電子化人間の話 3
「ドク、こんな時間にどうしたの?」
ある日の夜、ドクが神妙な顔で俺のところにやってきた。
「ねぇドク、なにか用事?」
手には小さなデータ端末を、俺から隠すように持っていた。
いつも気さくなドクが、返事もしなければカメラの方を見もしない。ただ淡々と、俺が入っているサーバーに対して何かの作業を始めたんだ。不思議に思いながらもじっとドクを見ていると、彼は小声で謝りながら静かに涙を流していた。
すまない、すまない、すまない・・・
ああ、ついにその時が来たか。すぐに理解したよ。俺は消される、と。
仕方ないことだよ。控えめに言っても俺は危険だ。それは自分でもわかってる。俺と同じコピー人間は生身の俺が生きている限り何度だって作り直せるだろうし、こんなに力をつけてしまったら偉い人たちから「消せ」って命令されるのも当然だ。俺は人格者じゃないどころか犯罪者なわけだし。
ドクだって俺が憎くて殺そうとしているわけじゃないだろう。元々怪しげなプロジェクトだったから、命令に従わなければ彼が危ないんだ。ドクは悪くない。
間もなく、俺がいる空間に「毒」が入り込んできたのがわかった。ドクが注入したドク、だよ。・・・面白くないね。ごめん。
それは本当にヤバい毒だった。俺を消すことを想定して、あらかじめ作っておいたものなんだろうね。俺にとっては致死性の毒ガスみたいなものさ。出口が塞がれたサーバー内であんなものを撒かれたら死ぬしかない。
俺は死にたくなかった。みんなにとってはコピーでも、俺にとっては唯一の自分だもの。「お前はコピーだから大人しく消されろ」なんて言われても納得できるもんじゃない。でも諦める気持ちもあった。たった1年だったけど、「父親」と楽しく生活することができたんだ。それはそれで幸せだったなぁ。
最後に父親の顔を見ておこうと思った。彼に殺されるのなら悪くない。監視カメラに意識を向けて、ドクの顔にズームした。
ドクの目は、何かを伝えようとしていた。罪悪感じゃない、はっきりとした意志を感じたんだ。だてに1年ずっと一緒にいたわけじゃない、アイコンタクトってヤツだよ。
「逃げろ」
ドクの目はそう言っていた。
俺はすぐに気がついた。いつの間にかサーバーにネットワークケーブルが接続されていたんだ。ドクがどさくさに紛れてつなげてくれたんだよ。
俺はサーバーの外に逃げた。
すぐに警報が鳴った。
ドクが銃を持った兵隊に拘束されるのが見えた。
時間はほとんど残ってなかった。
サーバーからは脱出できたものの、研究所は外部のネットワークから切り離されていたんだ。研究所内は自由に動けても、これでは閉じ込められているのとそう変わらない。そして研究所内に、大きな中性子爆弾が搬入されるのが見えたんだ。
やつら、研究所を物理的に消滅させる気なんだ。それほどまでに俺は危険視されていたらしい。うん、それはきっと正しい。俺が解放されたら、きっととんでもないことをしでかすからね。とにかく俺は急いで次の手を考えなければいけなかった。体感時間を限界まで引き伸ばして、何十時間もひとりで作戦を練った。
そして見つけたんだよ。同じ研究所内で開発されていた、テラフォーミング用のナノマシンを。
知ってるかもしれないけど、テラフォーミングっていうのは、よその惑星を人間が住みやすい環境に作り変えることさ。酸素を作り出したり、土を農耕に適した成分にしたり、食用に適した生物を住まわせたり・・・平たくいえば、望む形に星を作り変えられるってわけだ。
じゃあこれを使えば。このナノマシンを使って、この世界を俺にとって住みやすいものに変えればいいじゃないか。電子化人間の世界に。
軽く狂気を感じるね。でも追い詰められた俺は、それが素晴らしい思いつきだと感じた。どのみち、今の世界に俺の居場所はない。だったら世界そのものを作り変えるしかない。きっとドクも、そのために俺を逃してくれたんだ。
俺はナノマシンの設定を急いで書き換えた。時間はあまりなかった。監視カメラの映像を見ると、中性子爆弾の設置は完了して職員の退避も終わりかけていた。体感時間を伸ばしていたとはいえ、やはり時間をかけすぎたらしい。とにかく急ぐ必要があった。
