第3話 聖女の覚醒 【裏】
シャロンが王宮に来て四ヶ月が経った頃。
ある夜、シャロンの部屋にノエルが訪れた。
「お嬢様、お呼びでしょうか」
扉を開けて入ってきたのは、一人の侍女——に見える人物。
華奢な体つき、長い睫毛に中性的な顔立ちのこの人物の名はノエル。誰もノエルの本当の名前も性別も顔も知らない。
ノエルはルイと同じくシャロンの仲間で、変装の達人。今は、ルリアーナの侍女として潜入している。
「ええ。重要な話があるの」
シャロンはソファに座る。
「ノエル、座って」
「はい」
ノエルが、シャロンの向かいに座る。
部屋の入口では、ルイが見張りをしている。
「ノエル、ルリアーナの様子はどう?」
「はい。相変わらず、カイル王子に夢中です」
ノエルが、普段より少し高めの従順そうな侍女の声で報告する。完璧な演技だった。
「毎日のように、『カイル様と会いたい』と言ってます」
「そう」
「ただ、最近は少し焦っている様子です」
「焦っている?」
「はい。『家格が低すぎて、妃になれない』と嘆いていました」
ノエルが続ける。
「『何か決定的な武器があれば』と」
「武器……東屋で聞いたのと同じね」
シャロンは、小さく微笑む。
「それなら、与えてあげましょう」
「与える……?」
「ノエル」
シャロンが、真剣な顔で言う。
「あなたに、ルリアーナへ伝えてほしいことがあるの」
「はい」
「聖女についての、真実よ」
シャロンが、静かに語り始める。
「私の師匠が教えてくれたことなんだけど——聖女とは、特別な力を持たない」
「……!」
ノエルが、驚いて目を見開く。
「ただの象徴なのよ。存在するだけで、国が繁栄すると信じられている」
「でも、実際には特別な力など、何も持っていない」
「そんな……」
ノエルが、呆然とする。
「お嬢様の師匠って……一体何者なんですか? そんな王宮の秘密を……」
「分からないわ」
シャロンが首を振る。
「師匠は不思議な人だった。異国の文字で書かれた日記を読んでいて、誰も知らないような知識を持っていた」
「でも、師匠の言うことは今まで全て正しかった。だから、この話も本当でしょう」
「確かに……」
ノエルが頷く。
「それで、お嬢様」
ノエルが尋ねる。
「その情報を、ルリアーナ様に?」
「ええ」
シャロンは頷く。
「でも、どうやって……?」
「簡単よ」
シャロンはノエルを見つめる。
「あなたの遠い祖先が、聖女だったことにするの」
「私の……祖先が……?」
「ええ。そして、その祖先から聞いた話として、聖女の真実をルリアーナに教える」
シャロンが指示を出す。
「『聖女とは、特別な力を持たない。ただの象徴だ。だから、誰でも聖女になれる』と」
「……承知しました」
ノエルが頷く。
「でも、お嬢様。ルリアーナ様が聖女になったら、カイル王子は婚約破棄を……」
「それが目的よ」
シャロンはあっさりと言う。
「目的……?」
「私は、追放されたいの」
「追放……?」
ノエルが驚く。
「ええ。カイルに追放されれば、私は堂々と王宮を出られる。秘宝を持ち出すのも容易になるわ」
シャロンは窓の外を見る。
「それに——」
「ルリアーナに聖女の真実を教えたら、彼女は必ず聖女詐欺を企てる」
シャロンが断言する。
「その時、あなたも協力して」
「協力……?」
「ええ。聖杯に細工をするのを、手伝うの。変装の名人のあなたなら簡単でしょ?」
「……!」
ノエルが驚いた顔をする。
「お嬢様、それは……」
「詐欺の共犯になれ、ということよ」
シャロンがはっきりと言う。
「でも、大丈夫」
シャロンはノエルの肩に手を置く。
「あなたは、ただ指示通りに動くだけ。そして——」
「その一部始終を記録するの」
「記録ですか……?」
「ええ。会話を録音して、証拠を残すの」
シャロンの目が、冷たく光る。
「いつか、それが必要になるから」
「承知しました」
ノエルが深く頷いた。
「お嬢様」
部屋の入口にいたルイが口を開く。
「本当に、これで良いんですか?」
「何が?」
「ルリアーナを、ここまで誘導して……」
「心配しないで、ルイ」
シャロンは微笑む。
「ルリアーナは、自分の意思で聖女詐欺を選ぶ。私は、ただ真実を教えただけ」
「真実……ですか」
「ええ。聖女とは、特別な力を持たない。それは師匠から聞いた真実よ」
シャロンは窓の外を見る。
「だから、私は嘘をついていない。ただ、真実を教えただけ」
「そして、その真実をどう使うかは、ルリアーナ次第」
「……いやはや、恐ろしい方だ」
ルイが苦笑する。
「褒め言葉として受け取っておくわ」
