迫害の事実:偽りの正義
外に出ると、美しい森に囲まれた里の景色が目の前に広がる。だがやはり、人の姿はどこにもなかった。それにまだ、空気が張り詰めている感覚がする。
「ああそうだ。忘れておった……」
すると、俺の後から洞窟を出たイラーが、光に目を細めながら呟いた。そして目を閉じると、深く息を吸う。次の瞬間──
『里の皆、聞こえるかい? この者は大丈夫だ。警戒を解いて、安心して元の生活に戻るといい』
耳に届いていたはずのイラーの声が、クルグの声と同じように頭に響いた。俺は驚きに目を見開く。
「……これも、魔族の力?」
「ああ。念話と言ってね、魔力で会話するんだ。もちろん幾つか制約はあるが、それなりに離れたところへも言葉が飛ばせる。年老いて出歩くのが億劫になると、便利で重宝するよ」
イラーは笑った。張り詰めていた空気が少し、和らいだ気がする。その空気を確認するように、しばらくあたりを見渡してからイラーは歩き出す。俺もその後に続いた。
『クルグもね、よく使うよ。さっき帰ってくる時も「今から帰るよ」ってイラーに伝えたし』
「そういうことだ。だから私たちはレンが来ることを知っていた」
そして俺を見定めるため人払までしていた、と言うことらしい。
──まるで怯えて暮らす者の動きだ。
そんなことを思いながら歩いていると、里の奥にぽつりと木造の家が姿を見せた。丸太を組んだ簡素な造りだが、どこか温かみがある。
「あれが、私の家だ。さ、入りなさい」
イラーに促され、俺は扉をくぐった。
中は整然としていた。丸いテーブル、乾燥させた薬草、革袋に詰められた果実……思ったよりも生活感がある。
「クルグ、まずは水を浴びて着替えておいで」
俺の隣にちょこんと座り、後ろ脚で頭を掻いていたクルグにイラーは言った。着替えるもなにも、クルグは何も着ていないが、聞き返すこともなくクルグは『うん』と飛び跳ねて奥の扉に消えてしまう。
「さあ、レンはそこにお座り。話すことは山ほどあるからね」
クルグを見送り、やわらかく笑って茶器を用意するイラー。どことなく日本の急須と湯呑みに似ていた。茶葉からは爽やかな香りが漂う。ハーブティーのようなものだろうか。
「……まずはそうだね、レンの疑問に答えようか。“魔族は、本当に人間を脅かす存在か”と、そう聞いたね?」
イラーは椅子に腰を下ろすと、一つ息をついてから問いかけた。
「はい」
だから俺は、イラーを真っ直ぐに見つめて答える。イラーもまた、逸らすことなく俺の目を見つめていた。
「私が知りうる歴史の限り、その質問の答えは──否だ」
イラーはただ静かに、そう言い切った。真偽を確かめるように、俺はイラーを見つめる。彼女の瞳はどこまでも、黒く澄んでいた。
「レンがそれを信じるも信じないもの自由だよ。知らぬものを恐れるのは、生き物として大切なことだからね。よく見聞きし、正しいと思うものを信じなさい」
口を開かない俺に、イラーはそう続ける。弁明するでもなく、そう訴えるイラーの言葉に嘘はない気がした。
だけどイラーが言う通り、知らないから恐ろしい。このわからなことだらけの世界の何を、誰を、信じていいのかわからない。
「じゃあどうしてエリュナ……あの太陽の巫女や王は、魔族を滅ぼそうとしているんですか?」
だから俺は質問を続けた、
殺戮には理由が必要だと思う。異世界から勇者を呼んでまで、魔族を排除する理由はなんなのだろうか。
「簡単なことだ。我々が“この国が国であるための必要な悪だから”だよ」
「必要悪……この国にとってなくてはならない敵、ということ?」
「その通り。大勢が一つになるためには、共通の敵を作るのが一番なんだ。それを撃つために人は団結できるからね」
イラーは目を伏せ、少し悲しげな声で俺の言葉を肯定した。
「だから、国のための必要悪……」
敵の敵は味方。それはどこの世界もかわらないらしい。これが真実なら、なんと悍ましいことだろうか。
「エルダレス王家は自らの地位を守るため、定期的に“聖戦”と称して我らの地を荒らす。勇者召喚の儀式もその一つさ。五十年に一度、太陽と月が重なる“紅蝕”の日だけ行える禁忌……あの日、レンが呼ばれた理由もそこにある」
イラーの顔がわずかに陰った。
胸の奥がざわつく。
話を聞けば聞くほど、何かが噛み合っていく気がした。あの太陽の巫女の芝居がかった口ぶりと、貴族相手に見せ物のような儀式。そこにあった違和感の正体はこれなのかもしれない。
「……そんな理不尽な理由で、俺は殺されかけたのかよ」
召喚、聖戦、魔族迫害。
俺がこの世界に呼ばれたのは、単なる政治の道具のため。俺の命の価値はないに等しいらしい。
俺は拳を固く握った。手のひらに爪が突き刺さる。イラーの目にも、怒りが滲んでいる気がした。
「あの腐った王家にとっては、我々の存在も、レンの人権も、ただの道具に過ぎない」
全く笑えない話だ。世界が変わろうと、俺の人権が存在しないとは。
「やっと、クソみたいな世界を抜け出したと思ったのに……」
この世界も腐っている。
俺は誰に言うでも無くつぶやいた。イラーも同意するように深く息をつく。
「だが、私にもわからないことがある」
そして長いため息の後で、イラーはそう切り出した。
「わからないこと、ですか?」
「ああ。本来、召喚された者は金獅子の血を飲んで奴らと同じ存在になり、王命の下、我らを殺すのが普通だ。それが何故、レンはその姿でここにいる? レンは共に来た男に嵌められたと言っていたが、この世界の知識もない男に、それができるとは思えない……」
そう言われればそうだ。
なにも知らない世界では、俺に何かを仕掛けることは難しいはず。
「じゃあやっぱり、あの王家が見せしめに俺を魔族にして殺そうと……?」
あの時のエリュナは大して驚くこともなく、簡単に俺を切り捨てた。そう言われてもおかしくはない。アイツが嗤っていたのも、ただ単に俺が殺されるのが面白いからで説明がつく。
「いや、召喚は簡単なことじゃない。貴重な人間をわざわざ見せしめにするとは思えない」
しかし、イラーの意見は違うようだ。
「ならばどうして……俺は確かに金獅子の血を受け取って、儀式の通りに飲んだはずなのに……」
部屋の中に、沈黙が流れた。
「違うよ。レーンは金獅子の血は飲んでないよ」
その時、そう告げるクルグの声が聞こえた。だが間違いなく、俺は金獅子の血を小瓶に詰めたはずだ。
「おい、それはどういうこ……」
どういうことかと、俺は声が“聞こえた”方へと視線を向ける。その瞬間、俺の中で時が止まった。
「だーかーらー、レーンは金獅子の血は飲んでないよってば!」
視線の先で、黒い毛を水に濡らし、イラーとよく似た服を纏った、女の子がそう言った。
「…………ク、クル……グ?」
思わず情けない声が出た。
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