価値あるもの
前方に遮るものはない。
どこまで続いているかはわからないが、非常に歩きやすくなった。
・・・他の生き物が巻き込まれていない事を祈るばかりだ。
「チヒロ〜!あったわよー」
「ナイスっ!」
少女の溌剌とした呼び声、それに対し少し焦ったような声が森に響く。
互いの位置はそれほど離れていないが周囲は薄暗く、自然と大声になっていた。
(太陽が完全に落ちる前で良かった・・・)
着実に影を落としはじめた周囲の様子は劇的とも呼べるほどだった。まるで追い立てられるようにチヒロは駆け出す。
「そ、それでどうだった?」
少し荒くなった息を整えながら、リンの表情を伺うチヒロ。
夕陽に照らされる彼女の顔はーーーどうやら期待しても良さそうだ。
そもそも、彼女の背後には、不自然に枝葉で隠している巨大な何かが存在していたのだから期待しないほうがおかしい。
「ふふーん、見たい?」
近づくにつれハッキリとする姿形。まるで隠れきれていなかった。
おそらくは急いで隠したのだろう。彼女の至る所にその努力の痕跡が残っている。
「・・・見えてるから。後ろに隠しても無駄だろ」
「あれ?もう!驚かそうと思ったのに・・・」
チヒロは諦めたようにため息をつくと、彼女へと近づく。リンの頭髪にかかる葉を払うためだ。それと同時に、企ては失敗に終わったとさすがに気づいたようだった。
不貞腐れながらも立ち上がり、チヒロと並ぶ。頬を膨らませているのは彼女の些細な抵抗だったのかもしれない。
しかし、それもコレを目の前にしては長くは続かないようだ。
リンは吊り上がる口元を隠そうともせず、まるで自慢するかのように腰に手を当てる。
「ーーーこれは、綺麗だな」
予想していたよりもずっと巨大で、宝石のように艶めかしい。
〝あんなの″からコレが出てきたとは想像も付かない。似てるのは色くらいなものだ。
何処までも沈んでいきそうな漆黒。少し禍々しさを残してはいるが、素直に美しく感じる。
その宝石のような何かを観察しながら、息を飲んでいるとじれったそうな声が聞こえた。
「感想はそれだけ?」
「ええと、凄いと思う?たぶん」
「何で疑問形なのよ。これは、凄いなんてものじゃないわ!」
リンのテンションが天井知らずで駆け登っていく。
ペシペシとチヒロの右肩を叩き、小躍りするほど嬉しいらしい。
彼女の性格上、浮き沈みが激しいので沈んだ時の事を考えると生きた心地がしなかったが。
「それにしても、マナが濃いからかな?ちょっと信じられない・・・」
「やっぱ大きいのか?」
「普通じゃあり得ない。核となった遺物が原型すら残さず呑み込まれているし。本当なら聖獣の名残があってもいいはずなのに」
目のまえの〝完全な球体″からはそういった名残のようなものは見つけられなかった。
ーーーあの後。
チヒロの傷心を癒そうと苦心した彼女は、思い出したかのように駆け出したのだ。「お宝があるはずっ!」と喜び勇み、チヒロの手を取り走る。
そう、起死回生の一手を彼女は知っていた。
聖獣が必ず有しているはずの〝お宝″、原型となった核が残っているはずだと。
そして、それなりの時間をかけて辿り着いたのが、今の状況である。
日が傾くほどの時間を要したのは、それだけ吹き飛ばされた・・・つまるところ、二人の放ったイカヅチの閃光がそれだけの威力を有していたことに他ならない。
自身の首を絞める形とはなったが、あの時の判断が間違っているとも思えない。
「それで、どうする?この大きさじゃ運ぼうにも・・・」
「気合いで運ぶのよ!チヒロが!」
「・・・」
「な、何よ!?私にはホラ、重すぎて無理だし。かと言ってこのまま此処に置いてくのはもったい・・・、危険だし」
勿体無い。
確かに、これを売るなりすればしばらくは金銭に困らないのかもしれない。
無一文では到底生きて行けるはずもないし。かと言って、この世界の通貨をどうやって手に入れれば良いのかもサッパリ思い浮かばない。・・・通貨が流通していればの話だが。
「あ、言い忘れてたけど魔法で運ぶのは無理だから」
「なぜ!?」
「全部吸収しちゃうのよ・・・。もうビックリするくらい」
「・・・」
人力で運べと彼女は言っているのだろうか。自分よりも大きく、遥かに重い物体を?しかも、終着点は未定のまま?
「いや、普通に無理だからね?なんか、半分くらい埋もれてるし」
「そんな・・・!そんなの、あんまりだわ」
(ちょっ、これはマズイ・・・!?)
