二日目 アユタヤ行きの電車
ボロい。
ボロすぎる。
直せ。
二日目、フアランポーン駅(สถานีรถไฟกรุงเทพ バンコク駅、ターミナル)からアユタヤに行くのに電車に乗ったのだが、この電車がキョーレツだった。
まずそもそも駅に改札が無い。
物売りだのタクシーやトゥクトゥク(รถตุ๊กตุ๊ก 輪タク)の運転手だのがどんどん駅構内に入ってきてしまう。このせいでよくわからんアンナイシマショカー的な奴に付きまとわれる。
電車自体が安いのはありがたい。バンコク―アユタヤ間かなり遠いのに十五バーツとかである。一バーツ大体三・二円なのでせいぜい五十円以下だ。
しかし普通車両(รถธรรมดา)はボロボロだしヒドい。平気で二十分ぐらい出発遅れるし、雨が降れば雨漏りするし、席に座れば椅子が壊れるし、電車の中に弁当売りの他に謎の「オンラインサービスおじさん」がいて(「บริการออนไลน์」とでかい声で叫んでる、未だに何なのか不明)携帯電話片手に歩いてるし、乗客のタイ人たちも食い終わったゴミを平気で窓から投げ捨てるせいで線路はゴミで一杯だし……。
お前らもう少し電車をキレイに使おうとか思わないのか! と叫びたくなった。
アユタヤについてから、私たち二人は自転車を借りて市内を観光した。
アユタヤにある遺蹟の数々は、アユタヤ王朝の時――大体今から七〇〇年前ぐらい――建てられたもので、大半は壊れて雨ざらしになっていて仏像も頭があったりなかったり。あとで調べて分かったのだが、どうやらミャンマーとの戦争で破壊されたらしい。
ワットマハータート(วัดมหาธาตุ)なんかは仏像の頭が木の根に埋まっていてラピュタのロボット兵状態になっている。
そして、アユタヤは象の町でもある。
町に象が何匹も歩いているというのは結構不思議な光景で、乗ってみたくなって乗ったわけだが、実際乗り心地は究極に悪い。たとえるなら安全装置のついてないジェットコースターで、いつ振り落とされるか分からない恐怖で景色を楽しむどころではない。
おまけに象がそこら中でウンコするせいでいたるところに象のウンコが落ちてるし、道路はあまりの重量に耐えきれないのか所々陥没してるし、結構凄まじい。
結局、四時間ほどアユタヤに滞在した後、電車がいつ来るかよく分からなかったので夜になる前にまたバンコクに引き返す運びとなった。
そして、今度はかの有名なパッポン通り(ถนนพัฒน์พงศ์)――タイ有数の風俗街――へと向かった。
パッポンもまた妙な場所だった。
そこらじゅうに日本人の客引きがいるわ、高額で偽ブランド品を売りつけてくるわ、やりたい放題である。こうした夜間のみ展開する屋台は朝になると綺麗さっぱりなくなっているというのだから、さながら無法地帯である。
私はセクシーショーなんぞに興味はなかったので途中で帰ったのだが、H氏は夜遅くまで残って観光を続けたようである。
日本人をカモに商売している連中は糞くらえ、とか考えてるうちに私は正直かなり胸糞悪くなった。
そういえば自転車屋のおじさんにタイ語で話しかけたらなんかいたく感動された。そして自転車を返しに行ったときも、連日あれだけ観光客が訪れるというのにちゃんと私のことを覚えていた。
タイ語勉強してってよかった……としみじみ思う私だが、実際カタコトのタイ語ができてもあんまり意味がないかもしれない。
というのも観光地のタイ人は日本語ができる人も多いのである。というか彼ら英語はおろか中国語ですら喋る。アユタヤはどこにいっても日本人観光客であふれかえっており、観光客たちはみんなあたりかまわずベラベラ日本語で喋ってるし、その辺の表示も日本語で書いてあるし、象使いでさえ日本語を少しは知っている。
一番それを感じたのは件の象に乗りに行ったときで、あまりに日本人が多くてせっかくタイに来たのに外国旅行気分が台無しになってしまった。
H氏とその辺の屋台で食事した時、彼が周りみんなタイ人なのに日本語で喋り続けたせいで「お、あいつら日本人だ!」みたいな声(もちろんタイ語だからH氏は分からない)がそこら中から聞こえて恥ずかしくなってしまった。
旅は恥のかき捨て、か。