日記と、リンゴと
2日目
晴れ。
今日からこの森の地図を作成していくことになった。
途方もないことだとは分かっているが、何もやらないよりかはいいだろう。
それと同時に日記の様なものも記録していこうと思う。特に意味はないけれど。
とにかく、昨夜は散々だった。この巨大なリンゴを撃ち落としたまでは良かったのに。まさかその巨木までこちらに倒れてくるとは予想外だった。
周囲の被害状況は・・・いや、明記するのはやめておこうと思う。地形が変わったとだけ。
ひとまず、リンゴは無事だったのだからもう少しポジティブに考えよう。
しばらくはこの巨大な倒木を目印に、少しずつ探索を進めていこうと思う。
3日目
快晴。
今日は朝からリンの機嫌が良かった。あのリンゴが思いの外、美味だったからだろう。
甘すぎず、くどくない独特の風味。ライチに似ているかもしれない。
外見との差異に戸惑うが、美味しいので気にしないことにした。
これでしばらくは水分と食料の心配をしなくてもいいだろう。
食事を終えた後は、丸一日かけて拠点を作成した。まあ、拠点と言っても、横たわる巨木に大穴を開けだだけの簡単なものだけど。
少しずつ慣れていくしかない。
4日目 早朝
晴れ。
探索を開始。ひとまずは巨木の先端を目標に、行けるところまで行ってみようと思う。
リンはお弁当と言いながら、あのリンゴを大きな葉に包んでいる。
ピクニックのような気がして少しだけ楽しみだ。
それと、この謎の果物。
彼女曰く、コイツはマナを潤沢に蓄えている上、強壮効果も備えているらしい。さすがに栄養バランスは偏ってしまうだろうが。
今のところ不調を来たす様子はないのでもう少し様子を見ることにする。
4日目 深夜
残念ながら収穫はなかった。巨木の先端にはリンゴの片割れと思しき破片が、無数に散らばっているだけだった。これ以上先に進むのは諦めたほうがいいかもしれない・・・。
5日目
晴れ。
身体が軋むように痛い。筋肉痛も度が過ぎると重症になるらしい。
昨日、リンと張り合ったのがすべての間違いだった。
チンチクリンな身体くせに、あの肉食獣のような身体能力。しかも、一日中駆け回ったと言うのに次の日には何事もなかったように動き回っている。末恐ろしい・・・。
6日目
雨。
この異世界で初めての雨が降る。元の世界と比べても、特に変わったところは見当たらなかった。
念のため、巨大リンゴの樹皮で作った器に雨水を貯めておく。
天然シャワーで汚れを落としたが気持ちがいい。無性にシャンプーが恋しくなった。
7日目
晴れ。
ついに"飽き"が来る。恐れていた事態だ。
リンの機嫌が日に日に悪くなってきている。
ーーーーーーー
21日目
曇り。
リンゴの夢で目が醒める。もう、視界に収めるのも嫌になってきた。
彼女はここ二日間何も食べていない。
「リセット、リセットすればまた美味しく感じるはずだわ」と、彼女はブツブツとうわ言のように呟いている。
・・・その試みはおそらく失敗するだろう。
22日目
快晴。
そういえば何故このリンゴは腐らないのだろうかと突如疑問に思った。もはや恐怖さえ感じる。
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ーーー
ー
28日目
「・・・リン。俺はもう、甘いものを食べたくない」
どんよりとした瞳からは生気を感じられなかった。問いかけられた彼女の瞳もドス黒い闇で覆われている。
「・・・この物体は何なの?完全栄養食かなんかなの?」
二人の表情とは裏腹に、その肌はツヤツヤと弾力を持ち、引き締まった体はネコ科の肉食獣のようにしなやかだった。
栄養の失調は見当たらず、過剰なまでに含有されたマナが二人の体内を潤い満たす。
ひと月の大台を迎えようとしても尚、健康体を維持できるほどの栄養価。凄まじいポテンシャルを秘めた謎のリンゴ。
しかし。それは、二人にとって耐えがたい事実。否定したい現実だった。
つまるところ。この果実の側を離れない限り、二人の生存は約束されていたも同然だったのだ。逆に言えば、二人はこのリンゴから離れることができないことを意味していた。
食料と水を同時に失う恐怖、いつまでたっても抜けることのできない森林。
二人から選択する余地を無くす。
もし途中で腐っていたら?もし食べきれる常識的な大きさのリンゴであれば?
残念ながらそうはならなかった。一向に腐り落ちる気配がない。
精神的にも肉体的にも囚われてしまった二人、まさに八方塞がりへと陥っていた。
しかし、それもいつかは終わりが訪れる。精神が擦り切れてしまう前に選ばなくてはいけなかったからだ。拒絶か、心中か・・・二人は選択する。
リンゴとの蜜月はこの瞬間に失われた。
「・・・終わりにしよう」
「・・・その言葉を待っていたわ」
ゆらりと妖しい光が、二人の瞳に宿っている。
あろうことか、二人が抱いた感情は"感謝"でも、ましてや"悲哀"でもない。
「ーーーその無駄にデカイ図体。無差別に振りまく甘い匂い。感謝はしている・・・だけど」
潤沢に蓄えられたマナがドロドロと滲み、空間を埋め尽くそうとしている。逃げ場を無くしたマナは上へ、上へと押し上げたれていった。
空は大量のマナで充満し、オーロラの様に揺らめく。
「生きるためなんだ。こんな身勝手な俺をどうか許してくれ」
二人の意志は固く、振り上げられた拳に迷いは無い。
彼らの号令に応えるように、ゆっくりと落下を始める大質量のマナ。それはまるで、空が落ちてくるようにも見えた。
(ありがとう、そしてーーー)
「「灰燼と化せっ!!くそリンゴぅあぁぁ!」」
ただ、憎しみを込めて。
天空から放たれた一粒の雫が、リンゴに触れた。
次の瞬間、眩ゆい閃光が周囲を白く染め上げる。灼熱の光はあらゆるものを飲み込み、消し飛ばしながら自身の熱量を放散させていった。
もはや原型をとどめることは叶わない。一瞬のうちに飲み込まれ、跡形もなく消え失せる。
しかし、消えずに残った。いや、新たに生まれた出たものがそこにはあった。
スカッとするような爽快感ーーー。
「やったな」
「うん」
「・・・やっちゃったな」
「・・・うん」
ーーーヒタヒタと這い寄る。絶望が近づいてくる音がした。
ただの〝八つ当たり”が払う代償は、大きい。
二人は呆然と立ち尽くしたまま、燃え上がる森林を見つめていた。
ただ見つめることしかできなかった。