第4話 シャロンの危機 【表】
ルリアーナが聖女として認められてから、一週間が経った。
状況は、完全に変わっていた。
「聖女様、万歳!」
民衆が、ルリアーナを歓迎する。王宮の外には、連日人々が集まり、ルリアーナの姿を一目見ようとしていた。
「ルリアーナ様!」
「お姿を、拝見させてください!」
熱狂的な声援。王宮内でも、ルリアーナの地位は確固たるものになった。
「聖女様のお言葉ですから」
「聖女様がお望みなら」
貴族たちは、ルリアーナの意見を最優先するようになった。
一方、シャロンの立場は悪化の一途を辿っていた。
「シャロン様、最近お見かけしませんわね」
「ええ。執務に、お忙しいのでしょう」
「でも、もう……必要ないのでは?」
「聖女様がおられますもの」
そんな声が、聞こえてくるようになった。
その日の午後、シャロンは王宮の中庭を歩いていた。いつものように書類を抱え、次の会議の準備をするためだ。
「あ……!」
突然、悲鳴が聞こえた。シャロンが顔を上げると、中庭の噴水の前で、ルリアーナが倒れていた。白いドレスは泥で汚れ、髪は乱れている。
「ルリアーナ様!」
「大丈夫ですか!?」
周囲にいた侍女たちが駆け寄る。シャロンも足を止め、様子を見ていた。
「シャロン……様……」
ルリアーナが、涙を浮かべながらシャロンを見上げた。その瞳には、怯えと悲しみが滲んでいる。
「どうかなさいましたか?」
シャロンは冷静に尋ねた。しかし、その瞬間
「シャロン様が……私を、押したんです……」
ルリアーナの震える声が、中庭に響いた。周囲の空気が凍りつく。侍女たちが、一斉にシャロンを見た。その視線は、明らかに非難の色を帯びている。
その中に、中性的な顔立ちの侍女が一人いた。その侍女だけが、シャロンではなく、ルリアーナをじっと見ていた。
「何ですって……?」
シャロンは眉をひそめた。
「私は今、ここに来たばかりです。あなたに触れてなどいません」
「で、でも……!」
ルリアーナは、さらに涙を流した。
「シャロン様が、私に近づいてきて…『妃の座を奪うつもりか』と仰って……それで……」
「嘘です」
シャロンははっきりと否定した。
「私はそのようなことは言っていませんし、あなたを押してもいません」
しかし、周囲の反応は冷たかった。
「シャロン様……」
「聖女様を、イジメるなんて……」
「やはり、嫉妬していたのでは……?」
ささやき声が広がっていく。
その時、カイルが中庭に現れた。
「何事だ!?」
カイルはルリアーナが倒れているのを見て、駆け寄った。
「ルリアーナ、大丈夫か!」
「カイル様……」
ルリアーナは、カイルにすがりついた。
「怖かったです……シャロン様が、突然……」
「シャロン!」
カイルが、鋭くシャロンを睨んだ。
「お前、何をしたんだ!」
「何もしていません」
シャロンは、感情を表に出さずに答えた。
「私が中庭に来た時には、既にルリアーナ様は倒れていました」
「嘘をつくな! ルリアーナがそう言っているんだぞ!」
「事実を述べているだけです」
シャロンの冷静な態度が、かえってカイルを苛立たせた。
「お前はいつもそうだ! 自分の非を認めようとしない!」
「認めるべき非がありませんから」
「……っ!」
カイルは怒りで言葉を失った。カイルは、ルリアーナを抱き起こすと、シャロンに背を向けた。
「ルリアーナを医務室に連れて行く。お前は…もう俺の前に現れるな」
その言葉を残し、カイルはルリアーナを抱えて立ち去った。残されたシャロンは、静かにため息をついた。(完全に嵌められたわね)シャロンは冷静に状況を分析した。
「……お嬢様」
従者のルイが、心配そうにシャロンに近づいて行く。
「大丈夫ですか?」
「ええ。問題ないわ」
シャロンは冷静に答えたが、周囲の視線が痛いほど突き刺さっているのを感じていた。
その日の夜、王宮中に噂が広まった。
「シャロン様が、聖女様をイジメたらしいわよ」
「まあ! 本当に?」
「ええ、中庭で押して転ばせたんですって」
「嫉妬していたのかしら…」
「当然でしょう。聖女様があれほど注目されているのですもの」
翌日、シャロンが廊下を歩くと、貴族たちは露骨に距離を取った。
「あ……シャロン様だわ」
「近づかない方がいいわよ」
「聖女様に何かしたらしいもの」
ひそひそと話す声が、シャロンの耳に届く。会議の席でも、雰囲気は変わっていた。
「シャロン様のご意見は……」
「いえ、今回は結構です」
「聖女様のお考えを優先させましょう」
シャロンの発言は、次々と却下されるようになった。かつては「完璧なハウロイド家の令嬢」として一目置かれていたシャロンが、今では腫れ物に触るように扱われている。
数日後、また事件が起きた。
「きゃあああ!」
王宮のバルコニーから、悲鳴が響いた。駆けつけた騎士たちが見たのは、手すりにしがみつき、青ざめた顔で震えるルリアーナの姿だった。
「一体、何が……!?」
「シャロン様が……」
