帰宅
【前回までのあらすじ】
・ドラゴン、狩られる
「・・・。」
早朝の冷たい空気を、地平線から顔を出した太陽の光が暖めていく。そんな朝焼けの風景を見ながら窓辺に座る美女がひとり。薄手の寝間着にカーディガンを羽織り、肩まで伸びた長い髪が朝日を受けて輝いている。服の上からでもわかる見事なスタイルに、傷やシミのひとつも見つけられない白磁器のような肌。それは皮肉にも野盗の再生装置で完璧に修復されたがゆえの美しい肌なのだが、由来はともかくその姿は絵画のように美しい。ただしその顔は虚ろで、ただ見るともなく窓の外を見ているだけだ。彼女はもちろんウォーリーの婚約者、イリスである。
「イリスや・・・少しは眠ったのかい?まだ彼らは旅立ったばかりだ、すぐには帰って来んよ。」
イリスに話しかけたのは、この町の長を務める彼女の祖父、そして育ての親でもある老人である。彼の言葉にイリスが反応することはなく、相変わらず見るともなく外を眺めて微動だにしない。彼はそこはかとなく責められているような気分になった。それは実際にイリスが怒っているのかもしれないし、彼自身の自責の念から来るものかしれなかった。なにせ、町を救った恩人たちをドラゴンにけしかけてしまったのだ。
ウォーリーから結婚の話を持ち出された時、彼はとにかく混乱した。孫娘は廃人のようになり、町は救われ、そして町を救った英雄に結婚を持ちかけられる。色々なことが一度に起こりすぎたのだ。冷静になった今、どうしてあんなことを言ってしまったのか自分でも理解できない。この300年、ドラゴンに挑んで生きて帰ったものはいない。町を救ってくれた腕自慢の彼らでも、ドラゴン相手に生きて帰れる保証はない・・・いや、正直に言って、生きて帰れる可能性はほとんどゼロだろう。あれはそれほどまでに危険な相手なのだ。
「きっと帰ってくるわい・・・彼らなら、きっと・・・。」
そのつぶやきはただ、町長の願望に過ぎない。彼らが旅立ってから、イリスはぼうっとしながらもずっと、昼も夜もなく窓辺に座って帰りを待っている。もう彼女の気持ちは明らかで、言葉にして確かめる必要などなかった。臆病風に吹かれてもいい、いや、恐れをなして逃げていてほしい。無事に帰ってくれればそれで十分。いきなり結婚を認めるわけにはいかないが、まずは落ち着いてじっくり話をしよう。会ったばかりにもかかわらず、こんなにもイリスが想っている相手なのだから悪い人間のはずがない。・・・いや、ロボットか?そこも含めてじっくり話をしよう。生きてさえいれば時間はたっぷりとあるのだから、結論を急ぐ必要などあるまい。
「さて、朝方は冷える・・・今、なにか温かい飲み物でも・・・ん、なんじゃ?」
飲み物を用意しようと歩き出した町長は、家がわずかに振動していることに気がついた。はじめはわずかにカタカタと、次第に大きくなっていく。窓がガタガタと大きく揺れだし、いつの間にかあたりには轟音が響いていた。尋常ではない事態だが、慌ててはいけない。彼は長年この町を支えてきた町長だ。この残酷な世界で、ひとつの町のトップを長年に渡って務めてきた男の胆力は並ではない。どんな非常事態にも常に冷静に、まずは何が起きているのかを見極めなければ・・・と思ったところで、孫娘が立ち上がっていることに気がついた。おぼつかない足取りで自分の脇をすり抜けて部屋を出ていく。
「ま、待てイリス・・・なっ、なっ、なっ、なななななななな!?」
イリスを追いかけて外に出た町長が見たのは・・・自宅の前でホバリングするハリアードラゴンだった。その背には両腕を胸の前で組み、2本の脚でしっかりとドラゴンの背に乗る大男・・・ウォーリーの姿がある。フラフラと歩き進んでドラゴンの前に立つイリスの顔を見れば、その表情は先ほどまでの虚ろなものではなく、見るもの全ての心を奪う満面の笑顔。頬を染め、瞳を潤ませた恋する乙女の笑顔がそこにあった。ウォーリーは両腕を大きく広げ、宣言した。
「我が美しき花嫁サマを迎えにきまシタ!」
「んな・・・そんなバカな・・・」
呆然とドラゴンを見つめる町長。町一番のドラゴンマニアである町長も、生きたドラゴンをこんなに近くで見るのは初めてだ。その迫力に圧倒され、全身に鳥肌が立つのを抑えられない。そんな町長に、ウォーリーはグッと親指を立てて見せた。
「オジーサマ!約束通り、イリスサマはいただきマス!・・・必ず幸せにすると、我が神に誓いまショウ!」
「ああ・・・あの・・・時間・・・いや・・・」
もっと時間をかけて、ゆっくりと話し合おうじゃないか。そう言おうとする町長だが、その口は重い。彼は約束通り、ドラゴンを従えてきたのだ。その命がけの行為に対して、こちらも約束を違えてはいけないのはわかっている。・・・しかし大事な孫娘のことだ、そんなに簡単に認めるわけには・・・
グルォォォォォォォォォォォオオオオオオオン!!
