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折れた割り箸  作者: むち
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前編


高校生として初めての秋。11月にしては暖かい日だった。小春日和というらしい。しかし、秋というのは不憫な季節だ。最近は夏と冬ばかり長引いてただでさえ影が薄いのに、その短い期間さえ春に例えられてしまうとは。

しかし不憫さでいえば、この日の僕もいい勝負だったかもしれない。思うに、始まりは便意との戦いである。



***


2時限目はひたすら腹痛に耐えていた。原因は色々浮かぶが、昨日姉に貰ったクッキーがどうも怪しい。ともかく、僕は5分置きに来る腹痛の波や、それに呼応するように板書されたsinカーブと格闘しながらひたすら終了のチャイムを待った。そして号令が終わるや否や席を立つ。早く、トイレへ。急がなければ、僕は僕でいられなくなるだろう。しかし、この最悪のタイミングで僕を呼び止める声があった。


「三嶋くん」


 無視してしかるべきだった。が、その声色の可憐さに思わず振り返ってしまった。ボブカットの似合う明るい顔立ちが目に映る。クラスのアイドルたる柏木さんだ。天然で親しみやすい性格と、癒し系のスマイルに心を奪われる男子生徒は数知れず。かく言う僕もその一人だ。

 しかし何故こんなときに限って。普段は接点など、まるでないのに!


「な、何か用かな」

「三嶋くん割り箸持ってたよね?一本、貰いたくって」


 割り箸……。冷や汗のにじむ体で頭を高速回転させる。弁当用の箸を忘れたときの予備として、机にストックしてあるコンビニの割り箸。しばらく補充してなかったから、かなり少ないことは確実だ。それでもまだ残ってるかどうか、腹痛まみれの頭では確信が持てない。


「ごめん、あったら机の右側に入ってるから。勝手に持ってって」


 それだけどうにか振り絞って、僕は廊下へ駆け出した。あと少しとどまれば、別のものが絞り出たことだろう。


 それから教室に戻ったのは、3限目が始まるギリギリだった。腹痛から解放された僕は午前最後の授業を難なく乗り越えて昼休みを迎えた。緊張から解放された安心感から大きなあくびをする。それを慌ててかみ殺したのは、柏木さんが僕の席まで来ていることに気づいたからだ。用事は分かっている。割り箸のことだろう。


「箸、机にあった?」

「うん。二本あったから、一本借りといたよ」

「それはよかった。でも、『借りる』って変だね。別に返さないのに」

「あはは。たしかに」


柏木さんが柔らかく笑う。その笑顔からはマイナスイオンが発せられていると、僕は確信している。最後に「ありがと」と礼をして僕から離れた彼女は、自分の席に戻った。そしてリュックサックから弁当箱を取り出してそれだけ持つと、廊下の方へ消えていく。きっと外で友達と待ち合わせしているのだろう。

 律儀に礼を言いに来るなんて、柏木さんは内面も素敵な人だ。僕は満足して、自分も昼食をとることにした。弁当箱を持って友達の席へ向かう。この時はまだ、自分の失敗に気づいていなかったのだ。


 それを思い出したのは放課後のことだ。持って帰るものはあったかと、机の中を漁るうちに割り箸のことに思い至った。覗き込むと割り箸は一本だけある。柏木さんが言う通り、元は二本あって、彼女が一本持って行ったのだろう。また新しく仕入れておく必要がありそうだ。

 そういえば、この前授業中の暇つぶしに弄んでいるうちに折ってしまった割り箸があったはずだ。両方が真ん中でぽっきりと折れて、使い物にならなくなってしまった一本。あれはどうしたのだろう。他の予備と一緒に机へ放り込んでおいた記憶があるのだが。


「……」


 もう一度、机を探る。あるのは新品同然の一本だけ。折れた割り箸は何処へ消えた?背中を冷たい汗が伝うのが分かった。思い当たる節は、一つしかない。


 柏木さんが持ってったんだ。折れた割り箸を、掴ませてしまった!


