第4話 シャロンの危機 【裏】
ルリアーナが聖女として認められてから、一週間が経った。
計画は、順調に進んでいた。
「お嬢様、今日も中庭に人が集まっています」
ルイが報告する。
「ルリアーナ様の人気、すごいですね」
「ええ」
私は書類から目を離さずに答えた。
聖女の誕生は、民衆の心を掴んだ。王宮内でも、ルリアーナの影響力は急速に拡大している。それに反比例するように、シャロンへの視線は冷たくなっていた。
しかし、孤立すればするほど、追放されやすくなる。計画通りだ。
「お嬢様、あまり気にしていないんですね」
「当然でしょう。気にする理由がないもの」
私は書類に署名した。
「それより、ノエルの準備は?」
「万全です」
ルイが頷く。
「いつでも動けます」
その返事に満足そうに頷くと、シャロンは書類仕事を再開する。
その日の午後——ノエルから事前に知らせが届いていた。
「今日の午後、ルリアーナ様が動くようです」
「場所は?」
「中庭の噴水前。お嬢様が通る時間帯に合わせて」
(なるほど)
私は頷いた。シャロンが中庭を横切る時間は、執務の都合上ほぼ決まっている。ルリアーナはそれを把握していたのだろう。
「ノエルは?」
「ルリアーナ様の侍女として、現場にいます。全て録音します」
「分かったわ。いつも通りに動いて」
その日の午後、予定通り私は書類を抱えて中庭を歩いていた。
噴水の前を通りかかった時——
「あっ……!」
悲鳴が聞こえた。
シャロンは足を止めた。
噴水の前で、ルリアーナが倒れていた。白いドレスが泥で汚れ、髪が乱れている。だが、シャロンはその瞬間を見ていた。
ルリアーナは、誰にも押されていない。
自ら、足を踏み出し——意図的に、バランスを崩した。
まるで練習でもしたかのように、滑らかに。
(見事なものね)
内心で感心しながら、シャロンは冷静に立っていた。
「シャロン……様……」
ルリアーナが、涙を浮かべながら私を見上げる。
その瞳には、怯えと悲しみが滲んでいた。完璧な演技だった。
(さあ、始まるわ)
「どうかなさいましたか?」
シャロンは冷静に尋ねた。
「シャロン様が……私を、押したんです……」
ルリアーナの震える声が、中庭に響いた。
周囲の侍女たちが、一斉に私を見た。
「私は今、ここに来たばかりです。あなたに触れてなどいません」
事実を述べる。だが、誰も信じないだろう。それでいい。
「嘘です」
シャロンははっきりと否定したが、それを信じるものは誰もいない。信じてもらえないことは、最初から分かっていた。
でもそれでいい。全ての真実は録音機の中に入っているのだから。
カイルが現れたのは、その直後だった。
「ルリアーナ、大丈夫か!」
「シャロン! お前、何をしたんだ!」
「何もしていません」
シャロンは感情を表に出さずに答えた。
「私が中庭に来た時には、既にルリアーナ様は倒れていました」
「嘘をつくな!」
カイルが怒鳴る。
(怒りやすい人間は、扱いやすい)
「認めるべき非がありませんから」
シャロンは自分の冷静な態度が、カイルをさらに苛立たせるのは分かっていた。それでいい。感情的になればなるほど、物事を正確に判断できなくなる。
「……もう俺の前に現れるな」
カイルは、ルリアーナを抱えて立ち去った。
残された私は、静かにため息をついた。ここまでやりやすいと逆に不安になる。
「お嬢様……」
ルイが、心配そうに近づいてくる。
「大丈夫ですか?」
「ええ。問題ないわ」
問題ない。これは全て、想定内のことだから。
バルコニーの事件
数日後の夜——ノエルが部屋を訪れた。
「お嬢様、ルリアーナ様から指示が来ました」
「聞かせて」
ノエルが、静かに報告する。
「バルコニーで、もう一度『シャロン様に突き飛ばされそうになった』という演技をするそうです。私に、手すりを揺らして不安定に見せるよう指示がありました」
「タイミングは?」
「明日の午後。お嬢様が図書室にいる時間帯に合わせて」
(図書室……アリバイを確保しろということね)
「ノエル、手すりには触れなくていいわ」
「……はい?」
「ルリアーナはあなたが手を出さなくても実行する。あなたは傍で見ていればいい。ただし——」
「今回も全て、録音します」
ノエルが静かに頷いた。
