第7話 それぞれの終幕 【裏】
アレクシス視点
大広間に、貴族たちが集まった。
アレクシスは中央に立ち、書類を手に取った。エドガーが隣で静かに控えている。ノエルから受け取った証拠は、全て揃っている。録音記録、細工の詳細、聖杯に残った鉱石粉の分析結果。
(これで、終わりにする)
深く、息を吸った。
「以上が、聖杯細工の全容です」
声は、穏やかに出た。責める必要はない。ただ、事実を述べればいい。
「侍女による証言、細工に使われた鉱石粉の残留、そして当事者たちの会話の記録——全て、ここに揃っています」
ルリアーナは、中央に立っていた。白いドレス。ピンクブロンドの髪。アレクシスはその顔を見た。怯えている。唇が震えている。
(あなたは、欲望に忠実すぎた)
廊下でシャロンと言葉を交わした時——彼女はそこまで明言しなかったが、目が語っていた。
(あの時から、全て見えていたのだろうな)
「ルリアーナ様」
アレクシスは静かに名を呼んだ。
「これらの証拠について、いかがお答えになりますか」
ルリアーナは唇を震わせた。
「そんな……嘘です……私は……」
「嘘ではありません」
揺るがない。感情を入れる必要はない。これは裁きではなく、事実の確認だ。
「全て、記録に残っています」
大広間がざわめき始めた。
「まさか……聖女様が……」
「シャロン様を陥れたというのは……」
アレクシスは貴族たちの顔を、静かに見渡した。先週まで「聖女様、聖女様」と群がっていた人々が、今は困惑と動揺で揺れている。
(人は、信じたいものを信じる)
ルリアーナを疑わなかったのは、彼女の演技が巧みだったからだけではない。信じたかったからだ。聖女という奇跡を。この国に、特別な存在が現れたという夢を。
カイルもそうだった。アレクシスは大広間の端に立つ弟を、ちらりと見た。王太子の証のない手。青ざめた顔。
(カイル)
胸の奥が、かすかに痛んだ。
「嘘よ!」
ルリアーナが、突然叫んだ。
「全部嘘よ! 証拠なんて捏造でしょう! アレクシス殿下が、私を陥れようとしているだけよ!」
「ルリアーナ様」
「だってそうでしょう! 私を排除して、自分が有利になりたいだけじゃないの!」
「あなたは、聖女ではありません」
アレクシスは静かに言った。大広間が、水を打ったように静まり返った。
「聖杯は、細工によって光りました。神の選択ではありません」
「違う……! 違う違う違う——!」
ルリアーナは首を振り続けた。だが——次の瞬間、その顔が変わった。震えていた唇が、きつく引き結ばれる。潤んでいた瞳が、乾いていく。涙の痕が残る頬に、冷たい笑みが浮かんだ。
「……そう」
声が、変わった。甘さが消えた。低く、平坦な——別人のような声に。
「証拠が揃っているなら、仕方ないわね」
大広間が、また静まり返った。一秒前まで泣き叫んでいた少女が、今は涼しい顔で大広間を見渡している。
「ねえ、皆さん。今まで、ご苦労様でした。楽しかったわ」
貴族たちがざわめく。ルリアーナは気にしなかった。まるで、仮面を脱いだように——堂々と、冷たく、笑っていた。
「カイル様」
その目が、カイルを捉えた。
「あなたは本当に、扱いやすかった。褒めたら有頂天になって。縋ったら信じてくれて。可愛らしく泣いてみせたら、何でもしてくれた」
「……ルリアーナ」
「婚約者がいる男に近づいて、聖女になって、妃の座を手に入れる。それだけの話よ。あなたが私を愛していたかどうかなんて、最初から興味がなかったわ」
カイルは、声が出なかった。
「ルリアーナ・フォンターナ」
国王が、玉座から立ち上がった。
「聖女詐欺の罪により、拘束する」
「ええ、どうぞ」
ルリアーナは、あっさりと頷いた。騎士たちが両腕を掴んでも、その表情は変わらなかった。引きずられながらも、まだ笑っていた。
「カイル様」
連行されながら、最後にもう一度、振り返った。
「シャロン様のこと、可哀想でしたわね。あなたが少しでも疑っていれば——あの方は追放されずに済んだのに」
笑い声が、廊下に響いた。やがて、遠ざかり、消えた。
(哀れだ、とは思う)
だが——これは、あなたが選んだ道だ。
アレクシスはカイルを見た。弟は、動かなかった。一歩も、踏み出さなかった。
「シャロン・ハウロイドの追放は、虚偽の証言に基づくものでした」
アレクシスは大広間に向けて宣言した。
「彼女への名誉回復を、正式に行います」
