舞踏会の夜(グイド・ノベルタス殿下)(2)
「さっきのピンクっぽい髪の令嬢、見に行ってみないか?」
ギヨームが、今日の仕事は終わりとばかりに晴れやかな顔をしてやってきた。
慣習通り婚約者と3曲続けて踊り、挨拶しなければならない相手を一通り回ったらしい。
持っていたワインのグラスを干して新しいグラスを取り、手ぶらだった私にも1つ渡してくれる。
親同士の間には対立もあったが──今もあるのかもしれないが、私にとっては子供の頃から気のいい兄貴分だ。
「ああ、リリアナ嬢? どこにいるかな……」
あの髪の色は目立つが、こうも人が多いと埋もれて見えない。
伸び上がりながら探していると、ああいたいた、と先に見つけたらしいギヨームが動き出して後を追う。
大ホールに隣接する広間は開放され、踊り疲れた人のために、椅子やソファが並んでいる。
リリアナ嬢は、その隅のあたりに、小柄でふくよかな夫人と一緒にいた。
もう帰るところなのか、金髪をきっちり結い上げ、流行に合わせた型のイブニングドレスをまとった夫人の肩に、リリアナ嬢がショールをかけようとしている。
年の頃は30代なかばか。陛下や妃殿下と同世代のはずだ。
ユベント伯爵とは、近隣国に関する会合で何度か話した覚えがあるが、夫人と挨拶以上の言葉を交わしたことはない。
ユベント家は国の東部にある丘陵地を領とする領主貴族の一人で、東側の国境線を三分の一ほど守っている。
代々、武を誇る家で、あまり王宮の社交には出てこない。
「リリアナ嬢!」
数メートル先からギヨームが両手でメガホンを作って大きめの声で呼びかけ、手を振る。
リリアナ嬢とユベント伯爵夫人がこちらを見て固まった。
「リリアナ嬢、もうお帰りですか?」
歩み寄ると、ギヨームが貴公子然とした笑みを浮かべて手早く名乗り、リリアナ嬢に話しかける。
戸惑ったように夫人とリリアナ嬢が目を合わせ、夫人が口を開いた。
「はい、少し疲れたようですので」
「せっかくですので、お帰りになる前に一曲だけでも」
ギヨームはあくまでリリアナ嬢に向かって話かける。
「いえいえ、畏れ多いことです。
この子が王宮に上がるのは、この舞踏会限りという約束ですから……」
答えるのはやはり夫人。
誰との約束なのだろう、と思ったが、それを訊ねる間もなく、
「こんなに愛らしい方が今宵限り?
それは残念。
……では一生に一度の思い出に、是非」
笑いながら、ギヨームがお手をどうぞとばかりにリリアナ嬢に手のひらを差し出す。
こうした押しの強さは、私にはない。
ここまで王族に言われては断れないだろう。
夫人とリリアナ嬢は、もう一度顔を見合わせる。
なにか決心したように夫人が頷いてみせると、リリアナ嬢がおずおずと唇を開いた。
「ありがとうございます。
では、一度だけ…」
声は意外にも、ややかすれた、深みのあるアルトだった。
ギヨームの手にリリアナ嬢が手を重ね、フロアの中央へと向かう。
先にギヨームが大声で呼びかけた時から集まっていた周囲の視線が、そのまま二人の背に向かう。
夫人も縁のある令嬢の晴れ姿が見たいだろう。
エスコートしようと夫人に肘を差し出した。
まあ、と感心したように夫人が笑み、ありがとうございます、と手を預けてくれる。
「まさか、こんなことになるだなんて……」
人波をかきわけ、ワルツを見物している人々の最前面に出たあたりで夫人が呟く。
ギヨーム達は、大ホールのフロアの中心まで行き、踊り始めていた。
踊っていた人々が、徐々に二人に遠慮するように脇に避けていく。
衆目を集める形になるが、リリアナ嬢はまっすぐに視線をギヨームに合わせ、夢見るように笑んだまま、堂々と舞っていた。
踊りは巧いが、ついつい自分の巧さを見せようとする悪い癖があるギヨームが、いつになくパートナーを引き立たせるように気を配っている。
動く度に裾が華やかに広がり、リリアナ嬢の可憐さが引き立つ。
基本に忠実に踊っているだけなのだが、とても絵になる。
周りの令嬢方が、息を呑んで見守っていた。
立ち姿ではマーメイドラインのドレスの方がすっきりとして見えるが、ワルツを踊るならこの型のドレスの方が映えるのかもしれない。
なんて可愛らしい方でしょう、どちらの方?とささやき交わす声が聞こえた。
二人を邪魔しないように、二人の様子が皆によく見えるように、どんどんスペースが開いて人垣が厚くなっていく。
ギヨームがつないだ手をリリアナ嬢の頭上に上げ、令嬢が見事なターンを決めた。
リリアナ嬢は満面の笑みを浮かべて、次第に大胆になっていくギヨームのリードについていく。
楽団も二人に気がついたのか、ここぞとばかり盛り上げてきた。
今年の社交界のハイライトとして、のちのち語り継がれるかもしれない。
「失礼ですが、リリアナ嬢はどういう方なのですか?」
なんてこと、と嘆声をこぼして、ハンカチを握りしめ、時々目元を抑えながら、二人のダンスに見入っている夫人に、そっと訊ねる。
少しためらうような間があり、夫人はこちらに視線を向けた。
「古い友人の縁の者なのです。
その方は、デビュタントとして舞踏会に出るのをとても楽しみにしておりましたから……
せめてあの子をここに連れて来ようと思って……」
夫人の表情が沈痛なものに変わる。
古い友人とはもう亡くなった人物らしい。
デビュタントを楽しみにしていたということは、貴族かそれに連なる者のはず。
その縁者であるリリアナ嬢が、自分の家族ではなく夫人の引き立てで参加したということは、庶出の子なのかもしれない。
ふと、陛下の反応を思い出す。
夫人と陛下、妃殿下は同世代だ。
同学年かどうかは知らないが、同じ時期に王立学園に通っていた可能性が高い。
夫人の言う「友人」が女性であったなら──
陛下の反応の強さを見るに、陛下の庶出の娘、母親がすぐに亡くなって名乗り出せないまま埋もれていた、私やギヨームの従姉妹、ということもありえるのではないか。
そこまで思い当たって、ぎょっとして夫人の方を見やる。
「くれぐれも、ご内聞に。
わたくし共は、世を騒がせるつもりはございません。
申し上げたように、あの子が社交界に参加するのは今夜一度切り。
あの子のことはご放念ください。
……グイド殿下、どうかどうかあの子の幸福のためにお願いいたします」
強い、射るような視線で、念を押される。
気圧されるままに頷いた。
曲が終わり、わあっと拍手が起きる。
夢中になって踊っているうちにたくさんの人々の注目を浴びていたことに驚いたのか、リリアナ嬢が真っ赤になる。
夫人が必死に手真似でギヨームや見守ってくれていた人々にお辞儀をするよう伝え、リリアナ嬢が少し慌てながらお辞儀をすると、一段と拍手が湧いた。
陛下はリリアナ嬢をどのような眼で見ているのだろうと壇上に目をやると、既に退席されたのか姿はない。
代わって、妃殿下がお一人で、喝采を浴びるギヨームとリリアナ嬢を、立ちつくしたまま呆然と見下ろしていた。