 慌てて周囲を見渡す。柏木さんはまだ教室にいた。彼女はあの折れた割り箸で昼食をとったのだろうか。それとも食べることを諦めたのだろうか。僕に文句の一つも言いに来ないのは、彼女の人柄の良さからだろうか。それとも、呆れ果てて口も聞きたくないのだろうか。

 どちらにせよ、まずは謝罪しなければ。たとえ手遅れであろうとも、僕の最善は他にないのだ。


「柏木さん!」


 緊張した呼びかけに振り向いた彼女は、意外なほどけろっとしていた。


「三嶋君?どうしたの」

「ごめん、割り箸のことなんだけど」

「割り箸?」


 どうも、反応がにぶい。僕の思い過ごしだったのか?それとも折れた割り箸に柏木さんは気づいていない?そんなはずは、ないと思うのだが……


「あー、あのことか」


 しばし間を置いて、彼女はようやく要件に気づいたようだった。しかしその表情は硬化ではなく、むしろ柔らかいものだった。



***


「そして柏木さんは言ったんです。『大丈夫だったよ。心配しないで』。僕は彼女が聖母に見えました」

「年増に見えたんだね」

「彼女は『予定があったから。ごめん、急いでるんだ。またね』そんなことを言ってました。それでラケットケースとリュックサックを背負うと、教室をさっさと出て行ったんです」

「嫌われているらしい」

「だから僕は呆然と立ち尽くすしか……って聞いてますか?」


 あれから、僕は生徒会室に来ていた。生徒会執行部書記としての役割を果たすため、といっても急ぎの仕事はない。いつ配布するかも分からない資料を適当に整理するだけだ。二人きりの生徒会室で、正面に座る女生徒に話しかける。長く艶やかな黒髪が色白な肌が映えている。体の線は細いが肌つやは良く、健全さを思わせる。その頭脳と弁舌で頂点に君臨する、我が生徒会の会長である。


「君というのは悲しい生き物だね。少しの接点で一喜一憂するくせにそれ以外はまるで気にならない。持つべきは長期的な視点だよ。私からできるアドバイスは、君に資産運用はむいてないということくらいだ」


 会長はスマホに視線を落としたまま言った。僕が事件のあらましを話す間もそうだったし、僕らがどんなに忙しそうなときでさえ、この調子だ。ただ、貢献度で言えばダントツだから文句も言えない。悲しいことに、仕事効率が違うのだ。


「話を聞いてくださいよ。僕はクラスメートに折れた割り箸を使わせてしまったかもしれないから、不安に思ってるんです」

「君こそ話を聞いてたのかい?そもそも君は、人にものを頼む態度が分かってない」

「いや、僕は会長に頼みごとなんて……」


 そこでようやく会長は顔を上げた。その表情にはシニカルな笑みが張り付いている。


「おや、私の早とちりだったかな?君はその件に何らかの疑問を抱いているのだろう。だからその謎を私に解いてもらうために話を持ちかけてるんだ。違うかい?」

「うぐ……それはおっしゃる通りです」

「まあ、よかろう。私は生徒会長として生徒の相談を請け負う義務があるし、それに適う能力があると自負しているからね」


 ああ、面倒くさい。これだから会長に相談するのは嫌だったんだ。別に僕だってどうしても謎が解きたいわけじゃない。明日柏木さんに直接聞けば、済む話なのだ。それを暇潰しの世間話として投げ掛けただけなのに、こうもマウントを取られるとは。


「さて、謎解きに取り掛かる前にはっきりさせておきたいのだけれど、君の一番の疑問は、『二本の割り箸から、彼女は何故折れた割り箸を選んだのか?』だね」


 首肯する。初めは折れた割り箸を掴ませてしまってどうしようと思っていたのだが、冷静に考えると、そもそも折れた割り箸が選ばれたこと自体がおかしいのだ。


「とりあえず、まずは時系列を追って情報を整理しようか。2時限目後の休み時間にクラスメートの柏木くんが割り箸を貰いにきたのが、始まりだったね。これは今回が初めて?」

「いや、前にもありました。男友達には何回か貸しているんです。柏木さんも教室で食べてることが多いですから、それを見聞きしたんでしょう」

「なら今回は二回目か。私のように几帳面な人間には分からないのだが、箸を忘れるというのはそう起こることなのかい」

「僕は親が弁当を用意してくれるんですけど、箸を用意するのだけは自分の役目なんです。洗うのは食洗機ですし、他に関わりがないから、つい忘れてしまうんですよね。彼女も多分似たような状況だと思います」

