カンガルー・イザベラは秘密にしたい
カンガルー・イザベラ視点
本編でヴィティが渡したコクワ酒を飲む話です。
日に日に瓶の中身が、月の淡い光を閉じ込めたような綺麗な琥珀色に変化していく。この色を見ていると嫌でもあいつの瞳の色を思い出す。
まあ、あいつは月なんて優しいものじゃなくて太陽のようにジリジリと焼け焦げるようなうっとうしい瞳だけど。
別に見たくて見ているわけじゃない。せっかくクマさんが作ってくれたコクワ酒なのに、わたしの保存の仕方が悪くてダメになってしまったら申し訳ないから、気にかけているだけ。
ただそれだけ。
本当にそれだけなのに。
どうしても気になって見てしまう。
最近門の中に来ないトラが悪いんですよぉ!
前は毎日のようにやってきて、因縁つけてきて、吹っ飛ばしてもまた次の日ケロリとしてやって来る。
それが当たり前だった。
ダクにやられて怪我でもしているのでは……と、したくもない不安ばかり溢れてくる。
「今日が約束のコクワ酒を飲む日なんですよ。来なかったら吹っ飛ばすだけじゃ済ましませんからねぇ」
人差し指で瓶を軽くつつきながら、ポツリとこぼす。
「おーい! 来たぞ……って寝起きか?」
いきなり窓が開いてトラが顔を覗かせた。驚きで声が出ないわたしを見ながら、窓枠に手をかけ中に入ってくる。
「窓から入ってくんな! いや、それより! 鍵かけたはずなのになんでっ⁉︎」
「ここの窓、立て付け悪くて鍵が開きやすいんだよ。昔から変わってねーのな」
変わるも何も両親が居た時から何も変えていない。変えてしまいたくないから。
そんなわたしを気にせず、トラは居間の机の上に三段の重箱を置いた。
「それ、どうしたんですかぁ?」
「サビネコ通してクマに作ってもらった。お前が珍しく他人が作ったもん美味いって言ってたからな」
一段目にはお肉料理、二段目には野菜料理が敷き詰められていて彩りが綺麗で美味しそう。三段目には細切れのチーズと食べやすい大きさに切られた具材が入っている。
「これはちぃふぉんじゅ? ってやつらしくて、この白いのを火にかけて、具材と絡ませて食べろってさ」
「初めての食べ方ですねぇ」
「やってみようぜ!」
お互い席についてコクワ酒を注いで乾杯した。
コクワ酒はとろりとした甘いお酒で意外とお酒の度数が高い。「チーズ焦げてますぅ!」「あつっ! うまっ!」とお互い言い合いながら、どんどん杯を重ねていく。
異変が訪れたのはコクワ酒を半分ほど飲んでからだった。
「んーふふぅ。イザベラァ、すきぃ」
「はいはい。そうですねぇ」
トラが酔っ払った。
お酒に強いはずなのに、赤い顔でこんなにベロベロになった所を初めて見る。
わたしを横抱きに膝上に乗せて上機嫌。拒否すると泣くから仕方なくトラの腕の中に収まっている。
「イザベラ、これおいしーい。たべて」
「食べてますぅ」
「オレがたーべーさーすーのー!」
駄々っ子か。わたしの後ろをついて回った子供の頃みたい。
こんな姿、サビネコさんやトリさんに見られたら街を破壊するだけじゃ終わらないなと思いつつ、口を開ける。
「あーん。おいし?」
「美味しいですよぉ」
「つぎ、オレねー」
手に持っていたイモ揚げを食べられた。トラにとってはわたしが食べさせた事になるのか、とても嬉しいみたいで「むふっ、むふふ」と喜んでいる。
いつもの生意気な態度より今の素直な態度の方が可愛いと思ってしまう。
「なんでいつも突っかかってくるんですかぁ?」
「んー? だってイザベラ、オレいがいのにおいつけてるからムカつく」
組合の受付だから色んな獣人と関わるのは仕方のない事なんだけど。
「それにー」
「それに?」
「どんなりゆうでもイザベラにさわってもらえるの、うれしい」
そう言いながら顔を擦り付けてくる。耳が当たってくすぐったい。オレンジがかった金髪も子供の頃と変わらず柔らかい。変わった事は図体がでかくなった。あと態度もでかくなった。
腰布から尻尾が出てきて強引にわたしの尻尾と絡んでくる。
「イザベラ、すきすきぃ。はがたつけたい」
言い終わる前に首にトラの牙が当たり、かふかふと甘噛みされる。熱い吐息、ぬるりとした舌の感触、たまに刺さる牙がわたしの心臓を跳ね上げる。無理やり噛んだりしないのは、一回噛まれてわたしが痛がった事をトラが覚えているから。やっぱりトラは優しい。
「ちょっ、近すぎぃ」
「オレのつがいになって。ダメ?」
凶悪顔のくせにこてんと首を傾げるの可愛いんですけど! 反則ですよぉ!
「わたし以外に番が出てきたらどうするんですかぁ?」
「イザベラしか、いらない。さよならする」
「わたしの事を番だっていうオスが出てきたらどうするんですぅ?」
「ころしたらイザベラなくから、にげる。イザベラさらう。ふたりだけ。ぐふふっ。ずっとふたりっきり。さいっこう」
わたしの両親が番の事で揉めて死んでしまったから、トラなりに気を使っているらしい。
所詮は酔っ払いの戯言。それなのにこんなに嬉しいのはなんでだろう。
トラの黄金の瞳から目が離せない。じわじわとわたしを侵食する熱い瞳。変わりたくないと思っている頑なな心を溶かしていくみたい。
もうトラが番だってわかっている。名前を呼ばれて不快じゃない時点でそうなのだ。観念しよう。
「その時が来たらちゃんと攫ってくださいね。フローロヴィ」
わたしから顔を近づけ、唇と唇をそっと合わせた。
素直に好きだって言えない代わりに名前を呼んでみたけど、反応がないので怖い。
チラリとフローを見上げると、目を見開いたまま気絶していた。そのまま後ろに倒れる。
「えっ⁉ フロー! 大丈夫ですかぁ?」
◇
ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン!
「うるさぃ」
翌朝、何かの打撃音で目が覚めた。確認すると部屋の隅で頭を打ち付けているフローがいた。
コクワ酒のせいで記憶が無いと思ったが、この様子だとしっかり覚えているようだ。
わたしが見ている事に気づいたフローは、憎々しげにこっちを睨みつけてくる。
「おい、誰にも言うんじゃねぇぞ」
「言いませんよぉ」
こんな可愛いフローの事は誰にも教えない。わたしだけの秘密なのだから。
早く発情期が来てほしいと初めて思った。
◇
ちなみに、コクワの実について詳しく調べてもらった所、ネコ科が酩酊状態になってしまうマタタビと同じ効果が含まれているとわかった。そしてコクワ酒にすると、マタタビの香りがお酒に紛れて気づきにくい代物になってしまうという事も。
ただし、コクワの実自体は栄養価が高いのでネコ科のみに注意を促し、輸入自体はそのまま続けるという。
フローには調べてもらうためにコクワ酒は全部渡したと言ったが、実はまだ手元にある。
またフローの可愛い姿を見たい時に、こっそり飲ませようと思っているなんて誰にも言えない。
わたしだけの秘密だ。
トラの名前はフローロヴィ。
活動報告に「トラがベロベロに酔っぱらう前にマタタビに気がついたら」というif話を載せております。
興味のある方はどうぞ。