。
まあそんな感じで、傭兵にとって苦痛がとても怖いものであるというのなら、当然それを敵にやらない手は無いわけで。
目の前で誰か(特に味方)が重傷を負ってもがき苦しんでいるのを見るとか、もし自分がああなったらと思うとこれもかなり恐ろしいものだ。
閑話休題。
口の中に青ボトルの薬品を流し込んだ傭兵を通りに向けて蹴り出し、両目に木杭を突き立てた敵兵を敵本隊から見える場所に放り出し、タイタニックアダーの牙の短剣で頬を斬り裂いて毒の激痛に悶える斥候を人目につくように叩き出す。
この頃になるとさすがに敵も様子がおかしいと気づき出したようで、防衛線の他に周囲の警戒もし始めた。
一方で防衛線の方も、追い詰められて絶体絶命の状態。
急ごしらえのバリケードは半壊。
東門と北門からの増援を合わせて300人程はいたはずの防衛線も、今や半分以下に数を減らしている。
南門防壁の上にいた防衛部隊はほとんどが討ち取られるか潰走し、内側から防壁に登った敵がそれを追撃して東門方面に向かっている。
敵は東門と北門にある程度の抑えの部隊を残し、残りはほぼ全隊がここ南門から町への侵入を果たしたと見られる。
僕達が散兵を仕留めて回っているのも、僕達が街中を回っているうちに散らばっていた味方も合流してきてこちらも30人近くまで増えているのも、敵の主力から見れば焼け石に水だ。
もはや防衛線が崩壊して町が制圧されるのも時間の問題。
ゼッタさんはまだ生きてるだろうか。
急がないと。
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