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彼女の森  作者: pinkmint
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眠りと呼び声

作者の痛恨のミスから、31日、一度投稿した小説を誤って削除してしまいました。

二話目の投稿のやり直しの際、「一話ごとに削除できる」と思い込んで削除するというポカをやってしまったのです。当然小説ごと消えました。

記録したアクセスもせっかくいただいた貴重なご感想もパーです。まことに申し訳ありません。

運営のほうに負担をかけて申し訳ないのですが、再度アップします。なおあらすじとサブタイトルが正確に思い出せないのでもととかわっているかもしれません。

 寝返りを打つ。

 寝返りを打った自分に起こされる。


 目の前のしどけない皺の曲線の間に身を投げ出しているなめらかな背中が目に入る。背は薄い白い絹に包まれてかすかに波打っている。


 ベッドサイドの窓は開け放たれていて、夜気が朝の気配にとって変わる瞬間が遠慮なく流れ込もうとしている。くねくねと枝を交差させるそろの木や豊かなクヌギやしいの木々が、薄青い闇の中で朝に向けて何事かをささやき始めようとしている。

 もう少し待って、とぼくは口元に指を当てる。薄い白い絹の質感に抱かれて冷たく眠る、その眠りがかすかな声になって聞こえる。耳に向けてでなく、胸に向けて囁いてくるかすかな、吐息のような声。耳を澄ましてもいいけれど答えてはいけないのだ。その細い声の中にあるかなしみをぼくは知っている。答えれば、ぼくが自分の寝返りで起きたように、彼女はその記憶に目を覚まされてしまうだろう。


 音楽が聞こえる。いや、ここにきてからずっとそうだ。音楽は森と家とに最初から住んでいて、ほかのことを考えるのをやめると当然のようにあたりを満たす。例えば彼女が水を流す。鈍い金色の蛇口から、赤いタイルの洗面台に向かって水が渦を巻く。排水溝を閉じて、彼女がビー玉を落とす。ころん、ころん、ころん。透き通った色を散らしてたくさんの丸が水に踊る。ほら、音楽。

 彼女の赤い唇が開いて、細い声が空気に色を付ける。白い頬と透ける細い血管がそれに合わせて震える。触れなくともぼくの指がその感触を知っている、皮膚。彼女自身のもつ肌の感触。存在の感触。それはたぶん、ぞんぶんに冷やした小麦粉に近いのだ。そっと置くぼくの指を冷たく包んで沈めて、覆い尽くし、ぼくの周りできしきしと鳴る。やがて静かになり、指は真っ白な闇に閉ざされる。


 もうすぐ容赦なく朝は来る。

 どこかの世界においてくることを許している荷物を、また彼女のもとに一日分だけ届けに来る。


 見慣れたあの繊細な顔立ちがこちらに向けて露になり、長いまつげに閉ざされた瞳が開くのを、ぼくは何かを畏れるように待つ。彼女はまっしろな記憶の中から現れる。赤ん坊のようにばらいろの頬をして、瞳に明かりを灯して、こちらを見る。その記憶に、その空間に、あずけていた記憶と重みとかなしみが蘇るまでの間、ぼくはひととき懸命に今日の予定を立てて囁く。

 おはよう。今日も風が気持ちいいよ。森の中を散歩に行こう。君の姿を見ると駆け下りてくるしまりすたちに、君が干しておいた、掌一杯のかぼちゃの種をあげよう。昨日あのそろの木の洞から、赤ちゃんりすが顔を出すのを見たよ。出たり引っ込んだりして何匹かわからないんだ、でもうまれたことはまちがいない。君の手からあげよう。子りすの体重を君掌で確かめよう。

 ……ぼくはうまくいえるだろうか。


 この森に来てから彼女は自分を語らなくなった。ときおり記憶の発作に襲われるほかは、周りの風景に自分を溶け込ませるようにして風のように暮らしている。時々彼女が開けては閉めてを繰り返している、浮き彫りの花々がからまるあのブリキの箱。あそこにいろんな思い出を入れて、おまじないをかけたのかもしれない。だから今もしぼくがそっと開けても、なかでそのかなしみは知らない形の結晶になっているのかもしれない。

 ね、起きたら裏口を開けてみようよ。二日か三日おきに花や果物を置いて行く森の誰かの姿が見えるかもしれない。きみは誰だと思う?森の獣? 妖精? それとも誰かの、何かへの恩返しかな?


