Ⅰ
花と命を連結させている種族を、プレゼントされる
お花に名前をつけましょう
八月一日。夏休み初日。
「はいこれ、プレゼントね」
スーツの女がテーブルの上に置いたのは、両手の平に乗る小さな鉢だった。それを、目の前に座る青年に差し出す。
「ありがとう、由夏姉さん」
青年は無表情のままにプレゼントと呼ばれる物を受け取った。虚ろな黒の瞳が、鉢を映す。
鉢の中央には細い茎が生えていた。真っ直ぐに伸びているのは途中までで、先端は疲れたようにお辞儀をしていた。その天辺には円形の薄ピンクの蕾がある。葉は遠慮しているかのように数枚しかなく、どこか萎れている。辛うじて花の鉢だと認識できた。
名前のプレートはない。だからと言って、皆が知っているような名前の花でも豪華な花でもない。
首を下げて、花弁を閉じて眠っている花。社会人である姉から、今日で二十歳を迎えた弟へのプレゼントにしては粗末なものだった。
そう、花だけならば。
土の上に、何かがいた。虫ではない。茎を抱き締めて土の上に横たわっているのは、花と同じほどの背丈の人形だった。
髪に隠れて顔はほとんど見えない。小さな身体も、どこで買ったのかと聞きたくなるような小さなシャツに隠されている。
それでも、足や手の指、爪の先、唇に耳、そして肌。関節のある腕や足など、見える場所は不気味なほど精巧に作られていた。
特に髪が凄かった。肩を覆うほどの長さの髪には一本一本に艶があり、触らずともさらりと流れる柔らかさを想像できた。花弁と同じ薄いピンク色の髪の上には、小さな花があった。鉢に埋まる花とは違い、開いている。髪飾りのようだ。
そこまで見て、青年は瞬きを止めた。人形が普通の人形ではないと気づいたのだ。
人形から、寝息が聞こえた。僅かに動きもあった。唇が何かを食べているように動いている。胸が上下し、呼吸をしていることが分かった。
青年はしばらく無言でそれを眺めていたが、諦めたように顔を上げた。
「これ、何」
さして驚いていない漆黒の瞳が、由夏を見ながら鉢を指差す。
由夏はエセ臭い笑顔を浮かべ、頬の横で両手を合わせた。
「フラワードールっていうのよ。人間の形をしていて、おしゃべりも出来る花。高いんだから」
「万年金欠の姉さんが買ったわけじゃないよね」
むっとしながらも、由夏はそれを否定しない。頬を膨らませるその仕草は、とても二十八歳の大人のものとは思えない幼稚さだった。厚化粧の顔には不似合いだ。
それに対してなんの反応もしない青年に諦め、由夏は頬に溜めた息を溜め息に変えた。
「捨てられてたのよ、ゴミ捨て場に。見つけた時にはもう枯れかけててね。見かねて、拾っちゃったの」
由夏はそっと葉に手を伸ばす。指が触れる前に一瞬、葉が揺れた。土に眠る人形も、眉間に皺を寄せて身じろぐ。
「医者に連れてったりしてもう大変だったわ。金欠がさらに加速よ。でもそのおかげで最近はね、体調が良くなってきたの。やっと話せるようにもなったんだから。だけど、年齢のわりに小さいし、身体も弱いんですって。花が丈夫になれば、この子も丈夫になっていくらしいんだけど……」
透明なマニキュアの光る指が、葉に触れた。爪を立てないように、指の腹が緑を撫でる。
明らかに強張っていた葉が、指の優しさに安心したように弛緩する。静かになっていた寝息も再開した。
「拾ったものをプレゼントするのもどうかと思ったんだけどね。高価な子だし、何よりあなたに必要だと思うの」
先程までの笑顔が、由夏から消える。真剣な眼差しに見つめられ、青年はしばし考える。
「枯らす自信がある」
そして無表情のまま、そう答えた。
普段ならここで、由夏は「なら仕方ないわねぇ」と姉らしさを出してくる。話はそこで終わりだ。
だが、今日は違った。
「あなたにあげるんだから、それも任すわ。枯らすも生かすも、あなた次第よ」
決意の強い言葉に、青年は僅かに目を見開いた。
「冬士、あなた大学に友達……いえ、一人も友達いないでしょう」
青年、冬士は素直に頷く。
「その子と話す練習をして、少しは人間らしさを身に付けなさい。あなたは今のままでいいと思っているかも知れないけれど、社会に出たらそれじゃ済まないのよ。いくら生まれもった性格だからって、いつまでも人間嫌いでいていい理由にはならないわ。父さんにも母さんにも迷惑かけて……」
由夏は困ったようにボブの髪をかき上げ、そこで言葉を止めた。
由夏の声が止まれば、部屋は静寂となった。由夏はそれ以上何も言わない。冬士も、言われた言葉に反論もしなければ答えようともしない。重い空気が二人を包む。
「じゃあ、また来るわね。なるべく枯らさないであげてほしいわ」
沈黙に耐えきれなくなった由夏が立ち上がる。最後に「誕生日おめでとう」とだけ告げ、由夏は逃げるように部屋を出ていった。
「知ってる」
見えなくなった姉の背中に、冬士の声は跳ね返され、消えた。
残された鉢と、父と母からだと渡された小さな誕生日ケーキの箱を、冬士は何時までも見つめていた。