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喧嘩をした。

そして、花は、枯れてしまった。

 レポートは無事提出時間に間に合った。

 が、そのレポートを提出した直後、冬士は待ち伏せしていた女子に掴まった。

 同じゼミ内で、いや、大学内で冬士に話しかけてくるのは一人しかいない。冬士と同じく変わり者だと有名な、人見知りを一切しない女子だった。

 その女子に引っ張られて連れ込まれたのは、冬士が先程までいたパソコン教室だった。どうしてもレポートがまとまらないと泣き付かれ、無理やり椅子へと座らされた。

 締め切りまであと三時間。さすがに泣きじゃくる女子を見捨てることはできず、手伝うこととなった。あらかた出来ていたレポートは、冬士が文をまとめれば一時間もかからずに完成した。

 それをこっそりと見ていたゼミの男子二人も、まだ終わっていないと冬士に縋り付いてきた。必死な二人の頼みも断れず、四人がかりで何とか完成させた。教授に渡したのは、提出時間の数分前だった。

 その後、冬士は上機嫌の三人に企画されていた――冬士が知らない間に――飲み会に強制連行された。

 居酒屋にはゼミ生が揃っていた。レポートによる睡眠不足のせいか、皆のテンションが高い。すでに酒の入っているものもいた。

「なぁ!」

 いつもは冬士に挨拶もしない男子が、三人から散々感謝の言葉を向けられている冬士に話しかけてきた。長髪のゼミでも目立つ男子だ。

 レポートどうだった、どう書いたという質問に、冬士は花との会話を思い出しながら答えた。

 すると長髪の男は驚いた顔をして、そのあとすぐに笑顔となった。持っていた酒を手渡され、飲めと言われるままに冬士はそれを飲んだ。

 それを切掛けに、感謝しか言わなかった三人も冬士に質問を投げかけてきた。普段はどんなことをしているか。趣味は何か。彼女はいるのか。

 初めて飲んだ酒の勢いも借りて、冬士はどの質問にもぽつりぽつりと答えた。

 周りが静かになっていることに気づき顔をあげれば、皆は目を大きく見開き、会話も止めて冬士に注目していた。

 そこから、冬士は全員からの質問攻めとなった。

 好きな食べ物はなにか、どうしてそんなに頭がいいのか、どんな子がタイプか。答えれば、次から次へと問いを向けられる。花との会話のおかげか、誰も冬士の返答に眉を潜める者はいなかった。

 雰囲気が変わった。話しかけやすくなった。誰もがそう言った。今まで無視してごめん、これから仲良くしようと笑いかけてくれる者もいた。

 冬士はその日初めて、人の中に溶け込むことができた。


 大量の酒を飲まされ、一睡もせずカラオケやボーリングに連れ回され、目まぐるしい速さで時は過ぎていた。

 酔っ払った仲間から解放された時には、家を出てから二日も経っていた。

 最近の大学生というものを初めて経験して疲労困憊としながらも、自然と足は忙しく動いていた。眩しい朝の日光を腕で遮りながら、家路への道を駆けていく。

 心が、冷静になっていた。そのおかげで分かったことがたくさんあった。

 これ好き? と聞かれれば頷くだけで終わらせていた昔とは違い、今日は言葉で好きだと言った。そうすれば、そこから話題は自然に広がった。

 皆が盛り上がっている会話で冬士の分らないものもたくさんあった。いつもなら本を読みたいと視線すら逸らしていたが、今日は積極的に聞きの体制をとった。そうすれば、流行の音楽のことも少しは理解することができた。

