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end

人は変わることができる。

花が枯れかけても、再び咲き誇ることができるように。

 普段ならばゆったりと過ごしている日曜日の朝。

「ほら、早く準備しろって!」

部屋にアイの声が響く。苛立つ声に急かされて、冬士は途中だった歯磨きを中断させて蛇口を捻った。

 うがいをし、顔に数回水を被せる。ついでに寝癖の部分も水で濡らした。タオルで顔と頭を拭けば、早々と準備は整った。

 だが、着替えさせられた英語のロゴが描かれたパーカーに、水滴の柄が入っていることに気付く。黒のスラックスも、目を凝らせば水溜まりの跡のようなものが出来ていた。アイに見つかれば着替えさせられるだろう。

 自分から替えておこうか。それともドライヤーで乾かすべきか、自然乾燥か。そんな考えを放棄するように、冬士は窓の外を見た。

 雲一つないような晴天。まだ真上に上がりきっていない太陽が眩しい。名前も知らない鳥が二匹、楽しそうに青の空を泳いでいた。追いかけっこをしている二匹を見て、冬士は思わず口端を上げる。

 窓ガラスには冬士の姿も映し出されていた。

 ばっさりと切った髪の毛。耳が見え、最近虚ろではなくなった黒の瞳も見え、首もすっきりと伸びている。自分から見ても、清潔感があるショートカットだ。顔も明るく見えると、大学の友人からお褒めの言葉もいただいている。

 アイがコーディネイトした服は、冬士を今時の大学生に見せてくれた。冬士が服を選ぶと、パジャマのように見えてしまう不思議だ。

 二年前からは想像の出来ない小奇麗な冬士が、ガラスには映されている。

 そこで、ブブブと機械音がなった。太股に感じた振動で、冬士はズボンのポケットに携帯を入れていたことを思い出す。

 急ぐことも忘れてピンク色の携帯を取り出し、中央のボタンを押す。そうすれば、画面には新着メールという文字が浮かび上がっていた。

 メールの送り主は、冬士の格好をまず褒めてくれた変わり者の女子だ。今度の飲み会の幹事のため、次の店を決めるのを手伝ってほしいという内容だった。

「おいっ! 携帯なんて後にしろ!」

 分かった、とメール文を打ち込んだところで、冬士の頭が叩かれた。軽くだったが、掌を目一杯使った攻撃に、頭が少し前に倒れた。

 冬士が慌てて後ろを向く。そこには腕組みをし、頬を膨らませて唇を尖らせたアイが立っていた。

 髑髏の付いたシャツに、ダボっとしたダメージジーンズ。首元には、冬士と由夏が退院祝にプレゼントしたクロスのシルバーアクセサリーが掛けられている。

 雄々しい格好は、腰まで伸ばしたピンクの髪と中性的な顔では、お世辞にも似合うと言いは難い。

 女の子が彼氏の服を着たみたいだ、と正直に言った冬士が腹を思い切り殴られたのは、もうだいぶ前の話だ。

 それから冬士は、アイの服装に口出ししないようにしている。

「遅い!」

「ごめん」

 だん、と床を踏み鳴らすアイを宥めるように、冬士は目の前にある頭に手を乗せた。


 二人が一緒に暮らし始めてから、もう二年が経つ。

 死にかけたアイは病院で半年ほど入院したが、無事退院した。退院中、フラワードールの保護施設団体に虐待を疑われて事情聴取を受けたり、病院食がまずいとアイが勝手にお菓子を食べて腹を壊したりと、様々なトラブルが起こった。

 しかし、全てを二人の力で解決し、今ではいい思い出となっている。

 退院後、アイはすくすくと育った。今はもう、一六五センチにも身長を伸ばしている。定期診断でこれ以上背は伸びにくいと言われたが、冬士を抜かすまではと日々牛乳と奮闘している。

 体重は背に対して軽いものの、痩せすぎてはいない。ここ一年は風邪なども引いておらず、不調と言えばたまに食べすぎて腹を壊す程度だ。

 窓の傍に置かれる植物も、アイの背丈と同じ高さに成長していた。

 数えるのが大変なほど花を咲き誇らせている。上品なピンクの花弁は水を与えると嬉しそうに光る。ハートの形も手伝って、部屋を明るくしてくれている。

 部屋には物が増えた。アイの私物だけでなく、冬士の服や雑貨も多くなっている。生活感のなかった部屋は、今では一度散らかると片付けるのが大変なところへと変貌していた。

 全てが、二年前とは違った。

 部屋も植物も。アイも、冬士も。嬉しい成長を遂げていた。


「今日は服屋と靴屋と、それから焼肉も食いに行くんだからな! 待ち合わせの時間までそんなないんだから、のんびりしてる暇ないぞ!」

 アイは頬を膨らませたまま、頭を撫でる冬士の手を退かした。

 身体の成長が止まったため、今日はまとめて服を買いに行く予定になっていた。服だけではない。靴に帽子、鞄も買わなければいけない。その後は義父と母、由夏と合流し、焼肉を食べに行くのだ。

