Ⅳ
花との生活。
花との会話。
そして、過去。
「おい、飯まだか!」
「もうすぐ」
テーブルの上で花が騒いでいる。
かんかん、かんかんという音が早くしろと訴えているが、冬士はマイペースに食事の準備を進めていく。
フライパンを振るえば、解れた麺が調味料と野菜と絡み合っていく。白かった麺が茶色に染まり、キッチンはソースの匂いで満たされた。
今日の昼食は花のリクエストで焼きそばだ。匂いがキッチンからリビングに漂い、花の奏でる音が大きくなった。
手を動かしながらも、冬士はちらと花を見た。
花は両手に短くした爪楊枝を持ち、相変わらずコップを叩いている。カン、コンと様々な音を出し、待ち時間を凌ぐように遊んでいた。
花の腕が取れ、結合させてから、もう三日が経つ。
腕は無事にくっつき、全ての指が動くまでに回復した。物を持つこともできている。
早速購入した服のおかげで、裁断傷は日常では見えない。入浴時に、その線も薄らいでいることが確認出来た。いずれ跡は消えると、花は言った。
リビングを通り過ぎ、窓辺に視線を向ける。そこには日光浴をする植木鉢があった。
植物の方も花びらを綺麗な色へと戻していた。最近では栄養剤を与えるだけでなく、日の当たる時間帯は窓辺に置くようにしている。少しだが、葉の枚数が増えてきた。
たくさんの食事を貰い、暖かな日差しの下で嬉しそうにしている。花のそんな独り言を、冬士はひそかに聞いていた。
「おい、何よそ見してんだよ! 早く飯!」
植物の方は兎も角、人型の花はご立腹だ。連打でコップが叩かれている。
冬士は炒めすぎたフライパンを持ち上げ、火を消した。返事をする前に盛り付けを始める。
「はい、できたよ」
小走りでリビングに入り、冬士は二つの皿をテーブルへと置いた。
一つは冬士用の白い皿。もう一つは花用の、普通のものより四分の一の大きさしかない小皿だ。その皿の上には、冬士の五口分ほどの焼きそばが乗せられている。花に合わせてみじん切った野菜が、小さな皿ではまともに見える。
「よし、食うぞ!」
「うん」
「「いただきます」」
声を合わせ、両手を合わせる。それが終われば花は皿にダイブせんばかりの勢いで食事を始めた。
箸を不器用に持ち、長い麺と格闘している。それでも何とか口に運び、頬をぱんぱんに膨らませて食べる。咀嚼している時の表情は、まさに至福を噛み締めているものだ。
野菜もきちんと箸で掴む。だが、ビーズよりも小さな人参が皿の外へ、消しカスのようなピーマンは花を弄ぶようにあっちへこっちへと逃げていく。
花はその度に冬士の目を気にするので、冬士は見ていないフリをして焼きそばを啜った。
花は箸を上手く持てていない。箸を利き手ではない、もげていない方で持っているからだ。
花は取れた腕を利き手ではないと言った。だが、取れたのは利き手だ。箸をいつもそちらで持っていたのを、冬士はぼんやりとだが覚えている。
今思えば、もげてしまう前から花は腕や指を動かしづらそうにしていた。
花弁が枯れるのに気付く二日前。皿の周りに散らばる食べカスをじっと見つめていた冬士に、花は「箸の使い方が上手くないからだ」とそっぽを向いた。その頃から、花は腕の異変には気づいていた。
初めて二人で食事をした日は食べ零しなど気にならなかった。テーブルの上を拭く際に汚れはほとんどなかった。
思い返せば兆しはいくらでもあった。冬士が気に止めていなかっただけなのだ。
口数が多い割に花は大事なことを言わない。言いたいことを我慢している。そのくせ冬士が落ち込めば、嘘を付いてまで庇おうとしてくれる。
荒い言葉遣いと俺様な態度に反して、花はとても繊細で、優しい心を持っていた。
あの日から、二人の関係は少しずつ変わっていた。
冬士はなるべく声を出すことを心がけるようになった。インターネットでフラワードールのことを隅々まで読み、分らない部分は花に聞くようになった。
一日の中で、自然と会話が増えている。一人でいる時は一日一言も話さない日などざらではなかった冬士にとって、それは不思議な日常だった。
「……なんだよ」
花の声で、冬士は長いこと銜えていた箸を解放する。
ぼんやりと考えごとを広げていた冬士は、食事の手を止めてぼぅと花を見つめていた。刺さる視線が食べ零しを見ていると勘違いした花は、バツが悪そうに人参やピーマンを拾い集めている。
