第5話 婚約破棄 【表】
大広間は、静まり返っていた。
カイルは玉座の前に立ち、中央に一人立つシャロンを見つめていた。隣にはルリアーナがいる。涙をこらえた瞳が、カイルの胸を締め付けた。
あんなにも傷ついているのに、それでも健気に立っている。
(ルリアーナ、君を必ず守ってみせる)
カイルは息を吸い、口を開いた。
「シャロン・ハウロイド!」
名を呼ぶと、シャロンの目がカイルを捉えた。
碧眼が、静かにこちらを見ている。何の感情も読み取れない、いつもの目だった。
「お前との婚約を、ここに破棄する」
大広間が、一瞬静まり返った。
次の瞬間、貴族たちがざわめき始める。
「まあ……!」
「婚約破棄ですって!」
「シャロン様が……?」
カイルはその声を遠くに聞きながら、シャロンだけを見ていた。
動揺するだろうか。涙を流すだろうか。それとも、すがってくるだろうか。
しかし、シャロンは、何もしなかった。
「そうですか」
ただ、そう言っただけだった。
シャロンは、背筋を伸ばし、凛とした姿勢で。貴族たちの視線を浴びながら、一度も立ち止まらずに、大広間を出ていった。
カイルは、その背中を見送った。
最後まで、シャロンは振り返らなかった。
「カイル様」
ルリアーナが、そっとカイルの袖を引いた。
「ありがとうございます……守ってくださって」
その瞳に、涙が光っている。
「当然だ」
カイルはルリアーナの手を握った。
「もう、怖い思いはさせない」
「カイル様……」
ルリアーナは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が、カイルの胸を温めた。これでいい。これが、正しい選択だ。
……だが、なぜか。大広間を出ていったシャロンの背中が、頭の片隅から消えなかった。
あの凛とした歩み。一度も乱れなかった足取り。そして——
(やり遂げた)
そんな表情に、見えた気がした。
(気のせいだ)
カイルは頭を振った。
(あいつが何かをやり遂げるはずがない。追放されたんだ。俺に負けたんだ)
「カイル様、どうかなさいましたか?」
ルリアーナが、心配そうに顔を覗き込む。
「何でもない」
カイルは笑顔を作った。
「さあ、行こう。今日はお前のために、盛大な祝いの席を用意させる」
「まあ……!」
ルリアーナが、花が咲くように微笑んだ。
カイルはその笑顔を見て——もう一度、大広間の扉に目をやった。シャロンは、もういない。扉の向こうには、ただ静かな廊下が続いているだけだろう。
(これでいい)
カイルは視線を戻した。
ルリアーナの手を引いて、大広間を後にした。
その足取りは、軽やかだった。……少なくとも、そう見えるように、カイルは歩いた。
その夜、カイルは一人執務室にいた。
ルリアーナとの祝いの席は、賑やかだった。貴族たちは口々にカイルの決断を称え、ルリアーナを祝福した。誰もが笑っていた。
ふと、カイルは窓の外を見た。
王宮の正門が、月明かりに照らされている。
シャロンは、もうあの門の外に出ただろう。馬車に乗って、どこかへ向かっているはずだ。
ハウロイド家に戻るのか。それとも別の場所へ。
(どうでもいい)
カイルは視線を逸らした。
机の上には、未処理の書類が積まれていた。明日から、誰がこれを処理するのか。シャロンがいた時は、いつの間にか片づいていた。
(まあ、アレクシス辺りに頼めばいいか)
カイルは椅子に深く座り直した。
窓の外、月が雲に隠れた。
王宮が、少しだけ暗くなった。
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