第5話 婚約破棄 【裏】
大広間に、貴族たちの視線が集まっていた。
私は中央に立ち、正面のカイルを見つめていた。
隣にルリアーナがいる。ピンクブロンドの髪、大きな瞳、涙目でこちらを見つめている。完璧な演技だった。
(よくやるわね)
内心で感心しながら、シャロンは表情を変えなかった。
「シャロン・ハウロイド」
カイルが、シャロンの名を呼んだ。
(さあ、始まるわ)
「お前との婚約を、ここに破棄する」
大広間が静まり返った。次の瞬間、貴族たちのざわめきが広がる。
私は静かに息を吸った。
(これが、全ての始まり)
「そうですか」
シャロンは答えた。
表情は変えない。動揺も、悲しみも、見せない。
見せる必要がない。
これは、最初から望んでいた結末なのだから。
「理由を聞いてもよろしいでしょうか」
私は淡々と尋ねた。
形式上、聞いておく必要がある。
「お前は、ルリアーナ嬢に嫌がらせをした」
カイルが冷たく言い放つ。
「聖女に対する不敬。到底許されるものではない」
「私が、ルリアーナ様に嫌がらせを?」
「複数の証言がある」
「……」
シャロンは何も言わなかった。
否定しない。肯定もしない。
今、ここで弁明しても意味がない。証拠を持っているのは、私ではなくノエルだ。そして、その証拠が効力を発揮するのは——今ではない。
(もう少し、待ちなさい)
「よって、お前を国外追放とする」
カイルが宣言した。
「今日限りで、王宮を去るがいい」
大広間がざわめく。
(来た)
「承知いたしました」
シャロンは静かに答えた。
貴族たちの声が聞こえる。
(さあ、これで終わり)
シャロンは一礼した。
そして、踵を返した。
背筋を伸ばし、凛とした姿勢で歩く。
貴族たちの視線が刺さる。嘲りの囁きが聞こえる。
だが——関係ない。
シャロンはただ、前を見据えて歩いた。
(師匠……もう少しよ)
扉に手をかけた、その瞬間。
私は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
誰にも気づかれないように。
廊下に出ると、ルイが待っていた。
「お嬢様」
「ええ」
私は静かに頷いた。
「無事に婚約破棄は終わったわ」
「……本当に良かったです」
ルイが、珍しく安堵した表情を見せた。普段は飄々としているこの男が、こんな顔をするのは珍しい。
「ルイ」
「はい」
「そんな顔をしないで。まだ全部は終わっていないんだから」
「……分かってます」
ルイは苦笑した。
「ノエルは?」
「既に動いています」
ルイが静かに答えた。
「今頃、アレクシス殿下のもとへ向かっているはずです」
(良い仕事ね、ノエル)
「では、私たちも準備を始めましょう」
私は廊下を歩き出した。
「荷物は最小限でいいわ。必要なものは、師匠の地図と記録だけ」
「承知しました」
部屋に戻ると、既に荷物は整理されていた。
ルイが事前に準備しておいてくれたのだろう。
シャロンは机の引き出しを開けた。
師匠から受け継いだ地図。古文書から写し取った記録。そして——師匠の日記。
一つ一つを手に取り、革袋に収める。
(師匠……)
日記の表紙に指を走らせた。
使い込まれた革表紙。所々に染みがついている。師匠が長年使い続けた証。
(もう少しで、あなたの願いを叶えられる)
私は日記を革袋に収め、立ち上がった。
「準備できた?」
「はい」
ルイが頷く。
「では、行きましょう」
王宮の正門を出る前、シャロンは一度だけ振り返った。
白い石造りの王宮が、朝の光を浴びて輝いている。
半年——シャロンがここで過ごした時間。
執務を手伝い、情報を集め、ルリアーナを誘導し、アレクシスと手を組んだ。
全て、この瞬間のために。
(やるべきことは、やった)
証拠はノエルの手の中にある。アレクシスがそれを受け取り、然るべき時に使う——そういう約束だ。
ルリアーナの聖女詐欺は、いずれ暴かれる。
カイルは自滅する。
アレクシスが、この国を導く。
(さあ、行きましょう)
シャロンは正門に背を向けた。
「お嬢様」
ルイが隣に立つ。
「次は、どこへ向かいますか?」
「王宮の古い塔よ」
シャロンは答えた。
「師匠の記録によれば、秘宝の在処はあの塔の地下にある。正規の入室許可も、アレクシス殿下が手配してくれているはず」
「なるほど。で、その後は?」
「秘宝を手に入れたら——師匠の故郷へ」
「遠いですねぇ」
「ええ」
「……楽しそうですね、お嬢様」
ルイが、軽い口調で言った。