「美味しい?」
冬士は考えごとをやめ、何とか思いついた言葉を口に出す。すると花は自分の勘違いに気づき、頬にピンクを差しながら頷いた。
「まぁまぁ、うまい」
「よかった」
「でも、ご飯も炊けよ。焼きそばだけって寂しいだろ。サラダとかも欲しい。今度はセットな」
食事が再開する。
小さな身体には不似合いなほど、花はもりもりと食事を進めていく。ほぼ残っている冬士の皿に比べ、花の皿からはもう麺が消えようとしていた。
ワンテンポ以上遅れながら冬士は花の言葉に「分かった」と返し、温くなってきた麺に箸を入れた。
ざあざあと煩い雨の日。暇だ暇だとぼやいている花に、冬士は性別を聞いた。
フラワードールは両生類だと花は答えた。その花の意思で、性別は女にも男にもなる。身体も成長にあわせて心を反映するのだ、とも。
花の心は男。きっぱりとそう付けた花に、
「顔は女みたいだね」
と言えば、冬士は思い切り指を踏まれた。
燦々と晴れた日曜日。座るソファの上をうろちょろとしている花に、冬士は好きな食べ物を聞いた。
肉。と、花は即座に答えた。植物が元だからといって液体が好きなわけではない。人間のように好みがあり、ベジタリアンもいるらしい。
野菜などは共食いにならないのか、と出かかった言葉は、花の今日の夕飯の意見に押され、喉の奥へと帰っていった。
鉛色の曇りの日。寒いからと膝に乗ってきた花に、冬士は何かを聞こうとした。
だが、質問を思いつかず、黙ってしまう。性別、好きな食べ物。嫌いな食べ物の話は入浴中にした。あと聞いたものといえば、服の好みくらいだ。
たったそれだけ。
花と暮らし始めて一ヶ月は経つが、冬士が自ら聞けたのはそれだけだ。声を出すようになったといっても、花の会話にイエスかノーと声に出すことが多い。
何か話そうという意思はある。だが、他にどういうことを聞けばいいのかが分らない。
話などいくらでもある。だが、いざとなると何も出てこない。今まで、冬士は姉以外にこれほど言葉を使った相手はいない。その姉は、自分から一方的に話してくれていた。
生まれてこの方、冬士から話を振った相手は花が初めてなのだ。
「おい」
膝の上に背筋をぴんと伸ばして座っていた花が、顔を上げた。冬士は天井をさ迷っていた視線を花に落とす。
花はもごもごと声にならない声を口の中で転がしている。冬士が「何?」と言うように首を傾げれば、花は自分を落ち着けるように一つ咳を付いた。
「話すことないなら、お前のこと教えろ」
「僕の、こと」
「そうだよ。それならお前でも話せるだろ。小さい頃の話とか、さ」
小さい頃、と花の言葉を口返し、冬士は自分の幼い頃を思い浮かべる。自分のことだけあり、声に出来そうな言葉は見つかった。
「幼い頃に、両親が離婚した」
花の表情が固くなる。しかし、話の糸口を見つけた冬士は、そのまま話を続けていった。
生活のために母は夜遅くまで仕事をしていた。そのせいで、一週間顔を見ないことなどざらだったこと。
家の近くの託児所も幼稚園も人数が多いから入れないと断られたこと。姉だけが幼稚園へと入学し、冬士は叔母の家に預けられていたこと。
その祖母は末期の病で、すぐに亡くなってしまったこと。
そこまで話したところで、花がぐいぐいと冬士の服を引っ張った。
「もう、いい」
花が弱く首を横に振る。冬士は言われたとおりに話を止めた。
「面白くなかった?」
「違うけど」
もう一度、花が首を振る。先程よりも弱々しい。
「それはお前にとって辛いことだろ。聞いて、ごめん」
そんなことはない。最近ではどこにでもあるような事情だ。そう言おうとした言葉を、冬士は飲み込んだ。
辛いだろうと言った花自身が、とても苦しそうな表情をしていた。瞬きを増やし、唇を噛んで顔色すら悪い。これ以上冬士が話を続ければ本当に泣いてしまいそうだった。
冬士は素直に頷く。そうすれば花は背を向け、冬士の腹にもたれ掛かるように座った。
冬士からは花の顔が見えなくなる。それでも微動が伝わり、今もまだ同じ表情をしているのだと分かる。
だが、なぜ花がそうなってしまったのか、冬士には分らない。
親がいないことも、出前を自分で取ることも、一人で誰もいない家で過ごすことも。冬士には日常だった。
それを言えば花は泣いてしまうだろうと、冬士は疑問を口には出さず、しばらく肩を震わす花の姿を眺めていた。