16、ダクを生み出す世界と白い部屋へ
太陽が眠りにつき空が闇に包まれると、昼間の陽気とは打って変わって冷たい風が吹き付け始めた。この国は昼と夜の寒暖差が大きい。
だが今は、その風が走って熱を持った身体に心地良い。
私は今、ルストが夜になっても帰ってこないため急いで神殿に向かっている。
神殿に到着すると、何やら中が慌ただしかった。
「あの、何かあったんですか?」
「申し訳ございません。お約束のない方は後日改めてお越し下さい」
「え、あのっ」
何人か近くを通りかかった白いローブの人に声をかけても、定型文のような断り文句ばかりで事情がわからない。そして足早に去っていく。
勝手に奥に入っても大丈夫かな。
「止まって下さい、クマちゃん。許可なく奥に行くとビリビリ来ますよ」
一歩足を進めると声をかけられた。みんな同じローブを着ているので見分けがつかないけれど、私の事をクマちゃんと呼ぶのは……。
「もしかしてキツネさん?」
「はい」
肯定するように頷いてくれた。フードの隙間から見える口元は優しげに微笑んでいる。
知り合いに会えてよかった。
「突然来てすみません。ルストが帰ってこないので探しに来ました」
「その事について連絡しようとしていた所なんです。こちらに」
キツネさんに連れられて個室に入る。前に来た魔力の練習部屋ではなく、机と長椅子が置いてある応接室みたいな所だ。
部屋に入った途端、キツネさんはやっぱりローブを投げ捨てた。
「あっつい! クマちゃん、今お茶でも入れるね」
「あ、そうだ。よかったらこれどうぞ。私が作ったものなんですけど」
スノーボールクッキーをキツネさんに渡した。手土産大事。キツネさんは鼻をひこひこ動かして、満面の笑みになった。
「甘い匂いがするよ! お菓子? ありがとー」
余程嬉しかったようでフサフサ尻尾が揺れている。毛並みの艶々具合といい、お手入れを欠かしていないとわかる素敵な尻尾。自分でブラシしているのかな。たぶんその尻尾が保温機能抜群でローブが暑いと思うんだけど、言わないでおこう。
それからお茶を準備しながらキツネさんが事情を説明してくれた。
「ネコは神殿に所属しているんだけど、主な仕事は異世界に行って人間の動向の調査及びダクになる前の魂の浄化なのよ」
なんかサラッと重要発言が飛び出て来た。
ルストが異世界に行っている? 異世界ってそんな簡単に行けるものなの? ダクになる前の魂の浄化って事は……。
「あ、異世界っていうのはね、人間がたくさんいる世界の事で『チキュウ』って言われているよ。私も前はそこにいたんだ」
地球……。私がいた世界。
なんでもない時に聞いたら、懐かしいとか嬉しいとか思う所だけど、今は一番聞きたくなかった言葉だ。
ダクを生み出している世界決定ではないか。
「最近ダクが多いから、ネコにチキュウへ調査に行ってもらったんだけど、しばらくしたら結界の外にダクがたくさん出現し始めてね、忙しすぎ!」
ごはんを食べる暇もない! と、私が持ってきたスノーボールクッキーを口に頬張っている。
クッキーはお気に召したようで、食べる度にキツネ耳が咀嚼に合わせてぴくぴく振動しているのは見ていて楽しい。
いけない。今はそれどころじゃない。
「結界の外にダクって大丈夫なんですか?」
「それは平気。小さいものばかりだから今いる狩人だけで充分対応可能。問題は異世界に行ったままのネコが帰ってこない事よ。連絡も途絶えるし。誰も迎えに行けないの」
「そんっ……ど……して…………むぐぅ」
ルストが帰ってこない。連絡も途絶えた。迎えに行けない。
喉の奥がきゅぅと締まり言葉が上手く喋れないでいると、クッキーが押し込まれた。甘い味とほろほろの食感が口の中に広がる。
「お腹が空いていると思考が変に偏っちゃうからね。食べて飲んで、そして笑って」
「はい。ありがとうございます」
ぐいっとお茶を喉に流し込む。お茶の温かさが身体全体に染み渡り、不安な気持ちも溶かしてくれるようだ。
「このお茶、美味しいですね。いい香りもします」
「私のお気に入り。クマちゃんも気に入ってくれてよかった」
私がほぅと息を吐いたのを見てニコッとキツネさんが笑う。
話の続きねと、キツネさんが話し出した。
「迎えに行けない理由は、異世界というぐらいだからココとは見るもの全てが違う。前世の記憶がない獣人は異世界に行っただけで混乱して仕事にならないのよ」
確かに、東京などの大都市に行ったら人の多さに圧倒されてそれだけで混乱しそう。夜も眩しいくらいに明るいし、車や電車なんてこの世界にないもんね。
「本当は私が行きたいんだけど、ダクの核の浄化や負傷者の手当てがあるから」
「私が行きます」
「そうそう、クマちゃんに行ってもらえないか相談しようと思って……えっ⁉︎ 行ってくれるの?」
「もちろんです。ルストを助けるお手伝いをさせて下さい」
私が即決すると思わなかったのか、キツネさんが驚いている。目を見開いてビックリ顔だ。キツネ耳もこっちを向いたまま固まっている。
「それに元人間として向こうの世界に行くべきだと思うんです。今まで隠していてごめんなさい」
これでキツネさんに嫌われるかもしれない。だけど、ずっと隠していくなんてできないよ。
「うん。知ってたけど」
「えっ⁉︎」
今度は私が驚いた。
「いや、サビオとかめんぼう? とか、色々考えたって聞くといくら前世の記憶があっても獣には無理だし。人間なのかなと思ってた。でも、クマちゃんはもうクマで、クティノスの一員じゃないの! 仲間だよ!」
「キツネさん……」
「泣くのはネコを連れ帰ってからね」
ローブを着直したキツネさんの後ろをついて行く。神殿の地下のとある部屋に入ると、そこは簡素なベッドが部屋の中心に置かれているだけの質素な部屋だった。床に魔法陣みたいな不思議な模様が刻まれている。ロウソクの鈍い光が照らし出す中、ベッドの上にルストが寝ていた。
「ルストっ!」
思わず駆け寄り声をかけるも反応がない。息はしているがとても弱い。身体も冷たいしこのままで本当に大丈夫なのだろうか。
「異世界に行くには肉体は越えられないのよ。だから魂だけで行くしかないのだけど、長時間は負担が大きい。ネコはそろそろ限界が近い」
「早く行き方を教えて下さい」
「ベッドに寝てくれる?」
ベッドはルストが使っているひとつしかないので、ルストの隣に横になった。
「今から魂を向こうに送るからそこで御使い様から詳しく話を聞いてね。クマちゃん、帰ってきたらお菓子を一緒に食べようね。雪遊びもまだだし、楽しみにしてるから」
キツネさんの手が視界を覆うと身体がどこまでも落ち続けるような感覚になった。
これは落ちているのかな。もしかしたら上に引っ張られているのかもしれない。不思議な感じ。
そして気がつくと、天井も白、壁も白、床も白。窓もなければシミもひとつとしてない真っ白な部屋に立っていた。
ここは忘れもしない死神さんと初めて会ったあの部屋だ。