「そう見える?」
「ええ、少し」
私は答えなかった。
でも——否定もしなかった。
朝の光の中、私たちは歩き出した。
王宮の正門を出て、しばらく歩いた頃。
「お嬢様」
ルイが小声で言った。
「塔の入口に、人がいます」
私は視線を向けた。
古い塔の入口——蔦に覆われた石造りの扉の前に、一人の男が立っていた。
アレクシスだった。
「来ましたね」
アレクシスは穏やかに微笑んだ。
「約束通り、入室許可を手配しました」
彼は一枚の紙を差し出した。王家の紋章が押された、正式な許可証だ。
「ありがとうございます」
私は受け取った。
「証拠は?」
「ノエルから受け取りました。確かに」
「では、取引は成立ね」
「ええ」
アレクシスは微笑んだ。
「一つだけ聞いてもいいかしら」
シャロンはアレクシスを見た。
「いつから知っていたの? 私の目的を」
「さて」
アレクシスは少し考えるように間を置いた。
「あなたはシャロン・ハウロイドではありませんね?」
思いがけない一言にシャロンは目を見開く。
「なぜ偽物が王宮に潜入したのか……地位?名誉?いや違う。だったらカイルに媚びるはずだ。あなたは王宮にしか無いものが欲しかった。……それが秘宝だと知ったのは最近のことですが」
(この男、やはり只者ではないわね)
「そこまでわかっていて、なぜ私を見逃したの?」
「その方がやりやすいから……ですかね」
アレクシスはそういうとニコリと笑った。
「では」
アレクシスは一歩引いた。
「ご武運を、シャロン様」
「あなたも」
私は塔の扉に向かった。
塔の内部は、ひんやりとした空気に満ちていた。
蝋燭を手に、石段を降りていく。
一段、また一段。
「……深いですね」
ルイが呟く。
「師匠の記録によれば、地下三層まであるはず」
私は地図を確認しながら答えた。
師匠の筆跡で書かれた地図。几帳面で丁寧な文字。見慣れた筆跡なのに——今日は、いつもより胸に刺さった。
(師匠も、ここを調べていたのね)
地下一層——倉庫のような空間。古い家具や壊れた調度品が積まれている。
地下二層——石の回廊。壁には古代の文字が刻まれていた。
「この文字……」
ルイが壁を照らしながら、ぽつりと呟いた。
その声に、いつもの軽さがない。
「師匠の日記にあったものと、同じ字体ね」
「……ええ」
ルイは静かに答えた。
壁に刻まれた文字を、シャロンは黙って見つめていた。
地下三層への扉は、重い鉄の扉だった。
許可証を差し込む溝がある。アレクシスから受け取った許可証を差し込むと——重い音を立てて、扉が開いた。
その先に、小さな部屋があった。
石の台座の上に、一つの小箱が置かれている。
私は静かに近づいた。
箱の表面に刻まれた文字が、師匠の日記の記述と、完全に一致した。
(間違いない)
蓋を開けた。
中には、深い青の宝石が収められていた。
親指ほどの大きさ。透き通るような澄んだ青。内側に光が宿っているかのように、蝋燭の炎を受けてゆらゆらと輝いている。
「……綺麗だ」
ルイが、小さく息を呑んだ。
「ええ」
私は宝石を手に取った。
冷たく、なめらかな感触。
三つの秘宝のうち、最後の一つ。
師匠が、道半ばで手の届かなかったもの。
(師匠……)
師匠の最期の言葉が、蘇る。
苦しそうに、しかし穏やかに——師匠は言った。
『もう一度だけ、あの景色が見たかった』
故郷の景色。師匠が生まれた場所。二度と帰れないと思いながら、それでも最後まで、思い続けた場所。
私はその言葉を、遺言だと受け取った。
だから、ここまで来た。
(必ず、あの景色を見せに行きます)
「ルイ」
「はい」
「行きましょう」
「……はい」
三つの秘宝は、揃った。
あとは——使うだけ。
地上に出ると、朝の光が眩しかった。
私は空を見上げた。
青い空。風。
「お嬢様」
ルイが隣に立った。
「次は?」
「準備を整えて、三つを合わせる」
私は答えた。
「そうすれば、ゲートが開く。師匠の記録にはそう書いてあった」
「……本当に、開くんですかね」
「開くわ」
私は迷わず答えた。
「師匠の記録は、今まで一度も外れたことがないもの」
「……そうですね」
ルイは小さく笑った。
今度は本物の笑みだった。
「じゃあ、信じますよ」
「当然でしょう」
私たちは歩き出した。
革袋の中に、三つの秘宝がある。
師匠の日記がある。
(もう少しよ、師匠)
(あなたの見たかった景色へ、届けてあげる)
風が、さわやかに吹き抜けた。




