5、校庭に配られない食糧
俺たちの高校、聖フィロソフィー学園――通称テツ学――は、特殊なカリキュラムを持っていた。学年という概念が無く、古代組、中世組、近代組、現代組、そして東洋組という五つのクラスが存在するばかり。学園全体として見れば、年齢による上下関係が少ないのが特徴だ。
ただし、そんな中にあって、上下関係に厳しいのが、我々風紀委員だった。とはいえ、風紀委員は年功序列が基本ではあるけれど、成績が良くないと、いくら年齢を重ねていても幹部になれないというシステムだったりもする。逆に言えば、たとえ新入生であっても、試験の成績さえ良ければ取り立ててもらえるのだ。
なお、試験内容は古の書物を丸暗記することである。風紀委員に入りたがる人たちは、皆、他人を蹴落とさんばかりの勢いで猛勉強をしている。
風紀委員に入ること自体は、容易い。試験を受けさえすれば良い。しかしながら、入った後に出世するには、この試験で良い点を取っていないと無理なのだ。成績が低かったら、ずっと下っ端。かく言う俺もこの試験の成績が悪かったもんだから、ずっと下っ端である。多くの同期たちが耐え切れず委員を辞めていったっけ。
さて、学園全体として見てみると、入試などというものは無く、常に学びの門は開かれており、学問する気のある者なら誰でも入学することができた。授業すら少なく、自習がほとんどで、広大な敷地の中で皆が平和に楽しく学んでいた。あるところではユルく、またあるところでは侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を交わしたりしながら、学内で自由に学んでいた。
そう、昔は、平和で自由だった。
今はもう、見る影もない暗黒の世界が広がっているけどな。数ヶ月前と同じ学校とは思えないほどに。
さあ、というわけで、突然の全寮制へと移行し、限りなく不健全な運営をすることとなった我が高校は、生徒たちの親御さんには完全な情報封鎖をして安心させつつ中身は戦国という有様になっていた。
詐欺的で羊頭狗肉な展開と言えるだろう。とても悲しいことである。しかし、悲しんでいても仕方が無い。兎にも角にも、どうにか高校をまとめないことには生徒たちは幸せな生活を営めないと思われる。
教師陣、生徒会が立て続けに出て行ったことに続き、最後の統治機関であった風紀委員までもが崩壊してしまった以上、立法、司法、行政をバランスよく執り行うことが可能な状況には無くなった。学園は創立以来、未曾有の混迷期に入ったのだった。
とはいえ、高校内の広大な敷地の中には全てが揃っていると言っても過言ではなく、森あり、川あり、巨大食糧倉庫あり、寮あり、プールあり。地下には温泉があったりもする。
中でも特筆すべきは、冷凍機能を搭載した倉庫。なんと全校生徒たちを数年食べさせることができるだけの、おびただしい量の備蓄があったのだ。
これは「備えあれば憂いなしなのよ」とか言って、何が起きても大丈夫なようにという名目で「古今東西の美味しいものが食べたい」と考えた孔子ちゃんが生徒たちから集めた学費を使って用意していたものだった。
まさに置き土産と言うに相応しいもので、この潤沢な食糧の発見により孔子派が急増。荀子ちゃん派と孟子ちゃん派に分かれながらも孔子ちゃんの帰りを待ちわびるというところで共通している両派が二強として君臨した。
全寮制へと移行したこの高校において、逆らったらメシをもらえないのでは、農業ができなかったり、したくなかったりする高校生たちは従うほかなく、食を押さえるのが重要だってつくづく思う。ちなみに我らが韓非子ちゃんが「私は風紀委員だったから私もゴハンを受け取る権利がある」と言い張り、大量の食糧を強奪したので俺と韓非子ちゃんが食に困ることはなかった。
