かぼちゃの馬車の中(ユベント伯爵夫人フローラ)
槍を構え、悪龍を退治する騎士を図案化したユベント伯爵家の紋をつけた馬車は、いち早く王宮を離れ、伯爵邸へと向かっていた。
私、フローラ・ユベントと「リリアナ嬢」──「古い友人」としてグイド殿下に説明した、故アナベラ・リーンハイネ嬢のお兄様の次男で、アナベラ様の甥に当たる14歳の少年、ハンス・リーンハイネ──は、テンションがおかしくなったあげくの笑顔を360度振りまきながら馬車に乗り込み、乗り込んだ途端、糸が切れたようにぐったりと座席にもたれた。
アナベラ様は一代男爵の娘で、平民として王立学園に入学した後、今の陛下、当時の王太子殿下の「恋人」と目されるようになり、学園に波乱を巻き起こしていた方である。
1年生の冬に退学されていたが、翌年春、たった16歳でお亡くなりになっていたと私が知ったのは去年のことだ。
「まさかあそこまで目立ってしまうだなんて…」
「……僕、何度ももう駄目だと思いました……」
私も王都の社交にはいまだに不慣れだが、事前に十分準備したとはいえ、ドレス姿で初めて王宮に上がり、陛下と妃殿下に拝謁した上に、ギヨーム殿下と踊って注目を集めたハンス君の負担はその比ではない。
さきほどまで薔薇色に染まっていた頬は、ほとんど灰色に見え、顔をほぐそうとするように両手でこめかみを揉んでいる。
社交に出て、笑顔を貼り付けまくると、顔がおかしくなるのよね……
身体を締め付けるコルセットを緩め、本来の姿に早く戻してやりたいけれど、急な検問など不測の事態が起きて中途半端な姿を見られたりすると大変なことになるので、屋敷に着くまではこのままでいてもらうしかない。
「と、申しますと………なにが起きたのですか?」
わたくし達に向かいあって座った、「リリアナ嬢」を見事に仕立て上げた侍女、エリザが首を傾げる。
ハンス君は物憂げに口を開いた。
「まず、謁見の間でクズ陛下にめちゃくちゃ見られた」
「はい?」
クズ陛下、という表現は不敬も不敬だが、咎めないことにしている。
わたくし自身は口にすることはないが、ドクズ陛下くらいには思っている。
正直、ドクズでも足りないが。
それだけ?とエリザがさらに首を傾げる。
「挨拶の流れを止めて、まわりが変な空気になるくらいまで。
あれはアナベラ叔母様を思い出したっていうより、僕のこと、隠し子だと思ったんじゃないかな……」
「え、やっぱり!? さすが私のメイク!わたし最高!!わたし天才!!!」
エリザが片腕でガッツポーズをキメ、わたくし達はぱちぱちと拍手する。
もともとわたくしは、アナベラ様が描き残された絵からドレスを仕立て、それをまとったリーンハイネ家ゆかりの令嬢をデビュタント・ボールに出すことを考えていた。
でも、間が悪いことにアナベラ様のお兄様の子は、皆、男の子で。
どうしようとなった時に、もし今年のデビュタント・ボールに自分が16歳の令嬢として出れば、アナベラ様との間に隠し子がいたと勘違いさせることができるかもしれない、それで陛下の肝を冷やしてやろうと言い出したのはハンス君であり、見事化けさせたのはエリザである。
わたくしとしては、陛下の肝を冷やすにしても、隠し子路線ではなくアナベラ様そのものを再現したかったのだけれど、ハンス君は髪や瞳の色、目元などはアナベラ様とよく似ていたけれど、顔の輪郭が違いすぎて、どうやっても再現と言えるレベルまで似せることができなかったのだ。
化粧で寄せやすいのは陛下の方だったので、輪郭を似せ、顔の印象を大きく左右する眉と泣きぼくろを陛下のお顔から写し、隠し子っぽく仕立てることになった。
ちなみにエリザの着想で、眉も泣きぼくろも左右反転させて描いている。
陛下に、鏡で見慣れた自分の顔とよく似ている顔として「リリアナ嬢」を認識してもらうためである。
喉仏が目立ち始めているのに前夜気づいて、ドレスと共布のチョーカーを間に合わせたのもエリザ。
確かにエリザは天才かもしれない。
「で、最初のみんなで踊るダンスは無事に済んだんだけど、奥様と合流して撤収しようってところで、ギヨーム殿下とグイド殿下に捕まって。
ギヨーム殿下とワルツを踊る破目に……」
説明しながら、かくり、とハンス君がうなだれる。
「えええええ……
声はどうしたの!? 喋らずに済んだの!?」
エリザが声を上げる。
秋口からこの日のための準備を進めていたのだが、1ヶ月前にハンス君の声変わりが始まってしまった。
計画の中止も検討したが、登城する時は私が一緒だから「リリアナ嬢」は目礼するだけで良いし、陛下に「ご挨拶」して、フォーメーションダンスを踊り、後はボロが出ないうちに帰るのならば、一言も発しなくてもしのげるのではないかということで決行したのだ。
実際には、わたくしと合流するまで思っていたよりも時間がかかってしまったけれど。
一言二言だったんで、なんとか……と、ハンス君が答えて、極度の緊張を思い出したのか、さらにぐったりする。
わたくしもあの流れは、寿命が3年くらい縮んだと思った。
「幸か不幸か、陛下は早くに退席されていて、ギヨーム殿下と『リリアナ嬢』が踊っていた時はいらっしゃらなかったのだけれど、妃殿下がご覧になっていたわ」
妃殿下の、表情を消した眼を思い出しながらハンス君を補足する。
ハァ、とため息が出た。
妃殿下──カタリナ様は、学園での私の同級生である。
ほんの子供の頃から、なにもかもずば抜けて優秀。
学園一と当時謳われた圧倒的な美しさ。
人を「使う」ことにも長け、わずかな感情の起伏を「見せる」ことで思うがままに場を操る能力。
公爵家令嬢であり王太子の婚約者という立場がなくても、文句なく学園の女王として君臨しただろう。
──正直、いくら権勢をふるっても結局は王を立てなければならない王妃よりも、思うがままに国を動かせる女王の方が向いていたのではないかという気もするけれど。
王宮の政争にはあまり縁のない領主貴族出身のわたくしは、カタリナ様を筆頭とする王都の大貴族とは、あちらから茶会のお招きがあった時くらいしか接する機会はなかったが、怖い方、底の知れない方だという印象がある。
「というわけで、以前、閣下も少し仰っていたけれど、どうも巧く行き過ぎてしまったのよね……」
夫に、今回の件を相談したら、自分もアナベラ様のことは痛ましく思うし、陛下に一矢報いたいというのはわかるが、下手をすると隠し子を担ぎ出してなにか企んでいると疑われかねないぞと釘を刺されたのを思い出す。
夫に相談しながら事前に練った通りにグイド殿下に説明はしたけれど。
「陛下はお子様がいらっしゃらないでしょう?
