ロスカットさんと新米トレーダー
久々に何か書きたくなったので。
真っ白な世界。真っ白なテーブル。真っ白な美女が真っ白なティーポットから紅茶を注ぐ。
新米トレーダーは良い。無垢な世界観と、満ち溢れる希望。
やって来た小娘にも紅茶を勧める。ようこそ新人さん。
「それでね!やっぱりメンタルが一番大事って話なのよ」
トレーダーも様々だ。寡黙にして自分の中で1から10まで決めているタイプもいれば、トレードについて語りたくて仕方の無いタイプもいる。この娘はどうやら後者のようだ。
聞きかじりの知識を、これが聖杯だと言わんばかりに披露してくれる。
試験の前日は良く眠れる胆力が必要なのだ、と教えてやる。
「トレードは試験とは違うでしょ」
むくれている。
メンタルが重要だという話を否定しているわけではない。トレードはトレードだ。
だが、みんなの逆を行えば勝てるというゲームではない。それは勘違いも甚だしい。
みんなと一緒に赤信号を渡ってはいけないが、ひとりで赤信号を渡ってもいけないのだ。
「私は赤信号は渡らないわよ」
そもそも赤信号の見分けが付くのだろうか。真っ白な世界を見渡して、そうならないことを祈ると伝える。
「馬鹿にしてるでしょ」
馬鹿にはしていない。だが、無知であることはよく肝に命じておくべきだ。
無知であることと愚かであることは違う。
「やっぱり馬鹿にしてるじゃない!」
よりむくれた。
知らないことは罪ではないが、それを知る知らないに関わらずトレードの結果は受け入れねばならない。トレードは契約だ。知らなかったでは済まされない。
「だから勉強してるんでしょ」
勉強の結果が精神論では、勉強の方向性を考えたほうがいいのではないだろうか。
しかし、精神面というのも重要であるのは事実だ。
「そうでしょ!占いで良い日にトレードするのがいいのよ」
占いで。
「安定したメンタルでトレードするのがいいんでしょ」
精神的に安定したトレーダーであることは要求されるが、一時的な精神的な安定に大した価値はないだろう。
精神的な安定はルールを守るために必要なのだ。精神的に暴発してもルールが守れるのであれば問題にはならない。
「ルールを守るなんて、そんなの当たり前じゃない」
精神論の究極はそこだ。ルールを守り続けることができるかどうかだ。
「じゃあ、メンタルってルールを守るってことなの」
大きく外れてはいない。
「まずはルールを作りなさい。重要なのはファンダメンタル(業績)とセンチメンタル(需給)よ」
何も無い真っ白なキャンパスを一瞥して告げる。
「やっぱり馬鹿にしてるんでしょ」
繰り返しになるが、馬鹿にしているわけではない。
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