動乱前夜(ユベント伯爵ルキーノ)
またすぐ王都に戻る破目になってはかなわないので数日待機したが、少なくとも近々に再度臨時貴族院を招集するということにはならなさそうだとの話で、帰領の途についた。
「おとーさま!」
夕方、馬車から降りると、玄関にはフローラと子どもたちが並んで待っていた。
長女のアンリエッタが、飛び出してくると、全力で抱きついてくる。
ワンピース姿で身軽にジャンプして、私の首に両腕を、胴に両足を巻き付けてくる全力っぷりで、さすがにフローラがお行儀が悪いですよと叱る。
えへへと照れ笑いしながらアンリエッタが降りると、次に姉の勢いに気を呑まれていた長男のダヴィドをアンリエッタが抱き上げて私に渡す。
私がダヴィドを右腕で抱き上げると、とことこと寄ってきた次男のエドアルドもアンリエッタが渡してくるので左腕で抱く。
両腕がダヴィドとエドアルドで塞がったところでアンリエッタは私の背にまわり、今度は後ろから飛びついてぶら下がってくる。
おかえりなさい、とフローラが半分呆れて笑いながら近寄ってきて、子供たちごと私を抱くと、頬に互いにキスをする。
抱き返せないのが残念、と思う暇もなく、エドアルドが剃っている頭の感触をぺちぺちと確かめたり、ダヴィドが髭を触ろうとしてくる。
子どもたちをあやしながら館に入り、きりがよいところで下りてもらって、早めに風呂に入る。
私の好物ばかり並んでいる食事を5人で摂った。
やはりフローラと子供たちと過ごす領の館が一番落ち着く。
王都であったことをフローラに話せたのは、興奮した子どもたちをどうにか寝かしつけ、私達の寝室のベッドに入ってからだった。
いつものように私が枕の下辺に沿って左腕を伸べ、フローラに腕枕をするかたちで寝そべると、寄り添ってくるフローラをゆるく抱く。
フローラの身体はどこもかしこも柔らかく、ふわふわとして心地よい。
今日は早く寝た方がと勧めてくれたが、妙に眼が冴えていたので、眠くなるまでと思いながら、まずは陛下の案が流れたこと、先々代大公閣下の演説の顛末、陛下ご夫妻の確執、財務大臣派と宰相派、革新派の行動と思惑等々、気がついたら主だったことを話してしまった。
「……陛下ご夫妻が、人目があるところで殴り合いだなんて……」
フローラの一番の関心はやはり陛下ご夫妻の確執のようだ。
同じ時期に学園に通っていたのだし、ご夫妻が身近に感じられるからだろう。
「そうだな。
陰で身内に暴力を振るっている家もあるだろうが、表に出すことはまずないからな……
ああそうだ、妃殿下は護身術もお得意だったのか?
陛下の指の骨が2本も折れていた話が気になったんだが」
フローラが懐かしげな眼になって学園時代を思い返す。
「どうだったかしら。
馬術の授業では、男子でもためらうような濠や障害もぽんぽん跳んでいらしたけれど。
でも、1年生の必修の護身術の講義は、見学してらしたような……
そうそう、令嬢に荒事はふさわしくないし、自分には護衛がずっとつくのだから必要ないと仰っていたわ」
妙だ。
潜在的な危険を先読みし、先手先手を打つ妃殿下なら、責任ある立場となることがわかっているからこそ護身術に励みそうなものである。
フローラも言っていて自分で不思議そうな顔になり、2人同時に思い当たった。
「……既に護身術に熟達していたから、どこまでやれるか手の内を見せたくなかったのでは……」
「……そんな気が、わたくしもしますわ……
それにしても、わたくし達、暴漢に腕や身体を掴まれたときには、相手の指を一本握って曲げられない方向に引き剥がすと効果的だと習ったけれど、なぜ2本折れていたのかしら……」
指とはいえ、成人男子の骨を二本同時に折るのは女性の力では難しい。
一本折られたら、痛みに不慣れな陛下はひるまれただろう。
ひるんだ陛下の指を、さらにわざと折りにいったのだろうか。
「それにしても、陛下はどうされたのかしら」
「ん?」
「学園時代も、考えが足りないことをされる方ではあったけれど、一番酷いことは隠されていたのに、あの頃よりもっとめちゃくちゃ。
むしろ、子供っぽくなられているような……」
少し眠くなってきたような声で言いながら、フローラは私の胴に腕を回しなおす。
フローラ曰く、私の身体はもちもち?して、抱くと気持ちが良いらしい。
ふわふわともちもち。
お互いに食べ物のような表現だが、そこは気にしないことにしている。
「妃殿下にかばわれてばかりで、結局君主として成長していらっしゃらないのかもしれないわね……」
ゆるっとしたフローラの呟きを聞きながら、私は眠り落ちた。
急な王都行きで後回しになっていた雑事を片付けたり、領内の視察に出たりして10日ほど経った早朝、王都の本邸から早馬が来た。
槍の鍛錬をしていたところに伝令が駆け込んで来たので、そのまま王都の家令からの手紙を受け取る。
陛下がご悩乱のため、急遽隠居!?