貴族たちがざわめく。カイルは唇を噛んでいた。その顔に何が浮かんでいるか——アレクシスには、見えていた。だが、それはカイル自身が決めることだ。
アレクシスは視線を外した。
その夜、アレクシスは庭園を歩いていた。
薔薇園の前を通りかかった時、人影が見えた。カイルだった。白い薔薇の前に立ち、虚ろな目で花を見ている。
「綺麗な薔薇ですね」
気づいたら、声をかけていた。
カイルが振り返る。その目に、疲弊と怒りが混ざっていた。
「何の用だ」
「用はありません。ただ——少し、話したかった」
「シャロン様は、有能な方でした。あなたの執務を支え、王宮の情報を整理し、この国のために動いていた。あなたがそれに気づかなかっただけで、彼女は最後まで誠実に仕事をしていました」
「……お前はあの女の肩を持つのか」
アレクシスは答えなかった。肩を持つという言葉が正確ではないと思ったからだ。シャロンの行動は王宮への忠誠からではない。だが——結果として、彼女がいた半年間、この王宮は正常に機能していた。それは事実だった。
「カイル」
アレクシスは、弟の名を呼んだ。殿下でも王子でもなく——ただ、名前を。
「お前は、間違えた。それは事実だ。だが——」
「だが、何だ」
「間違えた人間が、やり直せないほど、人生は短くない」
カイルは、アレクシスを見た。その目に、何かが過ぎった。だが、すぐに消えた。
「……うるさい」
カイルは背を向けた。
「お前に、そんなことを言われたくない」
「……そうですか」
アレクシスは、それ以上何も言わなかった。カイルの背中が、薔薇園の奥に消えていく。
風が吹いた。白い薔薇の花びらが、一枚、夜の空に舞い上がった。
数日後、エドガーが報告に来た。
「殿下、カイル様が国境近くの村へ向かいました。翌日、一人で戻ってきております。道中ずっと無言だったとのことです」
アレクシスは静かに頷いた。
(シャロンに会ったか)
何を話したのかは、分からない。おそらく——永遠に分からないだろう。
「引き続き、様子を見ていてくれ」
エドガーが退室した後、アレクシスは窓の外を見た。青い空が、広がっていた。
シャロン視点
シャロンが王宮を去って、一ヶ月が経った。
その日、シャロンは村の家の窓辺に座り、師匠の日記を読んでいた。
扉が開き、ルイが入ってきた。
「ノエルから連絡が来ました。王宮で緊急集会が開かれたそうです。ルリアーナ様の詐欺が、暴かれました」
「そう」
シャロンは日記を閉じた。予定通りだった。アレクシス殿下が動いた。それだけのことだ。
「ノエルは?」
「任務を終えて、王宮を出たとのことです。合流は来週かと」
「分かったわ」
シャロンは窓の外を見た。青い空。白い雲。穏やかな景色。
部屋の奥、石の台座の上に三つの宝石が並んでいる。青、赤、白。それぞれが静かに光を放っていた。シャロンはそれを一瞥した。
「儀式の準備を確認しておいて」
「はい。——ところで、お嬢様。カイル王子のことは、気にならないんですか」
「別に」
シャロンはあっさりと答えた。
「あの人がどうなろうと、私の仕事とは関係ないわ」
ルイは少し黙った。
「ただ」とシャロンは続けた。
「来るなら、会ってあげてもいいとは思っている」
「来る、というのは」
「そのうち、カイルがこちらに向かってくるわ。肖像画の件に気づけば、必ずそうなる」
「逃げないんですか」
「逃げる必要がないでしょう」
シャロンは静かに言った。
「儀式さえ終われば——カイルが何をしようと、もう関係ない。宝石は使われた後よ」
「儀式は、いつやるんですか」
「カイルが来てから」
「……順番が逆じゃないですか」
「そうかもね」
シャロンは台座の宝石を見た。
「でも、最後に一度くらい話をしてあげようかと思うの。それだけよ。それが終わったら、儀式をする」
ルイはしばらくシャロンを見ていたが、何も言わなかった。
数日後、ルイが報告を持ってきた。
「お嬢様、カイル王子が動き始めたようです。ハウロイド家の記録を洗っているとのことで——おそらく、肖像画に辿り着いたかと」
「予定通りね」
シャロンは答えた。
(ごめんなさいね、本物のシャロン)
心の中で静かに呟く。
(あなたの名前を、半年間借りてしまって)
「村人に頼んでおいて。金髪の若い男が来たら、迷わず教えてやってくれ、と。金も渡して」
「承知しました。ただ、本当に一人で会うんですか」
「ええ。外にいて」