リンの瞳からフッと光が消えたかと思うと、そこからの変化はやはり劇的だった。
下唇を噛み締めて、今にも泣きそうだ。そして、握られた拳が行き場を探している様にチヒロには見えた。
(あ。これは、どっちに転んでもダメな奴だ)
彼女の機嫌は急激に変化する。振り幅が大きすぎるのだ。
チヒロからすれば、そんな性格が少し羨ましくもあったが、被害を被る当事者でなければの話だ。
全ての脳細胞を駆使し、必死に言葉を探す。一刻の猶予も残されていない。
「そ、そうだ!転がしていこう!!二人で!」
「・・・」
「幸い、綺麗な円形だし!大丈夫。人が住んでいる所までどのくらい掛かるかは分からないけど、なんとかなる。いや、なんとかする!むしろ、一人でも行ける気がしてきた!」
これが生きる為の選択である。いや、選択肢は無いのだけれども。
とにかく、必死に大言壮語で捲し立てた。
ーーー今やられるか、過労で死ぬか。どちらにしても、地獄しか待ち受けていないことにチヒロは気付かない。
ずっと俯いたままのリンを、ジッと見守る。
「・・・ほんとうに?」
「本当。きっと何とかなる」
「・・・わかった。一緒にやってあげる」
危機一髪。九死に一生。
彼女に悪意はない。ただ純然たる理不尽の塊がそこにはあるだけだ。
「・・・よろしくお願いします」
「それじゃあ、早速やりましょ!善は急げ、よ!」
何か妙案が浮かぶかと自分に淡い期待をしていたが、そんなことは無かった。
とにかく、深くめり込んだ巨大な岩の様なものを押し出せばいいのだ。物理的に。
二人は視線を交わし、何かを確かめ合った後配置につく。
両手、両足。ありったけの力を込める。
「いっせーのーせっ!」
ドッっと砂煙が上がり、ミシリと軋んだ音がした。半身を聖遺物に密着させ踏ん張る。
「ぐぬぬっ」
「ぬぁ〜!」
ぶつかり稽古のような迫力で、無我夢中に力を込める。
リンは背中全体を使い、叫びながらも必死に押しているようだ。
声を上げるのは有効な手段になる。叫ぶことに重点を置いていなければいつも以上の力が出せるだろう。
それでも。
(キ、キツイ!これで動かせないと絶対に無理だぞ!?)
チラリとリンの方に視線をやるが、期待できそうにない。むしろ、踏ん張りすぎて顔から血の気が引いている。これ以上は危ない。
(クソ!動けよ!!動かなきゃどうなっても知らんぞ!?主に俺が!!)
失敗したら元も子もない。
こんな無駄にでかい石の所為で、自分がこんな目に合っていると思うと無性に腹が立ってきた。
もっと、どうにかならなかったのか。
もの凄い価値があるのは分かる。しかし、それをわざわざ大きさで表現しなくても良かっただろうに。
もはや、嫌がらせにしか思えない。
そんな手に入りそうもない宝石を目の前に置かれたって絶望しか浮かばない。
自然とドス黒い感情が渦巻く。
ーーー動かないなら、ぶち壊してしまおうか。
ドス黒い感情に呼応するように、彼の両手と聖遺物が共鳴する。
漆黒の禍々しいマナがチヒロの両手に纏わりついていた。
◇◇◇◇◇
リンはチヒロの異常を感じ取り、恐怖した。
それは〝変質″と言って良いほどの変わりようだ。彼の灰青の瞳は煤けた赤褐色に変わり、色素の薄い髪は漆黒へと変貌していた。
何よりも。周囲のマナが、彼に呼応するかのように揺らめいている。方向性を与え、操作しなければ見えないはずのマナの光が明滅し、顕現している様はまさに。
「聖獣・・・」
「ーーーーー」
耳をつんざくような咆哮が大気を揺らす。
「ちょっと、何飲み込まれそうになってんのよ!バカ!!」
彼が新たな聖獣となるのか、元の聖獣に吸収されるのかはわからないが、〝チヒロ″の部分が消えて無くなるのは時間の問題のように思えた。
彼の瞳は漆黒の光を帯び、ありったけの憎悪を撒き散らす。牙を剥き出す様は本物の獣のようだった。
しかし、リンにとっては危機的状況にはなり得なかった。
なぜなら彼がーーー。
「・・・ふふっ。そんな状態で。ホントにチヒロは馬鹿ね!」
チヒロは禍々しいマナに包まれ、変質を繰り返しながらも必死に。
ーーー押していたのだ。それは必死に。憎っくき聖遺物を。まさに親の仇の様に。
「動けぇ゛ぇ゛ーーっ!!」
「ぶふっ、ほんとに勘弁してよ。もう。・・・仕方ないわね」
彼女はそう呟くとチヒロの両手を優しく包み込む。
彼の誠実さと、単純で素直なところが堪らなく愛おしかった。
ゆっくりと、暴走しているマナをなだめる。一雫の水滴が水面を揺らすように、マナの奔流を均していく。
(これじゃあ、大きすぎて運べないわよね。ごめんね、ワガママ言ったりして)
すると、彼と目が合う。こちらの方をじっとみつめていた。
伝わってしまった事に気付き、一気に恥ずかしさが込み上げてくるが、チヒロの真剣な眼差しがそうはさせてくれなかった。
「あき、らめるな・・・。こいつは絶対俺がぶっ壊す!」
「ーーーっつ。壊してどうするのよ!?いい?せーので押すわよ!」
「「せぇーのっ!!」
「いっけえーーーっ!!」
どちらの叫び声だったのか、本人ですら分からない。
しかし、それを契機に巨大な聖遺物はほんの少し浮き上がる。
浮き上がりはしたが、予想していたよりもずっと早くその質量を失っていった。両手に伝わる圧力が急激に引いていく。
漆黒は生き物のように蠢めいたかと思うと、二つに分かれ、スッポリと二人の身体の一部分に収まってしまった。
「げはっ」 「ギャンっ」
行き場を失った二人は地面へと激突する。カエルが潰れた様な声を出した後、ピクリとも動かない。
折り重なるように倒れ、目を回した二人を夕闇が包み込んでいった。