 ひと昔前の冬士ならば、頼まれてレポートを手伝うところまでは出来ても、その後の飲み会で会話を成立させることは出来なかっただろう。

 毎日の花との会話、コミュニケーション。それがなければ冬士は確実に皆の顔を顰めさせていた。そうはっきりと分かるほど、冬士は花との生活で知らないことを学べていた。

 冬士が皆の仲に馴染むことが出来たのは、花のおかげだった。

「早く、帰ろう」

 ぎゅっと掌を握り、足の速度を早める。

 冬士はまだ花が怒り出した理由は分らない。それでも、あの花の怒鳴りようは自分が悪いと気付くことができた。

 花が本気で怒鳴ったのはあれが初めてだ。いつもの遊びのような怒りではない。花は本気で、何かを訴えるように憤怒していた。

 謝ろう。その思いが、足を急がせた。


「ただ、いま」

 わざと音を鳴らして、冬士はドアを開けた。大学から帰ってきた時にはすぐに上がる声は、今日はなかった。

 ドアを閉め、靴を脱ぎ捨てて廊下に上がる。また怒鳴られても冷静にいようと心に決めながら、冬士はリビングへ入った。

 もう一度出そうとした声は、花を見つけて止まった。

「あ……」

 テーブルの上に花はいた。花は息もせずに、赤の上に転がっていた。

 ただいまとでかかった声が、意味のない息となった。

 折れそうになる足を何とか動かし、冬士は何とか前に進む。どれだけ目を擦っても、瞬きをしても、目の前に広がる光景は変わらなかった。

 両腕と左足がない。テーブルの右端、中央、その隣に落ちていた。どのパーツも、肌色を失って青みがかかっている。血に染まり、肌が見える部分の方が少ないが。

 髪は抜け落ち、テーブルの上に小さな絨毯を作り出していた。綺麗に揃えていたはずの髪はいつかの惨状を思い出させる。いや、それ以上にみすぼらしくなっていた。艶などない。十円ハゲどころではなく、右後ろの頭皮は半分以上が剥き出しとなっていた。

 床に付けている顔の頬は痩け、開いた口から白に近い色の舌が見える。手首が一回り細くなっていた。出掛ける前と同じシャツの間から、肌にくっきりと浮く肋が見えた。

 あれだけ美しいと思っていたものが、全て朽ち果てていた。

 少し視線を上げれば窓側の植物が見えた。花びらが何枚も、土とテーブルの上に落ちていた。茎も葉も淡い色をなくし、茶色がかっている。

 花は、動かない。

 体温が急激に下がっていく。身体中が震え出す。息が、できなくなる。

「嘘……だ」

 何故。どうして。

 大きく口が開いた。だが、そこからは何の言葉も出ず、喉からは掠れた「あ」が一つ溢れただけだった。

 料理は作れないにしろ、小さな花の手でも開けられる非常食はいくつも準備してあった。小さなジョウロも飲水も鉢の隣に置いてある。飢えるはずはない。

 だが、そこで冬士は、ストレスという言葉を思い出した。

 冬士は人に囲まれ、花との間に出来た嫌な気持ちを忘れることができた。しかし、花は違う。

 喧嘩をしたまま、花はこの家で二日、一人でいた。部屋を出たばかりの感情が丸二日、ずっと花の中にあった。その状態で過ごしていた。

 自分が花の立場だとしたらと考えただけで、冬士は身震いをする。

 辛い。苦しい。悲しい。とても、耐えられるものではない。

 花が一人になればどんな思いで過ごすこととなるか。少し考えれば、分かることだった。

「嫌だ」

 冬士は首を振り、花に手を伸ばした。恐る恐るその小さな身体に触れる。体温はないに等しく、冷たさだけがあった。血さえ冷えきっていた。

 花弁を引っ張り、もいでしまった時とは違う。自然に花弁が散った。人形の花も、閉じた瞳を開こうとはしない。

 花は、ただの人形となり果てていた。

「嫌、だ」

 冬士は、色々と足りなくなった花の身体を手で包み込む。与えようとした体温は、逆に花の冷たさに染められていく。

「いやだ、嫌だっ!」

 思い出したように、テーブルの上の腕を掴んだ。肩の断面に押しつけようとするが、震えた指では上手くいかない。

 何もかもが、上手くいかない。

「どうしたの、冬士」

 冬士の足が折れる直前だった。見知った声に、冬士が顔を上げる。

 ドアの前には、ストライプのスーツを着た由夏が立っていた。初めて聞く弟の叫びに、アイラインを引いた瞳は丸々と開いている。

 どうして由夏がここにいるかなど、そんなことはどうでもよかった。

「姉さん!」

 冬士はすがる思いで、掌に乗せた花を由夏に差し出した。


 状況を知った由夏の行動は早かった。

 花を毛布にくるみ、もげた手足と花弁、植物を抱え、困惑状態の冬士を掴んで外へと飛び出した。道の真中に飛び出してタクシーを拾い、車内で専門の病院に連絡を取り付けた。

 違反ギリギリのスピードで進む車内で、由夏は花の胴体に腕と足を無理やりくっつけた。花の服を破いて固定に使い、足らないものは由夏のブランドのハンカチを破って包帯にした。

 何もできずに混乱していた冬士は、由夏に頬を一発叩かれ、正気を取り戻した。

「温めてあげなさい」

 真剣な、それでいて怒りよりも悲しみで満ちた表情が、冬士を真っ直ぐに見つめていた。

 由夏は花から毛布を取り去る。そして何も身に付けていない花をそっと、冬士の手に乗せた。

 言葉を出せないまま、冬士は握りすぎないように最善の注意を払いって、花を包んだ。肌を撫で、血を拭いながら熱を生み出す。

 すると僅かに、音がした。

 心臓の音が、聞こえた。

「生きてる」

 ようやく出た冬士の声に、由夏がくしゃくしゃの黒髪を殴った。

「そうよ。勝手に殺すんじゃないの!」

 そこで初めて、由夏の目に涙が浮かんだ。由夏は涙を落とさないようにしながら、今度は植物の方の応急処置を始めた。


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