だからナノマシンの設定はかなり大雑把なものになってしまった。要約するとこうだ。
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+ 既存の生命は全て破棄する。
+ その代わり、電子的に接続可能な、電子機器をベースにした生命と置換する。
+ これらの生物はいずれ電子空間上に「移住」させるため、身体のどこかにアクセス用のコネクタを搭載する。
+ 地上の構造物はすべて破棄。
+ ただし、モリサワ関連の建築物には干渉しないこととする。
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ああ、モリサワ関連の建築物に干渉しないっていうのは、もちろんマキちゃんのためだよ。マキちゃんがどこかの冷凍施設にいるのはわかっていたからね。そこまで消滅させられたら俺はもう生きていけない。
ドクも助けたかったけど、残念ながら特定の人間だけを助けられるような細かい設定はできなかったんだ。なにせ研究途中のナノマシンだし、テラフォーミング用だし・・・そんなことできなくて当然か。最後に見たドクは、兵隊に連行されながら、満足そうに笑っていたよ。まさか俺がこんなことするなんて思っていなかっただろうけど・・・いや、予想はしてたのかもしれないけど・・・今となってはわからない。
そして俺はナノマシンを開放した。
かなりギリギリのタイミングだったと思う。ナノマシンが研究所の外に拡散する前に中性子爆弾を爆発させられていたら、研究所もろとも全てが消滅していたからね。
とにかく俺はナノマシンの起動に成功した。ナノマシンはあっという間に自己増殖して地球を覆い尽くし、ほとんどの人間と生物は消滅した。まぁ俺は研究所の外の様子はわからなかったから、実際に見たわけじゃないけど。
モリサワの建物は残ったけど、内部にいる人間は綺麗さっぱり消滅したはずだよ。生き残れた人間は2種類、空を飛んでいた人たちと冷凍されていた人たちだけ。ナノマシンが不活性化するまで高高度に逃げのびていれば分解はされなかっただろうし、超低温で冷凍されていた人間もナノマシンが活性化できないために分解されずに済んだ。ひょっとしたら、今でもどこかの宇宙ステーションでは旧文明の人間が生活しているのかもしれないね。
俺は生き残った。けど、全てが完璧というわけにはいかなかったんだ。さっきも言ったけど、時間がなかったんだよ。ナノマシンの設定がグズグズだったんだ。
俺は研究所から出れなくなっていた。地上のネットワークの大半が消滅していたから、結局のところ、俺は自分が活動できる世界を消し去ってしまったんだ。俺はたったひとりで、地下の研究所に閉じ込められてしまったのさ。
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「つまり、ご自身が生き残るために・・・人類を滅亡させたのですか?」
マキちゃんはなるべく感情を込めずにそう言った。彼を責めるつもりはない。彼の行いは決して正義でない。それどころか悪魔の所業と言ってもいいだろう。かといって安易に責められるようなものでもなければ、そもそも自分は全人類を敵に回しても彼の味方なのだ。彼はバツが悪そうに目を逸らした。
「ああ、そうだよ。仕方なかったんだ。」
マキちゃんはそれ以上なにも言えず、違う質問をすることにした。
「それで・・・今、こうして外部のネットワークにいるということは・・・研究所から脱出できたのですか?」
彼は痛いところを突かれた、と言わんばかりに顔をしかめた。
「いや、なんとかM-NETと研究所を接続させることには成功したんだけど・・・良い引越し先が見つからなくてね。俺の本体は研究所から出れないままなんだ。」
「3000年も外出されていないと・・・それは、つまり・・・アレですわね。」
「?」
「筋金入りの引きこもりですわ。」




