虐待の果て:異世界で召喚された男
夕暮れの旧校舎。
積まれた机の山と汚れたガラス越しに、冬の日差しが斜めに差し込む。空気はひんやりとして、埃の匂いが鼻をくすぐる。
教室の中央に立たされた俺は、三人の影を見つめていた。
「いいだろ、ここ。俺らの新しい秘密基地」
如月悠馬が人懐っこい笑みを浮かべる。だが口を開くたびに光る犬歯が“こいつは捕食者だ”と俺に伝える。
「ピッキングって意外と簡単なんだね。やってみたらすぐ開いちゃった」
藤堂拓実は肩をすくめ、細い指先でピンを弄ぶ。見た目は優等生のくせに、瞳の奥が妙に濁っている。
「なあ、斎藤。今日は何して遊ぶ?」
「本校舎からは死角だし、誰にもバレないよ」
俺は無言のまま彼らを見つめた。
何を言っても無駄だ。抵抗すれば、余計に長引く。
だから息を殺してやり過ごす──それが俺にできる、唯一の防衛。
「なあ、無視すんなよ。つまんねぇだろ」
如月が笑いながら近づき、ペチペチと頬を叩く。乾いた音が教室に響いて、藤堂はクスクスと笑った。
「おーい、斎藤ちゃーん。聞こえてまーすかー?」
その軽い声に、胸の奥がゆっくりと冷えていく。笑い声と埃の舞う音だけが、現実のようで現実じゃない。
「如月、アレは?」
机に腰掛けていた神崎颯人が、ようやく口を開いた。
整った顔立ちに、暗く沈んだ瞳。その底の見えない暗さが、俺の背中をゾクリと泡立たせる。
「もちろんあるよー」
如月が嬉々としてポケットから取り出した。
黒く鈍く光る──スタンガン。
体がわずかに硬直する。
一ヶ月前の痛みが、脳の奥に焼きついていた。電流の焦げた匂い、皮膚が焼ける感覚、そして、笑い声。
「俺も最近いろいろあってさ、溜まってるんだ。だから少しだけ、楽しませろよ」
神崎の声は淡々としていた。
怒りも笑いもない。ただただ静かで、俺という“人”ではなく“物”にでも話しかけるかのよう。
「……やめてくれ」
思わず、かすれた声が喉から漏れた。
その小さな音が、逆に奴らを愉快にさせる。
「やめてほしいの? ならもっと大きな声で言いなよ」
藤堂が笑って言った。
神崎は立ち上がり、俺の前に影を落とす。冬の日の光が、その背で完全に遮られる。
「……っ、カハッ!」
腹に鈍い痛みが走り、息が詰まった。乾いた音と共に、世界がぐらりと傾いていく。
「如月、貸せ」
神崎が冷たく言う。
崩れ落ちた俺を見下ろして、神崎は無感情に言った。だがその目には僅かに光が宿っている。
こいつはいつもそうだ。俺を殴る時だけは“生きている”。
「はいどうぞ」
如月が笑いながらスタンガンを渡す。俺はその隙を突いて立ち上がろうとしたが──
「どこ行くの? 鬼ごっこ?」
藤堂の手が肩を掴み、勢いよく突き飛ばした。
積まれた机に背中がぶつかり、ガタンと音を立てて崩れる。
埃が舞い、冬の光がその粒を照らした。
……クソだ。全部、何もかも。
俺で憂さ晴らしをするコイツも、玩具みたいに俺を扱うアイツらも。
毎晩、酒瓶と眠っては俺を道具みたいに扱うあの親父も。
見て見ぬふりをする周りの連中も──全部全部、ただのクソだ。
「逃げたきゃ逃げてもいいけど、ちゃんと俺らを楽しませてからねー」
胸ぐらを掴まれる。また、埃が舞い上がる。如月の笑顔が、光を反射して歪んで見えた。
──こいつらは、殴られたら痛いということを知らない。だから、平気で人を傷つける。
指先が震えた。逃げ場も、救いも、もうどこにもない。
だったら──
「……せよ」
「あぁ?」
「殺せよ」
俺は静かにそう言った。
如月と藤堂が顔を見合わせ、笑い声を上げる。
神崎だけが、無言で俺を見つめていた。そして無表情のまま、如月の手を払う。
「望み通り、半分くらい殺してやるよ」
ガシャン!
左頬が弾けたように痛み、視界が揺れる。
転がった体が机の脚を倒し、その下から何かが転がり出た。
古びた本。
厚い革表紙に刻まれた、見たこともない紋章。
なぜか、目が離せなかった。
「逃げんなよ」
神崎が冷たく言い放ち、バチバチとスタンガンが音を立てる。それでも俺は本から目を逸らせず、導かれるように手を伸ばした。
──その瞬間。
『我、星の声を聞く者』
頭の奥に美しい声が響いた。
女の声。透明で、澄んでいて、どこか懐かしい。
光が、床の上に淡い紋様を描き出す。
「なんだ……これ……?」
如月の声が震えた。だが、それももう遠くに感じた。
『我が神が、他が神を喰らう日。
我、異界の門をここに開く』
世界が歪み、光が渦を巻く。
耳が割れそうなほどの音と、温もりと冷たさが同時に押し寄せる。
最後に見たのは、拳を握りしめたまま俺を見つめる神崎の顔だった。
──何が起こった……? でもこれが終わりなら、悪くない。
そう思った瞬間、光に飲まれた。
* * *
スッと静かになった。
冷たい空気が頬を撫で、硬い石の感触が背中を伝う。
「──皆様、儀式は成功いたしました」
あの声が、今度は耳の奥でなく現実に響いた。
数秒の沈黙の後、歓声が上がる。
俺はゆっくりと瞼を開けた。
広い聖堂のような場所。高い天井。見たこともない装飾の数々。まるで観客席のように周囲を人が囲み、俺たちを見下ろしている。
隣には、如月と藤堂。そして、神崎──
三人とも、呆然と立ち尽くしていた。
そして、彼らの前に歩み寄る一人の女。
金の髪が陽光を受けて煌めく。純白の衣が床を引き、微笑みは神聖そのもの。
……それなのに、その瞳の奥には、氷のような冷たさがあった。
「勇者様方、此度はわたくしの声に応えていただき、誠にありがとうございます。我らグランヴァルトの民一同、皆様を長きにわたりお待ちしておりました」
「……は?」
喉から漏れた声は、あまりにも情けなかった。けれど、誰も何も言わなかった。
見たこともない景色に夢だと思う反面、なぜか冷静な自分もいる。元から知っていたように、頭のどこかが理解していた。
──ここが、もう“あのクソみたいな世界”ではないということを。
【公開初日限定、連続更新中】
本日、一挙14話まで更新
この後も20時ごろまで、怒涛の連続公開が続きます。
ぜひお楽しみください。