で、第三の勢力である我が韓非子派は激減してしまったが、荀子ちゃんと孟子ちゃんに表向き従いながらも孔子派のそうした権力独占構造に対して不満を抱いている者は多かった。つまり、秩序ある法治国家にしたいと考える隠れ支持者は多く、体育館で開催した『韓非子ちゃんを応援しよう』集会では結構な人数が集まった。
何で人前で喋りたがらない韓非子ちゃんの代わりに俺が演説することになるのか、毎度疑問なのだが、それなりに法がもたらす平和で輝かしい未来についての演説で盛り上がってくれたので、良いことにしようか。
ちなみに、この時には韓非子ちゃんも全校生徒を軍人奴隷にする作戦は現実的ではないという考えに至って諦め、平和のための法を整備しようという良い方向に心変わりしたらしい。俺の地道かつマジで必死な説得が実を結んだ部分もあると思う。
なお、荀子ちゃんも「ルールによって人々をまとめ導きたい」と韓非子ちゃんと似たようなことを言っていたが、これに関して韓非子ちゃんが言うには、
「あ、あれは私のパクり。そして欺瞞。結局都合のいいルールをつくって孔子ちゃんとその仲間たちで富と権力を握ろうとする害虫らしい計画に過ぎない」
とのことらしい。生徒たちの中にも似たような考えを持つ者が多かったようだし、とにかく孔子派に反抗したいという連中も多く居た。ただし、これらの発言に対して荀子ちゃんは手に持った鎖をジャラジャラ鳴らしながら、
「何言ってんだか。パクったのは韓非子の方。わたしは彼女に色々教えてあげたのに、そんなこと言うなんて、恩を仇で返しまくりね。今まで妹のように思ってたけど、礼儀を知らない韓非子なんてもう知らない」
といった具合に悲しみつつ呆れながらも未練がましく抗議してきたが、何故韓非子ちゃんに直接言わずに俺に抗議してくるのだろうか。とりあえず、どっちが本当のこと言ってるんだか不明である以上、平行線を辿るのは目に見えているので、放置することにした。
その他、孔子派に入りたがらない人々は校舎での洗脳みたいな授業を受けるのを拒否し、中庭に菜園をつくって自給自足を始めたり、同じく中庭で農業知識のある者に学んで本格的に田畑を広げたり、森で狩猟採集の生活を営んだり、何もせずボーっとしながら乞食したり、宗教団体を結成して身を寄せ合ったりして生き延びようとした。
中でも本格的な田畑を作った農家陣と川や森で命をかけて魚や肉を調達してくる狩猟陣はたいへん立派で、お裾分けという文化を築いた後、裏庭に市場を開いた。物々交換を軸に大規模な市場を誕生させたのだ。
いわゆる闇市である。
その中には孔子ちゃんの倉庫から掠め取ったものも売られていたのだが、風紀委員は特に取り締まることも無かった。反乱を恐れたため野放しにしたと思われる。もう風紀委員が全く機能していないのだが、中庭はもはや校内ではないという判断なのだろうか。
韓非子ちゃんを風紀委員から追放しておいて職務を果たさないのは、どうかと思う。けど、風紀委員に多くを求めても無理があるのは、致し方ないのかもな。
孟子ちゃんと荀子ちゃんは韓非子ちゃんが焼き残した教科書を復活させてそれぞれに方向性の違う教育を生徒たちに施しながらも、普通の高校生活を営めるようにしていた。
韓非子ちゃんの方は二人に対抗して独自の教科書を作成し、非公式に流布させた。孔子派にごく近い人々からは異端扱いされたが、反乱をおそれてか、あるいは荀子ちゃんと意見がカブっている部分があるためか弾圧されることもなく広がって行った。
こうして、事実上三種類以上の教科書が高校全土に広まったのだった。
相容れない風紀委員三人組が校舎内という同じ空間に同居し、それぞれが互いに利用し合うという複雑な三すくみ状態で膠着しながら、ぬるい春は終わりを告げて夏になり、展開は次の段階へと移行してゆく。