「良い仕事ね」
シャロンは少し考えた。
「ルイ」
「はい」
「明日の午後は、私のそばを離れないで。証人が必要になるかもしれない」
「承知しました」
二人が頷いた。
翌日の午後、私は図書室で北方公爵から借りた古文書を読んでいた。
「……これは」
頁を捲る手が、止まった。
古文書の一節に、見覚えのある文字が記されていた。師匠の日記に書かれていた、あの古代文字と同じ字体。
(師匠……この文字を見る度にあなたを思い出します)
胸の奥が、かすかに痛んだ。
感傷に浸っている暇はない——分かっている。でも、時々こうして師匠の足跡を見つけると、胸が締め付けられた。
(もう少し……もう少しで、師匠の願いを叶えられる)
シャロンは目を閉じ、すぐに気持ちを切り替えた。
その時——
「お嬢様!」
ルイが、図書室に飛び込んできた。
「バルコニーで騒ぎが……」
「分かったわ」
私は古文書を閉じ、立ち上がった。
(さあ、第二幕ね)
バルコニーへ向かう途中、すでに侍女たちの声が聞こえてきた。
「シャロン様が!」
「二度目ですわよ!」
「今、図書室から参りました」
私は淡々と答えた。ルイが証人として隣に立っている。
だが、今回も誰も信じなかった。今回の事件もルリアーナの侍女しか見ていない場所で行われた。ルリアーナは侍女を完全に丸め込んでいる。
大方、妃になれたら地位や財産を約束するとでも言って従わせているのだろう。
後で聞いたノエルの報告では——ルリアーナは手すりに自らしがみつき、ノエルに「あなたは何も見ていない、でも証言はして」と耳打ちしたという。
(しかしここまで徹底するとは)
私は改めて、ルリアーナの胆力に感心した。欲望に忠実すぎる、とは思う。だがその実行力は、本物だった。
その夜の夜会で、シャロンは完全に孤立していた。
誰も近づいてこない。声をかけてこない。
会場の中央では、ルリアーナが白いドレスをまとい、貴族たちに囲まれて微笑んでいた。
その視線が、ちらりと私を捉えた。
一瞬、ルリアーナの唇が小さく歪んだ。
(あなたは今、勝ったと思っている)
「シャロン様」
カイルが背後から声をかけてきた。
「明日、王の前で正式に婚約破棄の儀式を行う」
「…そうですか」
「お前は、この王宮から出て行け。二度と、ルリアーナに近づくな」
「私は何もしていませんが」
「まだそんなことを言うのか!」
カイルの声が会場に響く。
(感情的ね)
「認めるべき非がありませんから」
カイルは「話すだけ無駄だ」と言い残し、立ち去った。
人々が再びルリアーナの元へ集まっていく。
私は一人、会場の隅に立っていた。
「お嬢様……もう、この場を離れましょう」
ルイが、そっと近づいてくる。
「……そうね」
会場を後にしようとした時——
「あら、シャロン様」
ルリアーナの声が、背後から聞こえた。
「お一人なのですか? お可哀想に……」
(やはり、来たわね)
「ルリアーナ様こそ、お一人でこちらに? 護衛もつけずに、危険ではありませんか?」
ルリアーナの笑みが深まった。
「それに……もう、シャロン様には何もできないでしょう?」
小声で囁く。
「明日には、全てが終わりますもの。ご愁傷様です、シャロン様」
私はルリアーナの瞳を見つめた。
勝利の確信が宿った瞳。
(そう思っていて頂戴)
「……そうですね。明日、楽しみにしています」
ルリアーナの目が、一瞬だけ揺れた。
「楽しみ……?」
「ええ」
シャロンはそれだけ答えて、会場を後にした。
廊下を歩きながら、ルイが小声で言った。
「最後の一言、余計じゃなかったですか」
「そうかしら」
「ルリアーナ様、明らかに動揺していましたよ」
「少しくらいいいでしょう」
ルイが苦笑した。
「……珍しいですね、お嬢様が意地悪を言うのは」
私は静かに微笑んだ。
「それにようやく明日、追放される。それが計画の完成よ」
「……証拠はどうするんです?」
「ノエルが持っている。私が王宮を出た後——ノエルが残って、アレクシス殿下に届ける。それが最後の仕事よ」
「承知しました」
ルイが深く頷いた。
私は窓の外を見た。月が、綺麗だった。
(師匠……もう少しよ)
(あなたの願いを、必ず叶える)
明日、婚約破棄の儀式が行われる。
シャロンは追放される。