 彼女のまぶたが震える、

 もうすぐ目を開く、もうすぐ。


 ああ、ぼくはうまいくいえるだろうか。………





「お身内のかた?」

 頭上から声をかけられて、女はゆっくりと目を上げた。

 集中治療室から出てきたばかりの若い医師が、口元のマスクを外した。長い間眺めていた床材の小さなひびの残像が、男性医師の顔に重なった。

「みうち……」

 女は自分自身に確認するようにその言葉を繰り返した。

「身内、みうちでは、ないですけれど…… 知り合い……」消えかかる語尾を捕まえようとするように膝の上の細い指があてもなく蠢く。

「じゃあお身内とか親族の方はいらっしゃらないのかな。状況説明がしたいんだけど。あなたはどういうご関係?」

 深夜の病院の廊下を小走りに通る夜勤のナースの足音に、ひっきりなしに遠く近くサイレンの音がからまっている。医師の背後の看護師が低い声で答えた。

「お名前以外、お返事もしてくださらなかったんですよ、そのお嬢さん。遠野、うららさん、よね、ご家族ではないようですね」

「患者は身分を証明するようなものは所持してなかったの」

「ケータイの記録から分かる範囲にはお電話してるんですけどね」

「あの、生きてますか? 大丈夫ですか? 生きられますか?」

 少年のようなショートヘア、薄汚れた白いシャツとタイトなブラックのパンツ。切羽詰った大きな瞳が、瞬きもせずに医師にしがみついた。医師は看護師と顔を見合わせた。

「とりあえず顔と足の傷は縫ったよ。足はかなり深く刺されてて、静脈を傷つけてた。到着が少し遅ければ危なかったな。O型の血液がなんとか足りて助かったんですよ。あと化膿とか骨に損傷がなければ手術までしなくとも回復するけれど、どういうわけかなかなか意識が戻らない。そこがちょっと心配かな」

「意識……」

「病歴とか入院歴とか持病とか知りたいんだけれど、あなたは知らないんだよね。ご家族の連絡先を知らないかな?」

 女は口をわずかに開き、目を泳がせた。

「あの、縁を切ったと言っていましたから、それに、あちらからも切られたと言ってましたから……。入院費なら、わたしが払います。書類も……」

「入院の同意書記入も保証人もお身内の人のほうがいいんだけど、そういう事情じゃなあ。あなたはあの現場にいたんでしょう? 後から刑事さんが来るかもしれないんだけど、ちゃんと説明できるかな、何があったか」

「刑事?」

「事情が事情だからね。彼を一とすると相手が三って喧嘩だったらしいけど、その三のぶんはベッドが無くてうちは受け入れを拒否したんだ。彼は緊急性があったし」

「警察はやめてください。あのひとは警察は嫌いです」女は震え声で訴えた。

 医師はカルテを下ろすと小さく肩をすくめるようにした。ふっと息を吐くと、女の細い肩に手を伸ばしてぽんと叩いた。

「大事な彼にこれだけのことをした人は罰をうけなきゃダメでしょ?」

 女はびくりと身をすくめて、そのぽん、の衝撃を振り払うようにした。

 廊下の向こうから、ヒールの底を床に叩きつけるような足音が近づいてきた。ピンクのワンピースの長身の女の姿が病棟案内の受付けのコーナーを曲がって現れ、こちらを見ると一直線に歩み寄ってきた。

「あの、兄が足を刺されてこちらに運ばれたと連絡を受けたんですけど」

 医師はほっとしたように彼女に向き直った。兄、という単語を耳にしたとたん、ショートカットの女はすっと顔を背けた。

「ああ、それは良かった。とりあえずこれまでの経過を説明しますね。色々とお手続きがあるんですが、お願いできますか」

 ひと通り説明を聞くと、彼女は座っている女を一蔑もせず、看護師から書類を受け取り、近くの外来窓口の無人のカウンターで署名捺印した。処置が済んだら空いている病室に移します、準個室しか空いていないのですがよろしいですか。はい、よろしくお願いします。確認しておきますが、病院側のご都合で個室となった場合には差額は要求されませんよね? はい、そのとおりです。後で会計の方にご確認ください。そんな会話が早口でやり取りされ、医師と看護師はさっさと廊下を去っていった。