「それでも普通は忘れなそうだが。君や柏木くんは結構なうっかりやだな」

「そこが柏木さんの魅力ですよ」

「君にとっては汚点だ」


 この人はいちいち小言を言わないと会話できないのだ。そう理解してからは、どうにか我慢が効くようになった。


「話を進めよう。席を離れる必要があった君は、勝手に机を漁って割り箸を持っていくよう伝えた。このとき机の中には折れた割り箸と、折れていない――無傷の割り箸が一本ずつあったんだね。これは確かかな」

「だと思います。記憶はあまり自信ないですけど、放課後に無傷の割り箸が一本残ってましたから」

「ふうむ。君の記憶が信頼できないのは同感だ。しかしここはとりあえず、その通りのペアがあったとしようか」


 会長は細い指を胸の前で絡ませた。アニメの司令官もよく同じポーズをしているけれど、おじさんと美少女では随分印象が違う。


「すると問題はやはり、この後だね。柏木くんは二本の割り箸から、折れた一本を貰ってった……実物の割り箸を見る必要がありそうだ。机の中に無傷のものがあったよね?」


 ドアの方を指差される。取りに行かせたいらしいけれど、ここから教室は結構遠くて億劫だ。


「別に普通の割り箸ですよ。コンビニ産ですけど、箸自体は学食にあるのと同じ作りです。透明なフィルムに店名が印字されていて」

「コンビニ産?販売品じゃないのか」

「弁当を買うときに二本下さいって言えば、一本余ります」

「ふーん。随分こすい真似をするね。恥を知りたまえ」

「ぐっ、すみませんでした」


 珍しく正論で殴られて、反射的に謝罪してしまう。


「よろしい。それで、割り箸はどう折れたんだい」

「中央辺りでぽっきりと。繋がったままでしたが、見るだけではっきり分かるぐらいには折れてました」


 そう考えると、柏木さんが折れた割り箸に気づかなかった可能性は、やっぱり低そうだ。


「割り箸については了解したよ。検討を進めようか。次は昼休みのことだけど、柏木くんはお弁当を掴んで、教室の外へ向かったんだったね。そのまま外で昼食を取ったと認識していいのかな」

「だと思います。帰ってきたのは、始業五分前のチャイムごろでしたから」

「よく覚えているね。キモえらいぞ。食事場所の候補としては学食かそのテラス、他の教室ぐらいかな」

「それから、中庭とかですかね。一応ベンチがあるので、たまにカップルが食事してるらしいです」

「それは初耳だ。いいことを聞いた」


 会長は愉快そうに顎を触った。こういうときは何か良からぬことを企んでいるに違いない。


「もう一つ聞きたいのは、弁当箱についてだ。彼女は他に荷物がなかったらしいけれど、弁当箱は袋に入ってたのかな」

「風呂敷包みですね。真っ黒で模様は無かった気がします」


 そう答えながら、僕は何か違和感を覚えていた。当たり前の光景のはずだけど、何かがおかしいような。しかし、その答えに到達する前に、会長はさっさと先に進んでしまう。


「では最後。放課後の話に移ろう。君は柏木くんに、折れた割り箸のことを謝りに言ったけど、けろりと躱されてしまった」

「はい。でも、『大丈夫だったよ』とか、『心配しないで』とか言ってましたから、僕が何を気にしてるかは分かってたと思います」

「それはどうかな。君を適当にあしらっただけかもしれないぞ。何せ、彼女は急ぎだったんだろう」

「そうですね。予定があるっぽくて、廊下へ駆け出してったので」

「予定というのは部活かな」

「だと思います。彼女はバドミントン部なので」

「バド部か。あそこは強豪で厳しいと評判だからね。ネット張りやらの準備は一年生の仕事だろうけど、それを差し引いても先輩より遅れて来るなんてのは、許されないのかもしれないね」


 どことなく、会長の言い方には含みがあった。最近、僕が遅れてくることを咎めているのかもしれない。僕は先週から掃除当番だから、今日みたいにゴミ捨てが無い日でも遅れるのは当然なのだけど。