とりいそぎ摂政をギヨーム殿下とし、近日中に立太子を行い、続いて国王に即位……!?
信じがたい知らせに、手紙を取り落としそうになった。
だが陛下ご悩乱の翌朝、王宮のバルコニーに、ギヨーム殿下、父・王兄殿下、グイド殿下、宰相以下閣僚と主だった王宮貴族が並び立ち、王都の民に直接語りかけて告示したことだそうだ。
「ご悩乱とは、どういうことだ?」
「なんでも、侍女に手をつけようとされたところ、侍女が陛下ご乱心と叫んだため護衛が駆けつけ、陛下が暴れられたあげく御身を傷つけようとされたので、皆で取り鎮めたそうです。
侍医が鎮静剤を与え、お眠りになったところで青の離宮にお移ししたと……」
慌てて従僕が運んできた水差しの水を、直接飲み干しながら伝令がどうにか答える。
青の離宮とは、数代前の国王が隠居のために建てられた塔で、出入りを制御しやすいことから主に王族を蟄居させる際に使われている。
要は軟禁だ。
まさかギヨーム殿下が直接そのような話を民衆にされたはずもなし、どこからその話が入ったのかと訊ねると、どこからかはわからないが王都は上から下までその噂でもちきりだと答えた。
見聞きしたことを漏らさない誓約をした者で固められているはずの、陛下の私室近辺で起きたであろう事件の詳細が、なぜそんなに早く広がっているのか。
ギヨーム殿下や王兄殿下が、正当性を主張するために陛下の非道を広く知らせるべきだと考えたのかもしれないが、国内外に対する王室の体面というものもある。
ここまで身内の恥を晒す必要があったのか、引っかかる。
王都は風雲急を告げているようだが、領地にいては情報も遅く、断片的である。
王都と往来のある商人達に聞き取りをしつつ、近隣の領主とも連絡を取りあい、陛下隠居で収まるならまた臨時貴族院が開かれるだろうから、王都行きはその招集待ちで良いだろうという話になったその翌々日、今度は夕食が済んだあたりでまた早馬が来た。
子どもたちと侍女を下がらせて手紙を開き、思わずのけぞる。
「……陛下が離宮を脱出され、近衛師団に命じて王宮を制圧し、ギヨーム殿下と王兄殿下を捕縛、投獄されたそうだ。
宰相、外務大臣も近衛師団が捕縛。
財務大臣ら他の閣僚は逃げ、グイド殿下の消息はわからないらしい。
王立騎士団は動かず。
アウグストについては書いてないが、財務大臣が逃げたのなら、まあ逃げているだろう」
逆クーデターだ。
なんてこと、とフローラが息を引いて、手をもみねじる。
近衛師団が動いたということは、両殿下捕縛の際に小競り合いくらいは発生した可能性が高い。
「あなた……いかがなされますか?」
「ううむ……」
前回の臨時貴族院を退出する直前の、陛下の姿を思い出す。
いらだちと憎悪の入り混じったどす黒い感情を剥き出しにして我々を睨まれていた。
一度、陛下は軟禁から逃れている。
両殿下を生かしておけば、自分と同じように誰かに手引きされて脱出し、今度は自分の首を獲りに来るとお考えになるだろう。
両殿下だけでなく、捕縛された閣僚や両殿下を支持した者の命も危ない。
「出るか」
これから始まる可能性が高い粛清を防ぐためには、近衛師団と対抗する別の勢力が王都に集まらねばならない。
国外の敵と戦うための王立騎士団は、誰が国の主となるのか決まるまで動けないだろう。
この国の領主として、こんなことは到底支持できないと武をもって示さねばならない。
さすがにないだろうと思いつつ万一内乱となった場合に備えて、国境の守りを普段より厚くする一方、領内の騎士団をできるだけ領都にかき集めていて良かった。
といっても、今動かせるのはせいぜい百騎だが。
「い、今からですか?」
フローラが真っ青になっている。
今にも倒れそうで、思わず抱きしめて髪を撫でた。
フローラがよく子どもたちにするように背中をとんとんとする。
上体を少し離して、涙がいっぱいに盛り上がっている眼にキスをし、頬や額にもした。
「大丈夫だ。もし王都に着いた時にどうにもならない状況であれば、陛下に恭順の意を表すために来たと言い張る」
「あなたはまたそんなことをしれっと……」
くぐもった声で恨めしそうにフローラは言うと、ぎゅっと抱きついてくる。
私とてこうしていたいが、すぐに支度を始めねばならない。
離れようとすると、逃すまいとするように背に回した腕にさらに力を籠められた。
フローラに捕まったまま、部屋の外に声をかける。
「伝令! 王都に向かって使者を走らせ、各領に我が騎士団の通行許可をとれ。
通行理由は、王都警護のため。
別途、騎士団に至急王都へ向かうと知らせろ。
国境門は別命あるまで閉鎖せよ」
は、と従僕が飛んでゆく。
深夜、我々は王都に向けて出立した。
昨日の更新分でまたブクマを頂戴してしまいました。
感謝です!