 夜更けのベンチに、顔を背けあった女二人が残された。


 ピンクの女はがさごそと鞄の中身を探るようにしながら、独りごとのように言った。

「……その服、早めに着替えたほうがいいわ」

「え?」

「兄の血でしょ、それ」

 女は変色した染みがまだらに乾いている自分の胸元を見た。両手に抱えていた彼の体の生暖かい重みと血の感触が蘇り、思わずぶるりと身を震わせた。

「一応聞くけど、あなたがやったんじゃないのよね」

「違います!」

 廊下に響く大きな声に動じることなく、ピンクの女は淡々と続けた。

「それはごめんなさい。同棲中の彼女に散々暴力を振るわれてるって悲惨な話ばかり、両親から聞かされてたものだから」

 シャツの胸元を握り締めて、女は唇をかみしめた。

「もう、しません」

 細い声が芯から震えていた。

「……それは無理じゃない」

「しません。もう、絶対に」

 気詰まりな沈黙のなかに、また近づいてくるサイレンの音が入り来む。

「いきなりそんな約束ができるぐらいなら、もっと早くにやめられていたはずよね。でも、できなかったんでしょ。今まで」

「……」

 鞄から鮮やかなばら色のパッケージの煙草を取り出すと、Ladyというロゴを眺めながら女は言った。

「わたしたち、顔を合わせるのは初めてよね。いつかごあいさつしたいと思っていたの。わたしは五島祥子。兄がいつもお世話になってます。あなたは、うららさん…… 遠野麗さん、でいいんですよね?」五島祥子は初めて真っ向から隣の女の顔を見据えた。

「……わたし」

 搾り出すようにいうと、遠野麗は口元を震える両手で覆うようにした。祥子は微妙に視線をそらせながら淡々と続けた。

「わたしは兄が好きだから、もちろん、一刻も早く治って欲しいと思ってるの。でも、本当にそれを望んでいいのか、いま、わからない。回復して同棲中の家に戻って、またあなたに同じような目にあわされるぐらいなら、今のまま眠っている方が一番平和なんじゃないかって。どうしてもそう、考えてしまうの。どうして兄がそんな理不尽な暴力に耐えているのか、正直わからないわ。ここに来るのはいいんだけれど、あなたに逢うのはなんだか、怖かった」

 左手で右手の震えを抑えるようにすると、遠野麗は長いことただ黙っていた。祥子も黙っていた。やがて、麗は自分の両手に目を落としたまま、かすれ声で言った。

「わからなくて、いいです。

 全部、……たぶん、わたしが……馬鹿だからおきたことで、全部わたしが悪いんです、それでかまいません。

 彼について、眠り続けているほうがましと思うなら、どうぞそう祈っていてください。でも、わたしはあなたに何ひとつ、ひとことも謝る気はありません。これはそういう問題じゃないから」

 祥子は麗の横顔をじっと見ると、やがてため息交じりにかすかに笑った。

「少し喫煙ブースに付き合ってくれないかしら。何が起きたかだけ、説明してほしいの」

「お話ししたくありません」

 即答するかたくなな声色に、祥子は柔らかな口調をかぶせた。

「あのね、あなたにはかなわないかもしれないけれど、わたしだって家族として兄のことを大事に思ってるのよ。

 両親は頑固に兄との接触を拒否してるけれど、わたしは基本的に兄の味方でありたいと思ってるの。だから、今回の事件について、本当のことを知っておきたいの。

 やっと顔が見られるのよ。あなたと出会って兄が家族と縁を切って、二年たって、やっと。

 この通り、遠野さん、お願い」

 祥子は麗に向かって深々と頭を下げた。麗は祥子のセミロングの巻き毛を見つめ、そしてきゅっとかたちのいい唇を結んだ。


「大きな人形が置いてあるのかと思った、ベンチに」

「そんな感じでしたよね」

 手を洗う医師のそばで看護師は答えた。

「それも、壊れたお人形。あのかた、大丈夫かしら」

「うーん、死んだかもって聞いてたんだよね。……というか、まあ、生きててよかった」

「誰がですか?」

「女優さんだったはずだよ、あの子」医師は答えた。

 若い看護師が割って入った。

「廊下のヒトですよね? ちょっと目立つぐらい綺麗なお嬢さんですよね。やっぱり芸能人なんですか。で、死んだと思われてる人?」

「こういう話題だとすぐ入ってくる、あなたは」

「看護婦長こそ、その先お聞きになりたいでしょう」

「いいえ、こういう話はよしたほうがいいわ」

 若い看護師はつまらなそうな顔をした。

「ま、失言だったな。でも、ぼくの推測通りなら、もし警察が来たらいろいろいやな思いするかもしれないね。大丈夫かな」医師はカルテを見直すと、婦長に告げた。

「準個室の用意はできてる?」

「電動ベッドが不調で、取り替えてます」

「準備できたら、患者を移しといて。意識が戻るまでなるべく目を離さないようにして」


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