暗い洞窟:不思議な女
人の気配のなさに、妙な感覚を覚える俺をおいて、クルグはさっさと白い布をを鼻先で退けて洞窟の奥に消えてしまった。
「……あ、おい!」
ここまできたら、逃げたって仕方がない。後に続いて、俺も洞窟の入口をくぐる。
外の明るさが消え、蝋燭のぼんやりとした灯りだけがあたりを包んだ。蝋燭の火が揺れるたびに、俺たちの長い影もゆらゆら揺れる。中にも石壺が幾つか並び、薬草のようなほのかに甘い香りが漂っていた。
「待っていたよ」
──待っていた?
その薄明かりの先、木で作られた簡素なテーブルの奥に、一人の女が座っていた。歳の頃は六十前後だろうか。テーブルには彼女の言葉通り陶器のコップが二つ、並んでいる。
「疲れたろう? そこにお座り」
戸惑う俺を他所に、彼女は自身の前の椅子をすすめた。彼女が纏う服は簡素に見えるが、裾や袖口に細かい刺繍が施されていて、まるで民族衣装。だがその美しい刺繍と反対に、袖から覗く左手や腕には影のように深く、黒いアザが広がっていた。
「……あ、あの……」
思わず俺は息を呑む。足が動かず、ただその場に立ち尽くす。
それでも彼女は優しく微笑んだ。蝋燭の柔い灯りに、皺が濃く浮かぶ。どこか優しげで、どこか怪しげな、そんな不思議な雰囲気が漂っている。
「私はイラー。気軽にイラーと呼ぶといい」
「あ……えと、蓮……です」
イラーは隣に駆け寄ったクルグを撫でながら言った。それに続いて、俺も半ば反射的に名前を口にする。
「レンか……一先ず、クルグを救ってくれたことに礼を言うよ」
ニコニコと微笑むイラー。黒いアザのある左手は、優しくクルグの顎下を撫でている。
「どうしてそのことを? それに、どうやって俺が来ることを知ったんです?」
「そうだねぇ……後で順を追って説明してやるから、まずはこちらの質問に答えておくれ。レンは──異界の子なんだろう?」
驚きに、息が詰まる。
何と返せばいい?
この人は何を知っている?
返す言葉が見つからない。
『イカイノコ?』
必死に頭を巡らせ、口を閉ざす俺の代わりにクルグの声が頭に響いた。
「そう。こことは違う世界から来た人のことだ──違うかい?」
イラーは優しく問いかける。対する俺は身構えた。
俺は何も知らない。それなのに、殺されかけた。勇者と呼ばれたはずが魔族として殺されかけた。でもその理由も、ここがどこかも、イラーが何者かも、俺は知らない。そんな知らないことだらけの世界で、俺のことは相手に知られている。それはひどく恐ろしい。
「そう身構えるな。私はただ少し長く生きたせいで、物事を少し多く知っているだけだ。レンに私を害する気が無いのなら、私たちがレンを害することは無い。だから素直に教えておくれ」
それでもイラーは微笑みを崩すことなく、敵意がないと言うように両手を挙げて言った。俺のことを、見透かしているようだ。だが確かに、その目はエリュナや神崎たちのものとは違っている。
「……その通りです。俺は確かに、別の世界から召還された」
だから意を決して、俺は答えた。
「やはりか。突然のことに驚き、戸惑っただろう……」
俺のそばに来たクルグが、椅子に座れと言うように鼻先で俺を押す。イラーが自分のことのように悲しげな顔で言うせいか、拒む気になれず俺は椅子に腰を下ろした。俺が腰を据えるのを見届けて、イラーは続ける。
「だが本来、異界の子は勇者として我らに牙を剥くはずだ。それが何故、そのような姿でここにいる?」
優しげな表情に、少し冷たい影がさした。ただそれは敵意ではなく、俺を見定めるような冷たい鋭さ。それに射抜かれると、何故か素直に話した方がいいと思えた。