シャロンは冷たく微笑んだ。
翌日の午後。
ノエルは、侍女としてルリアーナの部屋にいた。
ルリアーナは窓辺に立って外を見ている。その表情は暗かった。
「ルリアーナ様、お茶をどうぞ」
ノエルがお茶を持ってくる。
「ありがとう」
ルリアーナはため息をつく。
「どうなさいました?」
「……私には、無理なのよ」
ルリアーナが小さく言う。
「カイル様の妃になることよ。家格が低すぎる。妃教育も受けていない」
「こんな私が、妃になれるはずがないわ」
「ルリアーナ様……」
「もし……もし、聖女にでもなれたら、話は違うのでしょうけど」
ルリアーナが自嘲気味に笑う。
「でも、そんなこと無理よね。聖女なんて、特別な人にしかなれないもの」
「ルリアーナ様」
ノエルが、意を決したように言う。
「はい?」
「実は……私、お話ししなければならないことがあります」
「話?」
「はい。聖女について、です」
ノエルが声を潜める。
「実は、私の遠い祖先に、聖女がいたのです」
「え!?」
ルリアーナが驚いて振り返る。
「本当なの!?」
「はい。代々、語り継がれてきた話です」
ノエルが真剣な顔で言う。
「そして、その祖先から伝えられた、聖女の真実があります」
「真実……?」
「はい」
ノエルがさらに声を潜める。
「聖女とは——特別な力を持ちません」
「……え?」
ルリアーナが目を見開く。
「何を言ってるの? 聖女は特別な力を…」
「いいえ」
ノエルが首を振る。
「それは、民衆の誤解です。聖女とは、ただの象徴なのです」
「存在するだけで、国が繁栄すると信じられている。でも、実際には特別な力など、何も持っていない」
「そんな……」
ルリアーナが呆然とする。
「これは、王宮の限られた者しか知らない真実です」
ノエルが続ける。
「民衆は、聖女には特別な力があると信じています。でも、実際には——」
「誰でも、聖女になれる…?」
ルリアーナが震える声で尋ねる。
「……はい」
ノエルが頷いた。
ルリアーナの目が、ギラリと光った。
「それは……本当なの?」
「はい。私の祖先が、確かにそう言い残したと……」
「そう……」
ルリアーナは、ゆっくりと立ち上がった。
その表情は、先ほどまでの暗さが嘘のように、野心に満ちていた。
「ねえ、あなた」
「はい?」
「もし——もし、私が聖女になれたら、どうなると思う?」
「それは……カイル王子の妃に、なれるかと…」
「そうよね」
ルリアーナが、にやりと笑う。
「聖女になれば、家格なんて関係ない。誰も反対できない」
「ルリアーナ様……」
「ねえ」
ルリアーナがノエルを見つめる。
その目は、冷たく計算高かった。
「聖杯に、細工できないかしら?」
「……!」
ノエルが驚いた表情を作る。
「細工……ですか?」
「ええ。聖杯が光るように、何か仕掛けを……」
ルリアーナが真剣に言う。
「あなた、手伝ってくれない?」
ノエルは、少し躊躇する素振りを見せた。
「でも……それは……」
「お願い」
ルリアーナが、ノエルの手を握る。
「あなただけが頼りなの。私を、助けて」
「……分かりました」
ノエルが、ゆっくりと頷いた。
「ルリアーナ様のためなら」
「ありがとう!」
ルリアーナが、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔は、まるで——
獲物を捕らえた肉食獣のようだった。
その夜遅く、ノエルは動いた。
聖堂の清掃係に変装するのは、造作もないことだった。同じ体格の清掃係から制服を借り受け、髪を結い上げ、顔に軽く陰影をつける。
鏡に映る姿は、完全に別人だった。
ノエルは清掃用具を手に、聖堂へと向かった。
この時間、聖堂には本来の清掃係が作業をしている。だが、ノエルはそれを織り込み済みだった。
「遅れてすみません。交代要員です」
ノエルは自然な口調で声をかけた。
清掃係の一人が訝しげな顔をしたが、ノエルはすでに作業を始めていた。手際よく、何の不審もなく、ただの清掃係として。
聖杯の台座に近づいたのは、他の清掃係が別の場所に移動した、ほんの数十秒のことだった。
懐から取り出した小さな細工道具。
聖杯の底部に、光を反射する極薄の鉱石粉を仕込む。ルリアーナが触れた際の体温と指紋で反応し、強い光を放つ——師匠の記録にあった、古代の技術だった。
(師匠の知識が、こんなところで役立つとは)
ノエルは内心で苦笑しながら、素早く手を引いた。聖杯は何事もなかったかのように、台座の上に静かに置かれている。
清掃を終えたノエルは、何食わぬ顔で聖堂を後にした。
その後。