「危なくないですか」
「あの人は、臆病者よ。剣を抜けない」
シャロンは静かに言った。
ルイは何も言わなかった。ただ頷いて、部屋を出た。
カイルが村に入ったのは、翌日の午後だった。
シャロンは窓辺に立ち、外を見ていた。足音が近づいてくる。扉の前で止まる。蹴破ろうとする気配がして——だが、扉は最初から開いていた。
「シャロン」
カイルの声が、した。怒鳴るつもりだったのに出なかった声。掠れた、消耗した声。
シャロンはゆっくりと振り返った。カイルの顔を見た。想像していたより、疲れていた。怒りよりも、消耗の方が大きい顔。長い時間をかけて何かを削り続けてきた、そういう顔だった。
「いらっしゃい、カイル様」
シャロンは微笑んだ。
「待っていましたわ」
話は、淡々と進んだ。
シャロンは事実だけを述べた。執務の目的。社交の目的。婚約者という立場の意味。ルリアーナの件。アレクシスとの取引。感情を乗せる必要はない。責める必要もない。
カイルは時々、声を失った。時々、言葉に詰まった。シャロンはそれを静かに見ていた。
(この人は——ずっと、見ていなかっただけだ)
怒りはなかった。哀れみもなかった。ただ、そういう人間だった、という事実だけがあった。
「ありがとうございます、カイル様。あなたの無関心が——この計画の最大の味方でした」
カイルが、剣に手をかけた。シャロンは剣を見た。
(抜けない)
分かっていた。
シャロンは宝石の前に立った。師匠の日記を開き、呪文を唱え始めた。古い言葉。意味は分からない。だが——師匠の日記に書かれていた通りに。
「一つだけ」
振り返らずに、言った。
「王宮に戻られたら、ご自分の周りの人間を、もう少しよく見ることをお勧めします」
「何のためだ」
「次に同じことが起きた時のために」
どう受け取るかは、あの人が決めることだ。
三つの宝石が、輝き始めた。青い光、赤い光、白い光。それぞれが強くなり、部屋を満たしていく。
「待て……!」
カイルの声が、した。
光が、さらに強くなる。三つの光が混ざり合い——やがて、一つになる。眩しいほどの、純白の光。その中に——ゲートが、見えた。
向こうに、別の世界が広がっている。青い空、緑の大地、遠くに見える不思議な建物。
(師匠……届きましたよ)
胸の奥が、静かに震えた。
「シャロン……!!」
カイルの声が、遠くなる。シャロンは振り返らなかった。
光が、全てを包んだ。そして——静かになった。
ゲートの向こうに、師匠の故郷が広がっていた。
いつの間にか、ルイが隣に来ていた。外にいるよう言ったのに、とシャロンは思ったが——何も言わなかった。
「お嬢様……これは……」
「ええ。師匠の故郷よ」
シャロンはゲートの向こうを、じっと見つめた。師匠が、いつも遠くを見つめながら語っていた場所。厳しくて、優しくて、どこか寂しげだった師匠。その瞳の奥にあった、遠い光。
(これが——師匠が見ていた光景だったのね)
ゲートの向こうを、私はじっと見つめた。
美しい世界。師匠が、いつも遠くを見つめながら語っていた場所。
(師匠は、ずっとここに帰りたかったのね)
シャロンは心の中で呟く。
(故郷が、恋しかった)
(でも——秘宝が揃わなかった)
(だから、私が来た)
シャロンの胸に、静かな感慨が込み上げた。
師匠と過ごした日々。厳しくて、優しくて、どこか寂しげだった師匠。その瞳の奥にあった、遠い光。
「ルイ」
シャロンは続けた。
「ここは、行き来ができるわ」
「え…?」
「ゲートは、閉じても——また開けられる。師匠の日記に、そう書いてあった」
「それは……」
「だから」
私は続けた。
「ここに残るかどうかは、あなたが決めていい」
「この世界にいてもいい。向こうに戻ってもいい」
「何度でも、行き来できる」
「どちらを選んでも——それは、あなたの選択よ」
ルイは、しばらく黙っていた。
空を見て、大地を見て、遠くの建物を見て——
そして、私を見た。
「お嬢様は……どうするのですか?」
「私?」
シャロンは少し考えた。
「私は——しばらく、ここにいるわ」
「師匠の故郷を、ゆっくり見て回りたいから」
「そして……また、どこかへ?」
「ええ、きっとね」
シャロンは微笑んだ。
「詐欺師に、安住の地などないもの」
ルイは、小さく笑った。
空は青く。
風は温かく。
長い旅は——ここで終わった。
そして、また新たな旅がここから始まるのだ。




