3、韓非子ちゃんによる焚書
風紀委員の崩壊は、あらためて孔子ちゃんという存在の偉大さを思い知らせてくれる出来事と言えるのではないだろうか。
孔子ちゃんは真面目で成績優秀、品行方正、才色兼備、そしてかつては清廉潔白だった。実に多芸多才であまり自分で料理しないけど料理上手で、縫いものさせれば針と糸が踊り出し、掃除洗濯アイロン掛けなど家事全般もそつなくこなし、火事全般をこなす韓非子ちゃんとは大違い。
伝統を重んじ、いいかげんな言い分をもっともらしく語って納得させる話術の天才であり、世が世なら、家が貧乏でさえなければ常に壇上の上段に立つに相応しい女の子であった。
残念なことに貧乏だったがために運命の悪戯のようなマネートラップに引っ掛かり、グルメ旅行に出てしまったと思われる。飽くなき食への探究心がそうさせた部分もあるだろうから、運命というものは本当に残酷なものである。少々説教くさくて腹立つ感じに迂遠な言い回しと、自分勝手な論理の押し付けと、人を量ってアラを探すような質問責めをしてくるところが玉に瑕であったが、惜しい人を失ったものだ。
韓非子ちゃんに言わせれば、「せいせいする」とのことだが、どうも同じ風紀委員四天王として活動しながらも韓非子ちゃんは他の三人のことが大嫌いだったようだ。
というのも、韓非子ちゃんが法を整備しようとすると、孔子ちゃんと孟子ちゃんが、「人徳によって治めるので間に合ってるわ」などと言って邪魔をしてきたのだそうだ。荀子ちゃんは、「礼というのは、そういうことじゃないよ韓非子」と上から目線でムカついたのだそうだ。
口下手なくせに俺の前ではよく喋る韓非子ちゃんはことあるごとに他の風紀委員――主に孔子ちゃんと孟子ちゃん――をこき下ろし、「あいつらゴミ」「害虫」「ゴキブリ」「焼却したい」「地中深くに埋めてやりたい」「巨大な排泄物」などと呪いの言葉をぶつけてきて、他人の前で口を開かなくて正解だなって心から思う。
せっかく前髪を上げたら可愛かったりするのに。いや、前髪上げなくても可愛かったりするのに、勿体無いことこの上ない。
さて、風紀委員が三派に分かれてしまい、統治機関の一つとしてすら体をなさなくなって、我が高校がどうなったかと言えば……。無秩序が訪れたのをいいことに、それまでクラスごとに分けられていた生徒たちが勝手に派閥を築いて細かく分裂し、勝手に行動を開始した。大組織の頭になれる存在をことごとく失ったため、学校としてのまとまりを保てなくなったのだ。
そんな中、まず最初に手を打ったのは我らが韓非子ちゃんである。韓非子ちゃんは最低なことに風紀委員の立場を利用し、「風紀委員として、教科書に落書きをしていないかチェックさせてもらおう」という言葉を俺に言わせた。そして全校生徒の全教科書を回収した。我らが韓非子ちゃんが校庭でそれらにまとめて油かけて、マッチで火を点けて燃やした。
暴挙である。
書物を燃やす、いわゆる『焚書』というやつである。
目論みとしては、教師、生徒会長、および風紀委員長の孔子ちゃんが採用した教科書を燃やすことによってそれまでの道徳というものを絶滅させて、絶対の法を導入整備して縛り、人々を奴隷化し我が高校の軍事力を増大させようとしたのだと思われる。だが、パチパチとポップコーンが弾けるような音の中で、
「ほ、炎は、いい。あなたもそう思わない?」
真っ赤な炎を見上げつつウットリしていたことから、単純にでかいファイヤが見たかっただけかもしれない。さすが火事全般をこなすだけのことはある。巨大な穴を掘ることの他に派手な炎を見ることまで趣味に加わって、重大犯罪者一直線な気がするんだが気のせいか。
で、これにより、「勉強というものから解放されて自由になった」と思い込んだ愚かな学生たちは歓喜して炎を仰ぎながらワーワー言いながら踊ったり、焼き払った実行犯である韓非子ちゃんを胴上げして讃えたりしていたわけで……混乱を治めるどころか、むしろ拍車をかけたと言っても良いくらいだ。そんなわけで、正義感あふれる孟子ちゃんあたりは遠巻きに見ていた俺の肩にすれ違いざまに手を置きながら、
「このままで済むとは思わないでよね」
などと脅しとも取れる言葉を投げつけてきたのだった。おそらく、諸悪の根源が俺だと思い込んでいて、俺をいかなる方法を用いても『善』なる状態に戻してやるという意思表示だろう。そのために、「少々痛めつけることになるかもしれないから覚悟しときなさいよ」と、そういうニュアンスも含まれていたに違いない。
孟子ちゃんは、『仁』『義』二文字の刺繍を入れた応援団長のような学ランっぽい服を着ている美人さんで、味方でいるうちは本当に応援団みたいなものだが、敵に回すと『思いやり』と『人道』を盾に何をしてくるかわからない部分がある。
そして、普段は比較的温和な孟子ちゃんがあの上着を脱ぎ捨てた時が、仁義なき戦いの始まりになるんじゃないかと俺は恐怖を抱かざるをえなかった。