本当は自分の子供がいたとなったら、ものすごく執着される……かもしれないわ。
女の子だからどうやっても王位継承権はないし、いまさら認知するのも難しいけれど」
指を折りながら言うと、そうですね、とハンス君とエリザが真剣な顔になって頷いた。
「次に妃殿下。
今のお気持ちは存じ上げないけれど、妃殿下は、少なくとも学園時代は、陛下がお好きだったのだと思うの。
目の前で、あの頃の陛下によく似たギヨーム殿下が、アナベラ様と同じ髪色で、当時流行っていたドレスを着た『リリアナ嬢』と良い感じに踊るんですもの……
あれはどう考えても、やりすぎだったわ……」
え、冷血妃殿下、クズ陛下のことをお好きだったんですか?とハンス君が驚く。
好き、という表現は確かに少し違うかもしれない。
わたくしの場合、相手が人でもモノでも、好きという感情には必ず尊敬の念が伴う。
学園時代もご結婚後も、カタリナ様が陛下のことを尊敬していらっしゃるように見えたことは一度もない。
でもあの頃、カタリナ様はアナベラ様の問題で、少なからず傷ついていらっしゃるように見えた。
だから皆、カタリナ様を気遣い、アナベラ様に憤っていたのだけれど……
いえ、どうなのかしら。
………ちょっと、心にひっかかるものがあるけれど、それはさておいて。
「あとは、ギヨーム殿下。
踊っている間のご様子からすると、あの方は『リリアナ嬢』に相当やられたと思うの。
ご結婚前に面倒を起こしたら、せっかくの立太子が吹き飛ぶから、さすがに深追いはしてこないと思うけれど……」
もうひとつ指を折る。
うへ、とハンス君がうめき声をあげた。
あんなにまっすぐに、キラキラおめめで可憐な「少女」に見つめられたら、若い男なんて一撃だ。
踊る時は目を伏せたりきょろきょろしてはならないと特訓した成果なのだが。
「ついでに、グイド殿下かしら。
あの方は良い方だけれど、良い方だからこそ首を突っ込んできて、『リリアナ嬢』を庶子として認知させて、それなりの家に嫁がせようとしかねないというか……
釘は刺せるだけ刺したのだけれど、『良い方』って、斜め上を行くことがあるのよね……」
善意が大トラブルを巻き起こす、人生によくある展開ですね…とエリザが深々とため息をつく。
まだ23歳なのに、なにがあったのか聞きたくなるようなため息だった。
「要するに、『リリアナ嬢』の出来が良すぎたのよね……」
3人でもう一度、ハァ、とため息を吐く。
もともと夫と相談して、「リリアナ嬢」を演じる特訓のためしばらくお預かりしていたハンス君をご両親のもとに返す段取りはしていた。
万一、リーンハイネ家に問い合わせがあったら、心当たりがないで押し切ってもらうことになっている。
実際、アナベラ様はお子様を産んでいらっしゃらないのだし。
こちらに問い合わせがあったら、外聞が悪いことなのでお話ししにくいという方向でできるだけ流し、それでも駄目なら、まずは過去の出来事をお話した上で、たまたまアナベラ様に雰囲気が似た町娘を見つけ、わたくし個人の陛下への意趣返しとして、娘に礼儀作法を仕込んで陛下に見せに行ったとするつもりだ。
別に、法に触れる行為はしていない。
でもこの先、とんでもないことが起きそうな不安がよぎる。
「……それにしても、ギヨーム殿下と『リリアナ嬢』のワルツは素晴らしかったわ……
本当に、アナベラ様の夢の通りの光景で……」
学園入学前のアナベラ様の日記に、当時流行っていた型のドレスの絵と一緒に書かれた夢。
『デビュタントとして舞踏会に出て、お姫様のようなドレスを着て、素敵な王子様と踊りたい』
いかにも少女らしい、可憐な願いは、当の「王子様」のせいで叶うことがなかった。
気がつくと、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてくる。
奥様、と、エリザがハンカチを差し出してくれた。
ハンス君は悔しそうに顔を歪める。
アナベラ様は陛下に殺されたようなものだというのに、わたくし達に出来るのはここまでだ。
ドレスをまとったままの少年は、馬車が本邸に着くまで、シェードをおろした窓を見つめていた。