「それは、俺にもわかりません。突然この世界に来て、聖勇者だって呼ばれたはずが、急に魔族扱いされて、殺されかけて……アイツが俺を見て嗤っていた……俺はアイツに、嵌められたんだ」
「アイツ?」
静かな声で、イラーが聞き返す。
「俺と一緒にここに来た男で、ずっと俺を嫌っていた男」
「なるほど……」
イラーは陶器のコップを手にすると、静かに口をつける。考え込むように目線を左上へと逸らした後でゆっくりと飲み込んだ。
「あ! そうだ……顔! 俺の顔に突然アザが出て、それで殺されかけたんです。俺の顔、今はどうなって……」
神官の出した水に映ったあの姿が頭に焼き付いていた。
「落ち着いて、見てみなさい」
イラーが立ち上がり、棚から小さな鏡を差し出した。受け取り、意を決して鏡面を覗き込む。
「……うっ」
見慣れた顔に、見慣れないアザ。真っ赤な右眼と目が合った。自分の顔に恐怖を覚える。ドクドクと心臓が早鐘を打って、胸を焼いた。代わりに全身の血の気が引いて、指先から徐々に冷えていく。
怒りか、悲しみか、悔しさか、色々な感情がぐちゃぐちゃに入り乱れて吐き気がした。
「恐れることはないよ。それは月の加護の証。私の左手がレンを傷つけることがないように、“そのアザは誰も傷つけない”」
「本当に、俺は……」
人間に害をなすとされ、アイツらに殺される存在に、俺はなってしまったのか? 勝手に召喚され、見知らぬ世界に閉じ込められ、訳もわからぬままに魔族になったのか?
──ならばこの先の俺は、勇者になったアイツらに、理不尽に殺されるのだろうか。
確かにあの時、あの旧校舎で、「殺せ」と俺はアイツらに言った。だけど、こんな終わりを望んだわけじゃない。
「なんで……どうして……! 俺が何をした!?」
思わず声が震えた。握りしめた手に爪が食い込んで痛い。クルグがその手に鼻先を寄せ、イラーの黒く染まった手が俺の肩に触れた。
「祈り」
イラーの声が、優しく響く。途端に仄かな暖かさを感じて、すっと心が静まった。
「……少しは、落ち着いたかい?」
「今のは……?」
「私の光の力だ。幼な子が使うような簡単なものだけど、興奮を抑える力がある。私はどうにも光属性の扱いが苦手で、この程度しかできないのだけど」
妙に昂っていた感情は、凪いだ湖のように穏やかだ。
「俺こそ取り乱して……すみません」
「いや、私のせいなんだ。少し私たちも警戒していてね……レンのことを知るために自白の薬草を焚かせてもらったんだ。そのせいで、レンの感情を溢れさせてしまった。申し訳ないことをしたね」
眉根を寄せ、そう告白したイラーは開いていた石壺の蓋を閉じた。徐々に漂っていた甘い匂いが薄くなる。
名前や事の経緯を思わず全て正直に話したのも、そのせいのようだった。
「だけど私たちは勇者から追われる身。だからレンと言う存在が何者か、知る必要があったんだ……そのことも、理解しておいてほしい」
勇者が魔族を殺す存在なら、確かに魔族は勇者に殺される存在。
俺はふと、疑問に思う。
「──魔族は、本当に人間を脅かす存在なんですか?」
たったこれだけの関わりだが、クルグやイラーが人間を殺すとは正直思えなかった。
「そうだね……まずは私の家に招待しよう。そこで私たちのこと、この世界のことを説明するとしよう」
そう言うとイラーはニコリと笑った。これまでの微笑みと違って、なんだか友人に向けるような笑みで少しくすぐったい。
「さあ、行こうか」
胸のざわめきが少し和らいで、イラーの言葉がすとんと胸に落ちてきた。
俺はゆっくりと、イラーに続いて洞窟を出た。外の眩しい灯りが俺を照らした。
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