神秘の森:人の気配
◇ ◇ ◇
森はどこまでも美しかった。
木々は高く伸び、豊かな緑が風に揺られて音を奏でる。草花は足元を彩り、踏み出す足を躊躇わせる。
「……痛っ」
だがその美しい森に道らしき道はなく、苔むした石や木の根が足を取った。オオカミに咥えられていた制服の裾は解放されたが、ひょいひょいと慣れたよう進むオオカミを追うのは骨が折れる。
「……なぁ、俺を食ったりしないのか?」
フンフンと鼻歌を俺の頭に響かせながら、楽しげに歩くオオカミに聞いた。全くもって警戒心も敵意もなさそうだが、コイツはあくまでも魔族。魔族が何かを俺は知らないが、エリュナたちが滅すべき存在だと言っていたのは確かだ。
『アタシが!? おいしくなさそうだから食べないよ! うぇ〜、変なこと言わないで!』
しかし心底嫌そうに答えるオオカミ。勇者が滅ぼすべき存在にしては、あまりにも呑気すぎる。
「……俺が、魔族だからか?」
あの時水に映った自らの姿が、こびりつくように頭の中に残っていた。
『だからぁ、まぞくって何? わかんないからアタシじゃなくて、イラーに聞いて!』
しかし顔を映す手段もなく、このオオカミが当てにならない今、顔に広がったあのアザの有無を確かめる手段はない。
「じゃあ『イラー』ってやつは? ソイツは俺を殺したりしないのか?」
このオオカミに俺を殺す気がなくとも、イラーが俺を殺す可能性も否定できない。本当にこのまま着いていくことが正解なのか、不安は拭えなかった。
『なんでそんなこと聞くの? イラーは優しいよ』
しかしオオカミは悲しげに尻尾を揺らす。
「なら、いいんだけど……」
不安は残るが、今この世界で頼れるのはコイツしかいない。だから、逃げることも正解だとは思えなかった。
「……ちなみに、俺は本当に死んでないんだよな?」
『えー? だって動いてるし、生きてるんじゃないかな』
悲しげな尻尾に、別の質問を投げる。頭に響く少女の声は、あっけらかんとした様子で答えた。
「……そしたら俺は、どうやってあの状況から生き残ったんだ?」
『んーとね、レーンがアタシを助けてくれたよ。だからアタシもレーンを助けようと思って助けた!』
俺が、助けた?
「……どうやって」
『簡単だよ! 風の力でレーンを運んだの。でもそのあと全然動かなくて。死んじゃったと思ったから置いて行こうとしたんだけど、死んでなかったね』
エヘヘと笑うオオカミ。俺がどうやって助けたのかを尋ねたつもりが、オオカミは自分がどうやって俺を助けたのか、を教えてくれた。
「いや、そうじゃなくてさ、俺が、どうやってお前を助けたか知りたいんだ」
『お前? クルグのこと?』
オオカミは立ち止まり、久しぶりにこちらに顔を向けた。澄んだ夜色の瞳に見つめられる。名前のようだ。
「ああ。どうやって俺はお前を……クルグを助けた?」
『えー? どうだっけ……たしか、光が傷を治してくれて……それで檻が壊れたからぁ……』
オオカミ、もといクルグは必死に考えて言葉を紡ぐ。だが残念ながら、言っていることはよくわからない。
「俺が、光の力を使ったってことか?」
『違うの?』
質問に質問返される。クルグの記憶によれば、俺の光が傷を治したらしい。そうなれば俺の力は、あの胡散臭い巫女、エリュナと同じということになる。
だが確かに、火を放った記憶が俺にはあった。エリュナは「属性に応じた力しか使えない」と言っていたはずだ。
「俺の力は火じゃないのか?」
俺は右の手のひらを見つめて力を意識してみた。やはりボッと音を立てて小さな炎が上がる。
『そうそう! そのあと、その火が壁を壊したから、そこから逃げたの』
──どういうことだ?
試しに頬の傷を癒そうとしてみた。しかし、やはり上手くはいかなかい。
『でもさぁ、アタシも危なかったんだよ! あの白い女の人、怖いから嫌い!』
クルグが鼻を鳴らす。
俺もエリュナの冷えた瞳を思い出した。迷いなく、俺を殺そうとする瞳。最後に見た、神崎の笑顔も頭をよぎる。思い出すだけで怒りにバチバチと胸の辺りが熱くなった。
──おそらく俺は、アイツらに嵌められた。
「クルグ、そいつらがどうなったかわかるか?」
『えー……? うーん……見てないからわかんないなぁ』
考えるように首を捻るクルグ。そのまま振り返ると、またゆっくりと歩き出す。俺はまた、後を追った。踏み出した足の下で枝がパキリと音を立てた。
──正直、奴らが簡単に死ぬとは思えない。
「そうか……」
俺が生きているとわかれば、アイツらはまた俺を殺しにくるだろう。
「ちなみにここは何処なんだ? あの場所からは遠いのか?」
『もー、質問が多いなぁ……ここは、ルーナの森でしょ! あそこの隣にあったじゃん!』
俺の質問攻めが面倒になったのか、クルグがフンフンと鼻を鳴らしながら言った。
最悪なことに、ここはあの建物からそう遠くないらしい。隣ということは、あの窓から見下ろした森なのだろうか。
殺されないためには、イラーとかいう奴から情報を集めて逃げた方がよさそうだ。なんなら今も、あまり悠長にはしていられないかもしれない。
クソみたいな世界で生きるのはごめんだが、ここまできたら簡単に殺されたくもない。
「じゃあ最後に一つだけ教えて欲しい。イラーのところまでは、あとどのくらい……」
と、口にした時だった。木々の間に、不自然なほど真っ直ぐ伸びた獣道が現れる。踏み固められ、何度も誰かが通った痕跡がそこにはあった。
「誰か……住んでる?」
オオカミが答えるより先に、俺はそれを“見る”。
美しい森がふっと開けた。
校庭ほどの平地に、小川や畑が整備されていた。木造の簡素な作りの建物が十数軒ほど立ち並び、丸い広場の中央には焚き火の跡もある。
そのはまるで、森に隠された小さな村だった。深い森の中に突如現れた、人の生活の気配に驚き、圧倒される。
「こ、ここは……」
『ついた! イラーのとこ! アタシの家もあるんだよ』
クルグが胸を張るように、頭をクイと動かした。
「……お前の家?」
確かに人の生活の気配はあるのに、人そのものの存在を感じない。妙な感じだ。それにどこか、張り詰めた空気を感じる。
『うん! イラーはあっち!』
指さす――いや、前足を突き出す方向を見ると、広場の奥に、黒い岩をくりぬいたような洞窟があった。
入口には白い布のようなものが垂れており、風に揺れて揺らめいている。傍らには大きな石壺が並んでいる。
『早く行こ!!』
急かすクイクイと袖を引いたクルグは、また俺の目の前を跳ねるように楽しげに歩いた。
【公開初日限定、連続更新中】
本日、一挙14話まで更新
この後も20時ごろまで、怒涛の連続公開が続きます。
ぜひお楽しみください。