ノエルは、シャロンの部屋を訪れた。
「お嬢様、報告があります」
「どうぞ」
「ルリアーナ様、完全に乗りました」
ノエルが報告する。
「聖女の真実を教えたら、すぐに聖女詐欺を企て始めました」
「そう」
シャロンは満足そうに微笑む。予定通りにことが進むと気持ちがいいものだ。その点もルリアーナは扱いやすい。
「それで、あなたに協力を求めてきた?」
「はい。聖杯に細工をするのを、手伝ってほしいと」
「完璧ね」
シャロンが立ち上がる。
「で、あなたは承諾した?」
「はい。そして、全ての会話を録音しました」
ノエルが、小さな録音装置を取り出す。この録音装置に全ての証拠が記されている。
「良い仕事よ、ノエル」
「ありがとうございます」
ノエルが頭を下げる。
「これで、証拠は揃ったわ」
シャロンが、装置を受け取る。
「後は、計画通りに進めるだけ」
ノエルが去った後。
シャロンは、一人で窓辺に立っていた。
月が、綺麗だった。
(ルリアーナ…)
シャロンは小さく呟く。
(あなたは、自分の意思で聖女詐欺を選んだ)
(私は、ただ真実を教えただけ)
(だから、責任はあなたにある)
シャロンは冷たく微笑んだ。
(さあ、踊りなさい、ルリアーナ)
(私の掌の上で)
(そして、いつか——)
(全てが暴かれる時が来る)
月明かりの下、シャロンの影が長く伸びていた。
まるで、全てを飲み込むように——
そうして聖女の儀が終わった夜、シャロンは人気のない回廊を歩いていた。
「夜更けに、どこに行かれるのですか、シャロン様」
振り返ると、第一王子アレクシスが立っていた。
「アレクシス殿下こそ、こんな時間に」
「ええ、少し散歩を」
飄々とした笑み。読めない表情。
(相変わらず食わせ者ね)
「少し、よろしいですか」
アレクシスは続けた。
「この国を見てください」
窓の外——月明かりに照らされた王都が広がっている。
「美しいでしょう?」
「……ええ」
前回もこんな会話をした気がする。一体何が目的なのだろうか。
「でも、カイルが国王の座につけば、この国は破滅へと向かうでしょう」
私は、アレクシスを見た。その瞳には国の行先を憂う王族としての光が宿っていた。
「聖女がいれば、この国は安泰ではなくて?」
「本当にそうだったらいいんですがねぇ」
その表情は、穏やかなままだった。見抜いているのか、そうでないのか——読み取ることができない。
「陰ながら見守ってきましたが……カイルはもうすぐ戴冠する予定です」
アレクシスは続けた。
「あの状態の弟に、この国を任せることはしたくないのです」
アレクシスの飄々とした仮面の奥に、確かな光が灯っていた。この国を、民を愛する——温かな光が。
(ただの野心家ではなさそうね)
私は少し考えた。
「何が望みですか、殿下」
「私が王太子になるほんの少しの手助けを」
アレクシスは静かに言った。
「そして——あなたが望むものを、手に入れる手助けを、私がする」
「手助け、とは」
「秘宝庫への正規の入室許可を取り計らいましょう」
私は、アレクシスを見つめた。
この男は——どこまで知っているのか。
「秘宝庫とは?なんのことでしょうか」
シャロンは表情を一切崩さずそう答えた。動揺は見せない。
「シラを切らなくても大丈夫です。私はあなたの味方ですから。それに、私はあなたをこの数ヶ月間監視していました。あなたはある秘宝を欲しがっている」
完全に見抜かれている。こちらの狙いも、どう動いているかも。
それに、アレクシスは今、味方と言っていた。その言葉に嘘は感じられない。詐欺師は嘘に敏感だ。シャロンが感じないということは本当なのだろう。それか、シャロンすら凌駕するほどの大嘘つきか。
ここはアレクシスを敵に回さない方が無難かとシャロンは結論づける。
「条件は?」
「ルリアーナが詐欺を働いた証拠を、私に渡していただくこと」
「それだけ?」
「それだけです」
アレクシスは微笑んだ。アレクシスの目論見が少しわかった気がした。アレクシスはルリアーナを利用してそのままカイルごと失墜させる気だ。
「いいわ」
「手を組みましょう、殿下」
そうして私たちは互いの利益のため、手を組むこととなった。
その後、部屋に戻った私は事情をルイに話すと、ルイは驚いたような顔をした。
「何を考えている人かわからなかったけれど、まさかそんなことを考えていたなんて」
「ええ、私も驚いたわ」
素直な気持ちを口にする。計画外のこの同盟が吉と出るか凶と出るか。
「これから面白くなりそうね」
シャロンの言葉は窓からの風にさらわれて夜の闇に消えていった。