 ふぅ、と会長が息をついた。


「検討はこんなところで良さそうだね。君から新しい情報がなければ、そろそろ終わりにしようか」


 終わり?終わりというのはどういう意味だろう。まさか謎解きに飽いて諦めたのだろうか。いつも通り薄い笑みを浮かばせた会長の表情からは、真意が読めない。

 しかしその前に僕は、一つだけ聞いておきたいことがあった。


「僕があらましを話している間、というか検討中もちょくちょく、スマホをいじっていましたよね。会長は懸命なお方ですから、情報収集に励んでいたのではと思ったのですが」


 どうせ遊んでいたのだろうと、咎めるつもりの言葉だったけど、会長は何でもない風にスマホを操作する。


「すまない。私としたことが忘れていたよ。君にこれを共有しないのはフェアじゃないね」


 2,3タップされて差し出されたスマホをのぞき込むと、色とりどりの写真がタイル状に並んでいた。画像がメインのSNSアプリのようだ。僕の知っている有名サービスと同じかは分からない。友達との自撮り、淡く加工された風景、流行りのスイーツなど被写体は多岐に渡っていたが、総じて女子高生のアカウントであろうことは推察できる。


「これ、会長のアカウントですか?」

「違う。柏木くんのアカウントだ」


 それを聞いて、何となく目を逸らしてしまう。アカウントを無許可で閲覧することは、彼女への背任行為のように思えた。


「どうした、顔を背けて」

「人のSNS勝手に覗くのって、抵抗感がありません?」

「馬鹿だな。自分から公開してるんだから、誰に見られることも承知の上だろう」

「いや、赤の他人と知り合いは違うというか。柏木さんは特別というか」

「安心しろ。彼女にとって君は特別じゃない」

「傷つきます」

「そうか」


 自分で了承したつもりのことも、人から指摘されるとばっちり凹む。それを会長はまったく悪びれる素振りも見せない。まあ、下手に気を使われるよりはいっそ清々しいか。


「それで、柏木さんのアカウントを覗き込んで何が分かるんですか」

「色々分かるぞ。食事、趣味、交友関係、流行への意識、金銭感覚、自己顕示欲、生活リズム……あるいは、下着の色まで」

「したっ……まじですか!?」

「柏木くんの投稿のうち、お弁当に関するものを探していたんだ。何かヒントになるかと思ってね。けれど、その他が多くて困った。思わず音を上げて、麻雀アプリに逃げ帰ったよ」

「やっぱり遊んでたんですね。幻滅しました」

「結局私にできたのは、柏木さんの自撮りからベストショットを厳選することぐらいだ。これは事件と関係ないし、君に共有するのは止めにしようか」

「会長は美人で聡明で素敵な人だなー」

「そうやって下手な媚を売るところは、嫌いじゃないぞ」


 会長がSNSアプリを閉じて、画像フォルダを開く。そこには、柏木さんの投稿のスクリーンショットが保存されていた。「いいね」から足がつかないためのテクニックらしい。勉強になる。


「画像は三枚ある」


 スマホがタップされ、画像が拡大される。一枚目の写真は家で撮られたものらしい。制服姿の柏木さんがみかんを両手に持って満面の笑みを浮かべている。次の写真は、喫茶店のテラス席で撮られたようだ。大きなパンケーキとカットメロンを前にして、変なピースを決める柏木さんとクラスメートが映っている。最後の写真は全体像だった。姿見の前で高そうな白ワンピースを纏った柏木さんが少し照れくさそうにポーズを決めている。


「グレートですねこれは……!柏木さんのこんな笑顔初めてみました」

「そりゃ君の前ではしかめっ面だろうからね。他の感想はないのかな」

「かわ」

「『可愛い』も『好き』も『えっち』も禁止だ」

「……………甘いものの写真が多いですね」

「そうだね。女子というのはスイーツの前で輝く生き物だ」

「会長もですか」

「勿論。私が女子でなければ、この世に女子はいないよ」


 僕には全然想像できない。会長はむしろ、淹れたてのコーヒーをブラックで頂いて幸せを感じるタイプだと思う。だって、スタバでコーヒーを頼むような人だもの。

 それから暫く柏木さんを眺めていたけれど、時間切れだと、スマホを回収されてしまった。


「さて、これで本当に情報が出そろったね。ようやく事件を解決できて嬉しく思うよ。この謎はあと一つ、現場捜査でかたがつく」


 柏木さんの残像を浮かべていた僕はあっけにとられた。今、事件を解決したって言ったのか?とても信じられないけれど、その声色は自信にあふれていた。

 困惑する僕に構わず、会長は軽やかに立ち上がった。荷物も持たずに廊下へ向かう。トイレへという雰囲気でもないから、僕もバタバタとそれを追った。


「会長、どこへ」

「決まってるだろう。事件現場……君たちの教室さ」


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