ルリアーナは涙を流しながら言った。
「私を、突き飛ばそうとしたんです……!」
「なんですって!?」
集まってきた人々が騒然となる。
「シャロン様が!?」
「二度目ですわよ!」
遅れてその場に現れたシャロンは、「今、図書室から参りました」と冷静に答えた。だが、もう誰も信じていなかった。発言の出所は、ルリアーナの侍女たちだった。
「バルコニーで、シャロン様がルリアーナ様に近づいていくのを見ました」
「突然、腕を掴もうとしていたように見えました」
カイルは、この報告を受けて激怒した。大切なルリアーナが傷つけられ泣いている。それに侍女の証言もある。これだけでシャロンに怒りの矛先が向かうのは当然だった。
「シャロンめ……まだ懲りていないのか!」
彼は父である国王に、婚約破棄を正式に申し出た。
「父上、シャロンとの婚約を破棄させてください」
「カイル……」
国王は、重々しい表情で息子を見た。
「聖女ルリアーナの安全が、何より優先されます。それに、シャロンのような女を妃にすることはできません」
「……分かった」
国王は、深く頷いた。ルリアーナの証言を信じているのかいないのか、その顔からは窺い知ることはできない。しかし、婚約破棄が認められたことだけは確かだ。
「明日、正式な婚約破棄の儀式を行う」
カイルは、勝ち誇ったように微笑んだ。
その夜、王宮で開かれた夜会。シャロンが会場に入ると、明らかに空気が変わった。
「あ……」
「シャロン様だわ……」
人々は、シャロンを避けるように距離を取る。誰も話しかけてこない。以前なら、多くの貴族が挨拶に来たものだが、今は誰もシャロンに近づこうとしなかった。会場の中央では、ルリアーナが白いドレスをまとい、貴族たちに囲まれて微笑んでいた。
「聖女様、本当にお美しい……」
「先日は、恐ろしい目に遭われたそうですね」
「ええ……でも、もう大丈夫です。皆様が守ってくださいますから」
ルリアーナは優雅に微笑む。その視線が、ちらりとシャロンを捉えた。一瞬、ルリアーナの唇が、小さく歪んだ。まるで、勝利を確信したかのように。
「おい」
シャロンの背後から、冷たい声がした。振り返ると、カイルが立っていた。
「何の用ですか、殿下」
「お前に言っておくことがある」
カイルは、感情を抑えた声で言った。
「明日、王の前で正式に婚約破棄の儀式を行う」
シャロンは、微動だにしなかった。
「……そうですか」
「お前は、この王宮から出て行け。二度と、ルリアーナに近づくな」
「私は何もしていませんが」
「まだそんなことを言うのか!」
カイルの声が、会場に響いた。周囲の視線が、一斉に二人に集まる。
「お前は、聖女を二度も傷つけた! それでも、自分の非を認めないのか!」
「先日も申し上げたように、認めるべき非がありませんから」
シャロンは、変わらず冷静に答えた。その態度が、カイルをさらに激昂させる。
「……もういい。話すだけ無駄だ」
カイルは、背を向けた。
「明日、必ず来い。これは命令だ」
そう言い残し、カイルは立ち去った。会場には、気まずい沈黙が広がった。そして、人々は再びルリアーナの元へと集まっていく。シャロンは、一人会場の隅に立っていた。誰も近づいてこない。完全に、孤立していた。
「お嬢様…」
従者のルイが、そっと近づいてくる。
「もう、この場を離れましょう」
「…そうね」
シャロンは静かに頷いた。
そして、会場を後にしようとした、その時——
「あら、シャロン様」
ルリアーナの声が、背後から聞こえた。シャロンが振り返ると、ルリアーナが微笑みながら近づいてくる。
「お一人なのですか? お可哀想に……」
その言葉には、明らかな嘲りが込められていた。
「ルリアーナ様こそ、お一人でこちらに? 護衛もつけずに、危険ではありませんか?」
シャロンの言葉に、ルリアーナの笑みが深まった。
「大丈夫ですわ。だって、ここには沢山の方々がいらっしゃいますもの。もし私に何かあれば、すぐに助けてくださいますわ」
そう言って、ルリアーナは周囲を見回した。貴族たちは、皆ルリアーナを心配そうに見守っている。
「それに……もう、シャロン様には何もできないでしょう?」
ルリアーナは、小声で囁いた。その声は、周囲には聞こえない。
「明日には、全てが終わりますもの。ご愁傷様です、シャロン様」
シャロンは、ルリアーナの瞳を見つめた。その瞳には、勝利の確信が宿っていた。
「……そうですね。明日、楽しみにしています」
ルリアーナの目が、一瞬だけ揺れた。
「楽しみ……?」
「ええ」
シャロンはそう答えると、会場を後にした。廊下を歩きながら、ルイが心配そうに尋ねる。
「お嬢様、本当に大丈夫なのですか? このままでは……」
「大丈夫よ、ルイ」
シャロンは、静かに微笑んだ。
翌日、運命の婚約破棄の儀式が行われることになる——
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