 外でやることがたくさんある。アイが急げというのも無理はない。冬士は打ちかけのメールをそのままにし、携帯をポケットの中へと戻した。

「ごめん。もう準備できたから」

「ほんとか? 財布は持ったか?」

 じとりとしたアイの目で、冬士はしばらく考えてからポケットに手を入れた。そこには携帯しかなく、財布はない。入れた覚えもなかった。

「……あ」

「ほらみろ! まだじゃねぇか!」

「う、ごめん」

 冬士が素直に謝れば、アイは「まったく」や「仕方ねぇやつだ」と文句を垂れながら、背の後ろに隠していた物を取り出した。

「ほらよ」

 アイに握られているものは、今しがたポケットの中にないと気づいた黒の長財布だった。

「パソコンの隣にあった。ったく、適当なこと言うな」

「ごめん。早く出ようと思って……嘘つくつもりはなかったんだ」

 自分が悪いと、冬士は素直に謝罪する。それだけではなく、きちんと理由も口にした。

 二年もかかったが、冬士はようやく人と普通に話せるほどに成長した。言っていいこと、いけないこと。お世辞に冗談。それらを把握し、受け答えも出来る。

 たまに大学でヘマをしでかすものの、笑って許してもらえる程度だ。そのおかげで順調に、初めての友人たちとの関係を築けている。

「ごめん」

 もう一度、冬士が謝る。沈んだ表情の冬士に、アイは頬から大量の空気を抜き、黒い長財布を冬士の手に押し付けた。

「もういい! 早く、準備するぞ」

 アイはぷいと横を向いたまま、冬士に手を差し出した。ピンの伸された指がぎこちなさを見せ、冬士の頬を緩めさせる。

 アイはスキンシップを好む。だが最近は自分から触れるよりも、冬士から触れてくることを気に入っていた。恥ずかしがりながらも、こうして冬士の温もりを求めてくる。

 頬を染める表情は、冬士をどきりとさせるほど色香を増していた。

 長い睫毛、冬士を映せばキラキラと輝く瞳に、ぷるりとした唇。マシュマロのような頬だけでなく、形の良い指や細く長い手足など、身体全体がしなやかで柔らかい。まとう甘い香りが癒しをくれる。

 可愛さと美しさを秘めた美貌。アイは小さな時よりもうんと綺麗になっていた。まさに、インターネットで調べたフラワードールの魅力そのものを開花させている。

 だが、冬士は思う。アイがフラワードールでなくとも、冬士はアイに惹かれていただろうと。

 我儘なところも、少し湾曲している性格も、子供っぽいところもアイの魅力だ。

 全てをひっくるめて、冬士はアイを好きなのだ。

「ありがとう」

 差し出された、冬士よりも少し小さい手を握った。

 アイがこうすればすぐに機嫌を直すと冬士は知っている。案の定、アイは逸らしていた視線を冬士に戻し、咲き乱れんばかりの笑顔を見せた。

「財布、ありがとう。後は大丈夫だと思う」

「ほんとだろーな」

「本当。財布があれば大丈夫」

「よし! んじゃ行くか!」

 手を繋いだまま二人は玄関に向かう。重なった手は、今では強く握っても折れたりしない。

「あ、今日冬士もなんか買うんだろ?」

「うーん、考え中かな。最近買い物たくさんしてるから、お金が……」

「でも、由夏小遣い貰っただろ。俺も貰ったし」

「あ、そうか。なら、少し買えるかも。父さんも、頼めば色々買ってくれるし」

「仲良くなったからって、強請りすぎると怒られるぞ。かーちゃんの方に」

「はは、そうかも」

 話している間に玄関に到着した。アイが手を使わずに靴を履いたため、冬士もそれを真似て靴に足を入れた。だが、上手くいかず、もたついてしまう。

 手を離そうとしたアイが、それを止めて冬士と向き合う。

「じゃあ! 俺が服買うの一個減らしてやる! で、しょうがないから、同じブレスを二つ、買ってもやらなくも、ない」

 手を引かれた拍子に靴は履けた。それよりも、冬士は口ごもりながら出されたアイの言葉に首を傾げる。

 アイ自身、言いたかったことをはっきり言えなかったと自覚していた。言葉を付け足そうと、うー、やら、あーと単語を探している。

 言葉の裏にある意味を、少し前の冬士ならばまるで理解できなかっただろう。だが、今の冬士には分かる。

 要するにアイは「お揃いのブレスレットを買いたい」と言っているのだ。

 つい数週間前、由夏と冬士がお揃いのハンカチ――一年前、初めて父からプレゼントされたものだ――を持っていたことを羨ましがっていた。由夏がお揃いは仲良しの証拠だと自慢し、アイをからかっていた。

 由夏の挑発に、ブレスレットで対抗しようとしているのだ。アイの考えは手に取ったように冬士に伝わった。

 子どものようなアイの発想に笑ってしまいそうになりながらも、冬士は喜びのままに頷いた。

「ありがとう。お揃いのアクセサリー、買おうか」

 アイが素直な言葉を見つける前に冬士からそう提案すれば、アイの顔がぱぁと輝く。

「冬士がどうしてもって言うなら、お揃いにしてやる!」

「どうしても、だよ」

「おう!」

 アイは頬を一段と赤く染め、嬉しそうに冬士を見つめる。冬士も自然と顔を綻ばせた。

 自然と手を繋げる距離にいることが。

 他愛なく話せることが。

 こんなにも幸せで、こんなにも愛しい。

「そうと決まれば、早く行くぞ! 絶対いいの見つけてやる!」

「うん」

 ドアが開けられた。

 跳ねる勢いで飛び出したアイの隣に並び、冬士も外に出る。

 二人を、青い空が迎えてくれた。柔らかい光に包まれ、穏やかな風が身体を包む。少しの肌寒さはあったものの、二人は笑顔で走り出す。

 まずは服を買いに行くか、それとも靴かアクセサリーか。話題と笑顔は尽きることがない。


 幸せの体温を保ったまま、繋がれた手はいつまでも離されなかった。

 二人のこれからを、示すように。



end

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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