07、発情期が来てほしい気持ちと来てほしくない気持ち
前半ヴィティ視点
後半◆から組合受付カンガルーのイザベラ視点
「え、クマさん。それ本気で言ってますか? 人前でお互い毛づくろいしておいて番じゃないなんて。噂になってますよぉ?」
「毛づくろい? そん……あっ!」
そんな事したことないです、と言おうとして思い出した。ルストの耳をモフって、お返しに頬を舐められた事を。
あれって毛づくろいに入るの⁈
確かルストも家族や番なら問題ないけど、外ではやらない……と言っていた。
聞き慣れない番という言葉も頬ペロが衝撃的過ぎてすっかり忘れていた。
もしかして、周りの人達が固まっていたのは「こいつら堂々とイチャついてやがるぜ」とか思われていたのかな⁈
恥ずかしくて赤くなった私を見て、お姉さんが目を丸くする。
「えぇー、まさかの無自覚ですかぁ」
「そもそも番とか知らないですし」
「……そういえばサビネコさんが、クマさんは山の奥深くにいたから獣人の事をよくわかっていないって言ってましたねぇ」
ルスト、私の事をそういう風に説明していたんだ。
世間知らずの田舎者みたい。
「では! 簡単に説明しますと番は生涯ただ一人だけの愛を捧げる相手です。唯一無二の伴侶ですね。見た瞬間わかるそうですよぉ」
「見た瞬間……?」
「そうです。良い匂いがしたり声が好みだったり、判断基準は人それぞれらしいですぅ」
ルストを初めて見た時は、猫耳の衝撃が大きくて唯一無二の伴侶って感じではなかったと思う。
それにルストから番と一切言われていない。一緒に住んでいるだけで、何もないし。
「やっぱり私とルストは番じゃないと思います」
「クマさんは発情期まだですよね? 来たら一発でわかるんですけどぉ」
「は、はははははつじょーき⁈」
思わず椅子から立ち上がった私を見て、お姉さんはニヤリと悪い顔になった。
カンガルーの耳も楽しげにぴこぴこ動いている。
「その反応まだなんですね。発情期が来た時が楽しみですぅ。お祝いしましょーね」
「お姉さんはどうなんですかっ?」
「ん? まだ来てませーん。番もまだでーす」
お姉さんもまだと聞いてちょっと安心した。
椅子に座り直して最小限の小声で話しかける。
「そもそも発情期っていつ来るのが普通なんですか?」
「番が近くにいると早く来るらしいんですけど、よくわかっていないんですよぉ」
お姉さんも私の真似をして小声だ。お互い顔を寄せ合う。
「メスは発情期が来ないと番が誰か判別しにくいんですぅ。オスは発情期がなくても番がわかるらしくて、大体オスの方から『お前は俺の番だ』と言われ発情期が来てから結ばれる人達が多いですねぇ」
「そうなんですね。……それなら」
早く発情期が来て欲しいな。
それから発情期の話は一旦終わり、最近流行の髪型とかあそこのお店が美味しいなどの、普通の女子トークっぽい話になった。
世界が違っても話す内容は一緒なんだなとしみじみ思う。
食事処を出て歩いていると、組合の前にお姉さんに吹っ飛ばされていた獣人が立っていた。
「おら、報告書書いたぞ」
ぶっきらぼうにお姉さんに紙を渡してきた獣人さんは、オレンジがかった金髪に黒くて分厚い耳の筋肉ムキムキの人。
イライラしているのか腰布から長い尻尾がぶんぶん揺れているのが見える。黒と金の縞模様の尻尾はトラだろうか。
そして私に対して眼光鋭く睨んでくる。だけど、お腹が吹っ飛ばされた衝撃で真っ赤なので全然怖く見えない。
「やっと書いたんですかぁ……って、誤字ばっかり! この野郎! 紙を無駄にすんな!」
「あ? 書いたんだからいいだろ」
「いいわけねーよ! 書き直しだ! クマさーん、それでは!」
怒ると言葉遣いが荒くなるお姉さんは、トラ獣人さんの手を引っ張って組合の中に入っていった。
私に挨拶する時、手を振ってくれたので振り返す。
だが私は気づいてしまった。
お姉さんに触れられた瞬間、トラ獣人さんが嬉しそうにしたのを!
もしかして、お姉さんの番ってトラさん……?
え、でもお姉さん番はまだって言っていたし、まさかトラさんの片思いっ⁈
今度お姉さんとごはんに行く時、トラさんとの関係について詳しく聞かなくては‼︎
◆
去っていくクマさんを組合の建物の中から見つめ、軽く溜め息をつく。
(サビネコさんが名前呼びを許している時点で気づきそうなものなんですけど。クマさん、鈍そうですもんねぇ)
獣人の国では、様々な種族が暮らしている。
個を識別するために名前を呼ばなくても、種族名を言えば誰を呼んでいるのかわかるくらいに。
そのため、獣人にとって名前を呼ぶ事はかなり特別で家族以外では番にしか呼ばせないのだ。
(クマさん自身も、他の獣人を名前で呼ばないようにしているのにぃ。無意識?)
獣人の中でもネコ族は特に警戒心が強く仲良くなりづらい。その代わり一回心を開くと相手にとことん甘くなる。
(わたしなんてサビネコさんに挨拶しても無視され続けましたもんねぇ。受付という仕事柄、仕方なく何度も話しかけて、最低限言葉を交わせるようになったんですから。
そんなサビネコさんが笑顔を向ける唯一の相手が番じゃないならなんだって話ですよぉ)
「おい、これならどうだ?」
報告書を書き直したトラ獣人の男をしばし見つめる。わたしとコイツは小さい頃から一緒にいる、幼なじみだ。
「……ここの記入が漏れてますぅ」
小さい頃はわたしよりチビで弟みたいな存在だった。しかも、わたしの事を「太ったネズミ」と馬鹿にした相手に殴りかかり返り討ちにあうほど弱かった。
優しいやつなのに、門の外に住むようになり勝手にダク討伐をするようになったのは何故だろう。
そして、わたしに会うと必ず突っかかって来るのは本当に困る。
「なんで門の外に住んでいるんですぅ?」
「あん?」
報告書から顔を上げ片眉を吊り上げたその表情は、普通の獣人が見たら怯えてしまうほど凶悪だ。
わたしにとっては昔から変わらない生意気な顔だけど。
「んなの、お前が強い男が好みだって言ったからじゃねぇか。だから一人でダクを狩ってる」
「はぁっ⁈ 狩人登録してダク討伐すればいいじゃないですかぁ!」
「下っ端からやってたんじゃ、ダク討伐の依頼が来るまで時間がかかるだろうが。それに他の奴らとツルむ気はねぇ」
「これだからネコ族は……」
そうだ。忘れていた。
ネコ族は基本的に単独を好むのだ。
「それに発情期辛いんだよ。門の外にいないと襲いそうになる」
「? ……何か言いましたぁ?」
ボソボソと何か言われた気がするがよく聞き取れなかった。
「別に。それよりお前、他の奴とベタベタすんな。クマの匂いついてんぞ、コラ」
「クマさんはお友達ですもん。わたしの素を見ても態度が変わらなかった良い子なんですぅ!」
「早く発情期来いよ、マジで」
コイツの態度からいってわたしが番なのだと思う。
だけど発情期が来てトラが番と認識できなかった時が怖い。
今までの関係が壊れてしまう。
このまま発情期なんて来なければいいとさえ思ってしまうのだ。
わたしがこんなだから、クマさんとサビネコさんには幸せになってほしい。