唐突に、ドラゴンの咆哮が町全体を揺らした。大地は揺らぎ、付近の家の窓が割れる。町長は尻もちをつき、ただただその迫力の前に口をパクパクさせている。ウォーリーはそんな彼をドラゴンの背から眺め、親指を立てたまま確認した。
「オッケーデスか?」
「お、お、お、オッケーですじゃ。」
ウォーリーは満足してドラゴンの背から飛び降りると、イリスの前に立った。ハリアードラゴンが出す暴風の中、イリスもウォーリーを迎えるように両腕をゆっくりと広げ・・・そして絞り出すように・・・本当に小さな、ささやくような声を出した。普通の人間なら聞き逃すような声。もちろんウォーリーの優れた聴覚センサが聞き逃すはずもなく、しっかりとイリスの声を捉えている。
「・・・ぉ・・・ウォーリー・・・大好きよ。」
「我もデス、イリスサマ。」
・
・
・
「いやぁ、ドラゴンにウォーリーの奥さん・・・今回は大収穫だったねぇ。」
俺たちは今、地上をはるか下に見下ろしながらネコの町に帰っているところだ。ドラちゃんに乗れば俺たちのネコの町とドラゴンの町は1時間もかからずに行き来できるので、いろいろと準備はあるだろうがとりあえずイリスさんも連れて帰ることにしたのだ。
とはいえドラちゃんのコックピットは2名しか乗れない。というわけで、ドラちゃんの太い脚で、俺たちが乗ってきたトラックを掴んで運んでもらっている。荷台は風がゴーゴー吹いているのでけっこう寒い。なのでハルとイリスさん、ウォーリーはトラックの運転席に乗ってもらい、エドとナナはもちろんドラちゃんのコックピットに。俺は荷台だ。うん、ドラちゃんの背中で振り回されるのに比べたら天国だよマジで。腕時計で通信するのでトラックの運転席とも会話できるしマキちゃんもいる。寂しくはない。ちょっと身体の表面が凍ってるけど。
「ねぇねぇイリスさん、ウォーリーのどこがいいの?」
運転席では、さっきからハルがイリスさんを質問攻めにしている。こういう浮いた話を聞く機会なさそうだし、仕方ないよね。ハルは大人びているし実際この世界では成人扱いだけど、まだ15歳の女の子なんだから。
「ええ、私も興味がございますわ。ウォーリーのどのあたりがよかったのですか?」
いつの間にかマキちゃんのホログラムが運転席に出現している。マキちゃんも女の子・・・500歳超えてるけど永遠の女の子だから仕方ないよね。少しずつ喋れるようになっているイリスさんは、時々ウォーリーの助けを借りながら積極的に俺たちと話をしてくれる。彼女は頬を染めてモジモジしながら言った。
「えっと、強くてカッコよくて優しくて・・・わたしのヒーローなんです。」
「ひゃああああああああかわいいいいいいいいい!ウォーリーにはもったいなぁぁぁぁぁい!聞いた?聞きましたか?精霊さま?」
「ええハル様、聞きましたわ、聞きましたとも!私までコロリと落とされそうなほど可愛らしい方ですわッ!ウォーリー、ちょっと私にくださいな!」
「デェッヘッヘッヘッヘッ・・・照れマスね。ぜったいあげまセン・・・デェッヘッヘッヘッヘッ・・・。」
「照れるウォーリー気持ちわるぅぅぅぅい!この幸せモノ!」
「デェッヘッヘッヘッヘッ・・・」
イリスさんは少しずつ確実に良くなっているが、心の傷は消えたわけではない。この後、一生をかけてトラウマと戦っていくことになるのかもしれない。それでもきっと、ウォーリーがいれば大丈夫だろう。あいつは変態だけど、本当にやる男だから。
俺が荷台で半分凍りつきながらウォーリーとイリスさんを眺めていると、ふいにマキちゃんのホログラムが現れて横に座った。
「ん、マキちゃん?」
「ご主人様・・・ウォーリーのプロポーズ、なかなかでしたわね。」
「そうだね、出会って1時間も経ってなかったけど・・・実にストレートだったよね。」
「夕日の中で、お姫様抱っこしながら・・・憧れますわ・・・ああいうプロポーズ・・・憧れますわねぇ・・・。出会ってたったの1時間でプロポーズなんて凄いですわ・・・ああ、憧れますわねぇ・・・。」
マキちゃんはチラリと横目で俺を見ながら何度も「憧れますわ」と「たったの1時間」を連呼する。なんだよ、べつに500年間プロポーズしなくたっていいじゃないか。・・・ダメ?ダメですか。そうですね。極寒のなかでも変わらず美しくそこにいるメイドさんを見ると、もう色々考えずにとりあえずプロポーズしてやろうかという気がムクムク湧いてくる。俺だって別にしたくないわけじゃないっていうかなんていうか・・・。
「あのさ、マキちゃん・・・」
「はい、ご主人様。」
マキちゃんが身体をこちらに向け、何かを期待した眼差しで俺を見る。その目はキラキラと輝き、どこまでもまっすぐ俺を見ている。
「あの、あのさ・・・。俺と・・・俺と・・・けっこん・・・結婚・・・」
ふと目の端に、こちらに背を向けたままハンドガンをリロードしているハルが見えた。運転席から溢れでる殺気にイリスさんもドン引きである。
「・・・けっこん・・・結婚式、そう、ウォーリーの結婚式の段取りでも考えようか。ねぇ?」
「・・・はぁ。そうですわね。」
マキちゃんは「最初からこうなると思ってた」と言わんばかりにため息を吐き、ハルはこちらを見ないまま銃をしまった。通信機は止めてるから、こっちの会話は聞こえないはずなのに・・・女のカンか?女子怖い。マキちゃんがボソリとつぶやいた言葉は、風の音にかき消されて俺の耳には届かなかった。
「いつまででもお待ちしていますわ・・・ご主人様。」




